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機織り女の伝説



新川神社写真

日本昔話・・・「鶴の恩返し」「鬼怒沼の機織姫」

現在は一般的に七夕といえば、中国起源の「織女と牽牛の伝説」として知られるが、日本の「たなばた」は、 元来、中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた。
『古語拾遺』に登場する天棚機姫神(あめたなばたひめ)は天照大御神が天岩戸から誘い出すために、神衣和衣を織ったとされている。天羽槌雄神と共に機織の神として知られている。

富山市呉羽 姉倉比売伝説・・・祭神は姉倉比売神(あねくらひめのかみ)である。
両社の社伝を総合すると、姉倉比売神は一帯の賊を征伐して、船倉山に居を構えて統治し、地元民に農耕、養蚕、機織などを広めた。
姉倉比売神は能登の伊須流伎比古神(いするぎひこのかみ)と夫婦であったが、伊須流伎比古は仙木山の能登比売(のとひめ)と契りを交わしてしまった。
怒った姉倉比売は船倉山の石を投げつくして能登比売を攻撃し、姉倉比売の妹の布倉比売もそれに加勢し、越国は大乱となった。
出雲の大己貴命(おおなむちのみこと)が越国に赴き、その調停により乱は鎮圧された。
姉倉比売は混乱を引き起こした罰として、領地を没収されて呉羽小竹に流され、土地の女性たちに機織を教えるよう命じられたという。
「婦負郡」という地名は姉倉比売神にちなむものであり、「呉羽」の地名も機織に関係のあるものである。
七夕様・短冊設営