このページを印刷する

木彫りの龍神

木彫りの龍神  新川神社の拝殿と幣殿の境に木彫りの龍が掲げられている。制作年月日、作者など不明である。旧社殿から引き継がれた物で、以前は神社の外の御拝に掲げられていた。社殿が新築された昭和45年後に、有志奉納者により掲げられた。
 本殿に昇殿されないと見えないのだが、口あごの下に密かに龍珠を持っている。あたかも逆鱗を隠すが如く、宝珠を持つ姿に水害で悩まされた新庄の先人達がこの木彫りの龍に込めた祈りがうかがえる。

(龍の起源)

 龍の起源には諸説あるが、一番古い物として中国東北部の内モンゴル自治区小山遺跡から出土した土器には鹿、猪、鳥、魚の融合動物が描かれていた。
 「龍に九似あり」とされ、頭はらくだ、角は鹿、目は鬼、腹はみずち(日本では八岐大蛇に代表される水神。水の霊。)、体は大蛇、うろこは鯉、爪は鷹、こぶしは虎、耳は牛に似るとされている。

 龍の原型を生み出した頃のモンゴルの土地は畑作農耕地帯の森の中で、森の猪や鹿、川に生息する魚をモデルにした猪龍や鹿龍が最初の形であったとされ、重要な食料となった猪や鹿や魚たちを原型として融合動物を創造したものと思われる。本来は現在の水神としてよりも森の中の複合動物として、色も赤色であった。また、当地の女神の墳墓から玉で造られた龍がいくつも発見され、すでに龍の信仰と玉信仰が広く普及していたことが解る。また、その龍の形は太った猪龍であり、今日の龍神とは似ていない。ところが5700年前の寒冷化の気候変動により、北方の民俗が南下によって伝えられた龍は長江流域の稲作地域にやってきた。このころから森の神から水のか神へと性格を変え、色も赤から青へ変化し、今日日本に伝わる水神としての青龍が現れたのではないかといわれる。日本では一般的に長江文明の稲作漁労社会にて水神となった龍神が大陸から伝来しているので、日本古来のやまたのおろちに代表される蛇信仰と龍神信仰が自然に融合した感がある。今日に於いても蛇とともに龍が水神、川神との理解が得られているが、本来の原型は森から発生したことは興味深い。

(龍の珠)

 龍にとって珠がどれだけ大事な物かを神話伝承が伝えている。中国雲南省の独龍(トールン)族の伝説には河の龍宮の龍女が鎮水珠に呪文を唱え、水位を自在に操って妖魔を退治した話がある。この龍珠は独龍河の水位をコントロールする「鎮水珠」であったわけだ。また、壮(チワン)族の物語が伝える「夜明珠」は「龍の心臓」で夜を明るく照らす龍珠であった。また、龍女が「龍王の夜明珠を取ってきた者の嫁になる」という説話から、龍の珠は「願えば叶う」如意珠であり、水を操り、雨を降らし、風や火を呼ぶ宝珠であり、魚族が陸で暮らすことが出来る離水珠、龍宮の門を開けることのできる「開門珠」であり、龍が誕生することのできる珠、口に含んでいれば例え死んでも生き返れる宝珠などと伝えられる。盲人の目を明き目にすることや、飲み込んだ人が聞き耳になる珠でもあった。

(登龍門)

 「登龍門」という中国の伝説の話に、鯉は昇天志向を持つ大魚であり「龍門」を飛び越えればその時点で龍になるとされる。鯉のぼりや鯉の滝登りはこの古事伝承にちなんだものと解せられる。

(逆鱗に触れる)

 普段の龍は非常におとなしい性格で、慣れれば人が背中に乗っても差し支えがないくらいに従順であるとされるが、龍の喉元には一枚だけ鱗が逆さに生えた部分があり、ここに触れる者がいれば激怒、豹変し必ずそのものを殺すとされた。一般的に目上の人を怒らせるような行動を取ることを表す表現として使われる。この性質は自然界にある「川」の性質に似ている。普段は緩やかな川筋をゆっくりとせせらぎながら降る水は生命の源であり、稲作農耕には欠かせない恵みの元であるが、豪雨、地震、台風などの天災になるやいなや、穏やかな川筋は一変し、川筋はうねり広がり四方に止め処なく流れ、木をなぎ倒し、人や家畜、建物を流しすべてを飲み込み、土石流をはこびすべてを埋め尽くす。龍が逆鱗に触れられて大暴れする龍神の姿を、古人でなくとも我々はその濁流に見ることが出来る。平穏時は五穀豊穣恵みをもたらすが一端荒ぶると手の施しようがない、自然の和魂、荒魂を両方具える自然の中の水の循環を司る水神として、天と地をつなぐ役目は大きい。