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夏休みの宿題:8月の古事記に親しむ富山中巻下巻完全読破編と鷹乃羽雅楽会のご報告

遅くなりました〜禰宜です。夏休みの宿題、間に合いませんでした、すんません。やることありすぎるんじゃ〜。ですが、わたくしが一番大切にしていて且つ大事な事のご報告ですからあじゃあじゃのやっつけ仕事でアップはしたくないんです、いや、ほんとです。言い分けはこのくらいにしてご報告です。

古事記に親しむ富山中巻下巻完全読破編はいよいよ「国のかたち」が現れる、崇神天皇の御代に入りました。そこまでの綏靖〜開花天皇の御代を舌を噛み噛みながらクリアしました。わたくし、個人的に巷では「欠史八代」といわれる部分ですが、素読すると何故に深いところであります。系譜だけですから素読的にはしんどいところですが、古事記編纂の目的は「系譜」を「後世に正しく伝える」事ですので、歴代の御事績が無いから云々という論は直感的にそうかな〜?と感じます。果たして創作でこんなに緻密な、そして後世に活躍する人々の系譜をつくれるもんなのか?という疑問を逆に感じてしまします、私的には。実際、よくよく系譜を見ていくと越中・富山に縁のある方々、「大彦命」「武内宿禰」「古志の利波臣」などの系譜が出ているところですので、実はふか〜いところだと私は素読することによって感じています。

第十代崇神天皇は、「初国知らししすめらみこと」つまり「初めて国を知ろしめされた天皇」と讃えられた聖徳に満ち満ちた御代であられまして、ここで「伊勢神宮の起源」「大神神社の起源」「国家祭祀の起源」が語られまして、「天つ神、国つ神、やおよろずの神」を祭る「かんながらのみち」の根源が感じられるところですので、一番熱が入ってしまいます。ですがその内実には大きな国難が時代背景としてあったということは、今日にも繋がる事柄として、決して古事記・日本書紀は昔話では無くて現代を生きる我々にとって、祖先がどのようにして国難を乗り越えてきた「ヒント」が示唆されている本であることを実感できます。ですから古事記と併せてこの時代は「日本書紀」も多数引用してお話ししております。

ということで、今日はこのへんで一段落しておきます。では。

8月21日午後7時からの夜の部。

もう二年目ですが、少しずつ新入会員もいらっしゃます。

こちらは8月26日午後1時30分からの昼の部。こちらにも新入会員いらっしゃいます。

途中参加も歓迎いたします。なにせ、全巻読破するとなると、月一回ペースですと足かけ3年かかりますからね。

8月25日、鷹乃羽雅楽会温習です。まだまだ暑い日でした。

今回、魚津神社の高倉政憲さんに来ていただきました。基礎重点コースを担当していただきました。

曲習得コース。真剣な眼差し。

笙部会。小学生でここまで吹けたら上等上等。指がやっと届くくらいなのにね。

夜は昼よりは涼しいとはいえ、笙は電熱器で暖めますので暑いです。扇風機マスト。

10月の奉納演奏に向けて。

8月20日登山安全御守り納品、遷霊祭斎行。

禰宜です。以前から作りたかった「登山安全」御守り、出来ました。納品されまして早速、神様の御魂を御守りにお籠もりいただく「遷霊祭」を奉仕いたしました。新川神社は立山登山安全の神様として崇敬されてきたので、これは作らないと行けないと思いながら、図案意匠に時間がかかってしまいました。なんと同時に二種類のデザインを作りました。甲乙付けがたかったのでこの際調製致しました。実は第三案もあったのですが、とりあえず二種類ということで。両A面二曲同時シングルカット、みたいなもんですかね。

立山連峰と神使である白鷹、ご来光の日輪をいずれも盛り込んであります。「白鷹」は新川神社も雄山神社も神使ですし、無事に山頂まで導いていただけるようにとの思いを込めてあります。勿論、登拜は家に無事に帰還して元服を祝いましたので家に着くまでが登山であることは云うまでもありません。今年は次男が小学6年ということで新庄小学校は立山登山で頂上を目指しますので、間に合って良かったです。とりあえず、わたくしと倅がこの御守りを持って立山登拜をいたしまして「臨床実験」をいたしまして、御利益の効能を体感して参りますので、ご報告をお楽しみに。

白鷹・日輪・立山連峰。最強の組み合わせですな。勿論、新川神社完全独自意匠です。他には同じデザインはありません。だってわたくしがかんがえたがやから。立山に特化したのは、やはり越中男児の心意気ですな。花は桜木、山は立山連峰。

裏面。しっかりと社号と稜線を描きこんであります。初めて立山に登る方への贈り物に如何でしょうか。未来の越中男児、越中なでしこ達に。

 

 

 

8月18日四方神社・栂彦祭にご奉仕して参りました。

怒濤の更新が続きます夏休みの宿題追い込み中の禰宜です。只今、8月31日、夕刻6時過ぎですが、台風の影響か、すごい防風雨です。雷も遠くに鳴っていますので恐る恐る更新中ですが、一度電源切ります。雷落ちたら機械が壊れるよりもデーターが失われる方が損害大きいですからね。(〜暫し執筆中断〜)と、いうことで再開です。

本年も四方神社の権禰宜でもあるわたくし、恒例の栂彦祭にご奉仕して参りました。本年は新しいアルミニウム製の支柱と提灯の全面リニューアルということで、設営作業も時間短縮でき、且つ明るくてしかも今までと違和感が無い、という素晴らしい設備になりました。毎年見に来られた方も「なんか、明るくなったね〜」と気づかれたようです。コーセルの町野会長が四方町ご出身で、多大なるご寄付をいただきましたおかげ様です。本当にありがとうございました。

新しい支柱と真っ新の提灯。

アルミニウム製の支柱。昨年までは竹竿でした。

夜も更けて参りました。

栂彦さんの彰徳碑前。ここで祭典が行われます。すぐ横は四方漁港で、浜風が吹き抜ける良い場所です。

初めての電球配線ですので点灯チェック。全部点きました。

祭典終了後、本殿前にて奉納行事である四方出身のちんどん屋さん「まいどはや」の演奏です。

氏子のみなさん。

月と提灯。夜は更けゆく・・・

8月14日早朝に七夕さま、ご焼納。みなさんの祈りを天までおとどけしました。

禰宜です。なんか、夏休みの宿題の追い込みをやっているみたいに今日三発目のアップです。

倅には偉そうに「夏休みの宿題、まだしとらんのかー」といいながら、自分もそうだったと気づきました、今日。

今年は夏休み、9月1日までですので、おやじも頑張ります。8月の出来事はなんとか今日中にご報告したいと思います。

と、いうことで昨年に引き続き設置いたしました七夕さまを、8月14日早朝にお祓いいたしましてお焚き上げいたしました。本来は河に流してしまうのですが、現代にそれをやると怒られますからね。なぜ8月14日の早朝かと云いますと、わたくしなりに考えまして、やはり意味のある日にお焚き上げしようと思いましてこの日にしました。8月13日はお盆ですが、旧暦では7月7日にあたります。つまり、本来の七夕の日は現在の暦では8月13日だった、ということになります。ですから本来の旧暦に従いまして七夕の日を迎えた早朝に七夕をお焚き上げすればいいかな、と考えたわけです。今日では高岡市戸出の様に新暦の7月7日に七夕をするところ、高岡市の七夕のように旧暦に近い新暦の8月7日に七夕をする二系統が主流のようです。ですが、旧暦の8月にやったほうが、天気が晴れる確率多いと思いますがね。本年は晴れましたのでよかったです。

元々日本では日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や佛教の盂蘭盆会(お盆)などが習合したものと考えられていますので、お盆の一連の行事として有ったようです。笹は精霊(先祖の御魂)が宿る依り代でもあると云われますので、なかなか深いですな、七夕って。本来の祭祀的な意味合いが薄くなっている今日ではありますがこういった行事は大切にしていきたいと思います。

お焚き上げされた火によって天までみなさんのお願い事が届きますようにお祈りいたしましたのでご報告をいたします。御利益があるかどうかは、天の河のお二方に聞いてみて下さい。

 

 

お宮さんを描く写生大会結果発表

禰宜です。連ちゃんでアップです。毎度の事ながら新川神社の写生会参加者、人数は多くないのですが、しっかりしています。参加点数10点の内、入賞9点ですよ、なんと九割。四天王入りや金賞はありませんが入賞率が高いところは素晴らしいです。今回一般の部で昨年に引き続き参加の春日さん、本年から表彰されるということで早速、「審査員特別賞」を受賞されました。一般の参加者は多くは無いのですがこれもやはりだれでも当たるものではなくて、選考された結果です。みなさんおめでとうございました。来年も是非多数のご参加お待ちいたしております。トイレや水場は社務所をご利用いただけます。ご休憩にも使えますのでご利用の際は舩木神主家まで一声かけてください。勿論、無料です。作品は後日、新川神社美術館にも展示いたします。

銀賞 新庄小学校5年 新村奈都美

銀賞 新庄小学校6年 舩木信直

銀賞 新庄小学校 6年 馬場南帆

銅賞 新庄小学校4年 馬場咲帆

銅賞 新庄小学校4年 春日一将

銅賞 新庄小学校5年 細川 更

銅賞 新庄小学校6年 丸本 悠

銅賞 新庄小学校1年 新村千晶

新庄小学校1年 春日咲重

お白石持行事行って参りました。其の弐

奉祝ムード満載の軒下提灯としめ縄。

お久しぶりです、禰宜です。いやぁ〜、もう8月晦日ですよ。ブログ書かんとと思いながらも、夕飯食べるとうっつらうっつらとしてしまいなかなか出来ませんでしたが、今日は早起きできましたので、初秋の虫の音なんぞ聞きながら、キーボードを突っついております。

さて、其の弐です。だんだん、じんわりと思い出深くなってきた感があります「お白石持行事」。参加者の方々からも同じ感想を伺いました。当然のことですが旅の印象は時間の経過と共に、変わっていきます。返ってきたばかりの時の「暑かった」とか「慌ただしかった」など、雑多な印象が薄らいでいって、象徴的な出来事や経験してきた事柄がじんわりと蘇ってきます。写真を見ながらそんなことを思いました。

いざ、出陣の図

お白石の曳き車を引っ張る綱。またいだり、地べたに降ろすことは絶対あっては成らぬ、と説明を受けました。神聖な綱ですから。実は富山県の魚津製綱所御奉納の物だそうです。知らなかったです。さすが富山県人。

朝8時、この日は晴天。我々富山市は一番先頭の場所で1番目の奉曳車を曳いていきます。

綱を曳く我々に「えんやー、えんやー」のかけ声と気合いを入れるのが地元・伊勢の人が務める「木遣り(けやり)」といわれる先達です。これはサービスで持たして戴いた倅です。

子どもを見つけてはお気遣いを戴いて持たせて貰いました。20年後は30代だから次回は世話役やぞ。

ようやく終着地点の宇治橋前に。

印象的だったのが、清浄な白綱を鄭重に巻き納めていく地元神領民の方々のお姿。

このあと、一人ずつお白石を白布にいただきまして新宮の御敷地に奉献します。そのあと、現在の御正殿にて御垣内参拝といいまして、一般の参詣者が入れない内まで進んでお参りさせて戴く「正式参拝」をいたしました。ここから先は撮影を遠慮する場所ですので、ここまで。もちろん、新しい正宮も撮影厳禁です。

最後に奉献団の解散式。お土産の記念品としてお白石の奉曳き車のミニチュアと、御神酒「白鷹」をいただきました。

記念のミニチュア。良く出来ています。

お白石持行事行って参りました。其の一

禰宜です、久しぶりの更新です。とにかく怒濤の日々でした。ようやく落ち着いたのがお盆に入ってからの14日ぐらいからでしょうか。暑いのにくわえて色々と優先されることが有りまして、なかなか落ち着いて更新できなかったです。まぁ、気分に由るところが大きいですけど。ということで無事に行って参りました、神宮へ。富山県神社庁富山支部の募集枠定員180名のところ、結果177名で行って参りました。事故もなく、全員無事に行事に参加できたことが奇跡に思えました。いや、本当ですよ。最近の話によると救急車が出動する日もあるとききますので、8月5日の一番最初の回の我々は比較的気温の上がりきらない時間に行いましたので良かったです。45名乗りのバス4台で参加者の地域ごとの待合ポイントを廻りながら全員、遅刻無しに乗れるかどうかが初日の天王山でしたが、幸い上手く時間通りに出発できた時点で先ずは大きな山場を超したことになります。途中、小学生が一名、軽い熱中症になったものの、次の日には回復しまして行事に参加できたので結果オーライでこれも安心しました。とにかく、参加されました皆さん、暑い日でしかもスケジュールがぎちぎちでしたので不自由な目に遭われたと思いますが、とにかく今回の目的で有る「お白石」を檜の香り立つ「新宮」にお納めすることができましたので本当に良かったです。参加されました方々も喜んで戴けたようでしたので、お世話させて戴きました私も大変嬉しく思いました。どうもお世話されるよりお世話していたほうが気が楽な様です、性格的に。あれこれやることが多かったので乗り物酔いもしませんでした、というか、酔っている場合じゃ無かったのが良かったです。私、エレベーターやブランコでも酔いますから。何分4月から急遽担当に加わりまして、段取りは前任者の神職の方々がされていましたので訳もわからずにこなした感じでしたが上手くいって良かったです。20年後もまた同じバスで会いましょう。

初日、外宮の御垣内参拝と神楽殿にて神楽奉納。写真を撮る余裕は有りませんでした。かろうじて看板。

遠目に見る「せんぐう館」。今回の遷宮を記念して作られました。今回はパス。次回はゆっくり見てみたい。

外宮の後は二見輿玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)にてお祓いを受ける「浜参宮」へ。本来は禊ぎ(みそぎ)をするそうですが、この人数でそんなことをしましたら大変なことになりますので、無垢塩祓いというここ独自のお祓い受けます。あわせてここが今回のお白石持行事のエントリー受付所になっていました。

古来、伊勢神宮に参拝する者は、その前に二見浦で禊を行うのが慣わしであった。それに代わるものとして、二見興玉神社で無垢塩祓いを受けるのです。

これが海草大麻。二見の海で採れた海草を干したもので祓います。普通の神社は榊に白い紙で作った紙垂(しで)を使いますが、二見興玉神社ならではのこだわりの一品ですな。

これがお下がりで戴いた「無垢鹽草」禊ぎのかわりに身につけて明日はご奉仕します。

裏の解説。こういったこだわりの一品を持っている神社が好きです。神主のこだわりといいますか。

気になる中身です。素晴らしい。どう見ても海草そのものです。白い紙で元を括ってあります。細かい業ですな。次回へ続く。

お宮さんを描く写生大会に提出前に御神前へ

本年は10点。一般参加も含みます。全作品、当HPの美術館にて後日公開いたします。

禰宜です。暑いですね。もう梅雨は明けたんですかね、なんかそんな感じの晴天です。さて、本年も暑い中一所懸命描いて戴きました絵を提出するに先立ちまして、恒例により御神前にて神様にご覧戴いてから神社庁に提出しました。本年も少数ですが精鋭なる作品郡ですので期待しております。明日から我々親子は伊勢神宮式年遷宮に先だって行われるお白石持行事に参加して参ります。20年に一度、御正殿を間近に見られる機会ですので、倅達には良い経験になってくれれば良いと思います。

 

 

7月29日第3回古事記に親しむ富山中巻下巻完全読破編昼の部ご報告

禰宜です、かなりご報告が遅くなったのですが、7月29日の月曜日、古事記素読昼の部を開催いたしました。中下巻コースは基本的に昼の部も夜の部も同じ内容で進めていますが、私の気まぐれで若干違う事柄に触れたりもしますが、なるべくもう一方の次回には反映させるように心がけています。毎回、月に一回ですので、前回のおさらいを前半にしてから進めていきます。少しくどいくらいに同じ事を言ってると思いますが、重要な箇所はやはり何度も繰り返して伝えるべきだと、この歳になってわかったような気がします。年寄りが同じ話ばかり何度も言う、という事が「口伝」として伝わっていくんですね。重要なこと、記憶に焼き付いた事はかくして伝えられていくのだなぁと素読会を主催してみてふっと感じました。古事記も日本書紀も歴代天皇の記録である帝紀(ていぎ)、系譜とともに物語である旧事(きゅうじ)と歌が織り込まれています。物語が無いとただの業務日誌でつまんないですからね。やっぱり波瀾万丈の物語、恋物語、歌などのエンタメがないと誰も読まないですよ。読まないと伝わらない。登場人物の人となり、人間像とか、性格、心のひだの部分など、なにかしら動きが感じられるから読み手は自分勝手に想像しながら、自分の心を重ねながら思いを馳せられるのでしょうな。実在したとかしなかったとかは学者に任せて、我々は素直に我々の祖先の物語に心を添えて、登場する我々日本人共通の先祖である神々と気持ちの上で一つになって読めれば最高の読み方だと、佐久間靖之師匠もおっしゃっていました。幸い、この会の参加者の方々は楽しんでいただいているようです。私自身も楽しいですから。学生時代からは考えられんことですわ。

今回もお一人、HPで検索されて初参加されました方がいらっしゃいました。

我が会では正座はきついので足は伸ばしてらーくになって読んで戴いております。

第3回お宮で飲もう会 納涼バーベキュー会、楽しかったです。

禰宜です、いや〜、飲みました、またもや。なぜか「お宮で飲もう会」はハイテンションになるのか、飲んでいるときは全然酔ったような気がしていないのですが、気がついたら既に遅し、ですな。まぁ、楽しんでるからなんでしょうね。いいでしょう、たまには。ということで、「お宮で飲もう会」は、前回まで総代会公認のゲリラ的企画として有志で声を掛けて誘い合ってと云うことで開催していますので、基本的にはどなたでも参加できるのですが、中核的な部分が出来たところで広く展開していきたいと考えています。ですが、今回はHPでの広報と併せて「鷹乃羽雅楽会」にも案内をいたしまして、地元以外でも参加を募りました。結果、次回に繋げるための経験と記録ができましたので良かったです。特に今回、思い切ってHPで募集してみて良かったと感じましたのは、今は新庄外に住んでいらっしゃる産まれも育ちも新庄町の方が、HPを見て、お子さんを連れて参加いただけた事です。今後ともお子さんに親の故郷を実感していただける事業をもっと手広くしていきたいと思いました、本当に。
ですが今から思い返しましても不安定な天気予報を気にしながらの日々、だらだら梅雨の合間の奇跡的な晴れ日でよかった、よかった。スイカ割り、盛り上がりました。多くは語らずとも写真が語ります。買い出し、材料調理、後片付けにいたるまでご協力いただきました参加者皆様と、初参加された素敵なご婦人達のご献身に御礼申し上げます。

改めて、別ページに当日の写真をアップしますので、楽しい様子をご覧戴きたいと思いますので、その時はお知らせいたします。

ひんやり天然氷室。レギュラー(Beer)は入れてあったのですが、ハイオク(日本酒・ワイン)を冷やすために入れるのを忘れてしまいました。すいません、次回から氷室(たらい)は二つ必要。

設営資材は新庄町第一町内会の提供を戴きまして実施できました。感謝するのみです。

夏の定番、スイカ割り。

子どもの部、舩木家所蔵霊剣木刀「龍刀」で見事真っ二つ。お見事。

舩木信明君。確信犯的座頭市。ドリフネタか?父親に向かってくる図。

蜘蛛の巣を散らすように逃げる子ども達。おまえは「どべ」か。

新庄町第三町内会の上井石庭奉納の石机と石椅子の上で一杯。上井さん、ありがとうございました。十分活用します。

木陰にすり抜ける風があるので意外に涼しいんですよ、実は。

焼き場奉行を率先してお勤めいただきました鷹乃羽雅楽会の山口秀夫様、川嶋ご夫妻、ありがとうございました。

焼き場。

酔っ払い集団。

大人の部。桑名君、ざんねん〜、。

小川ひろし君、ざんねん〜。

今回、一番「ざんねん〜」が様になっていた、春日君の図。ざんねんというより、無念。

大人女子の部。

当たり。

まさにど真ん中、剣先の行方は?

お見事。日頃の鬱憤、炸裂。

みんなでいただきま〜すの姿は、まるで飢えた「かぶとむし」。

 

 

たなばた、始めました。

禰宜です、七夕の笹の葉を手水舎前に設けました。昨年から始めました。なかなか夏らしくて良いでしょ。お願い事を書いて吊してください。こよりも置いてありますので結んで下さい。この、こより(白くて細い紙紐)で結ぶところが味噌です。おみくじもそうですが、日本人は「結び」が好きですから。語源は「むすひ」、「産す(むす)」+「霊(ひ)」。何かと何かを結び合わせると、「新しい何かが産まれる」からなんだそうです。たなばたの歌に「ごしきのたんざく〜」とありますが新川神社では7色です。旧暦の7月7日は今の暦で云いますと本年は8月13日に当たります。なんで7月7日にやらずに8月にやるのかって子ども達にに聞かれることもありますが、説明がむつかしいです。やはり旧暦の7月7日である8月にやったほうが夜空が晴れる可能性が高いですし、呉東のほうは昔から旧暦でやってきましたからね。「天の川が晴れた方が織り姫、ひこぼし会えるから良いでしょ」と伝えていますが、はたしてわかっとるかの〜。

手水舎前に短冊とこよりがあります。

案の上で短冊にお願い事を書いてください。

何色にするかは直感で選びましょう。

ひとり一枚、と書いてありますが、子どもたちがやみくもに吊すのを牽制しているだけですので深い意味はありません。ですが、まぁ、お願い事はひとつに絞って置いた方が良いような気がしますもので。

さわやかなかんじの「かぶら」

これも鮮やかなパイナップル。今年は「つるしもの」が多めです。

いちご。七夕の笹の葉は昔は河に流したもんだそうですが、今そんなことすると怒られますので、お祓いしてからお焚き上げをしてみなさんのお願い事は天にお届けいたします。

 

7月24日第3回古事記に親しむ富山中巻下巻完全読破編夜の部ご報告

さて、本日2発目のブログアップです。昨日、古事記読みました。前回1名、今回2名の初参加を得まして大変有り難いことです。古事記にこめられた「やまとごころ」を広めるためにやっていますので、少しずつでも増えていけば良いと思います。場所は狭いですけれども、いざとなれば公民館を借りることになるかもしれませんが、いずれいまの古い社務所を参集殿に建て替えることが出来れば、もっともっと多くの人をお誘いできるんですがね。ということで、今回は素読のページが多くてけっこうきつかったかも知れません。系譜が多いところでしたから。最初に神武天皇御即位の場所の復習と、前回お伝えできなかった日本書紀に見える神武天皇「即位建都の詔」にみる道義国家日本建国の理念、即位建都の詔を原文で紹介しました。口語訳もお渡ししましたが、やはり原文の方が荘厳で重みが感じられます。古事記では「さらっ」としているところですので、日本書紀を見まして日本建国の原点を確認しました。また、綏靖天皇から孝霊天皇まで素読しました。旧事、いわゆる昔物語が無くて帝紀のみの部分で、一見資料的な部分でありますが、古事記編纂の目的としては大事なところです。各氏族の源流が伝えられているところですので。興味ぶかいのは倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)が系譜に出てくること、また富山ゆかりの「高志の利波臣」の系譜が記されているところです。この2カ所だけでも30分は話題に出来ます。「欠史八代」なんぞと昔から云われているようですが、巷の話は話として受け止めて、古事記原文を素読することによって本質的なことは何か、何を古事記は伝えようとしているのか、自分自身で感じていただいて、自分自身の感性で判断する事の方が楽しいですよ。他人から借り物の理屈より、ありのままの原本に親しむ「自らの経験」の方をお薦めします。是非興味のあられる方は経験していただきたいです。

 

 

 

 

7月21日鷹乃羽雅楽会温習ご報告・8月4日は休講です。

禰宜です。朝の5時ですが夏場は早起きが良いですね。落ち着いて書けます。夜明け前の朝に濃いめの珈琲は欠かせません。私はスタバのDarkオンリーです。深煎りの奴のことですね。珈琲は酸っぱいのは苦手なんです。がつん、とくる苦い奴が好みです。エスプレッソも好きですし、スマトラやドラゴンなどクセのある物が好きです。くせ者ですから。この夏は古事記に親しむと山と鷹乃羽雅楽会の専用ページも作りたいので、早寝早起きをして原稿を書きたいと思います。

と、いうことで遅くなりましたが温習のご報告です。

今回は後半の30分だけ合同演奏をいたしました。各管はそれぞれに課題曲を演奏します。笙は音取り、越殿楽を正式に吹きまして、演奏力を高める練習をしました。音取りを各自に吹いていただくと、調律が高かったり、特定の竹が鳴らなかったり、色々気づくことがありまして、今回はリード部分の構造解説をいたしました。私自身、調律は出来ないのですが、どのような構造で音が鳴っているのか、音が鳴る簧が開く事をイメージして息づかいをすることにより、楽器と一体化するイメージで演奏するようにしています。笙吹きは本当は調律が自分で出来て一人前ですので、私自身まだまだ修行が足りませんな。いつか挑戦せねばならない壁です。

篳篥、龍笛もそれぞれ温習いたしましたが、内容は聞き忘れてしまいました。合奏は越殿楽を正式に演奏いたしました。

温習の最後に鷹乃羽雅楽会の「楽道の心得」を改めてご紹介をしました。次回8月4日は休講になりますのでしばらくの間自己練習するに当たり、精神的な「みちしるべ」にしていただきたくお伝えしました。

これは私がたまたま見つけた後白河法皇が梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう)より雅楽を志す人への心得を諭された部分を5箇条に抜粋した物です。私自身、目標としています。

PDFファイル  楽道の心得

今回篳篥のメイン講師は栂野講師。

小学2年で音が出ればたいしたもんやぞ、と第三者は思うのですが、親は厳しい。

龍笛は人数が多いので二手に分かれて細かく練習していきます。

今から考えますと、この公民館ぐらいの広さの建物がなかったら練習の場が間に合いませんでした。

蒸し暑い夜におぼろ月

笙は夏場は辛いです。暑くても笙は暖めなければいけませんからね。

音が鳴る簧(した)、リード部分の解説。

リード部分。シンプルなようにみえて、実は手の込んだ構造となっています。

 

 

舩木家のお蔵出し其の五:十種の神宝伝発見。

禰宜です、久しぶりに梅雨らしい湿度の濃い日になりました。昨日は奉賛会の寄付依頼に地元新庄町の企業を廻りました。何かと厳しい世情ですが、各社お忙しいのにもかかわらずお話しを聞いて戴いて有り難い限りです。神職であります小生の出来ることは、微力ながら新庄に起業されている皆さんの無事故・無災害と弥栄えを新川神社の神前に祈ることのみです。日本の繁栄の礎はこの新庄町から振り起こして戴きたいです。
そこで十種の神宝伝の話です。日本古来伝授の鎮魂作法、そのなかに「魂振り」があります。この「十種の神宝」を手に込めて魂を振り動かす様に魂振りする事によって強い生命力を醸し出す作法です。前回のブログで石上神宮で修行して参りましたのがこの「十種の神宝」の鎮魂作法です。かえって来ました二日後、郷土史の先生に蔵から出てきた古い由緒書きを解読して貰うに当たり、一度出て参りました書類郡を見ていただきに蔵に入って貰いました。その時、書類郡の中から出てきましたのがこの「十種の神宝伝」です。宝暦7年(1757)に伝授していただいた所謂教科書の様な書物のようです。だいたい石上神宮から帰ってきて2日後のこのタイミングでこの書物を見つけるにあたり、私の先祖も一生懸命勉強して伝授して貰っていたんだとおもったら思わず笑わずにはいられませんでした。残しておいていただいて、ありがとうございました、ご先祖様。

内容は口伝的著述で垂加神道系の書物のようです。せっかくご先祖様、見せていただいたのですが、今の私の学識力ではなんとなくしか読み取れませんから、残念〜、神宝の持ち腐れ斬り。ふる。

大和国・石上神宮紀行記

禰宜です、久しぶりの更新です。しばらく大和国(奈良県)の石上神宮にてお籠もりしておりました。ちょうど先月に「古事記に親しむ 中下巻編」にて読んでいました「神武東征」のところで、起死回生の霊剣「ふつのみたま」の御神霊を御祭神とする古社です。物部氏の氏神として古来より物部氏が所管しまして、大和朝廷の「武器庫」として数多くの神宝を伝えてきたと云われますように、神道行法である「鎮魂の儀」を古くから伝承してきたお宮です。新川神社の御祭神「大新川命」は物部氏の先祖神ですので、本宮ということになりますかね。我が家系も物部氏系の様ですので、氏神の本家のお宮にあたります。いずれ皆様には「禊・鎮魂」の神道行法をお伝えできればと思い、修行して参りました。石上神宮へは、京都の石清水八幡宮奉職時におりました時に偶然、初参詣いたしましたのでかれこれ20年以上空いてほんとうにひさしぶりです。ほとんど初めての様な感じですが、どこか懐かしい感じがします。本当に良い意味で「鄙びた・神さびた」ところだからでしょうか。当時は不思議な経緯でお参りしたことを今でも覚えています。社会人になって、いっちょまえに車なんぞ買ったので休みの日に奈良方面へ一人旅に行ったときに、道に迷って天理市にたどり着いて、この際に天理教を観光しようと思って車を走らせていたのですが、ここでもまた道に迷って、どこがどこだかわからなくなったときに、「石上神宮」の看板が目に入ってたどり着いたような記憶があります。そのとき、なんとなく「第六感」が働いてまずはここにお参りすべきだ、と感じたことを今でも覚えています。今から考えますれば、氏神さんが導いて戴けたのかなぁと感謝しています。当時はそこまで氏神として意識していませんでしたからね。本当に私は生来、方向音痴ですから。母親からの遺伝ですな、これは。今でもGPSがあっても間違いますからね。
と、いうことで修行中、富山はすごい猛暑だったと聞きましたが、わたくしは神さびた古宮の境内にて清々しい日々を送っておりました。なんか、修行とはいいながらも癒やされておりました。写真からも感じて戴けると思います。長鳴き鳥のかんさびた鳴き声が印象的な梅雨明けの境内でした。