宮司です。初日に開催されましたトークショーの動画です。私、当日は秋の収穫感謝祭のご奉仕でリアルタイムでは拝見できなかったのですが、川嶋広報部長が作品の写真や会話の中で引用された絵画などの参考画像も挿入して理解しやすくなっています。
是非、この動画を見てから金岡邸へ此の週末お出かけ下さい!絶対、皆さんの既成概念が更新されると思います。
宮司です。初日に開催されましたトークショーの動画です。私、当日は秋の収穫感謝祭のご奉仕でリアルタイムでは拝見できなかったのですが、川嶋広報部長が作品の写真や会話の中で引用された絵画などの参考画像も挿入して理解しやすくなっています。
是非、この動画を見てから金岡邸へ此の週末お出かけ下さい!絶対、皆さんの既成概念が更新されると思います。
宮司です。本年本日の10日(土)より18日(日)まで、近所の「薬業商の館 金岡邸」と「新川神社参集殿」を会場として表記のギャラリーが開催されます。
神仏かふぇ。に始まり、神仏かふぇ&Barに続く待望の「アートギャラリー」の開催に大変嬉しく思います。参集殿の建設当時より「神社の参集殿と言うより〜」的な催しの分野でしたので願望が実現した形になります。
今回の企画は富山県障害者芸術支援センター「ばーと◎とやま」は私の高校時代の同級生で、新川神社の臨時神職でも有る「米田昌功画伯」の主催するところで、新川神社と致しましても全面的に協力するところであります。
ところで皆さんは「アール ブリュット」という言葉をご存じですか?私は近年米田君から教えて貰って詳しくは無いのですが、「生の芸術」として「ジャンデュビュッフェ」というフランスの画家が名付けた近代絵画の新しい分野で、彼はアンフォルメル(非定形の意味。1950年代に盛んになった前衛美術運動)の先駆者と見なされ、20世紀美術の流れをたどる上で重要な画家の一人とされている人物です。詳しくはみなさんから直接、米田さんに聞いて貰う事に致しまして是非一度この「不思議な」感覚のギャラリーをご覧ください。
本日、午後3時から参集殿にて日本を代表する鉛筆画家の「木下 晋(すすむ)」氏のトークショー「生(き)の芸術 命の芸術」と題してのトークショーがありますので是非ともご来場下さい。
新庄町でイベントとして金岡邸とコラボレーションを取れるのも初の試みで、今後のイベント開催の先駆けの形が出来ました。将来的には近所にはお寺や保育施設、学校に楽器屋など大きな施設が近年整備されてきましたので新庄町全体を会場としたイベントの企画、例えば「新川神社町新庄遷宮410年記念・町新庄祭騒動〜RETURNS〜」と言うことへも可能性が広がります。
本年は明治維新150年の節目の年。金岡邸の庭園は明治天皇御小休憩跡地の聖蹟であり、宮司家の前には明治陛下が御手をお清めになられました御用手水鉢があります。御縁の年に御縁を結んでいただいたような気がいたしております秋です。
宮司です。実は今日大島・神明社の秋祭りに併せて社殿修復の竣功慶賀祭でご要望により神楽「朝日舞」「豊栄舞」の二曲を奉納演奏いたしました。演奏者は私ひとり。舞人は権禰宜さん。写真が無いので残念ですが、全身全霊を傾けて祝詞奏上、奉納演奏しましたので疲れました。本来ですと鷹乃羽雅楽会の方にも参加して戴いて演奏すれば良いのですが、平日の昼間である事、場所が狭いこと、先方の依頼がお二人でお願いします、ということでしたので頑張りました。歌・笛・和琴・琵琶・笏拍子を一人でどこまで出来るか、豊栄の舞の間奏部分を琵琶だけで如何に乗り切るか?ということで1週間前から個人練習をしておりました。出来はともかく、やれることはすべてやりきったので後悔無く演じ終えることが出来ました。なんか、芸者さんのお座敷みたいな感じかも知れません。一度、客観的に見てみたいですね、怖いもん見たさでしょうか。
さて、本題ですが本年の秋祭りは日中少し雨に降られましたが夜祭りは晴れまして近隣から大勢のご参拝を戴きまして賑やかに過ごしました。
鷹乃羽雅楽会の奉納演奏を午後7時から行いました。本年は曲目も多く、舞も二曲入れまして盛りだくさんの感が有りましたが、本番で強くなるためにやはり長丁場での演奏力という事が必要ですのでそういう意味でも今回は時間が40分過ぎるくらいの奉納演奏でしたが無事に納める事が出来ました。
宮司です。なんやかんや言っている間に霜月突入で、急いでブログ更新です。
今回のお宮で飲もう会は「日本酒造りと林酒造について」と題し、林酒造場、杜氏 林秀樹社長にお越しいただきました。詳しくは当HPのトップから入れます「青年団 若鷹会」のHPに詳しいのでそちらをご覧戴きますれば、講演の内容が動画でご覧戴けます。
「御神酒あがらぬ神は無し」と昔から言われますように、お酒と日本人は良好な関係を保持してきた伝統があります。「養老儀制令」養老二年(718)制定、天平宝字元年(757)施行の我が国の基本法令に下記の定めが見えます。春の豊作を祈る田祭の時のお定めには
「凡そ春時祭田の日、郷の老者を集めて、一たび郷飲酒礼(ごういんしゅらい)行え。
人をして尊長養老の道を知らしめよ。其れ酒肴等の物は、公廨(くがい)を出し供せ。」
(現代訳)
春時の祭田の日には、郷の老者を集めて、郷飲酒礼を行うこと。人々に長を尊び老を養う道を知らしめること。お酒と肴は公費にて支出せよ。{酒肴等の物は公廨〔くげ/くうげ/くがい〕(官物・正税)を出して供すること。}
なんて良い国なんだー、日本はー!って思いません?憲法でお祭りの日には敬老精神を持って酒宴を行え、経費は持ってやる!って憲法で決まっているんですからねー。呑兵衛天国ですな。
この条文に対する『令集解』の「一云(あるにいう)」には、これら祭礼にあたって
「男女悉く集まり、国家の法を告げ知らしめ訖(おわ)る」とあり、春祭りに対して役所から公費が出る代わりに、伝統的な村の祭りに国家の統制が及んでいる事が見られます。
要はお酒を酌み交わし、そのかわりちゃんと人としての道徳を広めていた、というお国柄なんですな。そんなことを思いながらお酒を吞むとひと味違いませんか?みなさん。
宮司です。10月には雅楽の檜舞台が立て続けにありますので、毎日昼は祭典奉仕、夜は雅楽のリハーサルの毎日ですが、元々神主の家に生まれてなければミュージシャンに成りたかったので本望なんです。
10月2日の昼は籾米と藁の乾燥作業、夜は日枝神社の「雅楽と癒やしの音楽祭」でアンデス民謡のWAYNOと出演。4日夜は神社庁雅楽部のリハーサル、6日は東猪谷の春祭、夜に神社庁雅楽部のリハーサル、7日の昼は東猪谷の春祭、夜は鷹乃羽雅楽会のリハーサル。8日が常盤台神社創建50周年記念大祭と奉納演奏本番。その後楽器を能楽堂に搬入。9日は富山県神社庁主催の天皇陛下御在位30周年記念大祭・奉納演奏会本番。まぁ、なんとかなるもんです。
常盤台神社は戦後の高度成長期の昭和43年に新興住宅地に創建された全国的にも珍しい神社です。
過疎化で神社が統合され無くなっていくことはありましても新たに創建されたという事は当時の方々の熱意が綴られた「常盤台神社二十年史」に詳しいので要点を抜粋します。
「明けて四月二十九日、常盤台神社初の春季祭典ということで町役員外氏子一同参列、舟木宮司、司祭によって厳かに祭典が行はれました。
郷土愛の発露というべき、神社建立の尊い事業は、恐らく、新開地のおよそ団地としては、富山では囁矢であったと思います。その歓声を聞きながら、次代を背負う児童達よ、郷土愛に燃えて欲しい、そして若木のように、すくすくと育って、力強く根付き、大樹となって、常盤台の礎石たれと、氏子一同、心に願った記念すべき日でありました。時に昭和四十三年四月二十九日です。」
創建当時のお世話役の方々は働き盛りの40代を中核として進められたそうです。本業があり、家庭も大変な時期に神社創建に町内各戸1軒ずつ説得に廻られたそうです。本当に頭が下がります。
私は氏神神社に神職としてお仕えするときに当然、神社に奉斎されている御祭神に対しての祭祀では有りますが、その氏神と共に地域発展に尽力されたお世話役の祖先の御霊に対しても敬意を込めてお詣りいたします。
氏神というのはそうした歴年の地域貢献者の魂も宿る場所なので、地元に住んでいる人たちは新年に際してまず最初に敬意を持ってお詣りするべきだと言うことを伝えていきたいと思います。
当日は記念大祭の後に公民館を舞台と致しまして「鷹乃羽雅楽会」による奉納演奏をさせて戴きました。越殿楽、朝日舞、豊栄舞をご披露いたしました。
宮司です。表題の如く神無月は忙しくてようやく間が空きましたので今月のご報告です。
10月に入りますと各地の神社で秋祭りが催されます。6日、7日は大沢野の猪谷地域の祭礼で五社に出向きました。此の地域独特の「湯釜神事」がありましてこれが面白いんです。
祭礼前に境内にある竈に湯を沸かし、麻緒と紙垂を竹で垂らしておきます。
神社での祭典が終わりましたら笹葉を結わえた物に祓え詞を唱えて煮え立った湯に笹葉を浸して参列者に振りかけます。当然、熱いです。熱いですが参列者の宮総代、おじいさん、おばあさんも熱い湯が来ることを覚悟して両手を併せて潔く熱湯のお祓いを受けられます。その後、釜の上に垂らしていた紙垂を各自1枚ずつちぎり取り、熱湯の釜に浸してから自分の躰に擦り付けます。躰の都合が悪いところを念入りに撫でつけてから、この紙垂を境内の御神木に投げつけて、樹皮にピタッと張り付いたら災厄が祓われる、という神事です。なかなか樹皮に紙が付かないので最近では樹皮の隙間にねじ込んで居られます。大祓神事の人形の撫で祓いの要領ですね。古事記・日本書紀には「盟神探湯(くがたち)」という熱湯の湯釜に両手を入れて嘘偽りの潔白を証明する事が書かれていたり、湯立て神楽など五穀豊穣、無病息災を祈る神事が多く残っています。
この東猪谷地区の神事は行者が伝えた事だと言われています。
他にも本社とは別に「秋葉神社」が祭られていたり、太子堂があったり、此の地域ならではの土着の信仰があり興味深い所で、私は好きです。
宮司です。本日無事に玄米が奉耕者から納品されました!一俵半の収穫で昨年より多かったようです。昨年までは籾米の乾燥を奉耕者の作業所でお任せしてきましたが、今年は場所を新川神社でやりました。
稲刈りの29日はあいにくの雨でしたので10月1日の午前中に晴れ間が見えたので奉耕者の方がコンバインで稲刈りと脱穀までしていただき、10月2日に参集殿にて籾米を乾燥。曇り空なので室内で乾燥。扇風機と除湿器で一晩置きました。
しめ縄用の藁も濡れたままの収穫でしたので社務所で一晩陰干し、扇風機で水分を抜かします。その後10月2日に参集殿へ移動させて籾米と一緒に乾燥しました。
昨日の10月3日は「日本晴れ」といって良いくらいの晴天。朝から奉耕者の田添さんと水分を測るマシンを導入して籾米を14%〜15%を目標に天日で干しました。噂に聞いていましたがハイテクな「籾米を脱穀してサンプリングした米から適正水分量を検出する作業」を初めて教えて貰いました!これが凄いんですね。昔の人が直感でやっていた事を数値に残せれば、なんとなく来年にフィードバックできますんで。
藁は陰干しで青青とした「コシヒカリ」の藁が準備出来ました。収穫した藁から茶色い皮を取り除く作業を夕方しておりましたら川嶋咲四さんが仕事帰りに手伝って戴けました。ありがとうございました。写真でもわかると思いますが、収穫した籾米は脱穀して精米して白米となって我々の口に入るまでの間に凄く手間がかかるんですね。皮をひっぱがされ、乾かされるので水分は取られ、その後に精米されますので皮膚を削られ「因幡の白兎」状態になるまでに約4割は削り取られるということを「知識」ではなくて「体験」出来た事が何よりも貴重な収穫でありました。雨のお陰ですね。参加されたお母さんから雨について、「久しぶりに新川神社らしい日になったね!」との言葉。確かに、雨降れば雨降ったことで得したことがありましたので雨の日も悪くないです。私的には好きですね。雨男ですし。雨乞いのご祈祷は新川神社まで。
宮司です。本年の稲刈りは台風が近づく中、秋雨の中開催致しました。稲刈りは雨合羽を着た田男・刈り女が一束だけ収穫しました。晴れた日に稲刈りしないと乾燥が大変ですので。そのほかのスケジュールは予定通りで、雨天にもかかわらずに子供達と楽しく過ごせました。参加者は田植えよりも少なかったとはいえ、11名の田男・早乙女に参加いただき有り難かったです。
皆さん、田植え祭に参加していただいた子供達ですので、祭礼作法も飲み込み早いし上手。
子供達の様々な表情を拝見できて私的には凄く楽しい一時です。子供は正直ですから、つまんないときはつまんない顔してますし、楽しいときは楽しそうにしていますので、後日写真を眺めながらブログを書くのが至福の一時です。今回も素敵な写真を納めていただきまして川嶋広報部長、有り難うございました。
お久しぶりです、宮司です。灼熱の日々を過ごした8月から9月に入りめっきり涼しくなりました。本年は9月9日の日曜日、あいにくの雨模様の中でしたが富山県神社庁主催の「雅音楽祭」が開催されました。富山県神社庁雅楽部による管絃・舞楽・神楽を中心に生田流の琴の演奏も加え、神社装束体験、祝詞浄書、しめ縄体験、神棚展示、神社建築匠の技の体験出来るコーナーを富山の職藝学院が担当いただき、カンナ削りが体験出来たりもします。飲食コーナーでは地酒の試飲、伊勢の赤福販売など神社・神道コテコテのイベントです。加えて神社庁主催の「お宮を描こう!写生大会」の展示と表彰式、作文コンクールの優秀作品の朗読などあり、雨天にも拘わらず大勢のご家族連れにご参加戴きました。
本年は特に御即位三十年を奉祝する「御即位から大嘗祭パネル展示」も行われました。30年前の昭和から平成の御世代わりを感慨深く思いだしながら拝見致しました。
また、雅楽演奏につきましては毎回新しい課題に取り組んだり演目も増えたりしていますが、私的に達成感がありましたのが、楽琵琶が二面に増えて、管絃的には三管三鼓両弦である琴と琵琶がそれぞれ二面ずつ揃った事でしょう。このフルオーケストラ編成で越殿楽の残楽三返を演奏できる雅楽会が現在日本で何組あるのか、ということを思えば、富山県神社庁雅楽部もここまで来たんだなぁと感慨深かったです。やはり絃物は先ずは調弦が出来ないと練習にも成らない事と、楽器の調達が大きな壁っちゃあ壁ですんで。動画サイトで全演奏が見られますのでそちらもどうぞ。
宮司です。猛暑も一段落ですかね。ですが富山は蒸し暑い夜です。こう暑くっちゃ、仕事もなかなか進みません。ということでようやくBBQのご報告です。当日は天気予報も快晴とのことで段取り段階から安心して仕入れなどが出来ましたので有り難いことです。
私、本年は夜に会合が入りましたのでノンアルで過ごしましたが、かえって料理を一通り食する事が出来ましたので新たな発見などあり、新鮮なBBQでした。いつも酔っぱらっていますとあまり食べないので損してましたね。会費3,000円でこのクオリティはお得ですね。それも参加者の手土産、差し入れのお陰だと思いました。お蕎麦やフルーツポンチはあやなちゃん、スイカは上飯野新町の若宮さんご一行、最勝寺の谷内和尚さんからはスイカとワインなど、そのほかにも差し入れを戴いた方々、有り難うございました。食べ物だけでは無くて、流しそうめんの設営には現職の大工の方々が勤労奉仕と資材提供戴いています。また、焼き場でずーっと調理して戴いている方や、後片付けも手際よくして楽しい一時を神様の前で過ごす事が出来て良かったです。
寒中みそぎでは冷水を浴び、夏はBBQでビールを浴びる。メリハリがあって良いんじゃ無いでしょうか。お宮は楽しくないとね。
宮司です。我が師匠であります佐久間靖之大人が平成30年7月28日午後9時12分ご逝去されました。
日本文化興隆財団の佐久間事務局(講師とは偶然に同姓だそうです)から訃報を知らせて戴き、昨日8月1日、正午からの本葬に参列すべく日帰りで東京へ行って参りました。
師匠は日本文化興隆財団での7月20日の「古事記に親しむ」までお務めされ、その後の急逝であられました。既に不治の病(膵臓がん)を患われながらも最後まで渾身の講義をされたそうです。
あと2回を残しての帰幽で有ったそうです。享年81歳。「あとはまかせたよ」と、いうことでしょう。
師匠との出会いは神社本廳から平成21年に神社振興対策を実施するモデル神社に指定を受け、同じ時期に富山の倫理法人会のモーニングセミナーで講話をしたことがトリガーでした。倫理法人会の聴講者から「神道に関する一般人向けの勉強会はないのですか?」という問いに、確かに無いな、その要望に答えてみようと思ったのです。確かに、ピンポイントの講話やセミナーや、体験型のイベントは有りますが、「神道とはなんぞや」と正面から向き合って一般の方々にお伝えする場は無いなと。恒例の祭典の後に参列者に対しての講話や、年に数回の講演などはあるけど、定期的に継続性の有るフォーマットは有りませんでした。
400年祭の奉賛事業の時にも少なからず言われたことに「お寺さんは月に一回のお付き合いが有るけど、神社さんは正月の初詣と、何かあったときにお祓いを受けるだけだから・・・」と、普段からのお付き合いの薄さがあるということでした。
一般向けの継続性のある「神道講座」にチャレンジしてみたい、その方法、コンテンツはやはり最初は古事記を読むことだなと考えておりました。しかしながら大学で受けるような学術的講義では絶対続かない、ということも自分自身が感じておりましたのでどうしようかな〜と言う時期でありました。
神社本廳のモデル神社の研修会に上京して、今の日本文化興隆財団の会場で「古事記に親しむ」のパンフレットを手にしたのが全ての始まりです。直感でピン、と来て、研修終了後すぐさまに事務局に飛び込むようにして訪れて「古事記に親しむ」の素読本を一冊購入、夕食を宿泊ホテルの近くの蕎麦屋で吞みながら佐久間先生の「序文」を読みながら「これだー!」と。あのときの蕎麦屋で酔いながらこれをやるぞーと宝物を見つけたようなうれしさは今でも鮮明に覚えています。神様からのギフトそのものでした。あの本の「序文」は名文です。此所に我々日本人が古事記をなぜ読むのか、どのような心構えで読めば良いのか、古事記を読む、ということはどういうことなのか、すべて綴られております。この佐久間師匠が綴られた「序文」を読むと素読する意味が明確になります。
その後、財団の講義に2回、佐久間先生の地元の浅草橋の地区センターでの講義も2回ほど受講いたしました。当時は北陸新幹線開通前でしたので日帰りはなんとか出来たのですが、乗り継ぎがあり、帰りが12時頃になるので、乗り越しをしないように車掌さんに富山に着く前に寝ていたら起こして貰うようにお願いしたりしていました。やはり、ライブ感と言いますか、現場での参加者の雰囲気や客層など直に感じておきたかったのです。その後は財団の佐久間事務局にお願いしてなかなか東京へは毎回通えないので、参加費は36回分支払うので講義の録音データーを郵送して欲しいと、無理なお願いも快く受けて戴きまして今日があります。
私が開催しております「古事記に親しむ富山」でお話しする前には、今でも毎回必ず佐久間師匠の講義音源を聞いてから開催致しております。ですから佐久間師匠とは久しくお会いしていないのですが、毎月過去に録音された講義を拝聴致しておりますのでいつも身近に感じておりますし、ご逝去された今でも佐久間師匠は私の中では存在しておられます。今後も相変わらずにずーっと、繰り返し、繰り返し佐久間師匠の講義を聴いて続けていけますので、今まで通り私にとりましては古事記の師匠であられます。
なぜ、佐久間さんのお話しを聞いてから古事記に親しむに望むかと言いますと、学術的講義にないものがそこにあるからです。先祖に対する敬う心、親しみを持って、みなさんで読んでいきましょうや、という師匠の志を私が「言霊」で受け取ってそれを「伝える」ということが私の使命だと思うからです。
最近読んだ記事で「音読」には脳を活性化する効果があり、認知症予防や脳の若返り効果があると言うことです。確かに、初見のことばでしかもやまとことばという普段使い慣れないけど懐かしいような気がする古事記の言葉には大きな効果があると思います。そして大勢と心を合わせて読むことで一体感が生まれるのも良いことだそうです。皆が同じ気持ちになり心が通じ合うようになるとの事。寒中みそぎの雄たけびもそうですね。寒いので大声で気合いや和歌を謡ながら行事をしますのでやはり終わった後は初めて会った人でも兄弟のような気持ちになるのはそういうことなんだなぁと。
読んだ後が大切で、その後の日々、月間、年間を通じて祖先と繋がっていくことが「古事記に親しむ」をこの世で「体験」する事なんだと思います。昨年「古事記に親しむ旅」を開催して実際に現地に参拝旅行を実施致しましたのも、読んだ体験の後に現地で古に想いをはせて現代にまで繋がっているんだと言うことを実感してみたかったからです。
今(戦後)の学問は過去の歴史の否定から始まります。歴史を疑って新たなる真実を見つけようとする学問的な見地は学問というものがそれが目的なのであれば私の如きはそれに意見することは僭越でしょう。ですが、今の現状を見ますと、世間に流れる書籍やテレビ、報道番組など様々な情報の坩堝から、無垢な一般の国民が日本の歴史や神話を紐解きたいと思い、読めば読むほど混乱して判らなくなっている様な現状を見ますと、やはり原典を素直に読み、全てを受け入れて親しむ、というスタンスの講義を拓かれた佐久間師匠は偉大です。しかも、「古事記に親しむ」という素読専門の書物を製作されたこと。これが素晴らしい事です。大きな活字で全文にふりがなが振ってあるので、小学生でも読めます。行間、スペースが有りますので、講義内容のメモは素読本に書き込めますのでこれ一冊有れば重宝します。
来年より「日本書紀に親しむ」を開催するにあたり、佐久間師匠に開催要項とお手紙をお送りして「古事記に親しむ」コンセプトでチャレンジします事のご報告をしようと思っていました矢先の事でした。喪主の奥方に郵送するはずだった「日本書紀に親しむ」のリーフレットと弔文に改めました手紙をお渡ししました。手紙の末文は
「来年から『日本書紀に親しむ』を始めます 盛会になります様に八百万の神達共に高天原よりご指導下さいませ では又お会いできる日まで お元気でお過ごし下さい」
棺桶には「古事記に親しむ」の素読本がお手元に開かれたままうつぶせに納められておりました。
宮司です。今年はもう7月中旬からお盆時期の様な暑さで、まだ8月前という気がしませんね。でも、どんなに暑くても夏が好きです。
なぜなら、BBQが出来るからー。野外で汗をかきながら吞むビールと焼き物は最高です。
若鷹会は境内で寒中には氷水を浴び身を清め、暑中にはビール・お酒を浴びるほど吞んで五臓六腑を清めます。
子供達も境内で遊んだり虫獲りしたりして自由に遊んでます。
恒例のスイカ割りは盛り上がりますし、昨年からは流しそうめんもあります。
小川頭の人脈で建築関係者が多いので、流しそうめんの設営も樋などの備品もプロが持ち寄って設営してくれますので助かります。
また、毎回差し入れを思い思いの品々をいただき、有り難いです。
牡蠣や鯛、お酒にスイカなど、昨年は魚介類が増えて美味しく戴けました。
毎年充実したBBQになっていくことを嬉しく思います。
お宮で飲もう会も早24回目。つくづく感じるのですが、いろんな人が集まりますと、色々な知恵、技術、人脈などが広がり、毎回新しい発見がありますのでこのイベントを通じて参加される皆さんの人生が少しでも拡がり、有意義な日々になればこんなに嬉しいことはありません。お誘い合わせの上大勢の参加をお待ちいたしております。
宮司です。当社では参集殿を拠点にした鷹乃羽伝統文化継承道場というコンセプトで「古事記に親しむ」を平成24年3月から「古事記選上1300年記念 日本文化再発見講座」として開講いたしました。昼の部、夜の部併せて100名以上の方々が古事記上中下巻を完読されました。平成28年には新川神社遷座400年記念と言うことで再度始めから古事記を読む講座を開始し、80名を越える方々が参加され現在も講義は続いております。
昨年は「古事記に親しむ旅」を開催致しまして26名の参加者の方々と古事記ゆかりの地を訪ねる旅として奈良県の大神神社、橿原神宮、多神社、賣太神社、箸墓古墳を参拝致しました。
「古事記に親しむ」の講座の中で最も多く引用する書物が「日本書紀」でした。折に触れて日本書紀を紐解くときにその多様性とあっけらかんとした逸話の数々。こんなこと、書いていいんかい?的な下ネタあり、グロいネタあり、これが公式日本の正史か、と思うような「突っ込み処満載の面白い書物」であり、しかも今日まで繋がる我が国の「かたち」が著されている書物であり、その魅力に見せられておりました。いつかは全巻完読したいとふつふつと感じておりました。
日本書紀には現代に生きる我々が意外に知らない「我が国の起源」「建国の理念」「建国の経緯」が記されています。国際化社会という言葉が世に出てから久しいにも拘わらず、日本の国の成り立ちの事を知らない日本人が多いこと。国際化社会だから英語を学ぶのは良いことですが、外国人から聞かれるのは日本の建国の由来や皇室、日本の起源や文化などオリジナルに関する事が多いのです。
色々な場で色々な方々と話をする中で、そのように感じる事が多かったので、それをなんとか広めるには微力ながらも古事記・日本書紀を共に素読する事が大事だと思いましたし、私自身も神主の端くれとして一生涯をかけてこの二冊は極めていきたいと思うわけです。
ということで以前から古事記の次は是非皆さんと共に全巻30巻、余すところなく素読する会を立ち上げよう、それは日本書紀撰上1300年に照準を合わせて行おう、という無謀且つ壮大な計画を思い立っておりました。
そして本年。日本書紀撰上された養老4年(720)より1300年を迎える平成32年(2020)に先立ち、満を持して本年企画を立ち上げ、一人でも多くの参加者を募り日本書紀全30巻、ページにして700ページの素読会を開講致します。
実は今年から開講しようと考えていましたが、1月2月は社務多忙と積雪の関係で休講期間が挟まるので開講して3回目で途切れてしまうこと、3月始まりの方が10回連続して講義出来ると言うことと、募集期間を長くしてなるべく最初から読み始める方が途中参加より良いのでプロモ期間を8ヶ月間設けることにしました。なにせ、古事記は3年で最初に戻りますが、日本書紀は予定では4年半かかりますので。
「古事記に親しむ」でも事あるごとに申し上げて居りますが、堅苦しい学術的な考察を行う講座ではありません。声に出して読むこと、素読をする事によって「体験」して戴く事を主眼にしております。全てを理解しなくても良いんです。神様の世界の話は人智を越えた処の話ですから、そのまま受け入れておけば良いんです。素直に受け入れる、そして親しむ。ここから始まる体験が、皆さんの人生を豊かにする出来事の始まりであることを祈りつつ、翌年の開講まで準備を進めて参りたいと思います。
Are You Experienced?(経験したことあるかい?)日本書紀(やまとぶみ)
私の敬愛するJimiHendrixのデビューアルバム名から拝借いたしましたキャッチフレーズですが、何事も経験だと師匠も仰せでございます。
是非お誘い合わせの上、多数のチャレンジャーの参加をお待ちいたしております。