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山下守胤 (やましたもりたね)
天明6年~明治元年(1786~1869)
富山藩のお抱え絵師で狩野派の絵師として幕末に活躍した。藩の御用をうけた染物家業の山下屋を継がず廃業して画家に専業した。江戸に出て狩野派の画法を研鑽し諸国を遊歴し、景勝地の風景画を描いたという。帰郷後は富山藩第10代前田利保に取り立てられ鳥類、草花、風景画の写生に才を現し利保に絵の指導を行った。利保が編纂した越中各地の植物の色刷り本「本草通串証図」の下絵を担当した。
天明6年~明治元年(1786~1869)
富山藩のお抱え絵師で狩野派の絵師として幕末に活躍した。藩の御用をうけた染物家業の山下屋を継がず廃業して画家に専業した。江戸に出て狩野派の画法を研鑽し諸国を遊歴し、景勝地の風景画を描いたという。帰郷後は富山藩第10代前田利保に取り立てられ鳥類、草花、風景画の写生に才を現し利保に絵の指導を行った。利保が編纂した越中各地の植物の色刷り本「本草通串証図」の下絵を担当した。