令和元年の夏を振り返って 七夕と古事記・日本書紀と「君の名は。」

宮司です。お盆ですね。本日は8月15日で終戦の日です。台風も近づいておりまして南の方が心配であります。本日は穏やかに静かに過ごしたいと思いましてブログを書こうかなと。ようやく一段落した感もあります。

先ずは7月29日は13:30より古事記に親しむ昼の部、19:00より日本書紀に親しむのダブルヘッダー。7月31日19:00より古事記に親しむ夜の部でした。
当社では旧暦で七夕を行っておりますので7月25日から8月7日まで境内手水舎に設置しております。短冊に自由にお願い事を書いて戴きます。行事や神事などは特にしておりませんが、みなさん思い思いに短冊に願いをかけておられる姿はいいもんですね。

そこで丁度七夕の時期でしたので古事記、日本書紀に参加の皆さんに少しだけ七夕と神話に出てくる「星」のお話しをいたしました。

現代では一般的に「織り姫と彦星」の年に一度の逢瀬の話が浸透していますが、日本古来の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれたようです。 七夕(しちせき)を(たなばた)と読むのは日本オリジナルと諸々の行事のハイブリッドだからでしょう。日本人の得意技ですね。

さて、古事記日本書紀を読んでおりますと「日本の神話に星の神様は出てくるんですか?」という質問があります。太陽は天照大御神、月は月読尊とわかりやすいのですが、西洋には星座という星の見方とそれにまつわる伝説が数多くあるので、じゃあ日本は?となりますと、これが限りなく少ないんですね。古事記には星に関する記述は無くて、日本書紀の別伝である一書(あるふみ)に

「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類を誅伐し、皆すでに平定した。唯一従わぬ者は、星の神・カガセオのみとなった。そこで倭文神・タケハヅチを派遣し、服従させた。そして、二神は天に登っていかれた。倭文神、これをシトリガミと読む。」

「天に悪しき神有り。名を天津甕星あまつみかぼしまたの名を天香香背男あめのかがせおと曰う。う、先ずの神を誅し、しかる後に下りて葦原中国をはらわん」

と出てきます。(詳しくはWikipedia等でご覧ください)

星の神が悪い神として伝わるところに色々解釈を先人達がしてますが、今ひとつ説得力の有る物は無いんですね。あまりにも記述が短く、情報が少ないのでなぜ星の神が服従しなかったのか、悪しき神として扱われたのかは謎ですが、ネットで検索しておりますと「君の名は。」関連の事を書いたホームページにこの星の神の事が載っておりまして、おやっと思って見てみますと非常に興味深いストーリーとして描かれておりました。

「君の名は。」のスピンオフコミック、Another Side Earthbound全2巻の2巻目に登場しますが、こんな裏設定があったのか!とびっくりしました。星は流星、つまり隕石で地上に落石して大きな災いとなる、という解釈です。蛇の事を古語で「カガシ」というので「アメノカガセオ」は「天の蛇男神」、つまり「流星」をあらわす神名だと。実際に古来から隕石が落ちて災いになったことがあったからなんじゃないですかね。それを機織りの倭文神を主祭神とする宮水神社の代々神主の娘がそれを阻止するというのが映画のプロットで、なんと日本書紀の逸話が埋め込まれていたなんてぜんぜん気がつきませんでした。星の神・カガセオを服従させた倭文神・建葉槌命(タケハヅチ)は織物の神で、タケが頭に付くので武神である事は窺えますが、なんで機織りの神様が星の神を諫めることができるのか、ということが根底に流れている映画だったんですね、深すぎ。主人公の神主家である宮水家の人は代々御祭神の御神名、建葉槌命から「葉」(一葉、二葉、三葉、四葉)をいただいていますしね。組紐が神社が伝承してきた伝統祭祀だったり。これが織物神の霊験を現すものなのでしょう。本編では触れなかった設定が細かい。どうぞ今一度ご一読されますと「君の名は。」がより深いものがたりとして感じられます。

そういえば、今上映している新海監督の「天気の子」、観てきました。良かったですよ。今回も神社がキースポットになっているストーリーで「晴れ女」のお話しでした。「雨男」としてはこれは見にいかんなん、ということで。「君の名は。」もそうでしたが、神道的なテーマが根底に流れているアニメがビックヒットを納めていることになにかしら安堵感を持っています。職業柄でしょうか。ジブリのナウシカもトトロも千と千尋やもののけ姫なども日本古来の土着の信仰が感じられましたし。

時代によって信仰の形は変遷していきますが、今伝わっている形を如何により良き形で伝えていくかと言うことが大事で、それが根拠のある事か、無いことかという学術的な事よりも、史実の追求よりも、論拠の無い言い伝えだとしても人が紡ぎ出して語り継がれてきた「ものがたり」の方がよりよき時代を創造する礎になる力を持っているものだと私は個人的に思っておりますので、古事記と日本書紀を今後共みなさんと読み続けていきたいと思います。