現在の社殿は明治27年4月1日に建てられた旧社殿老朽化に付き、平成17年10月9日に竣功されたお宮である。同日慶賀祭が行われる。湯釜神事がある。
八坂神社の春祭
(「郷土研究 大沢野町 ふるさと下夕南部:野菊の会編」より要約)
お宮を出発点とし、宗徳時より村中を一戸一戸獅子舞をして、酒、ご馳走を振る舞い一日中賑やかになる。親戚の方も参拝され、特に新婚さんの家では大変な振る舞いをする習慣がある。
小糸村の由来
神通川東岸にあり,庵谷峠と、神通川・宮川・高原川の合流点との中間に位置する。
〔近世〕小糸村 江戸期?明治22年の村名。新川郡太田荘のうち。加賀藩領。
文政4年「義民大垣宗左衛門旧地処」と書いた石碑が笹津村5村ほか13か村百姓たちの手で当地内に建てられた。その伝説によれば昔、美濃大垣から移り住んだ宗左衛門は村々の百姓たちが収穫後,雪空になってから年貢米を遠い富山まで運ぶ苦労を救済するため,前田加賀藩主に籠訴して初回は半額とし、再度直訴して銀納にさせた。百姓たちは喜んだが数日後捕吏の向うところとなった。これを察知した宗左衛門は丁重に迎えて酒食をもてなし、隙を見て対岸富山領にのがれ沙汰やみとなった。村々の百姓たちが宗左衛門の徳を偲んで真宗白銀
山宗徳寺を建て碑を刻んだという。明治9年石川県、同16年富山県に所属。同22年上新川郡下夕村の大字となる。
湯釜神事
四囲に青竹を立てしめ縄を張り巡らした小さな結界。結界のまわりを数十人の村人が取り囲み、神主の祝詞が鎮守の森にひびく。大沢野町小糸の湯釜(ゆがま)神事の情景である。
湯釜神事は境内の結界内の釜で煮立てたお湯に熊笹で作った「天狗のうちわ」のようなもので神職が周囲の村人たちに振りかける。清められた湯に結界の御幣をちぎり、目や額、首筋などに当てて無病息災、患部の治療を願う。御幣は境内の神木ケヤキにぶつけ、病を持って行ってもらうのだと村人達は信ずる。湯釜神事は県内では神通川流域の数カ所で見られるだけで珍しい伝承。