由緒来歴は不詳だが、村の開墾にあたった氏族の氏神として祭られたと考えられる。
御祭神の天児屋根命は天照大神が岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した神様。天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に随伴し、中臣連などの祖となったとされる。 名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。
中臣連の祖神であることから、中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神として信仰された。祝詞の神、出世の神ともされる。
現在の社殿は昭和20年4月に新築された。
氏神様の起源
氏神様の起因は元々氏族の祖神、すなわち一家の守り神として屋敷内(東南の隅)に先祖の霊を神として祭り、四季または臨時に子孫の孝徳を尽くし家内の隆昌を祈り、家名失墜せぬ様に加護を願ったもの。それがだんだん進歩進化して郷の総社が創立され、また村出合の神が祭られ、次いで部落ごとの産神(うぶがみ・生産をつかさどる神霊の働き)様となり田の神を祭って田祭、火祭、水祭となり春秋の大例祭となって獅子舞や民謡、踊りが奉納され、部落団結の唯一の場となり、村の掟を誓う場所へと進み、奉仕する人として神主、僧侶、山伏等の職業が世襲によって永らく引き継がれ今日に及んでいる。
尚、神社名には日吉社、稲荷社、八幡社、天神社など各種あり、その開拓祖神を奉斎して新開地の守護神としたものである。
現在に至っても、その地域に住むすべての家庭を守る鎮守の神として、古くから住む人、新しい新興住宅地の若い世代分け隔て無く、氏神・産土神のご加護の元に暮らしていることを我々日本人は心得て知らねばならぬ。
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