- 鎮 座 地
- 富山市藤ノ木48番地
- 氏子町内会
- 藤木
- 鎮守神として藤木と名の付く地名、地番はこの神社の神々のお守りされる土地である。(藤木新町・藤木中町・藤の木台・藤木園町・藤木ひまわり台・藤見町・藤代町)
- 祭 神
- 天照大御神
- 祭 日
- 春祭 4月14日(獅子舞の為、前後の休日に斎行)
- 秋祭 9月11日
- 由緒沿革
此の神社の鎮座する常願寺川付近は今日に至るまで度重なる川の氾濫、水害にて水没、あるいは流失はなはだしく、今日に於いて詳しい歴史、由緒沿革に関しては知るよしもなく、ただただ過去の天災のすさまじき爪痕を偲び、今日安泰に暮らせるありがたさを感じずにはいられません。
氏神様と御神徳
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
わが国の神話である古事記・日本書紀に記されている女神様で伊勢神宮の御祭神であり天皇家の祖先神として、古くから八百万の神たちのなかでも国民信仰の最上位におかれてきた神様であります。
「神明」とは伊勢神宮のことです。中世期末から近世期にかけて伊勢神宮はわが国で最も尊い神社とされ、それにあやかり新しく開拓された村々に鎮守としてお祭りをするようになった。藤木校下に天照大御神を祀る神社が八社あるのは、農耕民族において最も尊い存在である太陽を司る神であり、稲作をして民の主食として国づくりを教え諭した祖神として崇敬されてきた証であります。我々日本人が神棚に必ず伊勢神宮の御神札であります神宮大麻と、氏神・鎮守神社の御神札をお祭する理由もここにあるのです。
藤ノ木獅子舞の由来
明治の中期、常願寺川のはんらんをけいきに、当時、滝川と称せられこの川の大改修が行われ、地元の人々は勿論のこと県下各地から数多くの方々が集まったが、その当時は機械力とてなく、全く人の力で改修工事がなされたものであった。
そのとき、この藤ノ木の里にも、飯場、民家に宿泊し工事に参加せられた人の中に下新川方面から来て居た人が、「門外不出」と称し乍らも若者同志の情けから一人で「笛」「たいこ」「獅子頭の舞」「獅子打の舞」を教えたものといわれている。「獅子打の舞」は十七、八種類の舞があり、ろうろうと鳴る笛の音、勇壮なたいこのメロディーに乗って舞を奉納し終えると見物の方々もうっとりとして郷土にのこる芸のすばらしさに、かんたんおしみなく称賛をもらしたものであった。
また、この獅子舞が近隣にも知られ、むかで獅子、特に勇壮に舞うのが特徴で、獅子が出なければ、その年は必ずと云うてよいほど常願寺川のはんらんがあったという。
そんなことから、是非、お宮さんにだけでもと言うことでこの獅子舞を奉納したことが今日まで永く存続してきた要因だといわれる。これからも、あばれ川の岸辺に居住する私達は、常願寺川の荒神の怒りを鎮めるための伝統行事として、また奉納行事として、このすばらしい獅子舞を永く伝えたいものである。その昔、幾多のこん苦と闘い、流されては開き、流されては開きの連続で遂いにこの地に見切りをつけて転地した人々も多くあったと聞くにつけ、そんな幾多の変転の末、今日まで続けられている大切な神事である。
(藤ノ木郷土史 藤ノ木校下自治振興会編 昭和58年より抜粋)