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10月19日秋祭・鷹乃羽雅楽会御神前奉納演奏

お疲れモードの禰宜さんです。でも元気ですよ。なんか、達成感がありすぎて心地よい疲れですので気分は良いんですよ。
これは幸せな事ですね。色々とご協力を戴いて、感謝感激の日々であります。
さて、1年ぶりの鷹乃羽雅楽会の奉納演奏会です。雅楽会結成当初の目標である「平調五曲の習得」の集大成の日です。
ですが、卒業式ではありません。逆に新たなる始まりの日であるといえるでしょう。
参加者多数の元、また昨年の演奏を噂で聞いてこの演奏を楽しみに見に来られた参詣者もいらっしゃいましたので、
この御神前奉納演奏も意義のあるものと成りつつある事はありがたいことです。
もしかしたらお参りの人の邪魔になっているんではないかとも、ちらっと心配したりしています、神主としましては。
ですが、年に一度の秋祭りは御神輿やどべが出ませんので、神賑わいとして雅楽演奏で夜宮を演出できれば良いのでは無いかと思います。

今年は日曜日とあって大勢参列戴きました。

宮総代、町内会長は氏子のみなさんを代表して地域の安泰を神にお祈り戴くのが職責であり、古来よりその町を代表する顔役にお勤め戴きます。御神前で地域の安泰を祈る人の心が一つになるから地域が発展するわけで、これが国づくりの基本としてきたのが我々のご先祖様です。

お祓いである修祓。元服を過ぎた長男には所役を与えています。無免許ですけれど、修行期間ということで。変にわけがわからない頃に無理矢理教えると変なクセがついて、かえって苦労しますのであまり青田刈りのように何でもさせるような事はしたくないです。私がそうでしたから。少しずつ、やわやわと。

左半分がうちで、右半分が分家です。

きときとの鯛。神饌は新鮮さが命。

うちの長男と分家の娘。お祭りを終えた後に、長男がなにげに遊んであげていたので微笑ましいワンショット。家に若い女の子いませんからね、珍しいというか。不思議な存在です、姪は。私も娘いませんから。どう扱って良いか、ようわからん。

さて、午後7時から8時までの1時間は本殿で鷹乃羽雅楽会のショウタイムです。実はリピーターもいたりして驚きです。しかも、なんと昨年見ていたリピーターのお一人は実は今年一緒に演奏していたりします。この際、飛び入り歓迎にしましょうか。道場破りがくるくらいに成長したいもんですな。今はまだ破るほどの物が無いので受付できませんが。

龍笛女子。黒服が素敵ですね。

篳篥部隊。一生懸命、が伝わります。

この構図、本当に好きで、良いですね。これが装束だと圧巻ですが、どなたか寄付してくれませんか?20名分。

龍笛部会男子。がっつりした音が聞こえてきそうですね。

吹く姿が様になっていますね。

1時間で2曲では間が持たないので、禰宜さんが下手な解説を加えますが、雅楽の曲は正式に吹くと一曲あたり10分かかりますので、演奏としゃべりが半々くらいです。篳篥とかの吹き物は息を使いますので休憩時間が必要ですのでこのくらいが良いんですよ。多分、皆さん上達されると私はしゃべる幕は無くなると思います、というかそうあるべきですな。

なぜかしゃべりながら急に思い立ちまして、雅楽習得に欠かせない唱歌を三管それぞれ越殿楽の1行目だけ紹介したいと思い立ちまして、私が歌った後、無茶振りで龍笛の赤田さんにマイクバトン。さすが、良い声で決めてくれました。そういえば赤田さんには昨年も無茶振りしたような記憶が・・・。

篳篥は北島さんにいきなり、振る。ですけれど、上手に受け入れていただけました。いつか、唱歌と楽器のコラボ演奏も良いかも。

ということで最後は雅楽の大ヒットナンバー、「越殿楽」で締めました。お疲れ様でした。良い演奏でした。

 

怒濤の三連休、収穫の秋を終えて其の参 田んぼ学校 稲刈り編

禰宜です。ついに一週間が経過してしまいましたが、田んぼ学校の第三弾のご報告です。

時が過ぎるのは早いですが、こうやってブログをあげるために振り返る時間も大切なたのしみです。

田植えの時は早乙女で、稲刈りは「刈り女」というらしいですが、なんか響きがいまいちですな。

田男は田男です。

お祓い。なんか、お辞儀する姿も清楚な感じで良いですね。

献饌。伝供といいましてお運びします。バケツリレーの要領ですが、大きく違うのは作法があり、お辞儀、出す手足なども順番があります。

五月は早苗だった「イセヒカリ」。遂に「稲穂」となり御神前に供えられます。やったー。奉耕者や沢山の方々の力で初めての神饌田で育った稲穂。なにか大事な事を成し遂げた、という充実感を感じました。

鷹乃羽雅楽会。田植えに引き続き、祭典楽も奉仕いただきました。

今回初めて奉仕いただく面々。順番に現場での経験を積んでいっていただきたいと思います。

玉串拝礼。

ケーブルテレビ富山の取材がありましたので18日以降、「ご近所チャンネル見んまいけ」をチェックして下さい。何度もリフレインされます。

奉耕者、吉田榮一さん。何から何まで御苦労をおかけいたしました。

集合写真。これで一安心。

脱穀体験を富山県神社庁の神職さんの指導のもと、実施しました。先ずは千歯漕ぎで稲扱き。

千歯漕ぎはビンテージ物です。吉田家が用意してくれました。

田植えに引き続き、お米に関するクイズ大会。なかなか勉強になります。

田んぼの「かんさつにっき」を書いて提出いただいた子供にはご褒美を。

結局、全部刈り取れなかった田んぼ。後は奉耕者の吉田家が全部刈って戴きました。申し訳なかったです。

はさかけ。久しぶりに見た風景です。

本当に手間がかかる作業ですが、これが日本の国づくりの源になったんだということが実感できました。

 

参加児童が報告してくれた「たんぼにっき」

一生懸命、絵を描いてくれた子や、

写真を付けてくれた子もいたり。

一生懸命描いてくれたみなさん。神様は多分、みなさんがそれぞれに一生懸命お米を昔ながらに作ってくれる姿を見るのが一番うれしかったのではないかと私は思いました。

怒濤の三連休、収穫の秋を終えて其の貳 田んぼ学校 稲刈り編

さて続きです。みこし担ぎを無事に終えて、中日は出張出前の結婚式。無事に終えることが出来たそのあとの心配事は次の日の天気でした。数日前から天気予報は台風ですよ、台風。しかも今年最大級で連休中に列島横断だと何度もテレビが繰り返し繰り返し報道するのでだんだん「何度も言われんでもわかっとるわい」と、苛ついてしまう気持ちを収めて、あとは運を天に任せて晴れるのを前提に、雨天の対応も想定しながら粛々と準備を進めました。結果はやはり、新川神社の龍神さまが助けてくれました。正にマジックでした。11日はみこし担ぎに13日は稲刈りですから、私としては10月10日昔の体育の日前後は一年の中でも一番気候が安定している時期ですし、六曜も良いから(大安友引だと本業が忙しいのでそれ以外がイベントに良い)この日に降られたら、あきらめるしかないですよ。天気予報は刻々と替わり、なんとか11、12日は持ちそうでしたが13日が雨時々曇り、3時間おきの天気予報は午後3時から雨が降り崩れていく、という予報でした。と、いうことは午後2時からの開会で、最初に稲刈り前の祭典を後回しにして、一番最初に稲刈りをすれば晴れ間に合うんじゃないかと、ほんの1時間、なんの保障も無い天気予報を心の拠り所にしていました。当日、早朝から雨が降ったり、晴れたりを30分おきぐらいに繰り返していたので多分、晴れ間に会えるだろうと確信はしていたものの、実際に午後2時、奇跡の晴れ間にすぐさま稲刈りに鷹乃羽雅楽会の奏楽の元、神饌田に直行、稲刈りを実施することが出来ました。18分後、空から雨が落ちてきて、退散。でも満足。一株でも二株でも子供達が自分で植えた早苗が大きくなって稲穂になったのを鎌でざくざく出来たんですから。

今回はわかりやすく稲刈り祭、と書きましたが神社界では稲刈りのことを抜穂祭とかいて「ぬいぼさい」と読みます。稲を刈る鎌が無かったくらい古い時代の名残でしょうか。

はさかけも作り準備万端。

案山子さんもお疲れ様でした。

これが刈り取り前最後の稲穂の姿です。頭を垂れる姿が美しいです。

黄金色に実る稲穂の絨毯をみていると「豊かさ」とはこういうことなんだな、と思えるようになりました。

午後2時、奇跡的に晴れ間がでましたので、予定を変更して先に稲刈りをする事にしました。皆さんにはそのように伝えておいたのですぐに出発できました。

田男、刈り女は忌み鎌(神聖な鎌)を持って現場に進みます。

鷹乃羽雅楽会が道楽(みちがく:歩きながら演奏する事)をしながら先導します。歩きながら吹くの、大変ですよ。譜面は暗記してないといけませんしね。

刈り女たちにぐんていを付けて、先ずは説明と稲刈りの練習。

いよいよ儀式としての稲刈りの始まりです。鷹乃羽雅楽会の雅楽演奏に合わせて刈り取ります。

鷹乃羽雅楽会。演奏するのが様になって来ましたね。衣装は多賀さんのご厚意で田植え祭に続き、お借りすることが出来ました。ありがとうございます。

ざくざく刈っていきます。イセヒカリは株が大きくしっかりしているので、子供が刈るには難しいのではとも心配していましたが、大丈夫。

良いですね、紅白の衣装が。清純な感じがします。

ずんずん進んでいきます。本当は雅楽の太鼓に合わせて刈り取っていただきたかったのが、そんなもん無視して取り憑かれたようにバッサバッサ刈り取っていましたので、まぁ、いいかと。

儀礼としての稲刈りが終われば参加者児童、みんなで刈り取ります。

やはり田男のペースは速い。

私も感触を確認のため刈ってみました。

空からぽつぽつと雨が落ちてきました。一同、退散。午後2時18分頃。いゃー、これだけ出来たんですから良かったですよ。この晴れ間以後、台風の影響で天気は下り坂、この日は雨が降り続きまして晴れることはありませんでした。まさにラストチャンスを物にしたんです。よかった、よかった。つぎに続く。

 

怒濤の三連休、収穫の秋を終えて其の壱 神輿担ぎ編

禰宜です、お久しぶりです。怒濤の三日間でした。お宮で飲もう会、アーヴェリール迎賓館での出前出張結婚式、鷹乃羽雅楽会温習と田んぼ学校の稲刈りの開催と、今年一番の山場でしたが、今までこつこつと準備をしてきたことがひとつの形になりつつある、前向きな課題が見つかった三連休でした。久々になにか、やりとげたというか、難関をくぐり抜けたような達成感を感じました。

「お宮で飲もう会とおみこし講習会」は8月のバーベキューが雨で中止になりましたが、どうしても今年中に一度、課題を摘出するのに実施しておきたかったので本当に良かったです。連休中と言うことで、色々と家庭の予定もある中、力を貸していただいた皆さん、本当に有り難うございました。小川代表を始め、彼の人脈で幅広い人たちが駆けつけてくれました。神社のすぐ隣にある「あしたねの森(老人養護施設)」と「ガンバ村保育園」の園長さん始め職員も仕事中にも拘わらずに駆けつけていただきました。なんとか、重い神輿があがりました。

みこしかつぎマスター、香積廣野神社、二宮正幸宮司を招聘しました。午前中に秋祭をご奉仕なされた午後ですので本来は直会でお酒をきこしめされた後です。ゆっくりとされたいところを上市駅から富山地方鉄道でご自身自らお出ましいただきました。誠にありがとうございました。

先ずは30分間、講義です。香積廣野神社の神輿の担ぎ方の説明を映像にて説明いただきました。有り難いお言葉に「新川神社なりの独自の神輿担ぎを創造していって欲しい」といただきました。私もそうあればいいなぁと思います。

講義を終えて、神輿を担ぐ前に神前にて参拝。怪我をするといけないので、神様に見守っていただいたいと思いまして。

宮総代の寺井さんから神輿を蔵から出すときの手順を説明して貰います。ここが一番危ないんですよ、実は。

土蔵ですので、基礎が高いんで斜めのスロープから降ろす形になるので危険です。

ここで、検体。車輪を付けて曳くときの為の板バネサスペンションがどうやら後付けで神輿の胴体にねじ止めされているようですので、これを付けたままだから重いんだ、ということで今は取り外せないので今後、人力で担ぐときは取り外せるようにカスタマイズする事になりました。神輿担ぎの参加者にこの辺りの話のプロである㈲新生製作所馬場靖也氏が丁度いてくれたので即発注できました。この辺りはやはり神縁を感じます。

「ガンバ村保育園」のギャラリー。園長さん、参加してくれているもんね。

担ぎ棒を組み立て中。いよいよお出まし。

とりあえず参道まで移動。

とりあえず、ぎこちないまま、参道を進んでみます。先頭にかわいい女子も参加。足下は草履で気合い入っています。

鳥居前で一端休憩。二宮マスターの指示で身長がバラバラでバランスが悪いので配置を身長に合わせて配置します。

みこしは顔で担ぐ!みたいな。神輿の加重ポイントは顔でわかりますね。

いよいよ「魂振り」です。一同屈伸して巨体神輿を振ります。初めてですからやわやわとした感じでしたが、本物はこんなもんじゃないです。香積廣野神社の神輿はカエルみたいに本当に飛び跳ねてますからね。

二度目の「魂振り」。楽しそうな人と地獄を見ている人と様々。

伝達講習修了、蔵にお帰り。

最後に車輪を収めます。これにもコツがいるんで、本当に御輿蔵の改築は必須です。

直会の儀。なんか、たいした時間じゃなかったんですが、のどが渇いてビール、美味かったです。私は念願の第一歩が踏み出せて感無量でした。やっぱ、美味い酒はこうしてのむもんだちゃ。

いや〜お疲れ様でした。でも、課題が見えましたのであと丸々1年かけて平成28年の新庄御鎮座400年記念大祭には復活以上の「かっこいい新庄スタイルの神輿担ぎ」を披露できるとおもいます。

二宮導師のお帰りに際して中締めです。本当に有り難うございました。

二宮宮司さんのご挨拶でご本人からの申し出で「お宮で飲もう会」に次回からご案内することになりました。顧問、ということで今後とも一緒に宮で飲みましょう!

小川代表が最後の締めを無茶振りで又市氏に。「今日の神輿の重さは歴史の重さだと思いました〜」と無茶振りでもすっと出てきた素直な言葉に一同、同意と感心を致しました。

今後の課題ですが、もう少し地元・新庄在住の若いもんが参加してもらいたいです。回覧だと素通りしますので案内は氏子各戸に配布しているのですが、要は口コミといいますか、「お誘い」なんですね。初めての未知のところに参入するのはだれでも躊躇するもんですから。私も興味のあるところはどんどん行く性格ですが興味の無いところは躊躇します。でも、知人や熱意の感じる人のお誘いには乗ります。なぜなら、同じシンパシーを感じる人が薦めるのならば、「何か有益な事に出会えるかも知れない」と考えるからです。これが一番、本質を伝える事が出来る広報なので初はここからですね、何事も。

その反面、生まれも育ちも新庄で今は外に移住した人がわざわざ駆けつけて参加して貰っているところが心強いところです。新川神社は新庄町を離れた人々が帰郷したときにも昔と変わりなく受け入れることが出来る境内である事が私の目標です。今建設計画中の参集殿もそんな拠り所でありたいです。
ネイティブの新庄人に向新庄や新庄新町、荒川、上飯野新町など地縁がある人など、人数は少なかったけど本当に気持ちがある方が集まっていただいたなぁと、小川代表と話をしました。本当にその通りだと思います。
最終的には地元の児童達に「大人になったらあれを担ぐ男になるんじゃ」と、新庄の若い衆が子供達のあこがれの的になるような、威勢の良い新川神社の神輿になれば良いというのが私の目標で有り、地元結束の地盤になるんじゃないかとおもいます。そもそも「祭り」とはそういう物では無いかと思うわけです。

まつりの主役は実は、祭りを作り上げる氏子の皆さんだと思うんですよ、私は。神主は結婚式で言えば媒酌人、相撲で言えば行司のような立場ですから主役じゃ無いです。主役は神前に向かう新郎新婦であり、土俵に上がる東西の力士です。神様は氏子が作った祭りのをお受けになるお立場ですからね。主役じゃなくて祭りの一番の観客が神様でしょうかね、よくわかりませんが。あしたにつづく。

9月28日鷹乃羽雅楽会温習報告・9月29日第14回古事記に親しむ昼の部報告。

連ちゃんで報告です。明日からしばらく留守にしますんで、今のうちにということで、昨日と今日の出来事です。

鷹乃羽雅楽会は田んぼ学校の稲刈りでも演奏奉仕して戴きます。雅楽があると式典が厳かな感じになりますので有り難いです。

今回は前半1時間は管別の温習、後半は合奏です。課題曲の皇麞急と鶏徳を合わせました。久しぶりの合奏でしたので最初は粗い感じの皇麞急でしたが後半は篳篥の音程も揃ってきて本当に良い感じになってきました。短期間でよくみなさん上達されました。鶏徳はまだばらつく感じですが、大丈夫。ここで皆さんにばっちり決められたら、逆に我々は立場無いですよ。なかなか三管で合わせるのには曲の流れがわかっていないと合わない曲ですね。ですが、そんなところが魅力でもある曲です。10月19日、秋祭りが定期発表会に当たります「奉納演奏」ですので、それに向けて練習をかさねれば大丈夫だと思います。

笙部会。ようやく涼しくなってきましたので、電熱器で楽器を炙る笙にとっては有り難いですね。

龍笛部会。いつになく少ないような気がしますが、その分、細やかな指導が受けられます。講師は藤井講師急な所用にて代打・雅楽部副部長の高澤先生です。

篳篥部会。新規入門者の方も早く一緒に演奏できるようになれば良いですね。

龍笛初級コース。かなり進展がみられたそうです、よかった。

後半は合奏です。皇麞急は長い曲ですが、皆さん後半になるほど調子が出てきたように聞こえました。

今まで音が出なかった方も音が出るようになったりして、進歩されるのを拝見すると本当に嬉しく思います。気長に続けていきましょう。神様も見守ってくれていますから大丈夫です。

9月29日、本日行われた第14回古事記に親しむ昼の部の様子です。

古事記に親しむの昼の部は基本的に夜の部と内容は一緒です。応神天皇の治世のお話しでした。

今回も新規入門者もいらっしゃいまして、結構満員状態です。

近い将来、参集殿が出来ますので、そこでは椅子に座って楽ちんにいられるようにして上げたいです。

 

 

新川神社田ん ぼ 学 校『稲刈り』参 加 者 募 集

禰宜です。さて、いよいよ稲刈りの日取りが決まりました。当初は9月20日くらいに予定していたのですが、

田植えを小学校の運動会とかぶらないように遅らせたのと、イセヒカリが奥手の品種でしたので、ようやく実り始めた感じです。

稲刈りの参加者を募集しますので田植えに参加された方は勿論ですが、稲刈りから参加の方でも良いですよ、お誘い合わせの上ご参加下さい。

ご案内のチラシを置いておきます。トップページのバナーにもありませけれども。

田んぼ学校稲刈り体験参加者募集

今回も田男と早乙女にあたる「刈り女」といいますが、男女各5名ずつに衣装を着てもらい、祭典に奉仕して戴いて稲刈りをしていただきます。

最近、稲穂が実ってきたのは良いのですが、道ばたの稲が何本か倒れているんですよ。根元が折れて。なんなんかな〜と思っていましたら、奉耕者の吉田さんが教えてくれました。雉の仕業だそうです。新川神社の境内には昔から雉がうろうろしていますので、蛇とかあまり見かけないのでありがたい存在なのですが、これには参りましたね。効かないとは思いますがダメ元で「案山子」を作ってみました。なんか、雉に効き目が無くても、田舎の田園風景として風情があって良いかなと。

これですよ。雉は頭良いですね。お米を食べるのにまだ高くて届かないから、根元をくちばしで折って倒してから米粒をついばむんですね。

見事に脱穀されて食された稲穂。こら、根元に米粒が残っているぞ、一粒残らず食べろ。

あり合わせの物で急ごしらえの「案山子」古事記には「天下の事をことごとく知っている神である」と紹介されています。案山子は「人形(ひとがた)」であり、田の神が宿る「依り代」として或る地方に因っては信仰の対象になっているんですよ。世の中の事が知りたい人は今度聞いてみて下さい。

 

水口の稲と奥の方の稲の色が違うのがわかりますか?同じ田んぼなのですが、育ち方にばらつきが出てしまったようです。

これは神饌田に植えきれなかったイセヒカリを奉耕者の吉田さんの田んぼに植えて戴いたものです。一列だけ刈り取られずに残っているんですよ。珍しい光景ですね。

まるでモヒカン。

やはりしっかりと長い間、耕された田んぼで育った稲は違いますね。

 

 

みこしかつぎ伝授講習会並びに第八回お宮で飲もう会開催ご案内

禰宜です。連ちゃんでご案内をします。8月に雨天のため中止した、みこしかつぎ講習会並びに懇親会のご案内です。

日時の案内が右にPDFファイルでありますのでご覧になって奮ってご参加申し込みください。 再:10・11第8回お宮で飲もう会ご案内

この企画は私のたっての願いであります。新庄鎮座400年祭の準備を進めて来た中で、神賑わい行事の目玉としては「若衆が重い神輿を担いで威勢を張る姿」を復活させたいのです。神輿はやはり担いでなんぼです。新川神社の春祭りの巡幸路は10時間ですので全行程は無理ですが、せめて宮入の時は若い衆が担いで、神輿を揺り動かして(振り魂)、元のお宮にお静まり戴きたいのです。なぜか?神輿を荒々しく揺り動かすことによって神様の霊威を活性化させるのです。神様の霊威が高まるとその力によって我々を護る力が強くなり、豊作や大漁、疫病の退散や地域の無災害、氏子の家内安全に繋がっていくというわけです。

プロ野球で優勝したら監督を胴上げしますよね。胴上げされた人は嬉しくないはずが無いので、神様も絶対、喜ばれると思いますよ。

今回は二年後に控えた400年祭の準備段階といいますか、企画に発展させるまでの試行ですので、香積廣野神社二宮正幸宮司を指導者をお招きしての講習会形式を取ります。実際に神輿を担いでいた経験者である香積廣野神社の氏子さんも指導者として参加戴けるようにお願いしてあります。

是非、氏子の益荒男は勿論、有志の方、神輿と祭りと聞くと血が騒ぐ方、参加しませんか?年齢、性別は問いません。

元来、どこの地域でも御神輿を担いだり、曳き山を練り廻したるするのは、年に一度、神社のお祭りを通じて、地域の次世代を担う若衆が気持ちをひとつにすることが地域の発展、日本の発展の源になったのでは無いでしょうか。新庄には今、それが途絶えていましたので400年を良い機会としてチャレンジしてみましょう。

神輿を担いでいた頃の写真。新庄新町の宮から出てきたところ。

昔は、綾田や経堂まで遠征していました。いまは新庄町の戸数が増えましたので地元を廻るので精一杯です。

 

 

 

9月24日第14回古事記に親しむ富山中下巻編開催。

禰宜です。ほとんどの地域が稲刈りを終えた感じですね。うちのイセヒカリはまだですが。9月23日は四方の神明宮、またお手伝いで25日は於保多神社の秋祭りの神輿渡御がありました。
四方は幸い晴天に恵まれましたが、25日の於保多神社は台風の影響で一日中雨でした。神輿渡御はどれくらい歩くかと言いますと大体午前9時から夕方4時頃までですのでお昼休みが1時間ですから約7時間くらいですかね。日頃の運動不足を解消する意味でも神輿渡御は良いんですよ。

9月23日、富山市四方町の氏神神社、神明宮の秋祭り。

25日、於保多神社神輿渡御。土砂降りの国道41号線。雨もまたよし、天からの浄化じゃ。

と、いうことでその中間の24日に行われた古事記素読会の報告です。

先月に引き続き応神天皇の御治世のお話しです。

この時代は大陸との交流が盛んになり、論語や漢字マスターの教本である「千字文」が伝わります。そのほかに新羅から潅漑技術者、百済国王から馬、七支刀と七子鏡という神宝が贈られます。この七支刀が現在にも石上神宮に現存します。もちろん、国宝です。すごいですね。その七支刀に漢字が刻まれているのですがそれによると百済王が倭王(天皇)の為に真夏の一番暑い、火の徳がある日を選んで百度鍛えた霊剣だから、さまざまな兵器の災いを逃れることが出来る霊力が籠められた刀だそうです。木の枝みたいに一本柱の刀ではなくて、7本の剣先が木の枝みたいに別れている不思議な形をしていますので、実践向きでは無いですね。ですが、後の仁徳天皇になられる大雀命(おおさざきのみこと)が帯刀しているのを見て、吉野の山奥に住んでいる山人で、笛や舞歌が特異な「國栖(くず)」がその刀の珍しさを讃える歌を伝えています。吉野といえば「葛(くず)」が有名ですが、これがこの山の民、國栖たちの食料から来ているということですので、これまたうんちくのある話です。現在まで伝わっている話がバンバンでてきますんで、読んでいておもしろいですよ、この辺りの話は。

応神天皇の頃はお酒の話も多いのは、応神天皇がお酒好きだったからだとおもいますよ。國栖も独自の「醴酒(こざけ)」を醸して献上しています。いわゆる「どぶろく」ですかね。甘酒かもしれませんが。それと百済人の「すすこり」という人が醸したお酒で大いに酔っ払われて、機嫌良くなって、帰り道に杖で道中の大石を叩きまくって千鳥足、みたいな歌がありまして、その当時の諺で「堅石も酔人を避くる」と云われたそうです。現在でいうとなんですかね?適当なことわざは見当たりませんけど。酒飲んで暴れる人を「大虎」とか言いますけどね。トラ箱っていいますし。酒飲むと色々なことやらかしますよね、人って。

 

古事記に貫かれたテーマに「今に繋がる話」があります。地名の起源譚や伝統儀礼の由来が語られて「これが今に言う〜なり」と、今日まで伝わっていることの起源はここから来ているんですよ〜と語り部の稗田阿礼が教えてくれるのです。

当然、古事記が云うところの「今」は古事記編纂の時代である和銅5年(712)、1300年前ということになります。古事記が文字の無い時代の「やまとことば」と物語、系譜を残してくれたからこそ、我々は祖先の時代と今でも気持ちの上で繋がることが出来ます。

これが素晴らしい事では無いかと思います。同時に今の日本人に不足していることでもあります。古事記を読む、ということは神代の時代の祖先、我々の源と繋がることです。わかりづらい表現や、現代では考えられないことも記されていますが、そんなこんなすべてを受容して読むことが、引いては何か我々の先祖と共に新しい時代を開いていけるような気がします。日本が如何にして国づくりされてきたのか。そんな根本に触れて貰いたいです。

 

 

田圃の様子と鷹乃羽雅楽会9月14日温習報告

禰宜です。爽やかな晴天の日が続きますが、田圃をやりはじめてから、毎朝眺めに行くのが楽しみです。
稲の生育も気になりますが、草が伸びるのも気になります。丁度いた中学3年の倅と友人にまたまた手伝ってもらいました。なかなか上手に刈るもんです。いよいよ稲刈りの日時が決まりましたので、田植えの時のように、鷹乃羽雅楽会にもご奉仕戴きたいと思います。

稲穂がお辞儀してきましたが、まだ青いです。

中3トリオ。神様もちゃんと見とられるぞ。君たちに御加護があらんことを祈る。

と、いうことで9月の最初の温習は2時間管別温習でした。

龍笛初心者コース。新規参加者はここからスタート。

龍笛部会。10月19日奉納演奏の課題曲に加えて、盤涉調の音取、越殿楽を練習しました。

篳篥部会。新規参加者がおいでになりまして、益々賑やかになりました。同じく盤涉調の課題曲に取り組みました。

笙は平調の鶏徳・皇麞急の吹き込みと、手移りを少しだけレクチャーしまして、盤涉調越殿楽の唱歌と演奏をしてみました。結構つつがなく吹けたと思います。平調5曲を吹ければ、あと他の調子にいっても大丈夫です。

月のウサギを追う卯年のやから

禰宜です。月夜が綺麗な昨今ですが、我が家の卯年生まれの「やから」も巷でうわさの「スーパームーン」を9日の夜、愛でていたようです。私は接待で酔っ払って見上げていましたので写真を撮れるような状況ではなかったですが、8日の日が中秋の名月の日でしたので撮っていました。8日は雲ひとつ無い夜空でしたが、9日は雲がたなびいて、月が出るのを待っていたそうです。「月に叢雲花に風」と言いますしね。ですが叢雲があった方が絵的には面白い変化が楽しめますので叢雲も風も主役を際立たせる名脇役ですな。

月の出待ち。写真では昼間のように写っていますが、実際は暗いそうです。

これまた綺麗に撮れました。まん丸ですね。

撮影時間が8:56分ですから不思議な光景です。

我が家の卯年平成11年生まれ。こっちこい、こっちこい。

昭和さんぱち卯年が手に入れたつもり。

幻想的な感じです。

雲龍が月を身ごもっているように見えるのですが皆さんはいかがでしょうか。宝珠(月)を持っているようにも見えますね。

最後に私が9月8日20:12に撮影した十五夜お月さん。sonyのcybershot DSC-HX50Vという、普通のデジカメです。只今アマゾン川で2万5千円前後で釣れるようです。最近のデジカメは良く写りますね。

 

神饌田の草むしり・とんぼ・新規御守り「こども守り」入荷。

禰宜です。最近は朝晩涼しいので、ここ最近ようやく田圃周辺の草むしりをしております。毎朝6時頃から1時間くらいを一人でつまつまとしておりました。
そんなとき、中学3年生の倅が中学校の運動会の後、友人と親好を暖めていたら別れるのが名残惜しくなったのか、「お宮の掃除をするから友人2名一晩お泊まりして良いか?」
とたずねるので了解しました。次の日は休みだし、以前にも友達を泊めるのならば朝、神社の清掃奉仕を友達も含めてする事を条件にしていましたので、自ら申し出てきましたし、まぁいいかと。我が家は本当に客が泊まる部屋が無いので、社務所で雑魚寝ですよ。そのかわり、宮の清掃奉仕。これ幸いと言うことで草むしりを手伝って貰いました。
意外に三人とも真面目に、しかも草むしりは慣れている感じでしたので、聞いてみるとやはり草むしりを家庭で手伝わされた経験があるとのこと。感心感心。お陰さまで一挙に綺麗になりました。

手前が私がむしったところ。先がこれからむしるところ。けっこうぼうぼうに生えてきました。

意外に根気強く、丁寧に草をむしる中学生。家内が「いわれたことは何でもするから、また泊まらせてください!」と嘆願されたようです。うちは駆け込み神社か。でも、なかなかかわいい事を言うやっちゃ。

奉耕者の吉田さんか草刈り機でスッキリと仕上げもして戴きまして綺麗になりました。

とんぼ。今日は一匹だけしかいませんでしたが昔はうじゃうじゃ夕焼け空を飛んでいたんですがね。

さて、次は御守りのニューモデルが納品されましたのでご紹介します。以前から社頭で「子供の御守り、ありませんか?」と、よく尋ねられますので以前から色々と企画したり物色していたのですがなかなか決め手に欠けていましたので難航していましたが、ついに納品されました。決め手は「とんぼ」でしょうか。ビーズで刺繍してありますので手間がかかっていますね。

「とんぼ」って古事記、日本書紀の昔から縁起の良い虫として日本人は愛着を持っていたことがわかります。とんぼの古名は「秋津(あきつ)」ともいいます。日本の本州の古名で、『日本書紀』に大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)、『古事記』には大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)、またの名を天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)とありますので。

日本の国土を讃える名前ですがとんぼの古名が国名に反映されているところに注目です。豊かな自然の風景と、収穫の秋にとんぼが空を舞い飛んでいる風景が連想される名前ですね。とんぼは害虫を補食する益虫であり、収穫の季節に現れる豊かさの象徴なのでしょう。

こども守。とんぼが二匹デザインされています。そのうち1匹がビーズで刺繍されています。裏面は社紋の「違い鷹の羽」に神社オリジナルのロゴ。

ビーズのキラキラした立体感が今までに無かった感じですね。豊かさに恵まれて成長するようにとんぼがお守りします。

 

「田んぼ学校」イセヒカリの様子

禰宜です。いよいよ9月に入り、稲もたわわに実ってきている頃ですが、田んぼ学校のイセヒカリは他の稲よりも生育が遅いようです。
もともと、奥手の品種ですし、小学校の運動会の都合で田植えを一週間遅らせましたので仕方が無いと言えば仕方が無いのですが。
撮り溜めした写真を公開します。稲刈りの予定は10月13日、祝日の月曜日・体育の日を予定しています。近々案内のパンフレットも公開しますので、
田植えに参加戴いた方はもちろん、参加できなかった児童もえんりょなく参加して下さい。まってます。

8月30日、稲の花が咲いているのを初めて見ました。今までは見過ごしていたんですね。

稲穂に白い粉みたいな白い物が花です。この歳になって初めて意識して観ることが出来ました。そうか、これが米の花なんだ。知ってました?

この写真は奉耕者の吉田さんの田圃に植えられた、神饌田に植えることが出来なかったあまりのイセヒカリです。左の背の高い一列がイセヒカリで、右側がコシヒカリです。同じ土壌で育てているので、イセヒカリの方が背が高いことがわかります。

引いてみると良くわかりますね。左側がイセヒカリ、右側がコシヒカリ。コシヒカリは既に黄色っぽく実っていますがイセヒカリの実はまだ青いままです。

右側がまだ実が青いイセヒカリ。左の奥がコシヒカリ。違いが良くわかりますね。

少しずつ黄金色に実っていく様子がうかがえます。

古事記に親しむ中下巻完全読破編8月27日夜の部報告

禰宜です。古事記も昼の部、夜の部と予定通り開催中です。
最近、昼の部に4名、夜の部にも1名新規参加者があり、古事記に関心のある方と共に時間を過ごせることを大切にして行きたいと思います。
なにはともあれ、声を出して読むことがすべての始まりです。日本最古の書物ですからね。たった一度きりの人生。せっかく日本人に生まれてきたのなら、古事記を読まずに死ねるか、という意気込みで今月もはりきって参りましょう。

今月は第15代応神天皇の御代です。なぜかこの御代はお酒の話とべっぴんさんのお姫様とのあーしたりこーしたりの話が多くてほっこりするところです。

あっ、でも誤解しないでくださいね。応神天皇の御代には海外の文化・技術が数多く入ってきた革新的御業績を残された偉大な天皇様です。八幡さんの御祭神ですからね。

修業時代、京都の石清水八幡宮にご奉仕させていただいておりましたので、物語りの舞台になる宇治の辺りの地名などは過去の思い出が蘇るところです。

鷹乃羽雅楽会8月24日温習報告。

禰宜です。ほんとうにあっちゅうまに日々は過ぎ去っていきますね。
ですがお盆過ぎてから比較的夜は涼しくなってきたので有り難いです。
遅くなりましたが早速報告です。前半管別講習、後半は合奏です。

龍笛は藤井講師欠席に付き、魚津神社の高倉政憲氏にお願いいたしました。

初級者部門は今回鷹乃羽雅楽会初参加、富山県神社庁雅楽部副部長、高澤正紀氏、From氷見。遠方より急遽にもかかわりませず、快く引き受けて戴きまして有り難かったです。

篳篥部会。最年少小学3年生の舩木靖忠君は私の甥です。いつの間にかしっかり吹けるようになりました。

笙はいよいよ手移りの教授です。特に「後打ち」を練習しました。これが出来るのと出来ないのとで、演奏するときの楽しさが違います。出来ると演奏が楽しくなります。

細かいテクですが、何となく吹いていればさまになるような気になってしまうのが笙の演奏の落とし穴で、きっちり基本をマスターしていくことが最終的に演奏者としての力量の違いになって現れるような気がします。

合奏の時間です。初期の頃は「音の壁」が立っていたような感じで、音が「がなっている」感じが、だんだん音が抑制されてきて、「音が奏でられている」感じになってきました。

龍笛部隊。曲は越殿楽、五常楽、陪臚を正式に吹きました。

正式に吹くと各曲8〜10分近くになりますので、けっこうしんどいですが、だんだん吹けるようになってきますから。

やはりある程度、演奏力を付けるには吹き込みが必要です。

10月19日新川神社秋祭りには第2回目の奉納演奏会です。平調五曲の演奏力を高めていきましょう。

 

 

田んぼ学校神饌田の穂柱が立ちました。

禰宜です。残暑でむんむんしますね。さて、田んぼ学校の奉耕者である吉田榮一さんがラジオ体操の後に稲刈り時期の打ち合わせに来られました。10月の11日からの連休中になりそうです。
イセヒカリは奥手の品種で、なおかつ田植えが小学校の運動会の日を避けて遅れ気味でいたしましたので、ようやく穂柱が立ちました。もうすぐ白くて可憐な花が咲くそうです。要チェックです。是非、田植えをしてくれた子供達にみて貰いたいです。

神饌田。稲も伸びましたが、草も伸びました。

シャキン、とした稲穂。剣みたいですね。

朝露に濡れて朝日に輝く神々しい、その名のままのイセヒカリです。