勧請年月日など不詳。従来大石を以て神實(かむざね)となし、社殿はなかりしも後に本殿、拝殿を建築する。昭和46年1月1日現在の社殿となる。
大島町の由来(参考:藤ノ木郷土史)
現在の藤木地域にある部落は江戸初期に作成された「越中四群絵図」に記されているのでその頃には既に新田開発によって村が存在していたことがうかがえる。安政5年(1858)に起きた大洪水は常願寺川の洪水沿革史上、被害の最も大きかった出来事である。大島を含める藤ノ木地域も大被害を受けた。2月13日、22日の2回にわたる無気味な大地のうなりが聞こえた後、ついに25日の夜に天地を揺るがす大地震が起こり、この地震で常願寺川の水源地大鳶山・小鳶山の西方が残らずふもとから崩れ、土砂、岩石が川を閉塞し、いくつもの湖水を作った。歴史に残る「トンビ山の大崩壊」である。同年3月10日夜中、大地震が再び起きて常願寺川東岸が被害を受け、その後1ヶ月後の4月26日に大地震で出来た湖水がついに決壊し、未曾有の大洪水となった。流失した土石は堤防を破り田んぼを押し流し、民家を壊し全村民の全財産はすべて流された。今日でも所々に残る巨石はこの大洪水の時に上流から転がってきた物で当時の土石流災害の猛威をしのばせるものである。
流杉と島村の境には高さ1.4メートルの自然石に○印を刻した「水神」塔が石積みの上にある。側面に「明治39年7月建之」「発起 島三箇村(高島新、大中島、河原新)」とある。毎年行われる5月1日の祭礼には三箇村の村中から米を集めて供え物をする。部落総代と島用水関係者が参列し、神職が祝詞を奏上し、五穀豊穣を祈る祭りが今日も変わらず継承されている。
現在の大島は富山市への編入に伴い、大字河原新(大島二丁目)・大中島(大島三丁目)・高島新(大島一丁目)が合併して成立した町である。大島新町は昭和37年5月1日、大島から分離して成立した住宅団地の町である。