月別アーカイブ: 2013年9月

第四回お宮で飲もう会開催。

禰宜です、またもや二日酔いです。お宮で飲もう会の次の日は決まってこうなんですが、他の皆さんは元気ですかね。今日は珍しく土曜日なんですが仕事が入っていませんでしたのでこれ幸いと飲んでしまいました。このところ休みが取れていませんでしたので、たまにはねぇ。
今回、金曜日ということで皆さん、仕事の都合で欠席の返事が多かったので少ないかなぁと思いましたが、小川代表の人脈で大勢の方々にお集まりいただけました。今回初参加の方々が多かったので嬉しかったです。酒の肴の注文段階で数読みが読めなかったのでやまかんで15名注文しておいて良かったです。席が満席になりましたので良かったです。会費を戴くので足りないよりは少し多めと思いましたので。
ですが、色々と話をしてみるもんですね、今回も貴重な話が聞けました。以前から当社春祭り御輿渡御の露払い役の猿田毘古神の事を「どべ」と言いましてその語源を聞かれるのですが、いまいち、腑に落ちる回答が見つからずにいたのですが、面白い話を聞きました。黒部の方では猿のボス猿の事を「どべ猿」と呼ぶらしいです。ネットで調べてみますとそれにちなんだ子ども向け劇も実施されたそうで、それ以上の情報は手に入りませんでしたが、なにやら新しい解釈が加わりそうです。もっと色々とお話しもしたかったのですがまた追々ということで。
次回は11月開催予定です。次回も皆さん気軽に知り合いを連れて遊びに来ていただきたいです。今後は何か面白い企画なども話の中から出てきたら良いですね。今現在は新年明けて1月の寒の入りに寒中禊ぎをやろうかと思っています。なにかアイデアがありましたら小さな事からでもやっていきましょう。

新川神社の新庄町は力を合わせたら絶対素晴らしい事が出来ると思います。昔からそういう磁場が働いている町ではないかとこの頃思います。

お城があったり、明治天皇様が御休憩された場所であったり。なによりも新川神社が鎮座する場所ですし。

夕暮れ時の境内。寒くなると日本酒が美味しく飲めます。

皆さんからも差し入れを戴きました、ありがとうございました。残ったお酒はボトルキープしておきます。

いや、本当に15名分たのんでおいて良かったですよ。

9月25日午後7時より第五回古事記に親しむ富山中巻下巻完全読破編夜の部開催。

涼しくなったようですが本日は午前中は特に暑い日となりました。残暑って感じですが、夕暮れ時は秋が深まっていく感じがいたします。
今月も夜の部、実施いたしました。9月9日に実施いたしました昼の部と内容的には同じところを読むのですが、何度読んでもこの辺りは深くなってきます。
特に現代に繋がる地名譚や不思議な話が出てくるところです。ですが、ここが古事記の古事記たる由縁でして天皇が神意を夢でおうかがいになる「夢占(ゆめうら)」ですとか、大物主神の託宣(たくせん)、神主の始祖ともいえる「おおたたねこの命」は新庄城主・三輪飛騨守の祖先であること、大毘古命(おおびこのみこと)が四道将軍として北陸道、古志の国の平定にあたり、富山県内にも色々な伝説が伝わっていることなど我々富山県民にも身近なお話しとして興味深いところです。また、参加者からもご質問がありました「三輪山の神とはいったいどんな神なのでしょうか」ということですが、これも語り出すと止めども無いのですが、ひとついえますことは、べっぴんさんは三輪山に行くときは気を付けることですな。気がついたらイケメンが夜な夜な現れてあ〜して、こ〜しているうちに気がついたらおめでたになりますので。三輪山近くのトイレも気を付けましょう。古事記を読んだ人はおわかりいただけるはず。
 

鷹乃羽雅楽会奉納演奏会のご案内

鷹乃羽雅楽会奉納演奏会チラシ (PDFファイル)

10月19日午後7時〜8時、雅楽の奉納演奏見学は無料です。お賽銭は神様へのお供えですので、是非よろしくお願いします。

禰宜です。さぁて、いよいよ一年間の成果の発表のご案内が出来るようになりました、いゃ〜感無量です。

みなさん、よくぞここまで続けていただけました。顧みしますれば昨年の9月、北日本新聞の取材をお受けしたのが御縁で思いがけずに大勢の方々に興味を持って戴きました。最初は新庄町の近隣で少人数からつまつまと始めてから、県下に募集しようかと思っていましたが、結果としましては広く大勢の方に参加して戴けたので良かったと思います。実際は多くの受講生の方々に対しまして講師が少ないので細々とした指導が出来ていないのが現状です。雅楽は師匠から弟子へ一対一で伝授されてきましたので。ですが、そのようにしていますと何年経っても多くの方々に雅楽に親しんで戴く事が出来ませんので、少しずつ、気長に楽しんで習得して戴ければそれでいいのではないかと思います。もっと、色々と舞楽や神楽など吹いてみたい方は、個別指導の相談を受け付けますのでご相談ください。ですが、平調五曲、これをマスターしてからの方が良いと思います。基礎的な事が出来ていないのに他の事をいろいろやるとすべて中途半端になりかねませんので、唱歌をじっくりと歌い込んで戴きたいと思います。10月19日は晴れると良いですね。満月の日ですし。楽しみです。

 

 

 

お宮を描く写生大会作品展示のご案内

禰宜です、お久しぶりです。ところでみなさん、わたくし、いつも最初に「禰宜です。」と書き出しますが、なんて読むか、ご存じなのか?と、フッと思いました。
「ねぎ」と読みます。鴨が背負ってくる野菜ではありません。買い物の時に(関西系の方は特に)行われる価格交渉行為とも違います。漢字の意味は「禰」は祈りの意味で「宜」は「よろしい」とか「ほどよく叶っている」など肯定を意味する字だそうですので「ねんごろにおいのりする」という意味になるんですかね。これはわたしの解釈ですが。そういえば総代さんからも良く聞かれます。「あんちゃんよ、あんたのとうちゃん(父親)ちゃ、宮司さんと言えば良いがはわかっとんがだけど、あんちゃんはなんちゅう呼べば、いいがけ?」、こてこての富山弁で良く聞かれます。御酒が入っているときはこちらも難しい事をゆうてもなぁと思いますので「いまさら、なんやいわんでも今まで通りあんちゃんでいいっちゃよ」と言ったりもしますが、さすがに45も過ぎたおっさんに「あんちゃん」では、かえって呼ぶ方が抵抗を感じて居られるのかな、と気づいたこの頃ですので、「宮司は会社でいうところの社長で、禰宜(ねぎ)は専務にあたり、神様に祝詞をあげていつも村をお守りいただいて居られる神様を「ねぎらう」のが仕事ですから多分そこからだとおもいます」と答えております。

前置きが長くなりました。大変遅くなりましたがお宮を描く写生大会の参加作品を新川神社美術館にアップしました。来年も多数の参加をお待ちいたしております。
大人の参加も出来ます。本年から評価もされるようになりました。来年は景品つかんかな。

第四回お宮で飲もう会 ご案内

禰宜です。前回のバーベキュー会に続きまして第四回のお宮で飲もう会を開催いたします。今回は部屋飲みですので社務所が会場になります。

新川神社が新庄御鎮座400年を迎えるにあたりまして、次世代を担う若手との繋がりを持つための懇親の場です。若手、といいましても年齢制限は厳密にはありません。

別に御酒が飲めなくても大丈夫です。ソフトドリンクもありますのでご安心ください。

新庄町第一から第四町内会、新庄銀座三丁目、新庄東部、新園町、上庄町、新庄銀座が新川神社の氏子町内ですが、以前新庄に住んでいた方や、新庄小学校、新庄中学校に通っていた新庄出身者や新川神社に思い出がある人、新川神社が好きな人ならどなたでも結構です。新川神社をより良くしていくために色々なお話しが出来れば良いと思います。そういう会ですのでお気軽にどうぞ。逆に神道や神社の事を聞いてみたい方も歓迎します。今までの参加者の方はお一人、誰かを連れてきてください、よろしくお願いいたします。

新川神社の古事記に親しむ富山の参加者、鷹乃羽雅楽会の会員もどうぞ。

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第四回お宮で飲もう会 ご案内

新川神社の鎮座する新庄町在住の若衆と神主が一緒にお宮で一杯飲みながら、色々な話をして和みませんか。知人お誘い合わせのうえ、お気軽にどうぞ。

日 時 平成二十五年九月二十七日 金曜日 午後七時

場 所 社務所(新川神社鳥居左側奥に進んだ車庫の隣の小屋)

会 費 千円(ビール・日本酒・オードブル代)

好きな物、飲みたいものや食べたいもの、家にあった物、残り物等なんでも持ち込んでください。ご家族ご同伴もオッケーです。

お宮で飲もう会 代表 小川博司

新川神社 禰宜 舩木信孝

申込は9月25日までに新川神社社務所 電話076-441-8186 神主 舩木信孝まで

楽しかった夏の日の思い出。

9月11日収穫の秋、稲刈り。

収穫の秋です。神社の裏の田んぼにも黄金色の稲穂がたわわに実りました。人としてもこうありたいものです。

稲刈りの作業を感慨深く拝見しました。

雉の雌発見。境内周辺に生息しています。

なんか、この間の雷鳥を思い出しました。何となくにているかも。

9月9日古事記に親しむ富山中巻下巻完全読破編:第五回昼の部開催。次回は10月21日に変更となりました。

いつものメンバーに加えて今回も1名新入会員がいらっしゃいました。

みなさん、本当に熱心です。お忙しい中を遠方よりおいでになられますのでつい、力が入ってしまいます。

禰宜です。昼の部の日取りは月末の月曜日に選んでいるのですが、9月は連休続きなのと、秋祭りの関係で月初めになってしまいました。

前回から続いて崇神天皇の御代の素読をいたしました。前回までは綏靖朝から系譜のみのところでしたがいよいよ今回は物語りが語られます。古事記では「神語り」という言葉も出てきますので、「ものがたり」というより「かむがたり」というべきなのでしょうか。しかも、今回は「物の怪(もののけ)」ならぬ「神の気(かみのけ)」がおこるはなしでしすし。今回は「あらぶるかみ」を如何に鎮めて平和な国作りをされたか、という建国のあとの国固め、と申しましょうか、今日まで続く「日本の国の形」が形成された御代でありますので、興味深く読んでいただけた事と思います。こういうことを現代文の歴史書で読むよりも、古事記原文の「やまとことば」で素読しますと、何とも言えずに其の当時の情景といいますか、短い言葉なんですがいろいろと其の時代に思いを馳せることが出来ます。ですから素読、というのは知識として先祖の事績を学びながらも祖先と心が繋がるような気がするのは私だけでしょうか。現代文だけだと「知識」としてしか残らないような気がします。伊勢の神宮や大神神社の祭祀奉斎の起源譚、全国の神祭りを定められた事、四道将軍を派遣して全国を平定されたこと、税制の導入と公共事業による国づくりの安定化を実施されましたことは「はつくにしらしし(初めて国を治めた)すめらみこと」の尊称にふさわしい御事績です。私が京都修業時代に良く買い物や飲みに行った「くずは」の地名の由来など、さりげなく今日まで続いていることが語られますので本当に身近な事として感じられますから古事記は面白いですね。

表題にもありますように、次回は本来10月28日月曜日でしたが、都合により21日月曜日、午後1時30分いつもの時間でお待ちいたします。よろしくお願いいたします。

9月8日鷹乃羽雅楽会温習ご報告

禰宜です。スケジュールの関係で8月25日、9月1日、9月8日と毎週三連ちゃんで温習を
してまいりました。やはり毎週練習すると、間が空いていないので皆さん上達が目に見えます。私は笙担当ですので笙のことで言いますと、平調の音取りを初心者がリハなしでぶっつけ本番で吹くというのはかなりプレッシャーで普段は吹けても本番で吹けなくなることもあるんですが、毎週練習を続けたのでさらっと吹けたときはびっくりしました。しかも小学生が。

次回は10月6日になりますのでかなり間が空いてしまいますが、音取り、越殿楽、五常楽に加えて「陪臚」を個人練習してきてください。

10月19日はいよいよ新川神社の秋祭りにて奉納演奏です。詳細の事務連絡をいたしましたので、ご欠席された会員は下記PDFファイルの要項をチェックして置いてください。

10月19日新川神社秋祭り奉納演奏について

今回、後半1時間は久しぶりに三管で合奏練習です。一人ずつ音取りを合わせる練習をいたしました。

龍笛部会が一番の大所帯ですが、ひとりづつ吹いて戴きました。それぞれに音色が違うところが「いとをかし」ですな。

音取りはひちりきが聞かせ処です。これが決まれば「つかみはオッケー」ですからね。

二番手、三番手と続けていきます。

いよいよ合奏です。

音頭(おんどう)と呼ばれる主管が音取りと曲のイントロを吹きます。これだけの人数ですのでかなりの音圧を感じます。

篳篥部会も人数が揃いました。

がんばれ、音が出るだけでもたいしたもんじゃ。

越殿楽・五常楽急を正式に吹きました。かなりしんどいと思います。

次回は10月6日、かなり間が空いてしまいますが、いよいよ10月19日は奉納演奏ですのでがんばりましょう。

立山登山にお供してまいりました。其の四

禰宜です、ついに最終回です。最後は弥陀ヶ原散策です。

天空ロードと名付けられた看板。其の意味は標高が高いところから下界を見下ろせるところから来ているからかな?と思いました。多分それもあるとはおもいますが実は・・・

「ひと踏み100年」といわれる高原植物を保護するために散策道が天空の道のように浮き橋の様になっているからだと思いました。ずぅ〜っと続いていますので、この施工作業は大変だったと思いますが、湿地帯ですので安全に且つ環境もなるべく壊すこと無く散策できるようになっているわけですな。

綺麗な花。名前は知りませんが、良いんです、弥陀ヶ原の綺麗な白い花で。額紫陽花ににているかも。

これも綺麗な緑の花。下界には見られない植物満載です。

五葉松。5本葉っぱがあるから五葉松だそうです、知らなかったです。御用松だと勘違いしていました。盆栽にされて公式な場所でステージの横に置かれる松だから「御用」につかう「松」だと、勝手に解釈しておりました。

これのほうが葉っぱ5本あるの、わかりやすいかも。

立山曼荼羅にも描かれている餓鬼田。生前に贅沢をしていたものが落ちるとされる地獄のことで、生前に悪行をして贅沢をしていた者が落ちる地獄で、常に満たされない空腹と喉の渇きに苦しめられる地獄だそうです。昼間はのどかな湿原の池のようにしかみえませんが、夜に見るとそのように見えるかも知れません。

田んぼのように細い稲のような草が生えています。

早苗を植えたところ〜みたいな感じ。

餓鬼田の縁の食虫植物、モウセンゴケを教えて貰いました。

赤土が火山層でその上がそれ以降の層ということで如何に土壌が少ないかがわかります。正にひと踏み100年ですな。

花の終わったちんぐるま。稚児の玩具の風車が名前の由来だそうです。

ということで、散策は終わり、地上の現世へ帰ります。同伴した父兄の方々、みな下界の山積する仕事や現実に戻ることに憂鬱な気分に。

今回の戦利品、富山県立山自然保護センターの雷鳥を見た人しか貰えないステッカー。観察した場所を報告すると貰えます。勿論、全員貰えました。

頂上にあがってお参りした証拠の赤旗。

裏面には昔の神主でないと書けないような文章が書いてあります。

と、いうわけで四回に分けてご紹介して参りました立山登山ですが、今回できたてのほやほやの新川神社完全オリジナル意匠の登山安全御守り、この御利益を私、禰宜と倅の信直とが身に付けて立山に登りましたところ、つつがなく素晴らしい日々となりましたので臨床実験成功、御利益満点、自信を持って皆様にお薦めできる御守りと確信しました。尚、当然の事ですが、この御守りを持ったから晴天になったり、雷鳥が見れたりするわけではございませんので、あしからず。「おまもりもっていったんに、天気悪かったぞー」とか「雷鳥、みられんかったぞー」といわんでくださいね。登山安全御守りは是非、手にとってお日様の光に当ててご覧戴きたい一品です。新川神社と雄山神社共通の神使、白鷹が光輝くように織り込まれています。良く目無いとわかりませんが、ここが織りであるからこそ表現できる妙ですな、いわゆるアナログ版3Dホログラフみたいなもんですかね。

天候にも恵まれましてこの御守りのデザインのように立山連峰が見渡せました。実物はもっと綺麗なのですが、写真だとどうしても質感までは表現できて無いのが残念です。銀嶺といいますか、ラメっぽい錦も織り込まれています。

これも写真では全然、表現できてません。本物は光によってもっと色彩がキラキラしてます。ざんねん〜。

と、いうことで今回も、素晴らしい立山登山となりました。子どもたちにとっては天候が良いに超したことはありませんが、快晴の立山、嵐吹く厳しい立山の両方経験した方が良いかもしれません。何よりも山の天気は変わりやすい、ということを体験する事の方が重要です。だからいろんな準備が必要なんだということです。また、近年は立山登山をしても、頂上でお祓いは個人の自由で、お参りはせずに社務所前で休憩して帰ってしまう学校が少なからずあるそうです。立山はただ気軽に3,000メートル級の登山を楽しむための山では無いと私は思います。越中富山の祖先が心の拠り所とした清らかな場であり、魂を磨く行場であり、自然水源の宝庫であり、山の姿を見て立山のように何事にも動じない、雄々しき心を持てと教えられてきた信仰の霊山です。さえない日々でも青空にそびえる山の姿を見て、「あ〜綺麗な山見れた、今日はなんか、得した〜、まぁ、いっか〜どうでも。」と、たわいも無く喜べたりします。観光資源としてのPRやなんとか遺産とかもいわれていますが、私は鄙びた立山が一番好きです。「鄙びた魅力」を観光資源として護って戴きたいなぁとおもいます。毎回、登山にはリスクと管理責任などなにかと複雑な世情の中、立山登拜を慣行されます新庄小学校の校長先生を始めとする先生方のご苦労に敬意を申し上げます。校長先生が同行されていますので素晴らしいですね。新川神社は立山登山安全の神様ですから今後も新庄小学校の立山登山を見守って戴きたいです。

 

 

 

 

 

 

 

立山登山にお供してまいりました。其の参

さて、続きの報告です。雷鳥をじっくりと観察してからみどりが池〜室堂閻魔台〜みくりが池〜立山自然保護センター見学して室堂散策を終えました。バスに乗り弥陀ヶ原にて昼食の後、立山カルデラを展望できるポイントまで歩いて行き、幸いにもその山肌を見ることが出来ました。その後弥陀ヶ原高原を散策して帰路に就きました。

みどりが池。天気が良ければ水面に立山三山が映るんですが・・・

まだ雪が残っています。

血の池。立山地獄のひとつで、悪いことをしたら地獄の鬼にこの池の血を飲み干すようにえんえんと責められる、という話です。昔の人は想像力が豊でしたね。

地獄谷を見下ろす閻魔台。私の印象では昔より地獄谷の煙がもうもうとしている感じがしましたのでナチュラリストの人に聞きますとやはり東北の震災前後から活発になって来て、場所も従来の場所より移動している様子を聞きました。直接繋がっているとは言えないにしてもやはり地球も生命体だと云うことですな。

お約束の場所での撮影。雲が無ければなお良かったんだけどね。

室堂山荘にて荷物を背負って出発。次は立山自然保護センターへ

室堂山荘の方とまたね〜。

昼食を立山荘の前で。

カルデラ展望台までは細い山道が続きますが、室堂とは明らかに違う植物の植生に触れながら子ども達は自然を学んでいきます。私の方が勉強になりました。歩いてなんぼですな、やはり。

カナダの国旗のようなかえでのような葉っぱ。紅葉のプロペラ種が付いてますね。親戚でしょうか。なんんという樹かわかりませんが。

遂に到着、立山カルデラ展望台。雲の切れ間から山肌が見えます。

痛々しいようですが、緑が傷跡を塞いでいくかのようにも見えました。

麓では工事車両用の道路が造成中でした。父兄の林さんが仕事で担当しておられましたので解説を聞けました。ということで次回は弥陀ヶ原です。つづく。

 

 

 

 

 

 

立山登山にお供してまいりました。其の弐

禰宜です、続きです。二日目は室堂散策と弥陀ヶ原高原の散策です。実はわたくし、昔に三年間ほど立山山頂に通いながらも頂上と自宅の往復でしたのでなんと、初体験でした。2年前の長男の時は二日目大雨でしたから。登山道が通行禁止になるくらいの大雨で、その日のうちに下山できるかどうかかかっていましたから。密かにわくわくしながらお供です。

室堂山荘前で記念撮影。

二日目は曇り空の合間に青空ってかんじでしょうか。

大事なミッションは終了していますので、我々も気を張らずに山を満喫できました。

先ずは日本最古の山小屋、室堂小屋。中は展示施設に改装されていました。

昔はこの中で大在の方々が重なるように雑魚寝をしたそうですが、大昔から避難できる場所が標高2,500mにあるということがすごいかもしれません。

中には石像も展示してありまして、霊山である立山は信仰の山であることを伝えています。我々の先祖は人知を越えた存在やはたらきを「カミ」と呼び、昔は山に登ることを禁じてきましたが、後世には立山の大自然の中に、潜在的なる浄土と地獄を見て、人々に慈悲の心を教え諭すために立山信仰を広めたのでしょう。頂上のパノラマは空を飛んでいるような浄土を感じますし、地獄谷はまさに地獄のようですから。

室堂平の散策。初めてゆっくり歩きます。いつもは一目散に頂上か駅でしたので。

雷鳥発見!雄の雛のようです。

最近、新しいデジカメに買い換えたばかりでしたので、30倍望遠が威力発揮。ぶれやすいので、撮影がむつかしいのですが、一昔前では考えられんスペックですな。

落ち着いた足取りでマイペース。子ども達合わせて70名が見ているんですが動じません。なんたって氷河期からの生き残りですからね、多少のことでは驚きません。もう慣れているみたいですし。「またあいつらか。まぁ、あいつらは根性なしやさかい、なにもしよらへんからほっとけばいいねん」という素振り。関西弁かどうかはしりませんが。足にも羽毛が生えていますね。小学生がナチュラリストの方に、「足に認識用のリングが付いていないのはなぜ?」の質問に「まだ雛だからチェックされていない雷鳥だからでしょう」ということでした。まだ人間に捕まった経験が無い鳥ということですな。捕まって認識リング付けられた後は「人嫌い」になるんかなぁ。

羽毛の感じも綺麗に撮れました。なかなか男前の雷鳥ですね。続きは其の三へ。

 

 

 

 

立山登山にお供してまいりました。其の一

禰宜です。夏休みの宿題、遅くなりましたが提出します。去る8月27日〜28日の一泊二日で富山市立新庄小学校6年生の立山登山に父兄として助勢すべくお供してまいりました。次男の信直(のぶなお)の父兄としてですが、すでに親離れしつつあるのでほとんど他人のようにしておりました。おもしろいもので兄弟でも性格が面白いように違いまして、写真を撮るときに、呼びもしないのにフレームに入ろうとするのが長男・信明、レンズを向けるとフレームから逃げようとするのが次男信直ですので、今回の立山登山でも母親が写真を撮ってきてくれ、というので雷鳥を撮るようなつもりで本人に気づかれないように望遠で撮影せざるを得なかったです。

なんでいやなん?と聞くと本人曰く、「魂を取られるから」だと。親子じゃと思いました。

ということで、写真にて報告です。良い天気に恵まれまして、何人かは高山病のためアタックを断念しましたが、登頂を志した生徒全員、初登頂を成し遂げました。富山弁では、立山山頂の雄山神社に詣でて、お下がりでもらえる「赤旗」を持ち帰るとこれで「いっちょまえ(一人前)」の大人としてお祝いを受けることが出来る、成人通過儀礼でありました。今日でもその伝統と精神性を継承する行事として、新庄小学校は頂上への登頂を目指すことは大変重要な意義があります。

朝日が昇る立山連峰、快晴。

美女平で小休憩。伝説がある美女杉の前で。

立山三山がくっきりと。これからあの山頂を目指して行くところ。室堂より撮影。

まずは大きな荷物を室堂山荘に預けてから登頂します。3年前に分校して3クラスになったので室堂山荘に宿泊できるようになりました。分校の利点は親としてけっこう実感できることが多々ありますがそのひとつであります。

一の越を遙か見下ろすところ。天気が良いと遙かに歩いてきた道が見えて、ここまできたんや〜と思います。子ども達はしんどいのでひたすら下を向いて足下しかみていないので、「しんどくなったら、たまには周りを見てみい。山の霊気を貰いながら歩いたらすこしは気が晴れるぞ」と教えるも「しんどいもんはしんどいんじゃ〜」という感じでした。

三の越あたりから室堂周辺を見下ろして。だんだん雲があがってきました。

ついに頂上、雄山神社、峯本社へ。標高3,003m。わたくし、独身時代、平成8年から3年間ほど山頂でお祓いをご奉仕しておりました。

ついに3,003m、雄山頂上へ。若くて男前の神主さんがお祓いと祝詞を奏上して皆の健康と登山の安全を祈って貰いました。

祝詞は防水加工がされていました。私が奉仕していた頃は厚紙でしたのでぼろぼろに成りやすかったのですが、進化してますな。なかなか良い祝詞ですよ。なつかしい。

神様にお参り。

お決まりの、ばんざい。よかったよかった。

下山は曇って寒くなり震えながらも無事に室堂山荘に到着できました。ですがこの夜、体調を崩す児童も居たのですが、子ども達には良い経験だったと思います。先ずは山の天候は変わりやすいこと、風の強さ、寒さなど一変して環境が変わることを身をもって体感できたと思います。高山病も登山しなければわかりませんからね。とりあえず1日目の報告は終わりです。二日目は其の弐へ続きます。

 

夏休みの宿題:8月の古事記に親しむ富山中巻下巻完全読破編と鷹乃羽雅楽会のご報告

遅くなりました〜禰宜です。夏休みの宿題、間に合いませんでした、すんません。やることありすぎるんじゃ〜。ですが、わたくしが一番大切にしていて且つ大事な事のご報告ですからあじゃあじゃのやっつけ仕事でアップはしたくないんです、いや、ほんとです。言い分けはこのくらいにしてご報告です。

古事記に親しむ富山中巻下巻完全読破編はいよいよ「国のかたち」が現れる、崇神天皇の御代に入りました。そこまでの綏靖〜開花天皇の御代を舌を噛み噛みながらクリアしました。わたくし、個人的に巷では「欠史八代」といわれる部分ですが、素読すると何故に深いところであります。系譜だけですから素読的にはしんどいところですが、古事記編纂の目的は「系譜」を「後世に正しく伝える」事ですので、歴代の御事績が無いから云々という論は直感的にそうかな〜?と感じます。果たして創作でこんなに緻密な、そして後世に活躍する人々の系譜をつくれるもんなのか?という疑問を逆に感じてしまします、私的には。実際、よくよく系譜を見ていくと越中・富山に縁のある方々、「大彦命」「武内宿禰」「古志の利波臣」などの系譜が出ているところですので、実はふか〜いところだと私は素読することによって感じています。

第十代崇神天皇は、「初国知らししすめらみこと」つまり「初めて国を知ろしめされた天皇」と讃えられた聖徳に満ち満ちた御代であられまして、ここで「伊勢神宮の起源」「大神神社の起源」「国家祭祀の起源」が語られまして、「天つ神、国つ神、やおよろずの神」を祭る「かんながらのみち」の根源が感じられるところですので、一番熱が入ってしまいます。ですがその内実には大きな国難が時代背景としてあったということは、今日にも繋がる事柄として、決して古事記・日本書紀は昔話では無くて現代を生きる我々にとって、祖先がどのようにして国難を乗り越えてきた「ヒント」が示唆されている本であることを実感できます。ですから古事記と併せてこの時代は「日本書紀」も多数引用してお話ししております。

ということで、今日はこのへんで一段落しておきます。では。

8月21日午後7時からの夜の部。

もう二年目ですが、少しずつ新入会員もいらっしゃます。

こちらは8月26日午後1時30分からの昼の部。こちらにも新入会員いらっしゃいます。

途中参加も歓迎いたします。なにせ、全巻読破するとなると、月一回ペースですと足かけ3年かかりますからね。

8月25日、鷹乃羽雅楽会温習です。まだまだ暑い日でした。

今回、魚津神社の高倉政憲さんに来ていただきました。基礎重点コースを担当していただきました。

曲習得コース。真剣な眼差し。

笙部会。小学生でここまで吹けたら上等上等。指がやっと届くくらいなのにね。

夜は昼よりは涼しいとはいえ、笙は電熱器で暖めますので暑いです。扇風機マスト。

10月の奉納演奏に向けて。

8月20日登山安全御守り納品、遷霊祭斎行。

禰宜です。以前から作りたかった「登山安全」御守り、出来ました。納品されまして早速、神様の御魂を御守りにお籠もりいただく「遷霊祭」を奉仕いたしました。新川神社は立山登山安全の神様として崇敬されてきたので、これは作らないと行けないと思いながら、図案意匠に時間がかかってしまいました。なんと同時に二種類のデザインを作りました。甲乙付けがたかったのでこの際調製致しました。実は第三案もあったのですが、とりあえず二種類ということで。両A面二曲同時シングルカット、みたいなもんですかね。

立山連峰と神使である白鷹、ご来光の日輪をいずれも盛り込んであります。「白鷹」は新川神社も雄山神社も神使ですし、無事に山頂まで導いていただけるようにとの思いを込めてあります。勿論、登拜は家に無事に帰還して元服を祝いましたので家に着くまでが登山であることは云うまでもありません。今年は次男が小学6年ということで新庄小学校は立山登山で頂上を目指しますので、間に合って良かったです。とりあえず、わたくしと倅がこの御守りを持って立山登拜をいたしまして「臨床実験」をいたしまして、御利益の効能を体感して参りますので、ご報告をお楽しみに。

白鷹・日輪・立山連峰。最強の組み合わせですな。勿論、新川神社完全独自意匠です。他には同じデザインはありません。だってわたくしがかんがえたがやから。立山に特化したのは、やはり越中男児の心意気ですな。花は桜木、山は立山連峰。

裏面。しっかりと社号と稜線を描きこんであります。初めて立山に登る方への贈り物に如何でしょうか。未来の越中男児、越中なでしこ達に。