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春季例大祭・神輿渡御祭(神輿渡御祭:雨天時は10月19日 秋祭りに順延)



新川神社写真

春のおとずれをよろこび、神々にこれからはじまる農耕(のうこう)をはじめ、社会、学校、ありとあらゆるしごとが新年度(しんねんど)をむかえるので無事故無災害(むじこむさいがい)と豊作(ほうさく)をいのり、ありとあらゆる工業・商業・産業(こうぎょう・しょうぎょう・さんぎょう)がはってんすることをいのります。
あわせて神さまにはおみこしにおうつりいただいて新庄町の町中をまわることにより、街中をきれいにすべくはらいきよめ、わるい霊・わるい神が町中にはいってこれないようにいのりながらまわります。
新川神社のもっとも重要(じゅうよう)な御縁日(ごえんにち)に当たる例大祭の日で、その由来(ゆらい)は今ものこっているふるい由緒書(ゆいしょがき)にしるされています。

天武天皇(てんむてんのう)のじだい、白鳳元年(はくほうがんねん:西れき672年。令和2年(2020)からおよそ1,350年まえ)のお正月の1月2日に、この土地を守るお宮である大日孁社(おおひるめしゃ:太陽の女神である、 「あまてらすおおみかみ」をおまつりする五本榎にあったお宮)の前にとつぜん、おじいさんとおばあさんがあらわれて、しずかにお宮の前にすわっていました。
「なにをしているのだろう、ふしぎな人たちだなぁ」とみんなが思っていたら、三日後には南の方へさっていったそうです。
そののち、3年後の白鳳(はくほう)3年(674)の3月19日にそのときのおじいさんとおばあさんたちがふたたびあらわれて、つぎのようにいったそうです。
「わしらのなまえは面足尊(おもだるのみこと)、ばあさんは惶根尊(かしこねのみこと)じゃ。わしらは神の国である天からこの国におりてきて、あちこちあるきまわってきたところじゃ。
高い山やひくい山里や、海のちかくなどいろいろなところをまわって、よいところをさがしまわってきたのじゃ。そしてこのきよらかなばしょは、あたりいちめんに田んぼが広がる、住みよいところじゃ。
東を見れば山の神様がいらっしゃる立山の峰(みね)がみえて、その気高(けだか)さに気分がすぅーっと良くなる、すがすがしいところじゃ。
西にはとおくになだらかな山々がおくまって見える。南にはひろい野原がはてしなく広がり、北のほうにはおいしい魚がたくさんとれる広い海が広がっている。
私たちはこのところにおりて、こまっている人たちをすくうために、ほんらいの神のすがたをかくして、人の世の中にあらわれて、このお宮にすもうとおもう。
このところには神の山である立山連峰(たてやまれんぽう)よりきよらかな水が川となってながれてくるところだから「新川(にいかわ)」と名付けて私たちはこの新川の守り神となろう。
そしてここに住む人たちが、わがままや、じまんする気持ち、わるい心をしりぞけて、心をひとつにしてすなおなきもちでわたしたちの前でいのれば、私はその人の心にのりうつっておねがいがかなうようにしてあげようとおもう。」
といいおえると、パッとおおきなきな白鷹(はくたか)にすがたをかえて立山のほうへとんでいきました。そのあとにはりっぱな木がたくさんはえてきて神木(しんぼく)にかこまれた鎮守(ちんじゅ)の森ができたそうです。

その日が白鳳(はくほう)3年(674) 3月19日(旧暦)、現在の4月19日なのです。
この日、おみこしに神さまがおのりになって町中をまわれるのですが、そのみちあんないを「どべ」という猿田毘古神(さるたひこのかみ)がいたします。むかしのこどもたちは、「どべー、どべー」とはやしたてて「どべ」をおこらせて、にげまわる、というあそびをしました。
また、むかしから「どべ」に子どものあたまをなでてもらうと病気(びょうき)にならないといわれ、幼(おさな)い子どものあたまをなでてもらいたくて、こわがる子どもをさし出すおかあさんたちが今でもいます。
新川神社のはるまつりのことを「どべまつり」ともいわれるのは「どべ」はこわいのですが、新庄町の人たちに好かれている、良い神さまだからであります。
宝永三年(1706)新川四社大権現由来書:舩木宮司家蔵

どべについて
新川神社のどべについて


【新川神社春祭り(はるまつり)・神輿渡御(みこしとぎょ)祭の1日(いちにち)】

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1 : 修祓(しゅばつ) 神さまへのおそなえもの(こめ・おさけ・まめ・さかな・こんぶ・やさい・くだもの・おかしなど)、みこし、おともする人たちをおはらいします。

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2 : 神さまのごてんのとびらをひらいて、おそなえものをおそなえして、宮司(ぐうじ)が祝詞(のりと:神さまへのおねがいごと)をあげて、 新庄町にすんでいるひとびとのだいひょうである総代会(そうだいかい)会長が祭詞(さいし:かみさまへのおねがいごと)をのべてちいきのあんぜん、むじことむさいがいをおねがいして、 今からわたしたちが神さまにおみこしにおのりいただいて新庄町じゅうおともするのでどうかみんながすんでいる新庄町からわるい霊(れい)やわざわいをおこす悪い神からおまもりください、とおいのりいたします。
そのあと、だいひょうしゃが榊の木の枝におもいをこめて神さまにささげ、おいのりしてから出発(しゅっぱつ)のぎしきにうつります。

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3 : 御霊代遷御(みたましろせんぎょ) 神様はわれわれの目にはうつらないのですが、ここにいてくださいね、とおねがいした神さまの分身(ぶんしん)を 御分霊(ごぶんれい)といいますが、これをうつした神さまの霊である御神霊(ごしんれい)が入った御霊代(みたましろ)を宮司がおみこしにおうつししたならいざ出発(しゅっぱつ)です。

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「どべ」の持つ薙刀(なぎなた)には紙垂(しで)というひらひらの紙がとり付けられ、神さまの霊(れい)がやどしていることをあらわします。
どべは祭典(さいてん)にて神職(しんしょく)から「お祓(はら)い」をうけ、神さまの霊が人にのりうつった「しるし」として「紙垂(しで)」という麻ひもで白い紙をギザギザに切ったものを薙刀(なぎなた)につけたとたんに「猿田毘古神(さるたひこのかみ)」となり、 中に入っている人は神さまになりきって御神輿(おみこし)をまもります。
むかしから「新庄のどべはこわい」とかたりつがれています。

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4 : 神輿御神幸(みこししんこうさい)出発、道中(どうちゅう)はみこし祈祷(きとう)をします。
どべが神さまの道案内をしながら御神輿は新庄町のひとたち、会社など約300件のお祈りをお受けになり、神職が祝詞をよんで、住んでいる人たちの健康と安全、会社の発展(はってん)をおいのりしながら新庄町をまわります。

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5 : 宮入(みやいり)
約10時間もの長い道のりをへて、いよいよ御神輿が神社にかえります。
その時に今まで車輪を付けてひきまわした神輿の車輪をはずして昔ながらの人の力で神輿をかついでの宮入(みやいり)となります。

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6 : 神輿還幸祭(みこしかんこうさい)
神さまの霊である御神霊(ごしんれい)が入った御霊代(みたましろ)を本殿(ほんでん)にお遷(うつ)しする儀式(ぎしき)です。
最後にお供をした青年会の若鷹会(わかたかかい)が御魂振(みたまふり)によってパワーアップした神様に元のお宮におもどりになり、 新庄町を罪(つみ)・穢(けがれ)から祓いよけて清らかな気を町中いっぱいにさせて新庄町が平和で栄えますように、おみちびきいただきますようにとお祈りをしてお祭りはおわります。

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7 : 直会(なおらい)
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最後に神様にお供えした神饌のお下がりの御神酒を戴く直会(なおらい)を参集殿にて行います。
いごに神様におそなえした神饌(しんせん:お供え物のこと)のお下がりの御神酒(おみき)をいただく直会(なおらい)を参集殿(さんしゅうでん)にておこいます。
「なおらい」の意味は「なおり・あい」で、神さまにおつかえする緊張(きんちょう)する時間はおわりましたよ、リラックスしてみんなでお酒をのんでたのしくお祝いしましょう!といういみがあります。
これは「予祝(よしゅく)」というむかしからのしきたりで、春祭りに神さまにおねがいごとをしたら、そのあと秋祭のまえに「おねがいごとは神さまがかなえてくれるからお祝いしよう!」という、 おねがいごとがかなうまえにお祝いをして本当にそのようになるように現実をみちびく「おまじない」の意味でお酒をのんでたのしむのです。
そういう明るい、前向きな気持ちで仕事をすればそのとおりになる、という昔の人の知恵(ちえ)でもあります。
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みなさんも「テストで100点採るんだ」より、「100点採った!やったー、うれしい!」とそうぞうしてみてください。
そのそうぞうがリアルであればあるほど、がんばってテスト勉強ができるようになります。そしてそれが現実となります。ためしてみてください。
直会(なおらい)は祭の儀式(ぎしき)としておこわれますのでただの宴会(えんかい)ではありません。
「神人共食(じんにんきょうしょく)」と言い、神と人とがおなじたべものをあじわうことによって、神さまと人とがなかよしになり、これからはじまる生活のあんぜんをおねがいするものです。

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8 : 境内の露天商

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4月19日春祭と10月19日の秋祭には境内(けいだい)に露天商(ろてんしょう)がたちならびます。
なつかしい味やゲームなど大人も子供もいっしょにたのしめるので多くの参拝者でにぎわいます。午後9時ころには店はおしまいになります。

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9 : 境内(けいだい)の清掃奉仕(せいそうほうし)
4月20日午前6時より 神社の総代会により境内(けいだい)の清掃奉仕(せいそうほうし)があります。
露天商(ろてんしょう)が来て、参拝者が多くお参りされるのは良いのですが、神社に自分の食べた物のゴミを置いていくのは、大きな間違(まちが)いじゃないのでしょうか?
神さまにお参りに来て色々おねがいごとをして、ゴミを境内にすてていく。露天商も神社の境内をつかわせてもらってお金をもうけて商売をしているのにゴミをおいていく。
お祭りの日は神社にゴミをすてて良い日なんですか?まちがっていませんか?
新庄町の神社をお世話する人たち、若鷹会の人たちは前日(ぜんじつ)のみこし渡御(とぎょ)でつかれているにもかかわらず、朝、はやおきをして仕事に行く前に境内のゴミひろいをしていただいています。
みなさんもこのことについて、ふかくかんがえていただきたいとおもいます。

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