大正13年の納札によると、現地の石動社が腐朽したため、大正11年に西三郷村的場の社殿を買い入れて修築し、大正13年に浦田新村にあった神明社および、当村にあった神明社・少彦名社を合祀したとある。この際に社号を改めて焼ノ爪社と称することになった。焼ノ爪社は土地の小字名からとったものである。
御神体には元治元年(1864)奉納の墨書のある少彦名神木像・明治23年奉納の墨書をもつ天照大神木像のほかに室町時代の石仏一体がある。そのほかに天保11年の再建と明治2年の改築を併記した納札がある。
拝殿には「合杷記念奉納前(舞) 旬」と題して三十数旬、「奉額主催人納吟」と超して十旬を記した立派な奉納額がある。
また昭和四十四年に鳥居とこま犬、石碑が奉納されたが、その時の記録によると、昭和七年には囲石垣、昭和十六年には鳥居の再建、昭和十七年には燈籠、昭和十八年には国旗掲揚塔、旗竿格納庫の寄進があったという。(立山町史下巻より)
ページトップへ