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神輿の起源
文献上での初出は、奈良時代の元正天皇の御世、養老4年(720年)九州で起こった「隼人の乱」にあります。
同年2月九州南部の大隅・日向に住む隼人族は、大隅国守を殺害して反乱を起こしました。
朝廷は歌人としても有名な大伴旅人を征隼人持節大将軍に任命し、1万を超す軍隊を派兵しました。
この時、朝廷は宇佐八幡宮に勅使を派遣し、国家鎮護と隼人討伐を祈願しました。
当時は、今の大分県宇佐市小倉山でなく、近くの小山田に鎮座していた八幡神はこの願いに応じ、「われ征きて降し伏すべし。みずから神軍を率いて隼人討伐に赴く」と託宣を下しました。
朝廷は豊前国司(ぶぜんこくし)宇努首男人(うぬのおびとおひと)に命じ、八幡神の神霊が乗る神輿を作らせました。
『八幡宇佐宮御託宣集』によれば、「豊前国司に仰せつけられ、初めて神輿を作らしむ」とあります。
聖武天皇が奈良に東大寺を建て、毘盧舎那仏(奈良の大仏)を建立して国の象徴として建設にあたる時、天平勝宝元年(749年)に、
これを助ける為に、宇佐八幡神は、屋根に金色の鳳凰が輝く天皇の乗り物(鳳輦)に乗って奈良の都へと渡御した。
この鳳輦こそが、1300年の歳月を経て今に伝わる神輿の原型であるのです。
春季例大祭・神輿渡御祭