月別アーカイブ: 2011年11月

良い匂いの煙

わしじゃ、鷹じゃ。今日、11月22日は、ラジオが言うには「いいふうふ」の日だと。ふぅーん。

さて、酒蔵も仕込みの時期じゃから忙しそうで、煙がもうもうと立ち上がっている風景は、なかなか良いもんじゃ。今年は米の作柄が良かったから、良い酒が出来ると良いな。そういえば禰宜、打ち合わせで酒蔵にいってきたようじゃ、どうやら決まった様だの。なにやらまたうれしそうに一本抱えてきよった。いつもすまんのう、羽根屋殿。かたじけない。先ずは御神前に供えてから飲めよ、禰宜。

 

新年度の試作品かの

さむくなってきたが、おでんがおいしい季節になったのう。おでんに冷や酒。さむい夜にはこれにかぎるの。

さて、禰宜がなにかまたいそいそと企んで居るようじゃ。今度はなんじゃろうなぁ。のぞいてみたらなにかにぎやかな感じの札を並べておった。ちょっとここらへんではみかけん仕様(ニュータイプ)じゃの。まだ、プロトっぽいの、新年度に現場に投入か?まぁ、正月になれば解るか。

新川神社新庄御鎮座四百年記念事業奉賛会始動

はじめまして、新川神社の神職で禰宜(ねぎ)の舩木信孝ともうします。宜しくお願いいたします。当ブログのカテゴリー「ご案内」では私が神社や総代会、奉賛会に関する情報をお知らせいたします。神使であられます鷹さんのカテゴリー「たわごと」と共に宜しくお願いいたします。

平成23年11月14日午後7時より9時 新庄町第一公民館にて新川神社新庄御鎮座四百年記念事業奉賛会設立の会議が行われ、総代会、責任役員、氏子町内会など氏子有志参集の元、規約、役員、趣意書など慎重審議され、活動を公に始めることが可決されました。今後、具体的な計画が審議されていきます。その都度、お知らせできることを広報いたしますので宜しくお願いいたします。

会議前の会場の様子 新庄町第一町内公民館

てんたかく鷹も肥ゆる秋じゃ


わしじゃ。12日の土曜日だったかのう、8号線の黄昏どき。家路に向かう車の往来と黄昏時。なんともいえん色合いじゃのう。四方神社に神使いの用事で行く途中じゃな。わしもこのごろは運動不足じゃから、ひとっ飛びしてきたところじゃ。

富山の酒蔵でも収穫有りじゃ

わしじゃ、鷹じゃ。やはり立冬をすぎると朝晩めっきり寒いのう。氏子の諸人(もろびと)ら、たっしゃにしておるか。さて昨日、禰宜が午前中からいそいそと出かける支度をしておった。まーた何か企んで居るようじゃったので今回も見守りに行ってやったわい。加賀藩の文書蔵(図書館)の次は富山藩の酒蔵のようで、何やら話し込んだと思ったら酒造元の方に酒蔵を案内してもろうとったぞ。帰りには金澤の時と一緒で、酒瓶をうれしそうに二本ほど抱えて出てきよった。そのあと富山県の文書蔵、富山市の文書蔵などで調べ物をしたあと、黒崎の紙袋屋で打ち合わせをしておった。いそがしいやつじゃのう。夜は雅楽の稽古で射水神社から帰ってきて草々、酒蔵で抱えてきた酒瓶を並べてなにやら飲み比べをしておった。本人は「かけまくもかしこきや、新川神社の御神前に供える新種の神酒の毒味です」とゆうておるが、あれはただ飲んどるだけじゃ。だいたい毒味役があんなにカパカパ飲んで本当に毒が盛ってあったら即死じゃ。案の定、禰宜は酔っぱらってわけがわからなくなったのじゃろう、配偶者を呼んできてテイスティングしてもろうとった。禰宜は生来酒は弱い家系じゃが配偶者は先祖が四方で酒蔵を営んで居った家柄の出じゃから目利きはきくかもしれんの。どうやら何か決まったようじゃから、何か企んで居ったのは御神酒のモデルチェンジか?

加賀藩の古文書蔵での収穫も豊作じゃ

わしじゃ。鷹じゃ。今日は禰宜がこのHP掲載の為の資料探しに金澤の金沢市立図書館隣の近世史料館に行くというので、道中見守りに付いていってやったわい。わしも忙しいんじゃが、あやつが何かでこけると宮のお世話をするもんの手数が減るのでしょうがないのじゃ。奴の生来の方向音痴も最近はiPhoneだとかいう「からくり箱」が絵地図で道案内するそうな、なんとか迷わずに行くかと思いきや、高速道路で本来降りる出口を素通りしよった。多分あやつのことじゃから、新しいCDでも聞き込んでいてぼぉーっとしておったんじゃと思うがな。建物は赤煉瓦造りの洋風舘でなかなか風情があってよかったじゃ。その横には玉川図書館があり、これはモダンな近代美術館のような建物で、新旧の建造物が並んでいるのだが不思議に違和感がないのが印象的じゃった。なにやら色々と読みあさったり写真取ったり、学芸員と話し込んでいたので何かわかったのかのう。帰りには何やら重そうな本を3冊も買い込んでおったようじゃ。
どうやら収穫があったようで、満足げにしてしておったのでこちらも豊作でよかったのう。成果はHPにいずれ繁栄されるじゃろう、たのしみにしておるぞ。

豊作じゃ

わしじゃ。鷹である。今年は比較的天気が良い日々がつづいたので米の作柄は良いかも、と期待して居ったらやはりどこも良かったようである。めでたいことじゃ。そのかわり芋類があまりよろしくないと聞いておる。幼稚園の芋掘りが不作に付き中止になったとか。新川神社の境内のどんぐりはいつになく多いようなきがするわい。朝、木々の木漏れ日の中静かにしていると、「ぼそ、ぼそ」と地面から音がするのじゃ。何かと思ったらあちこちからドングリ爆弾が落ちて地面に着地する音だったわい。耳を澄ますと「ぱらっ、ころっ、ぼそっ」という感じじゃ。「ぱらっ」はドングリが落ちて葉っぱに当たって「ころっ」は木や枝に当たって「ぼそ」と地面に落ちる音じゃ。今年は奴(熊の事)も腹を膨らまして満足して冬眠できるとよいな。奴も腹が減るとイラチになって荒魂を押さえられんようになるからのう、普段は悪い奴じゃないんだがのう。

めでたいのう

わしじゃ。鷹じゃ。たっしゃにしておるか。昨日、明治節で大安祝日の良き日、秋篠宮ご夫婦のご長男、悠仁さまが古式に倣われて、今日の七五三の原型にあたる「着袴(ちゃっこ)の儀」「深曽木(ふかそぎ)の儀」をおこなわれた。ほんとうにおめでたいことであったのう。この儀式は男子の儀式じゃから秋篠宮さまご自身の七五三以来ということで41年ぶりということじゃから尚更じゃ。中でもおもしろいのが「碁盤の儀」で、袴と装束を着けられた後、右手に「末広がり」の繁栄を願う縁起物の扇と、左手にはマツとヤマタチバナの若木を持って、碁盤の上から飛び降りられるのじゃ。

新川神社の七五三でも見習って碁盤の儀をしておるので、これで氏子の諸人たちも何故に碁盤の儀をするのかやっと解ってもらえたと思うのじゃ。そうじゃ、新川神社ではおなごでも碁盤の儀をやってもらっておるぞ。今の時代、おなごもたくましく生きてゆかねばならんからのう。いや、今時は逆におなごのほうがたくましいかの。男の子がんばれ。益荒男ぶりをみせてくれよ。いつの時代も男は度胸、女は愛嬌が肝心じゃ。

さて、新川神社でも氏子の方々が七五三詣に参っておった。かわいいのう、かわいいのう、我が氏子は。越中男子たるもの立山のようなどっしりとした男に育って貰いたいものじゃ。おなごは白雪のような清楚な心を持った娘になって欲しいのう。新川神社は予約を受けて一組ずつ丁寧に御祈願いたすので、ゆっくりと身内だけでお参りされたい方はなかなか良いぞ。

さて、今日は文化の日と巷ではゆうておるが、終戦までは明治天皇様の御生誕を祝う天長節であったから祝日だったんじゃ。若いもんたちには明治時代という、日本の大きな転換期に御在位された明治大帝の御遺徳にふれいもらいたいのじゃ。是非教育勅語と五箇条の御誓文を原文で読んでみることをお勧めするぞ。

ところでこの頃国旗を揚げる家がすくなってきたのう。どうしたことやら。昔はもっと揚がっとったと思うがのう。祝日にはたくさんの日の丸が風にたなびく国であってほしいのう。国旗を揚げると云うことは国の隆昌を祈り、国運を上げる事じゃ。おぬしらは「景気が悪い、政治が悪い、国が悪い」などぼやいてばかりおらず、自分で出来ることとして祝日には国旗を揚げて「日本、がんばれ。自分もがんばる。」と気合いを入れたらどうじゃ。まずそこからのような気がしてならんがのう。

そういえば11月2日は禰宜の誕生日であった。こやつも早46歳じゃ。昔はかわいかったんじゃがのう、今ではいいおっさんになってしもうた。小さい頃は素直で気が弱くて繊細なもんじゃったから心配もしたが、このごろはこわくさくなりよって、立っている者は「神の使い」でも使いよるようになったわ。まぁこれからが正念場じゃから神恩と祖先と氏子への感謝を忘れずに精進するがよいぞ。人生、万事が修行じゃ。体に気をつけろよ。腹に脂肪ばかりためずに懐にお金を貯めておけよ。

謎の物体

わしじゃ。新川神社の神使いの鷹である。まぎらわしいから漢字で書いてやったぞ。神主の禰宜の話では本日平成23年11月1日、新川神社のホームページとやらの公開日だそうじゃな、めでたいのう。わしも絵日記を請けた以上は使命を果たさねばならぬ。これが神の使いのさだめじゃからのう。「みこともち」は辛い家業じゃのう。さて、記念すべき第1回目の絵日記はこれじゃ。丸秘プロジェクトの試作品の最終確認のため、今日彫刻師が持ってきてくれたんじゃ。なかなかようできとると思う。なにかわかるもの、おるか?此が何かわかればたいしたものじゃ。ヒントは新川神社の社殿の中に有る物じゃ。来年の正月から新川神社独自のお守りとして授与されるはずじゃ。ヒントはここまでじゃ。ふふふ、わかるかのう。正解は来年の正月、元旦に宮に参られたらわかると思うが、なにせ初回作製10個の限定品らしいので早めに参られよ。

わしはたかである。

わしはたかである。

新川神社の大神様の使いのものであるから名前など無い。 どこで生まれたかということであるが、わしは「神の使い」であるので「生まれた」とは言わずに「顕現(けんげん)した」、ということになろうかのう。

ところで今、わしは「鷲は鷹である」と言ったのではない、「わし」は一人称で、「たか」が種族であるから言葉の意味をとり違えてくれるな、わかっタカ。だいたい、わしが自分のことを「吾輩は~」などとゆうたら漱石とやらが書いた猫小説のパチりだと思われようが。わしは3行目までしか読んだことがないがな。

ちなみに鷲と鷹の違いがわかる者はおるか?実は鷲も鷹も同じタカ目カタ科に属する鳥種族で、大きいのが鷲、小さいのが鷹と、おぬしら人間が勝手に呼んでおるだけなのじゃ。わしがわしの事を「わし」といっても実際そんなに違いは無いのじゃ。 あのな、「わし」という第一人称は共通語ではおとぎ話や昔話の語り部である老人男性の一人称とされることが多いようだが、このあたり、富山、北陸、岐阜、愛知県より西側では高齢者以外でも親しい間柄では使うのじゃ。まぁこの際もう、そんなことはどうでもよろしい。

わしはむかーしむかしのそのまたむかーしからこの新庄の地を見守ってきたのじゃ。 おぬしら氏子の言い伝えでは

「新庄村は白鳳三年(663)に老人夫婦顕れ、『我は面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)の化身なり、この地の氏神と成るべし。』と申すや霊験を現され、白鷹となり飛び去っていったという。それよりこの地を新庄村と唱えるようになった」

ということになっておるようじゃが、まぁ、そういうことじゃ。 新川神社の大神様の神使(かみのつかい・つかわしめ)がわしの生業(なりわい)じゃからよろしくたのむぞ。

このあいだ、新川神社の神主で若い方(と言っても、もう初老をとっくに超えておるが)が奇天烈(きてれつ)な「からくりの箱」に写す文書(もんじょ)を書くのだが、絵日記(ぶろぐ)をわしにかいてくれんか、とぬかしよった。ただでさえ神使いで多忙を極めるわしに仕事をふるなど本末転倒、しかもそんなもん、この羽根でキーボードなんぞ打てるかたわけ者、と叱ってやったら、ふと、なにやら不服そうな顔をしたので、心の中をのぞき見してやったら、こやつ、「くちばしでタカタカタカっとやりゃ打てるだろうが」と不遜にもだじゃれながら思うておった。爪で顔をひっかいてやろうかと思うた瞬間に殺気を感じたのじゃろう、「それはこちらでやるからなにとぞお願いします」、と低姿勢できよった。わしは「おまえが考えて始めたことをわしにかつけるな(ぶつけるの富山弁)。」と諭したのじゃが、あれはあれでなにやらあれこれ忙しそうにして居るのでこの件に限り助けてやることにしたわけじゃ。だいたいあいつは忙しそうにしておるだけで実は要領が悪いだけじゃて、生まれつきはなかなか直らんもんじゃ。

なにせ、こやつら共々、新川神社の事を今後ともよろしくたのむぞ。