由緒不詳。大正3年洪水にて向村の神社流失したが此の神社は難をまぬがれた。昭和33年4月に拝殿を新築する。
(町新村の村立)
江戸時代が始まった頃の藤ノ木には15ヶ村あり、安政の大地震のときには18ヶ村になっていた。安政の大地震の直前に、新庄野村(天保12年:1841)、朝日新村(天保7年:1836)、町新村(弘化元年:1844)の3村が成立した。
町新のあたりは三太夫川原と呼ばれた。町村の恒川茂左衛門は大力で池上三太夫と名乗り、藩主の荷物担ぎで江戸に出たとき、江戸相撲の大関・九文竜といさかいになり、挑まれて隅田川原で勝負し勝ったことで有名になった。藩主は後に難が三太夫に及ぶことを考えて町新の土地を与えて開拓させたことが史実として伝わる。九文竜は天明年間(1781?1788)に大関として活躍。町新村は弘化元年(1844)の村立で嘉永6年(1853)の草高35石。
(藤ノ木校下自治振興会五十周年記念誌より)
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