月別アーカイブ: 2013年2月

鷹乃羽雅楽会 2月24日(日)温習報告

禰宜です。寒い日が続いております。雅楽温習ですがやはり季節柄風邪のお休みが多いようです。一日も早いご快気をお祈りいたします。私ですか、馬鹿ですから風邪ひきませんね〜、付ける薬も無いといわれてますのでちょうどいいのじゃないでしょうか。年末の銭湯通いが効いているような気がします、なんとなく。
それでは、今回も欠席されました方々へ、進捗状況の報告と今後の予定をお知らせいたします。

今回は吹き中心です。

細かい手移りがあるのが笙の難所です。パターンを覚えるまでが大変かも知れませんが、習得すれば一生物です。

一人一人チェックしていきます。練習しないくせに意外にこなして居るようです。

笙ですが、まずは越殿楽の唱歌を歌いまして、合い竹の押さえ方、覚えるコツをお伝えいたしました。

乙から凢、凢から一、一から乞、一から工、乙から十、十から下と、合い竹の関連性を説明して先ずは合い竹をササッと押さえられるように個人練習をしていただきます。そのあと、越殿楽の一行目を実際に吹いてみて、どの手を動かしてゆくのか体験して戴きました。戸惑いながらもなんとか吹けました。どうしても慣れないうちは、呼吸と手の動きが一致しないのですが、大丈夫。慣れれば出来るようになりますので、次回からは吹き込みの練習もしていきます。

次に前回に続き音取りを伝授しました。合い竹と一本吹きとの混合ですので難しいのですが、これも慣れが必要で、先ずは手が動かないと話になりませんので、吹かずに手だけで譜面通りに動かす練習をしましょう。

それと、微妙な間がありますので、CDを何度も聞いて、音取りのメロディを自分の頭の中で鳴らせられるように、聞き込みましょう。これ、大事です。聞き込みが足りないと、何を目指して音楽を奏でるのかが明確でないので遠回りです。こんな演奏をしたい、というお手本を何度も聞き込みましょう。

宿題は合い竹の乙・凢・一・乞・工・十・下の七つを覚えてくること、越殿楽の一行目をふけること、です。

今日は藤井先生、仕事で伊勢に行かれておりまして欠席です。

助っ人に射水神社の炭谷先生が駆けつけてくださいました。二手に分かれて集中講義です。

女子も吹き姿が様になってますね。

龍笛は人数も多く、細かい指導もなかなか行き届かないので、今回は二手に分かれて温習をいたしました。

音が出る人も出ない人も共通の練習方法を炭谷先生から伝達いただきましたので、お知らせいたします。

まだ音が鳴らない、また鳴るけど息が続かない方は要チェックです。是非実践してみてください。確実にスキルアップ間違い無しです。

1、立って鏡の前で吹く。

安座(あぐらのこと)で譜面を見ながら吹くと、猫背に成り息が胸に入りませんし、息は腹筋で鳴らしますので、立って吹く事によって、肺と腹筋の腹式呼吸を体感していただく為の訓練かと思います。私の想像ですけれども。

2、ロングトーンの練習をする。

中(ちゅう)の音をふくらで5秒、10秒、と長くしていく。そのあと、夕(しゃく)・上(じょう)・五(ご)・テ(かん)〜というふうに各穴でロングトーンの練習をする。鳴るポイントは本人で探して貰わないとどうしょうもないので、自分なりのスウィートスポットを探し当ててください。

3、5分で良いから毎日笛を持って吹く時間を確保する。

これに尽きますな。三日坊主でも良いんです。三日坊主を繰り返してください。何度くじけても、またやり直すことを続ければ力になります。そうですね、継続とは、くじけた回数だけやり直すこと、とも言えるような気がしてきました。

音が出る人は、越殿楽の一行目を息継ぎを守って、途中で途切れずに吹ききれるように、練習をしてください、とのことです。

欠席された方、どうぞご参考に自己練習の道しるべになれば幸いです。

篳篥部会。だいぶ音が出るようになってこられたと聞いております。一度、聞いてみたいです。

皆さんと合奏できる日が楽しみです。やはり音楽の楽しみは合奏ですよ。

みんな真剣に吹いています。

さて、最後になりましたが篳篥です。越殿楽の歌中心にやったそうです。

唱歌は本当に大事だと思います。唱歌が歌えなければ、篳篥が吹けるはずが無いからです。

歌を歌うように吹く事が目標ですので、先ずはCDと同じように一人で歌えるようにすることが近道だと思います。

と、いうことで次回の3月3日には平調音取りもやりますので、CD、譜面などチェックしておいてください。

4月の14日には前半1時間は管別温習、後半の1時間は音取りと越殿楽の合奏をしたいと思いますので、みなさん、一緒に雅楽を楽しみましょう。ではでは。

 

 

 

2月19日 祈年祭並びに鎮火祭斎行しました。

禰宜です。いやぁ〜昨日は飲み過ぎたと思ったのですが、夕方には寝ましたので酔い覚めスッキリです。12時間ぐらい寝たかも知れませんな。と、いうことで恒例の祭典であります祈年祭並びに鎮火祭を昨日斎行しました。お酒を飲んだのは直会(なおらい)で、総代さん達と御神酒を飲んだと言うことです。熱燗ですから悪酔いはしませんでした。直会は、祭典奉仕で神様にお仕えした後に、普段の生活に戻るための通過儀礼です。いわゆる精進落としの様なもので、神様にお供えした物、その代表格の御神酒を戴く事によって清浄な状態をを解くわけです。お祭りだから宴会をするのでは無くて、儀式としてあるわけです。神職はお祭りの前に、神様にお仕えするのですから身を清めるために塩と水を浴びて装束を着ます。総代さん達は略式で手水舎で手と口を清めることで代替えしているわけです。この状態から「神様にお仕えするモード」に入るわけです。そして一心不乱に五穀豊穣、火の災い無きようにお祈りをするわけです。古代日本人は神様にお祈りするときは非常に神経を使ったわけです。真剣にお祈りしないとかえって良くない、という決意が働いたかのように感じられます。そしてその真剣な祈り、張り詰めた精神状態を解くために、神様がお召し上がりになった「御神酒」を「お下がり」として皆さんでいただくわけです。この「おさがりの御神酒を飲んだ瞬間」で神事が完了するという仕組みなのです。結構、深い意味があるんですね、何気ないことかも知れませんが。まぁ、そこまで考えて御神酒飲んでいる人はいないかもしれませんが、皆さん御神酒を飲むと少しの量なのですが「効いたー」とか「なんかしらんけど御神酒は特別な味がする」とおっしゃるのは、真剣なお祈りをされたからだと私は思っています。

神饌。毎回生産組合からお米の献穀もあります。

きときとの平目が2匹。

鎮火の御神札。台所の火の元近くに貼り、火の荒御魂を鎮めて災いが起きぬように心がける意味で毎年張り替えて、火を扱う我々の心をも改める意味があります。

神様のご馳走、神饌。いわゆる海の幸、山の幸ですな。メニューは穀物としてお米、餅米、大豆、小豆、乾物、野菜、海菜(かいさい:昆布やわかめなど海の植物)、果物、お菓子などなど。

倅達は学校ですので、二人で奉仕です。

2月の祈年祭と11月の感謝祭は五穀豊穣の祈りですので農家の生産組合の方々が参加されます。

2月17日 鷹乃羽雅楽会温習報告

禰宜です。相変わらず冷え込みますね。昨日の朝なんか道路ツルッツルッで怖かったです。雪が積もらないことを祈りながら、本年最初の雅楽温習日を迎えました。季節柄、体調を崩されて欠席が何名かいらっしゃいましたので、いつもの通り、進捗状況と今後の予定などをお知らせいたします。龍笛、篳篥とも越殿楽・五常楽の唱歌と演奏を中心に進められました。龍笛はなかなか音が出ない、息が続かない方がいらっしゃいますが、あきらめずに続ければ必ずや音が出るようになりますので、個人練習を少しの時間でも良いので続けて戴きたいとのことです。

篳篥は今回より親子で初参加された方がいらっしゃいました。頼もしいですね。かなりの方が音が出るように鳴られたようです。

笙は越殿楽・五常楽・陪臚の唱歌を歌い、今回は合い竹の押さえ方、そして手移りの練習、平調の音取りの解説と演奏を伝授しました。次回まで各自練習してきて戴きます。今回欠席の方は合い竹の乙、凢、一、乞、十、下、工の7つをいつでもパッと押さえられるように覚えてきて戴きたいと思います。

音取りはなかなか難しいのですが、何度も何度も繰り返し身体に染みこませるように手を動かす事が必要ですので、とにかく練習ですな。

息を長くするのにはやはり長時間吹き込む事が必要です。我々神社本庁の雅楽講師研修では一日中吹く温習を二泊三日とか経験すると自分でも息が長くなるのを実感しております。やはりしんどい思いをしないと演奏力は伸びませんが、今日は簡単に皆さんにも出来る「息を長くする」トレーニングを紹介しましょう。ズバリ、最近流行りました俳優 美木良介さんの「ロングブレスダイエット」のトレーニングです。機械も何も要りません、本屋にDVD付きでやり方を紹介してますので試してみては如何でしょうか。

当面の目的は4月に平調の音取りと越殿楽の合奏をしてみたいと思います。合奏すると音楽の楽しみが増えますので、またやる気になっていただけるのではないかと思いますので、頑張ってみましょう。

笙も参加者少なめですが、頑張りましょう。ストーブ4台焚いてますのでなんとか過ごせる室温でした。

「合い竹」、つまり雅楽でいうところの「コード」「和音」ですね。不思議な揺らぎの音階です。メジャーでも無い、マイナーでも無い独特の和音です。

こうやって楽器の上から覗くと正しく押さえられているかわかるんです。

甥のよっちゃん。指が短いのでまだ十分に届かないところも頑張って押さえています。

芦峅寺から参加の佐伯さん親子。家に篳篥があったそうです。最近うちの蔵からも出てきましたので、昔はもしかして雅楽、流行っていたのかも知れません。

右が息子の信明、左が甥の靖忠。一度聞いてみたい。

楽しそう。何かネタやってんのかね。

唱歌の練習。急がば歌え、雅楽の唱歌。

今日は病欠のため、お休みの方が多かったです、お大事に。

指使いがどうしてもわかりづらい様です。

合奏が楽しみですね。私は笙を教えているので写真でしか様子はわからないですからね。音までは聞いたこと無いんです。

来週は藤井先生は欠席で、射水神社の炭谷先生が来られます。是非音が出ない人は合奏をする4月までがんばりましょう。

舩木家のお蔵出し 其の弐

舩木家のお蔵出し 其の弐 30年分の埃をお清め中。大変やぞー、ほんまに。

禰宜です。寒い日と暖かい日が混じりながらの日々ですが、皆さんお元気でしょうか。私は祈年祭、鎮火祭、臨時祭(地鎮祭などのお祓い)の合間をぬって子供部屋の整備と蔵の清掃の続き、総代会、奉賛会の準備などやることが山積しているなかにも元気にしております。もうすぐ鷹乃羽雅楽会も始動しますので、楽しみですね。今月は2月17日と24日、午後7時からになります。まさか雪は積もらんと思いますがどうでしょうか。

さて、お蔵出しのお披露目第2弾です。当然、後日改めまして詳細なる分析、読み下し分など整理して公開しますが、多分今回の蔵整理で一番の大収穫の文書です。これを探していたのです。懸命に図書館の史料を探しておりましたが、当然と言えば当然ですが家にありました。江戸時代末期に編纂されていた「越中志徴」という富山の地方に伝わる逸話、伝説、言い伝えを収めた本に新川神社の史料らしき物を見て書かれているようでしたのでこの由緒書きを探していたのです。顧みすれば、大学4年生の卒業論文の調査で、この本の記述で、なにか気持ちに引っかかる事がずぅーっとありまして、それの究明に動いておりましたので、感慨ひとしおです。若い頃、立山信仰と新川神社の関わりをテーマに卒論論文を書きましたのでそれの続きですね。その当時思ったのは学者さんの論文は歴史的な事柄や見地からすると事実なのかも知れませんが、どうも読めば読むほどわけがわからなくなっていった思い出があります。何か重要なこと、本質的なことが抜けているような気がしましたけれども、論文は論文ですので、私なりに基本的な知識を入れるという意味では重要な作業でしたが、腑に落ちないところがずぅーっとくすぶっていたことは事実です。その頃、なんの確信も無いのですが、「いや、これは違う」とう違和感が直感的にありまして、それは今でも変わらないのです。なにか、ご先祖様が背中を押していらっしゃるような気もします。では続きはいずれまた。

現在調査中ですので現段階で一番古い由緒書。いわゆる御鎮座縁起ですね。私は史実として正しいか正しくないかの検証も必要ですがそれを踏まえて、伝わってきた事柄をそのまま伝えていくこと、そしてそこに先祖が神様の事をどう思って来たかを精神性や想像力を読み取ることが本質ではなかろうかとこの頃特に思います。

上の前ページからですが「白鳳三年(674)三月十九日に面足惶根尊(おもだる・かしこねのみこと)が当国に降臨して、このページの三行目からに「神の山の清き流れの灑(そそ)ぐ、故にこのところを新川と号して、この処の守護神と成り、人民が慢心を退けて一つ心を真っ直ぐにして我の御前に一礼成せば願いかなわぬことは無しと言い終えて、白鷹と成って巽(東南)の方へ飛び去っていった云々・・」と云った内容が書いてあるような気がします。新川の地名の縁起譚ですね。読み方、いい加減ですみません、漢文、苦手でしたので。後日ちゃんとした書き下し文をお見せできるようにいたします。

面足尊・惶根尊・伊弉諾尊・天照大神を新川四社大権現と号して新川郡の守護惣社と崇められたとの御祭神縁起が記されています。原本を見たのは初めてです。これが見たかったんですよ、孫引きでは無くて原典に当たる事にこだわりを持っていましたのでうれしいです。

宝永三年(1706)八月神吉日 神主 田宮丹後守藤原宜命(花押) 今のところ、一番古いと思われる縁起古文書です。まだまだ検証作業を進めていかなければいけませんが。神主家の系譜も出てきましたので、いずれ公開します。

 

舩木家のお蔵出し 其の壱

舩木家のお蔵出し

禰宜です。おひさしぶりです。やりましたよ、ついに。禁断の扉を開きました。舩木家の蔵の整理です。昔は土蔵でした。かび臭くて暗い、いわゆる絵に描いたような土蔵ですね。私は小さい頃、絶対あの中にはミイラがいると思っていましたから。ですが家の建て直しに伴って30年前に古い土蔵から今の倉庫に移築されたのですが、その後、溜まりに溜まった30年間、親の管理下の元、カオス状態でしたし、親の私物がほとんどですのでわたしにゃ手が出せない「禁足地」でした。ですが、ですよ。親も年老いてきて、自分たちでは重い物も整理できない状況が来ましたので、私が整理しないと誰も手が出せない状態になっていました。ここは長年の垢を落とす意味と、親が元気な内に必要な物と不要な物を仕分けして、引き継ぎを受けておいた方が良い時期でもありましたので、「舩木家お蔵出し清掃事業」を実施したわけです。結果、この時期に思い切ってやって良かったです。「パンドラの箱」ではないですが、あれやこれや明らかにガラクタのような物達と格闘しながら整理を進めて行く末に、最後の最後に探し求めていた「希望の書」が出て参りました。新川神社の歴代宮司の系譜と神社の由緒です。思いっきり、出たぁぁぁぁぁ!と心の中で叫びました。毎日、蔵に入るのが楽しみです。他にも色々出てきました。今まで何で見つけられなかったかというと、二〜三代か前の分まで着物箪笥が所狭しと並べてあり、通路までを塞いでいましたので、古文献がある場所までたどり着けなかったのです。箪笥を乗り越えていっても、開くスペースが無いですし。灯台下暗し、といいますが、この機会に本当に思いきって整理しました。先ずはご先祖様に「申し訳ないですけれども、私たちも生きていかなければならないので、ある程度、御遺品を処分させて戴きます。」とお断りしてから、ビンテージ物の黒塗り箪笥他、役目を終えたのだけれども捨てられずに取り置きされた物達とお別れしました。まぁ、すごかったですよ。いつも正月にお祓いを依頼される「エイキ」にお願いいたしました。解体・産廃業者で、不用品の回収をして戴けるので助かりました。4トントラックに4杯、2トンに3杯だったそうです。お蔵出し、といいましても、そんなたいした「お宝」はありません。ですが、わたしにとりましてはお宮に関した貴重な資料、ご先祖縁の物たちが出てきましたので、改めて今後より良いコンディションを保つための管理の仕方を考えていきたいと思います。ここでもやわやわとお披露目して参りたいと思います。

蔵の入り口。

なんと、横笛が沢山出てきました。やはり、ご先祖様も雅楽を嗜んで居られたと言うことが、今回初めてわかりました。やはり、何かに導かれていたような気がしたのは気のせいじゃなかったのだ。

節分から立春へ

禰宜です。この頃は本当に春めいた陽気の日でした。雪では無く、雨ですし、風も暖かかったりしますが、如月(きさらぎ)というように、着物をさらに着重ねする日が来るのでしょうか。とりあえずは、節分、そして立春です。当社では年が明けて15日前後で一段落しますが、本年はいつになくその後も毎日1件か2件ずつ、厄年のお祓いに来られました。「節分」までに厄祓を〜と各種案内にありますので、皆さんも落ち着いてから厄祓に来られるようです。厄年は数え年ですから、満年齢がスタンダードな現代ですから、なんとなくみなさん書くのに抵抗があられるような気がします。2つ、多く書かなければなりませんからね。
昔の古老の話を聞くと、「正月はめでたいけど、この頃は正月きたら、ああ〜また一つ、年とったかと思うと複雑な気持ちになるわい」とおっしゃる人がいましたので、やはり昔の人は正月に年を数えていたんだなぁと思いました。

当社では現在「節分祭」は実施しておりませんが、昔は「卯槌(うづち)の祝い」という厄祓式を斎行していたようですので、いずれは当社独自の節分祭を再興したいとかんがえています。

さて、大変長らくかかりましたが、境内の絵地図、完成しました。絵師の米田昌功氏の筆による物です。近日中に新川神社の「境内ごあんない」を動作させたいと思います。新川神社の境内には色々な石碑があり、たまに聞かれたりするので、この際史料として公開したいと思っていましたので、頑張ります。では。

新川神社定番の福豆。年頭に御祈祷されます方にはもれなく1箱、お下がりとしてお渡ししております。撒くなり食べるなりして戴きたいと思いましてね。

御神札や御守り、しめ飾りをお清めしてお焚き上げをする焼納祭。いつも節分に実施しております。

米田画伯の境内絵地図。HPではクリックすれば解説が出るようにします。