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新川神社の神宝
「越中志徴」には新川神社に伝わっていた神宝として初代城主三輪飛騨守から納められた物として土佐将監(※注1)の天神一幅・八房之鏡一つ、龍石一つ、來国光之鎧通一腰(※注2)があるはずのところ、神主が申すに「轡田豊後守殿落城の節に四品のうち、土佐将監の天神・八房之鏡は紛失した」との記述があり、惜しむところである。
(※注1)土佐将監(とさのしょうげん)
本名、土佐光信(とさみつのぶ)。「将監」は近衛府の官職名。室町中期?戦国時代にかけての大和絵師。室町幕府八代将軍義政に取り立てられ、宮廷絵師として活躍した。土佐派中興の祖。近松門左衛門作の歌舞伎・人形浄瑠璃の『傾城反魂香』(けいせいはんごんこう)の上段に「土佐将監閑居の場」という演目があり、物語のモデルとなる。
(※注2)來国光の鎧通(らいくにみつ)(よろいとおし)
鎌倉時代末~南北朝時代の刀工。鎧通は短刀の事。來派は京都で活躍した刀工の流派。遺作は国宝、重要文化財に指定されている。