禰宜です、久しぶりに梅雨らしい湿度の濃い日になりました。昨日は奉賛会の寄付依頼に地元新庄町の企業を廻りました。何かと厳しい世情ですが、各社お忙しいのにもかかわらずお話しを聞いて戴いて有り難い限りです。神職であります小生の出来ることは、微力ながら新庄に起業されている皆さんの無事故・無災害と弥栄えを新川神社の神前に祈ることのみです。日本の繁栄の礎はこの新庄町から振り起こして戴きたいです。
そこで十種の神宝伝の話です。日本古来伝授の鎮魂作法、そのなかに「魂振り」があります。この「十種の神宝」を手に込めて魂を振り動かす様に魂振りする事によって強い生命力を醸し出す作法です。前回のブログで石上神宮で修行して参りましたのがこの「十種の神宝」の鎮魂作法です。かえって来ました二日後、郷土史の先生に蔵から出てきた古い由緒書きを解読して貰うに当たり、一度出て参りました書類郡を見ていただきに蔵に入って貰いました。その時、書類郡の中から出てきましたのがこの「十種の神宝伝」です。宝暦7年(1757)に伝授していただいた所謂教科書の様な書物のようです。だいたい石上神宮から帰ってきて2日後のこのタイミングでこの書物を見つけるにあたり、私の先祖も一生懸命勉強して伝授して貰っていたんだとおもったら思わず笑わずにはいられませんでした。残しておいていただいて、ありがとうございました、ご先祖様。
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大和国・石上神宮紀行記
禰宜です、久しぶりの更新です。しばらく大和国(奈良県)の石上神宮にてお籠もりしておりました。ちょうど先月に「古事記に親しむ 中下巻編」にて読んでいました「神武東征」のところで、起死回生の霊剣「ふつのみたま」の御神霊を御祭神とする古社です。物部氏の氏神として古来より物部氏が所管しまして、大和朝廷の「武器庫」として数多くの神宝を伝えてきたと云われますように、神道行法である「鎮魂の儀」を古くから伝承してきたお宮です。新川神社の御祭神「大新川命」は物部氏の先祖神ですので、本宮ということになりますかね。我が家系も物部氏系の様ですので、氏神の本家のお宮にあたります。いずれ皆様には「禊・鎮魂」の神道行法をお伝えできればと思い、修行して参りました。石上神宮へは、京都の石清水八幡宮奉職時におりました時に偶然、初参詣いたしましたのでかれこれ20年以上空いてほんとうにひさしぶりです。ほとんど初めての様な感じですが、どこか懐かしい感じがします。本当に良い意味で「鄙びた・神さびた」ところだからでしょうか。当時は不思議な経緯でお参りしたことを今でも覚えています。社会人になって、いっちょまえに車なんぞ買ったので休みの日に奈良方面へ一人旅に行ったときに、道に迷って天理市にたどり着いて、この際に天理教を観光しようと思って車を走らせていたのですが、ここでもまた道に迷って、どこがどこだかわからなくなったときに、「石上神宮」の看板が目に入ってたどり着いたような記憶があります。そのとき、なんとなく「第六感」が働いてまずはここにお参りすべきだ、と感じたことを今でも覚えています。今から考えますれば、氏神さんが導いて戴けたのかなぁと感謝しています。当時はそこまで氏神として意識していませんでしたからね。本当に私は生来、方向音痴ですから。母親からの遺伝ですな、これは。今でもGPSがあっても間違いますからね。
と、いうことで修行中、富山はすごい猛暑だったと聞きましたが、わたくしは神さびた古宮の境内にて清々しい日々を送っておりました。なんか、修行とはいいながらも癒やされておりました。写真からも感じて戴けると思います。長鳴き鳥のかんさびた鳴き声が印象的な梅雨明けの境内でした。
7月7日七夕・鷹乃羽雅楽会温習ご報告
禰宜です、明日は5時起き、早く寝なくては、と思いながらキーボードをつっついております。なぜなら、ご報告しておきたいからです。しばらく不在にしますし。今回は石川県神社庁の篳篥担当の雅楽講師であり、尾山神社の神主さんである大畠先生に特別講師として教えて貰いました。遠く県外から来て戴けましたので有り難かったです。また、龍笛部会も講師の藤井さん、山田さん共に欠席でしたので、炭谷先生from高岡、辻林先生from砺波の二名を招聘いたしました。皆さん、快く引き受けて戴きました、ほぉおおんとおーに有り難いことです。私一人じゃ、鷹乃羽雅楽会、成り立ちませんからね。こちらもみなさんの熱意に答えるべく、講師陣も気合いを入れて頑張ります。ということで、とりあえず写真を上げておきます。詳細は後日改めてご報告します。寝なくちゃ、明日起きれるかな?
富山県神社庁主催・第36回「お宮さんを描く写生大会」募集中です。
禰宜です、きょうはむちゃくちゃ暑かったですね、もう境内では蝉が鳴いています。明日から奈良県の石上神宮に修行に行くために早く寝なくてはいけないのですが、どうしても案内をしておきたいのでビール飲み飲みがんばっております。本年も恒例の神社庁主催の写生大会のご案内です。参加要項を置いておきます。
昨年から大人も参加できますし、本年から表彰もされるようですので、是非親子ででも、また、大人の方も単独でも結構ですので参加してみてください。新川神社の境内の木陰、意外に涼しかったりします。風が通り過ぎる処なんですよ、うちの境内は。水彩の水や、お手洗い、便所、休憩を取られたいとき、寝転びたいとき、雨天の時などは社務所を無料でご利用できますので、使うときに鳥居の前の神主の家、舩木家に一言いっていただければOKです。一応、クーラーと扇風機が置いてありますのでご自由にお使いください。過去二回、二年連続で新川神社の氏子さんが特別賞、いわゆるトップ4に(私は「四天王入り」というておりますが)、入賞されまして親子伊勢神宮参宮旅行(子どもは無料、親は割引料金)にご招待されていますので、是非本年もがんばって伊勢神宮参宮旅行を目指してください。特に本年は式年遷宮の年ですしね。
もちろん、参加作品は当HPにアップさせていただきます。
富山県郷土史会様御一行様、ご来宮。「明治天皇北陸御巡幸時町新庄小休止処手水鉢」御聖跡を初披露。
こんばんは、禰宜です。暑苦しい日でしたね、ようやく。いいじゃないですか、ようやく梅雨らしくなってきました。降るときに降らないと後が怖いですからね。いゃ〜、ようやくつもり積もった仕事の山を片付けたいのですが、なんと言いますか、はかどりませんな、思うようには。多分、休みが無いからでしょうね。だらだら〜っというやつですね。ですが、いいんです、どうにでもなれば。なるようにしかならん、ということで今度しばらく富山を出て修行に行きます。大和の国・石上神宮へ。また、詳しくは後日お伝えしますが、それを楽しみに日々頑張ります。修行に行くのに楽しみなのか?と思われると思いますが、「修行に行く」とでも言わないと外泊が出来ません、今のうち(舩木家)では。いやいや、本当につら〜い修行に行くんですよ。いくんですけど、いつもの環境から離れる時間を持てる、ということはやはり贅沢な事ですよ。専業主婦の方々の気持ちがよく、わかります。ですけれども、たった一度の人生じゃないですか、どっちに転んだって人間、野辺の石ころのように骨となって地に埋められるんですからね。何でも思い切ってみてなんぼかじゃないかと。
さて、本題ですが、昨日の悪天候の中、富山県郷土史会様御一行様30名くらいの方々が新川神社に訪ねて来られました。
高岡駅南口を出発されて、富山駅北口に寄って参加者をお乗せしたんだと思いますが、金岡邸に寄られました後にうちに来られました。この機会に、実は公表していませんでしたが本年4月にうちの玄関に移築した「明治天皇北陸御巡幸時町新庄小休止処手水鉢」を初披露しました。本当はもっと早期に公表したかったのですが、色々とありまして、落ち着いてからのほうが良いと思いまして今日になりました。この手水鉢にまつわる逸話などお話ししました。明治天皇の御一行が新庄に来られたときの様子や、その後の手水鉢を巡る話、ここに来るまでの経緯とか、本当は色々とお話ししたかったのですがかいつまんでのお話しで、語りきれない事は資料にてお伝えしたつもりです。
結果、来て戴いたみなさんによろこんでもらえたような気がしましたのでよかったなぁと思っております。その時にお渡しした資料をここに置いておきます。
明治天皇手水石解説Ver.01 明治天皇手水石解説Ver.01
興味のあられます方は眺めてやってください。一昨日、夕飯食べてダウンして、12時くらいに起きて朝方4時半ころまでかかって書き上げましたので、当日は眠かった、というかぼ〜っとしていましたが、皆さんが来て戴いたら眠気が覚めました。ありがとうございました。
7月1日、立山夏山開き『立山・称名滝の祭典』にご奉仕
禰宜です。本日三つ目のご報告です。昨日、7月1日(月)午前8時45分~に地鉄立山駅前広場(千寿ヶ原)にて開催されました立山夏山開き『立山・称名滝の祭典』立山夏山開き安全祈願式にお手伝いでご奉仕して参りました。斎主は芦峅寺・雄山神社の佐伯史麿さんです。祭典の後、立山町町長の舟橋貴之さんがご挨拶されましたが、これが良かったですな。立山の魅力はその自然そのものであると共に、黒四ダム、雪の大谷などその自然と共存しながら開発をおこなってきた先祖の苦心の歴史がある。富士山が世界遺産に登録されましたので富士山が注目されているところだが、立山にしかない魅力を発信していきたい、といった概要だったと思いいます。感銘したのは「人のしてきた業績が観光資源だ」という視点です。黒四ダムを見に来た人はその壮大さと同時に、建設にまつわる人の努力と信念の歴史を感じるために見に来るんだと。なるほど、と思いました。
立山は古来より地獄有り、と全国に轟いた有名な霊地です。大伴家持が歌に詠んだ神の山です。潜在的にそういった「何か」がある場所であることは、今後も変わらないと思います。ですが、小さい頃から立山連峰を見ながら育ってきた私にとっては、立山や芦峅寺あたりなんかは「鄙びた感じ」が魅力ですので、「鄙ぶり」を維持しながら栄えていって欲しいです。
さて、祭典終了後、お弁当だ、ということで折り詰めを貰いました。包みの風呂敷から山菜の混ぜご飯がちらっと見えましたので、「鄙ぶり」を感じられるかなぁ〜と期待して家に帰りまして開けてみたら、じぇじぇじぇー、って感じでした。期待を大きく上回る「山菜づくし」の折り詰めでした。
すばらしい。こんな折り詰め、はじめてでしたのでお見せします。
夏越大祓。たくさんのご参列、ありがとうございました。
禰宜です。いや〜今年は2回目ということで、雅音楽祭など色々行事が重なりまして「仕込み」が遅くなり、最後の追い込みが大変でした。私はどちらかというと周到に準備を進めていきたい方なのですが、今回は最後の3日間は夜中の2〜3時まで作業をしました。学生のころの試験勉強を思い出しました。私のこだわりで、人形、茅の輪御守りは手作りで新鮮な物と思っていますので。本年は雨があまり降らないせいかどうかわかりませんが、昨年に比べて茅の長さや茎の太さが少なめのような気がしましたが、新鮮な物を収穫できました。
昨年は香積廣野神社の二宮宮司さんに色々とご教授いただきまして有り難かったです。昨年に教えて戴きながら実践したことを本年は独り立ちして実施しなければいけませんでしたので、なんとかやりきった「達成感」に、本年は包まれました。
大きな茅の輪作りですが、なんとか一人でできるもんですな。家族もいつ兵役に徴収されるか、戦々恐々していたようですが、声もかからず出来上がっていましたので驚いていました。こちらとしては手伝って貰うために声をかける余裕すら無かった、というところが本音でしたが。
本年も昨年に引き続き、近所の方々から近隣の方々まで、子どもからご年配まで広い世代の方に参加戴きまして、お仕えする神職としましてはこれにまさる喜びはございません。連日の夜中の作業の疲れもふっとびました。いゃ、本当に。
皆さんが心身共に清められ、若返ってお元気に夏を乗り越えていただきたく、ご祈念申し上げます。
第二回古事記に親しむ富山中下巻完全読破編開催
禰宜です、いゃ〜、忙しかった。時間に追われながらも何とか乗り切りました、夏越の大祓。アップしたくても出来なかったご報告をアップしていきます。先ずは古事記完全読破編です。今回は2回目と言うことですが、中下巻から参加された方も数名いらっしゃいまして、少しずつに輪が広がっています。古事記は短編逸話、系譜、上代歌謡を流れの中に組み合わせているような構成ですので、途中から参加されましても大丈夫です。割と話としては独立していますので。中下巻を進める上で私が心がけていますのは、上巻からの流れの上に国づくりが語られていますので、その都度、上巻を振り返りながら進めたいです。月に1回の開催ですので、実際に昔の部分は忘れていたり、繋がらなかったりしますので、何度も振り返ることが大事ですね。
今回は「かむやまといわれびこの命」、後の初代天皇である神武天皇が熊野から「八咫烏(やたがらす)」に導かれて北上して苦心しながら連戦、連勝していく「戦記」が「上代歌謡(じょうだいかよう:神代の時代の歌」にのせて語られます。大伴氏や久米氏など、もののふ(侍)として武力でお仕えした氏族の話や物部氏の祖先神である「にぎはやひの命」が登場します。古事記では語られない逸話を「日本書紀」「万葉集」で補ってご説明いたしました。このあたりになりますと日本書紀もエピソードが単一化されてきます。
時間の関係で橿原の宮で「かむやまといわれびこの命」が御即位され、皇紀の元になったあたりの解説が出来ませんでしたので次回に補いたいと思います。日本の建国神話の大事なところですのでみっちりやりたいです。
また、今回は雅音楽祭の後ということで、予てから雅楽の紹介もしたかったので第1回目は「和琴(わごん:やまとごと)」を紹介しました。日本独自の六弦琴で、不思議な音律です。大己貴命が根の堅須国から持ち出したのも「琴」ですし、神霊をお招きする時に奏でる楽器として古事記に出て参ります。「天皇の楽器」とも云われる、和楽器の頂点に立つ楽器だと私は思っています。その素朴な音色は海の彼方から渡ってきた楽器とはちがう「やまとごころ」を感じさせる音です。
最後になりましたが、中下巻から参加されました方は、今、古事記に関する書籍が大変多いのでご自身で上巻を読んで戴けますればより理解が深まると思います。おすすめは「ぼおるぺん古事記」です。コミックですが、原文で書かれていますので、原文の素読にこだわるこの会の趣旨に沿った物と感じました。上巻が三冊にわかれています。解説もありますし、なにより愛らしい「絵」がありますので、すんなりと読めます。コミカルな現代風解釈も楽しいですので是非読んでみられまして中下巻を素読されたら話が繋がると思います。
ですがまぁ、スターウォーズの様に、あとから「エピソード1」を読むのも一興かもしれませんな。
富山中央倫理法人会のモーニングセミナーと雅音楽祭無事終了、雅音楽祭の映像が公開されています。
禰宜です。昨日、朝6時から富山中央倫理法人会のモーニングセミナーで「国学のすすめ」 〜今、国学を学ぶ意味〜と題してお話しをして参りました。実は数年前に同じくモーニングセミナーで「神道とは何か」という題でお話しをさせていただける機会をいただきまして、その時に参加された会員の方から「神道を学べる講座は無いのですか?」と聞かれました事をきっかけとして、今日新川神社で行っています「古事記に親しむ」を毎月実施するようになりましたので、今回はそのご報告と御礼を込めて再度お話しをさせていただきました。大変光栄です。この会自体がすでに国学の精神を汲んでいらっしゃると最初から感じていましたので私自身も倫理法人会の活動に共感いたしております。セミナーが終わった後に朝食を摂りながらみなさんとお話しをしたのですが、本当に楽しかったです。休日の早朝にわざわざ参加される、向上心の塊のような意識のある方々ばかりですので、前向きな気が流れている場ですので、なにか元気を分けて貰ったような気がしました。そんなかんじでその後は雅音楽祭。晴天に恵まれまして大変良い1日となりました。本年が式年遷宮の年ですので、20年に一度の大祭が無事に完遂されることを祈りながら雅楽を奏で、神楽を舞いました。朝から良い「気」をいただけましたので、楽しく演奏ができました。まだまだ未熟な部分もありましたが、そんなところも含めてなによりも気持ちを込めてできましたので良かったです。私は琵琶と神楽舞を舞わさせていただきました。早速、USTREAMにて映像がアップされていますので、眺めてください。
USTREAM(ユーストリーム)雅音楽祭
http://www.ustream.tv/new/search?q=雅音楽祭&type=all
夏越大祓の準備、茅の輪御守りの仕込み
禰宜です、本日5本目のブログです。実は新川神社のFacebookページもあり、当ブログと連動するようにしてあったのですが、どうも連動しなくなっていまして、ほったらかしていましたが、ようやく原因がわかりまして直して貰いました、新川神社HPメカニックの嵯峨さんに。私はプログラムの事はさっぱりわかりませんので、餅は餅屋に任せております。そういうことでFBにも挙がっていますので、スマホお持ちの方はチェックしてみてください。いつでもどこでも「たかのたわごと」をチェックできます。そんな人、いないか。
と、いうことでようやく昨日、大祓の準備に取りかかりました。看板とのぼり旗をあげて、茅の輪御守り用の茅を刈り取りました。茅の輪御守り用の茅は舩木家の庭に生えている物ですので、新庄町産バリバリの地物です。しかもシーズニング(乾燥)は社殿の土間でいたしますので、御霊験たっぷりですな。こわいもんなしです、これを玄関に掛けておけば。私はそう信じています。と、いうことで禰宜さんが精魂込めて手作りで限定120躰作ります。先着ですのでお早めに。
6月18日雅音楽祭練習中。
禰宜です。本日4本目です。ふぅ。さて、23日の雅音楽祭に向けて我々も練習中です。
当日の早朝にはとあるところで神道の講座のご依頼も受け、朝から晩までライブみたいなもんですな。大変ですけど、私みたいな者でも講座をさせていただけるということは有り難いですし、なにより私の修行と勉強になります。今回は国学、本居宣長について勉強しました。
雅音楽祭では久しぶりに人長舞を舞います。 第6部 18:00~18:30 【神楽】浦安の舞・人長舞です。
昨年より「蘭陵王」「浦安の舞」の習得に励んできましたので、だんだん脳みそがOverDrive気味ですが、本年がいよいよ20年に1度の伊勢の神宮・式年遷宮の年ですので、盛大に雅楽・神楽を演奏してお祝いしたいと思います。
なんといっても、天照大御神さまは神楽がお好きですからね。がんばりまーす。
6月16日 鷹乃羽雅楽会温習日ご報告。
禰宜です。実は今日、これで三本目のブログのアップです。少しネタを溜め込みすぎました、というよりネタがありすぎ。追いつきません。落ち着いて書ける時間が無いと、書いていても楽しくないですからね、あじゃあじゃ(富山弁:手抜きとかいいかげんの意)だとかえって失礼ですし。皆さん、貴重な時間を割いてわざわざ私の駄文を読まれるわけですし。たまに、「ブログ見てます」と声もかけられますので頑張ります。
と、いうことで富山県神社庁主催「神社へ行こう」〜神主さん1日体験〜を終えて直ちに帰宅、会場の準備をして食事を摂っての温習です。
本日は前半管別温習で後半は合奏をいたしました。平調音取・越殿楽・五常楽急で、陪臚はまだ時間がかかりそうですので、7月7日、7月21日は管別温習のみで習得を目指しましょう。次回は篳篥講師に石川県神社庁の雅楽講師である大畠氏を招聘する予定です。篳篥の方、お楽しみに。
龍笛の山口さん、篳篥の川嶋さん、朝から晩まで神社に滞在ということでお疲れ様でした。御利益満点ですよ。
雄山神社と新川神社は、同じ社紋の「鷹乃羽」ですしね。昔は新川神社の前が立山登拜道で、必ず新川神社の御神前で登山安全を祈願してから岩峅寺へ向かわれたと言い伝えがありますので、なにげに御縁があるんですよ、実は。
芦峅寺の宮司・佐伯陸麿さんは私と高校が同級で、一緒のクラスでした。しかも鷹乃羽雅楽会に龍笛で参加の佐伯さんは芦峅寺雄山神社の宮司さんの配偶者で、お母様のご実家が新庄町なんですよ。不思議な御縁ですね。
尚、8月4日の温習は、我々神職が伊勢神宮の「お白石持ち行事」に参加することになりましたので、休講といたします。振替日は後日ご案内いたします。
富山県神社庁主催「神社へ行こう」〜神主さん1日体験〜 ご報告
禰宜です。当HPでもご紹介した富山県神社庁主催「神社へ行こう」〜神主さん1日体験〜にお手伝いで行って参りました。岩峅寺、芦峅寺双方の雄山神社の正式参拝はもちろん、えんま堂、布橋など周辺も散策して参りました。新川神社のHPを見て参加された方と、参拝された折に案内パンフレットを見て参加された方もいらっしゃいまして嬉しかったです。我が鷹乃羽雅楽会の会員も参加されていまして、当日は夕刻から温習日ですので、朝から晩まで神社にどっぷり浸かっていただいた猛者もいらっしゃいました。初めて白衣を着られたり、初めて作法をされたり大変だったと思いますが、この企画に参加される皆さんですのでやはり意識がちがいますね。恒に何事も真摯に体験されていましたのでご立派でした。また、本当に白衣が似合う方がいらっしゃいまして、どこの宮司さんか、どこの巫女さんか、ってな感じのたたずまいの方もいらっしゃいました。祝詞を墨書したり、雅楽体験など盛りだくさんで、最後にはお土産に朱印帳までもらって2,000円は安すぎですね。
アーヴェリール迎賓館にて神道結婚式ご奉仕
禰宜です。6月15日、ジューン・ブライド。新庄町にある結婚式場「アーヴェリール迎賓館」にて神道式の結婚式の依頼がありましたのでご奉仕して参りました。実は数年前から年に1〜2件ですが、神道式の結婚式の依頼がありまして、ご奉仕して参りました。当方も大安、祝日は神社の祭礼や地鎮祭などで立て込むと日時によってはお受けできないのですが、今のところ件数も多くないのと、日時が混み合わないめぐりのおかげ様で、御要望の通りの日時でご奉仕いたしております。そういう意味では「プレミアム」な挙式です。スタッフの方々も新年には新川神社にお参りいただいておりますし、若くてかわいい人ばかりですので良い感じです。準備と後片付けが大変ですが、やはり新郎新婦の晴れ姿を見ますと、精一杯、誠心誠意を込めた式にして上げたいと思います。新郎新婦にはあらかじめ1月前ほどに初顔合わせをして、1週間前ほどに予行演習を新川神社本殿でいたしまして、神道の結婚式の意義、拝礼作法、三三九度の練習、玉串拝礼の作法、誓詞の読み方など講習します。
晴れの舞台で、堂々とした作法でお祈りをされるお二人を見ていますと嬉しくなって、なぜか親心に近い物を感じたりします。
当日は、小雨でしたが、若葉萌ゆる榊葉のように、いつまでも瑞々しい気持ちで添い遂げていただきたいと、陰ながらお祈りいたしております。
お宮で子どもたちとお話し。
新庄小学校3年生の地域の学習で児童達が新川神社に来て勉強していきました。私自身、毎年楽しみにしている行事です。神主としてはもしかしたら祭祀の厳修の次ぐらいに大切な仕事だと思っています。いや、本当に大げさでは無くて。次世代への継承ですからね。小学三年生の親の世代は新庄町で生まれ育った方もいらっしゃいますが数としてはあまり多くなく、大半は御縁があって新庄に家を建てられた方が多いです。昨年より新庄御鎮座400年の奉賛事業の説明会などで聞いた話ですが、新庄町が生まれ故郷ではないので「新川神社に親しみを感じないし、氏子だという意識は無い」と長年住んでいらっしゃる氏子の方にはっきり言われたことも有り、私自身考えさせられる事もありました。長年住んでいらっしゃる年配の方がそのように感じておられるのはひとえに神主の不徳のいたすところであり、これからは新川神社に親しみを持っていただけるように仲取り持ちをして参りたいと考えています。しかしながら、そのような御意見もある反面、私は知っています。県外から新庄に住まれた方が一生懸命お宮のお世話をいただいたり、「新庄町に御縁があって住んでいるのだから、新川神社が守って貰っている氏神さんだ」と話してくれる方も実は沢山いらっしゃいます。正月、春、秋の祭礼には欠かさず御神酒やお供え物をされます方もいらっしゃいます。生まれ育った場所は変えようが無い故郷ですが、その後成長過程で滞在した場所も第2の故郷、第3の故郷です。私はこのように考えています。私にとって学生時代を過ごした明治神宮の代々木の杜、そして京都での修業時代の石清水八幡宮の男山は育ててくれた故郷です。実際に代々木の杜と男山に寝泊まりして住んでいましたのでよけいにそう思うのかも知れませんが。そしてその子ども達にとってはまぎれもなく新庄は「生まれ故郷」ですからね。
本年は3クラスありますのでそれぞれ日を変えて3日間、6月6日、11日、13日の午前9時35分〜10時40分くらいの約1時間で色々とお話しが出来ました。毎回思うのですが、子ども達はリアクションが速いので、とても楽しいです。小学3年生がどれだけ言葉のボキャブラリーを持っているかがわかりませんので、なるべく絵図や神社にある物を題材に楽しんでもらえるように心がけています。幸い、神社には子ども達が気を引かれるアイテムが沢山有りますので、質問を受けるといつも時間が足りなくなります。木彫りの龍は宝珠を隠し持っていますので、「新川神社にはドラゴンボールがあるがやじゃ。(あるんだよ、という意の富山弁)」というと「どこよ、どこよ?」と、探しまくりますので昔はこれで「つかみはオッケー」だったんですが、最近は情報が伝播しておりまして隠し場所を知っている子どもも結構いたりして、ある意味では良いことなんですが、じゃっかん、話し手としてはやりにくくなってきたりしています。本年の3年生はあらかじめ調査をしてきたようで、当HPをかなり読み込んでいる児童もいて、びっくりいたしました。御祭神を暗記している強者もいました。立山三山の最高峰は何という山か?と聞くと答えた子どももいてびっくりしました。なかなかあなどれませんんぞ、小学三年生。
小学生用のページでの由緒書きの文章に四苦八苦していまして未だにアップ出来ていないのですが、今回現役の先生にフリガナなどの添削をいただきましたので、近々小学生用由緒書きを更新していきたいとおもいます。
お祭りが近くなると通学中の子ども達が「お祭り何日け?どべは出るが?早く祭りの日にならんかな〜」と、ワクワクしながら私に聞いてきます。移住してきた親の世代にとっては故郷では無いし、新川神社に親しみは持てないかも知れませんが、神主といたしましては子ども達の生まれ故郷として新庄町と新川神社を大切にしてあげていただきたいです。子ども達はほんとうに新川神社のお祭りを楽しみにしていますし、大人が知らない龍の珠の隠し場所も知っていますから。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
室生犀星の詩ですが、彼らが成長して県外に転出したとしても、久しぶりに新庄に帰って来た時に昔と変わらぬ新川神社の境内を整えておくことが我々の仕事ですな。そのときに私の話を思い出して、いい大人のクセして昔のように「龍の珠」を覗いて見てくれたりしたら嬉しいかも。