23a

鎮 座 地
富山市水橋開発940
氏子町内会
水橋開発町内
祭   神
大山咋命
大己貴命
祭   日
春祭 3月31日
秋祭 10月10日
由緒沿革

 勧請年月日など不詳。明治四年の社号書上帳(舩木神職家所蔵)には「山王社 新川郡高野開発村鎮守産神」と誌してある。日枝、日吉、山王の社号はいずれも近江国(滋賀県)が本宮の日吉大社の御祭神・大山咋命を祭る社号。

村名の由来(参考:水橋町郷土史第二巻)

 郷民を導いて小高い野原を開発し、荒蕪多いに開け、田園とみに増した。高原野を開きはじめた事によって村名となった。最初は開発村としていたが、近隣郷村にも同村名が多くあり、紛らわしいので「高野開発村」とした。

 勧請年月日など不詳。明治四年の社号書上帳(舩木神職家所蔵)には「山王社 新川郡高野開発村鎮守産神」と誌してある。日枝、日吉、山王の社号はいずれも近江国(滋賀県)が本宮の日吉大社の御祭神・大山咋命を祭る社号。

氏神様の起源

 氏神様の起因は元々氏族の祖神、すなわち一家の守り神として屋敷内(東南の隅)に先祖の霊を神として祭り、四季または臨時に子孫の孝徳を尽くし家内の隆昌を祈り、家名失墜せぬ様に加護を願ったもの。それがだんだん進歩進化して郷の総社が創立され、また村出合の神が祭られ、次いで部落ごとの産神(うぶがみ・生産をつかさどる神霊の働き)様となり田の神を祭って田祭、火祭、水祭となり春秋の大例祭となって獅子舞や民謡、踊りが奉納され、部落団結の唯一の場となり、村の掟を誓う場所へと進み、奉仕する人として神主、僧侶、山伏等の職業が世襲によって永らく引き継がれ今日に及んでいる。
 尚、神社名には日吉社、稲荷社、八幡社、天神社など各種あり、その開拓祖神を奉斎して新開地の守護神としたものである。
 現在に至っても、その地域に住むすべての家庭を守る鎮守の神として、古くから住む人、新しい新興住宅地の若い世代分け隔て無く、氏神・産土神のご加護の元に暮らしていることを我々日本人は心得て知らねばならぬ。
 大正7年10月4日神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和22年10月本殿新築する。昭和57年3月拝殿の屋根修理する。

ページトップへ