このページを印刷する <<三輪飛騨守長職

三輪晃久

新庄城主子孫からの絵

(富山市立新庄小学校 「学校だより」平成21年6月1日より転載)

 校長室に「誕生日」という題名の50号の油絵が掛けられています。この絵の作者は日展作家であった三輪晃久さんです。三輪さんは、初代新庄城主の三輪飛騨守から数えて15代目に当たる方だそうで、城跡に建つ新庄小学校とのご縁で、平成11年に作品を小学校に寄贈されました。
 三輪さんのご先祖、初代新庄城藩主三輪飛騨守は1550年、轡田備後守によって倒されましたが、その後も新庄城は戦国時代、川に挟まれた堅固な砦として戦略上の重要な役割を果たしていました。

 先日、新庄北小学校の設計担当の方が新庄小学校に来校された折、三輪さんの絵を見て、新庄小学校に三輪さんの絵が掛けられている理由を尋ねられました。その設計担当の方は三輪さんのことをよく知っておられ、新庄小学校と三輪さんとの関係とともに、新庄の歴史に大変驚いておられました。
 逆に私は新庄北小学校の設計者が新庄城の初代藩主にかかわりのある三輪さんと知り合いであることに、縁の不恩恵さを感じた次第です。

 平成22年度より新庄小学校は分離され、2校になりますが、どの学校にも「新庄」という歴史を積み重ねてきた名前がつきます。どの学校においても子どもたちには、新庄の歴史をしっかりと受け止め、誇りをもって学んでいってほしいと願っています。

 校長 松島公裕

山下謙治著「幻の滝」より転載

城主のプレゼント

(平成11年8月19日 北日本新聞朝刊「東から、西から」)

「城主子孫から絵の贈り物 新庄城跡に建つ富山・新庄小に 日展作家 三輪さん。ご縁大切に。来月、感謝の集い」

 戦国時代の平城、新庄城跡にある富山市立新庄小学校に、城を築いたとされる三輪飛騨守長職の子孫で日展会員の日本画家、三輪晃久(65歳)=京都市=が作品をプレゼントした。三輪さんが先祖ゆかりの地を見るため、5月に初めて同校を訪れたのがきっかけ。同校は「城のおかげで不思議なご縁を得た。情操、歴史教育に役立てたい」と喜んでいる。

 新庄城は同小グランド一帯にあたり、現在は土塁跡や堀跡がわずかに残る。神保長職の部下だった三輪飛騨守が天文年間(1532~1555)に建てたが、飛騨守は1550年に大村城主・轡田豊後守によって倒される。城は川に挟まれた要害堅固な砦で、一時越後の上杉謙信に攻め取られたこともあるが、魚津の松倉城の支城として戦略上重要な役割を果たした。1615年廃城となる。

 三輪さんは京都市生まれ。三輪飛騨守から数えて15代目で、家系図で新庄城と先祖の関係を知っており、立山にスケッチに来ることもあったが、新庄城跡を訪ねる機会はなっかった。三輪さんは5月に富山市で開かれた日展で、新庄校下に住む自分のファンと知り合い、同小を訪問。山下謙治校長ら会い「これも先祖から頂いたご縁。先祖の供養になれば」と、7月下旬に「誕生日」と題した50号の作品を贈った。24年前に日春展奨励賞を受賞した作品で、女の子が誕生ケーキの前に座っている。

 三輪さんお妻の祖父も立山町出身とあって、三輪さんは「今後、冨山と結び付きを強くしていきたい」と言い、山下校長も「三輪さんの絵が新庄城を考える糸口ともなる」と話している。同校は9月1日に、三輪さんを招いて感謝の集いを開く。

三輪さん、ありがとう

(平成11年9月1日 北日本新聞朝刊)

 戦国時代の新庄城跡に建つ新庄小学校は1日、初代新庄城主の子孫で、同校に絵画を贈った日本画家、三輪晃久さん(65)=京都市=夫妻を招き、感謝の集いを開いた。三輪さんは初代城主、三輪飛騨守源長職から数えて15代目で、日展会員として活躍している。今年5月に同校を初めて訪れ、6年1組の授業を見学した。7月末に「今後も学校と縁を深めていきたい。先祖の供養になれば」と「誕生日」と題した作品を同校に贈った。

 集いでは、6年1組の西脇彩子さんが「三輪さんに会ってから、新庄城を身近に感じるようになった。誕生日の作品を見ると、ぬくもりを感じる」とお礼を述べ、三輪さんは「450年前に先祖が住んでいた地と結びつくことができ、大変うれしい。絵は上手に描こうと思わず、思ったように描いて下さい」などと話した。

「お誕生日」は宝物

(平成11年9月1日 三輪晃久先生に感謝する集い)

 去る8月19日の北日本新聞朝刊に「城主子孫から絵の贈り物、新庄城跡に建つ富山・新庄小に」という記事が載っていたのでご存知かと思いますが、新庄小学校の良い子の皆さんに、この上もなくうれしいことをお知らせできることを校長先生は誇りに思います。今、ステージの上に二人の方がおられますね。ご紹介します。

 校歌「気高く光る立山に」の3題目に「明治のはじめ城あとを ついだ学び舎栄えきて」とあるように、私達の新庄小学校は城跡にあります。今から450年前程の天文年間(1532~1555)に三輪飛騨守長職が新庄城を造りました。その時から数えて15代目の方が今皆さんの前に居られ三輪晃久先生と奥様です。この5月に初めて新庄城を訪ねて学校へ来られました。その時のご縁で「ご先祖様の供養になれば」と新庄小学校の良い子の皆さんのために、素敵な絵画を寄付して下さったのです。それが、ここのあります「誕生日」なのです。

 不思議な魅力のある絵です。皆さんも後でゆっくりとご覧なさい。お誕生日のプレゼントを前にして、美しい少女が「うれしさ」と「はにかみ」と「とまどい」が交じり合って、一見寂しく見えるのですね。ところが、ある日、校長先生が嬉しいことがあったときにこの絵を見たら、少女の目がニッコリ笑っていました。悲しいことがあったとき、少女の目が泣いていました。見る人の心を映す鏡のような絵なんですね。

 三輪先生、本当にありがとうございます。心からお礼申し上げます。PTA会長さん、後援会長さん、自治振興会長さんはじめ新庄校下全員が喜んでおります。この上は先生の温かいお心を大切にして、情操教育や歴史学習、さらには総合的な学習に生かし「自主的で創造性に富み、情操豊かな、たくましい実践力のある子供を育てる」ために教職員全員が努力する事ををお誓い申し上げてお礼の言葉に代えさせていただきます。

この絵愛し 一期一生 ぬくめあう(謙治)

三輪氏について

 三輪氏は大三輪氏、大神氏とも表記し、「大神氏」とかいて同じく(おおみわし)と読む。氏の名は大和国城上郡大神郷の地名に由来するという。奈良県桜井市三輪に鎮座の日本最古の社、大神神社(大三輪とも書くことがある)の御祭神である大三輪の神である大物主神の末裔であり、代々大三輪の神を祭る神主として祭祀を司ってきた有力氏族である。

 『日本書紀』神代巻上に、大三輪神(大物主神)の神の御子は甘茂(かも)君、三輪君などと記されており、また同じく崇神天皇8年12月条にも大物主神の子、大田田根子は今の三輪君などの祖であると記述されている。『古事記』にも意富多多泥古(おおたたねこ)命は神君(みわのきみ)・鴨君の祖と記載されているので、三輪氏は大物主神の後裔として同神の祭祀をつかさどる有力氏族だったことがわかる。『新撰姓氏録』大和国神別の大神朝臣条によれば、大神氏は素佐能雄命(スサノオ)6世孫の大国主の後裔とする。