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8月7日まで 七夕様・短冊(たんざく)



境内の手水舎に竹をたててみなさんにおもいおもいのおねがいごとを込めて短冊(たんざく)にかいてもらっています。
七夕は7月7日なのに、なぜ新川神社は8月にやるの?とおもわれるかもしれません。
じつは明治時代の前と後ではカレンダーで1月以上の差があるのです。
旧暦(きゅうれき)という月の満ち欠けを元にしたカレンダーから、新暦(しんれき)、現在の太陽のうごきを元にしたカレンダーにへんこうになりました。
そうしますと、むかしの7月7日は現在のカレンダーでは8月25日になり、一ヶ月いじょう早いことになりますので、新川神社ではむかしの七夕にちかづけるために8月に七夕をやるのです。

新川神社写真 新川神社写真
新川神社写真 新川神社写真

いまは七夕といえば、「おりひめとひこぼし」が年に一日だけ、夜空がはれると天の川に橋がかかって合うことができるはなしのほうがみなさん、よく知っているとおもいます。

日本にもむかしからはたおりの女神さまのの伝説があります。
日本の「おりひめ」は天棚機姫神(あめたなばたひめ)といいます。

新川神社写真

また、富山市にも「姉倉比売(あねくらひめ)」という機織りの女神様がいらっしゃいます。
呉羽の「姉倉比売神社」はもともと大沢野町船倉山の「姉倉比売神社」の女神さまで、能登の伊須流伎比古神(いするぎひこのかみ)と夫婦でしたが、伊須流伎比古神(いするぎひこのかみ)は石川の女神である能登比売(のとひめ)と浮気(うわき)をします。
「うわついたきもち」の意味です。結婚して奥さんがいるのに「ふらふら〜」っと他の女の人となかよくなりすぎる男の人がよくいますね。
それで大げんかになって、富山と石川で大戦争になったそうです。「神戦(かみいくさ)」といいまして、神さまも戦争をするのですね、いけないことです。
そのせいで、国が荒れておおぜいの人たちがこまりはてました。
そこで出雲(いずも)の大己貴神(おおなむちのかみ)がケンカをとめるために富山にきて、ケンカ両成敗(りょうせいばい)で、姉倉比売は今の呉羽で機織り(はたおり)を命じられ、地元の女の人たちに機織りを伝える事により罪(つみ)のつぐないを命じられました。
そもそも大ゲンカの原因(げんいん)である伊須流伎比古神(いするぎひこのかみ)と浮気相手の能登比売(のとひめ)は海の浜辺で大己貴神(おおなむちのかみ)に退治(たいじ)されました。
「おりひめとひこぼし」の話のあらすじは、おりひめは「はたおり」をして神さまの着物をつくるしごと、ひこぼしは「牛飼い」で牛をそだてることがしごとでした。
ふたりともまじめに仕事をしており、天の神様がふたりの結婚をゆるしたのですが、結婚してからというものの、ふたりでいるのがたのしくて、たのしくて、それぞれの仕事をしなくなりました。
神々の着物はボロボロになってしまい、牛はやせ細って死んでしまいました。
そこで天の神様はおこって、ふたりをひきはなして、年に一度、7月7日に天の川に橋をかけて1日だけあっていいというふうにされたのです。
しかもその日雨がふったら、橋はかけられず、あうことができないそうです。そうとうきびしい「おしおき」ですね。

このふたつの話は男と女が恋をしたらきをつけることとして
(1)好きな人ができてもまじめに自分のやること(勉強・仕事)をすること。
(2)浮気をしたら、したほうもされたほうもたいへんなさいごをむかえること。
(3)人は人を好きになり夢中になると、まわりがみえなくなること。

この3つをわたしたちに教えてくれるおはなしです。
みなさんもこれから大人になって好きな人ができて、恋愛して結婚しても、この三つの事をおぼえていて、ステキな恋をしてください。