月別アーカイブ: 2014年10月

イセヒカリ納品!と10月22日古事記に親しむ富山中下巻夜の部

元気一杯の禰宜です。何故か?イセヒカリ、納品です!すごーい。数日前、祭りを終えて外から帰ってきたら玄関に米俵と米袋。

米俵と米袋には札付きで「イセヒカリ」の文字。やったー!ってもんですよ。見て下さいよ、この米俵。嬉しくて感動しました。

普通に米袋でくると思っていましたからね。イセヒカリの種籾を早苗にしていただいた稲垣幸三さんの奉納です。すばらしい。

人に見せびらかしたいので、そのまま玄関に置いてあります。来る人は「あれっ、すごいねこれ。」とコメントしてくれます。

そうです、すごいんですよ。まるで親ばか。もちろん、11月26日の新嘗祭にはこのまま御神前に奉納です。

今も置かれていたそのままの配置。実は重くて持つ勇気が無かったりして。腰をいわすとなんなんで。特に今の時期は。

と、いうことで昨日は古事記に親しむ富山中巻下巻完全読破編の夜の部。

新入参加者が3名いらっしゃいましたので総勢12名になりまして、社務所は満員状態です。

もっと詰めれば詰めることもできますが、快適な間はやはり15名が良いところでしょうか。

今回も面白いところでした。「天之日矛の渡来」「秋山の神と春山の神」の部分ですが双方とも多分にエッチなところです。やまとことばでは「ももいろ」ですかね?ようわからんけど。実は古事記という日本最古の書物はストレートなエッチ表現が多い本です。神典ではあるんですが、実はそんなに堅苦しい本では無いのです、内容は。むつかしく考える人が戦後多いだけですかね、いうなれば。むっつり系やねばねば系じゃ無いので読んでいても潔いです。古事記に親しむの参加者は女性が多いので解説するときにはなかなかはばかられる部分ですが、古代日本人はやはり「子孫繁栄」が重要な「国づくり」のファクターだったということですよ。ですからエッチで良いんですよ。草食系?という言葉のありますが、何事も極端はいかんです。むっつりはだめ。今の中学生はどうなんですかね?そういえばわしらの頃はまだ「スカートめくり」があった時代ですから。私は紳士でしたからそんなことはしませんでしたが、同級生はふざけの延長でしていて、スカートめくられた女の子は女の子で負けていなくて、追いかけてそいつを叩いて終わり、みたいな。なぜかその男はにくめない奴でしたので女子にもてていましたね。それとなぜか女子同士であざれでスカートめくりをしていたような記憶が蘇ってきました。わしらは通りすがりで現場を見て「ラッキー!」みたいな。見られた女子も、開き直って、笑いながら「今、見たな〜」みたいな。それ以上はなんもなかったですよ。盗撮とかなんとかとかはいかんですな。古事記にあらわれる古代の男は堂々と姫に求婚したり、「エッチさせて!」っていってますからね。このあたりは古事記を読んだ人だけはわかってくれます。なんのこっちゃ。

 

 

10月19日秋祭・鷹乃羽雅楽会御神前奉納演奏

お疲れモードの禰宜さんです。でも元気ですよ。なんか、達成感がありすぎて心地よい疲れですので気分は良いんですよ。
これは幸せな事ですね。色々とご協力を戴いて、感謝感激の日々であります。
さて、1年ぶりの鷹乃羽雅楽会の奉納演奏会です。雅楽会結成当初の目標である「平調五曲の習得」の集大成の日です。
ですが、卒業式ではありません。逆に新たなる始まりの日であるといえるでしょう。
参加者多数の元、また昨年の演奏を噂で聞いてこの演奏を楽しみに見に来られた参詣者もいらっしゃいましたので、
この御神前奉納演奏も意義のあるものと成りつつある事はありがたいことです。
もしかしたらお参りの人の邪魔になっているんではないかとも、ちらっと心配したりしています、神主としましては。
ですが、年に一度の秋祭りは御神輿やどべが出ませんので、神賑わいとして雅楽演奏で夜宮を演出できれば良いのでは無いかと思います。

今年は日曜日とあって大勢参列戴きました。

宮総代、町内会長は氏子のみなさんを代表して地域の安泰を神にお祈り戴くのが職責であり、古来よりその町を代表する顔役にお勤め戴きます。御神前で地域の安泰を祈る人の心が一つになるから地域が発展するわけで、これが国づくりの基本としてきたのが我々のご先祖様です。

お祓いである修祓。元服を過ぎた長男には所役を与えています。無免許ですけれど、修行期間ということで。変にわけがわからない頃に無理矢理教えると変なクセがついて、かえって苦労しますのであまり青田刈りのように何でもさせるような事はしたくないです。私がそうでしたから。少しずつ、やわやわと。

左半分がうちで、右半分が分家です。

きときとの鯛。神饌は新鮮さが命。

うちの長男と分家の娘。お祭りを終えた後に、長男がなにげに遊んであげていたので微笑ましいワンショット。家に若い女の子いませんからね、珍しいというか。不思議な存在です、姪は。私も娘いませんから。どう扱って良いか、ようわからん。

さて、午後7時から8時までの1時間は本殿で鷹乃羽雅楽会のショウタイムです。実はリピーターもいたりして驚きです。しかも、なんと昨年見ていたリピーターのお一人は実は今年一緒に演奏していたりします。この際、飛び入り歓迎にしましょうか。道場破りがくるくらいに成長したいもんですな。今はまだ破るほどの物が無いので受付できませんが。

龍笛女子。黒服が素敵ですね。

篳篥部隊。一生懸命、が伝わります。

この構図、本当に好きで、良いですね。これが装束だと圧巻ですが、どなたか寄付してくれませんか?20名分。

龍笛部会男子。がっつりした音が聞こえてきそうですね。

吹く姿が様になっていますね。

1時間で2曲では間が持たないので、禰宜さんが下手な解説を加えますが、雅楽の曲は正式に吹くと一曲あたり10分かかりますので、演奏としゃべりが半々くらいです。篳篥とかの吹き物は息を使いますので休憩時間が必要ですのでこのくらいが良いんですよ。多分、皆さん上達されると私はしゃべる幕は無くなると思います、というかそうあるべきですな。

なぜかしゃべりながら急に思い立ちまして、雅楽習得に欠かせない唱歌を三管それぞれ越殿楽の1行目だけ紹介したいと思い立ちまして、私が歌った後、無茶振りで龍笛の赤田さんにマイクバトン。さすが、良い声で決めてくれました。そういえば赤田さんには昨年も無茶振りしたような記憶が・・・。

篳篥は北島さんにいきなり、振る。ですけれど、上手に受け入れていただけました。いつか、唱歌と楽器のコラボ演奏も良いかも。

ということで最後は雅楽の大ヒットナンバー、「越殿楽」で締めました。お疲れ様でした。良い演奏でした。

 

怒濤の三連休、収穫の秋を終えて其の参 田んぼ学校 稲刈り編

禰宜です。ついに一週間が経過してしまいましたが、田んぼ学校の第三弾のご報告です。

時が過ぎるのは早いですが、こうやってブログをあげるために振り返る時間も大切なたのしみです。

田植えの時は早乙女で、稲刈りは「刈り女」というらしいですが、なんか響きがいまいちですな。

田男は田男です。

お祓い。なんか、お辞儀する姿も清楚な感じで良いですね。

献饌。伝供といいましてお運びします。バケツリレーの要領ですが、大きく違うのは作法があり、お辞儀、出す手足なども順番があります。

五月は早苗だった「イセヒカリ」。遂に「稲穂」となり御神前に供えられます。やったー。奉耕者や沢山の方々の力で初めての神饌田で育った稲穂。なにか大事な事を成し遂げた、という充実感を感じました。

鷹乃羽雅楽会。田植えに引き続き、祭典楽も奉仕いただきました。

今回初めて奉仕いただく面々。順番に現場での経験を積んでいっていただきたいと思います。

玉串拝礼。

ケーブルテレビ富山の取材がありましたので18日以降、「ご近所チャンネル見んまいけ」をチェックして下さい。何度もリフレインされます。

奉耕者、吉田榮一さん。何から何まで御苦労をおかけいたしました。

集合写真。これで一安心。

脱穀体験を富山県神社庁の神職さんの指導のもと、実施しました。先ずは千歯漕ぎで稲扱き。

千歯漕ぎはビンテージ物です。吉田家が用意してくれました。

田植えに引き続き、お米に関するクイズ大会。なかなか勉強になります。

田んぼの「かんさつにっき」を書いて提出いただいた子供にはご褒美を。

結局、全部刈り取れなかった田んぼ。後は奉耕者の吉田家が全部刈って戴きました。申し訳なかったです。

はさかけ。久しぶりに見た風景です。

本当に手間がかかる作業ですが、これが日本の国づくりの源になったんだということが実感できました。

 

参加児童が報告してくれた「たんぼにっき」

一生懸命、絵を描いてくれた子や、

写真を付けてくれた子もいたり。

一生懸命描いてくれたみなさん。神様は多分、みなさんがそれぞれに一生懸命お米を昔ながらに作ってくれる姿を見るのが一番うれしかったのではないかと私は思いました。

怒濤の三連休、収穫の秋を終えて其の貳 田んぼ学校 稲刈り編

さて続きです。みこし担ぎを無事に終えて、中日は出張出前の結婚式。無事に終えることが出来たそのあとの心配事は次の日の天気でした。数日前から天気予報は台風ですよ、台風。しかも今年最大級で連休中に列島横断だと何度もテレビが繰り返し繰り返し報道するのでだんだん「何度も言われんでもわかっとるわい」と、苛ついてしまう気持ちを収めて、あとは運を天に任せて晴れるのを前提に、雨天の対応も想定しながら粛々と準備を進めました。結果はやはり、新川神社の龍神さまが助けてくれました。正にマジックでした。11日はみこし担ぎに13日は稲刈りですから、私としては10月10日昔の体育の日前後は一年の中でも一番気候が安定している時期ですし、六曜も良いから(大安友引だと本業が忙しいのでそれ以外がイベントに良い)この日に降られたら、あきらめるしかないですよ。天気予報は刻々と替わり、なんとか11、12日は持ちそうでしたが13日が雨時々曇り、3時間おきの天気予報は午後3時から雨が降り崩れていく、という予報でした。と、いうことは午後2時からの開会で、最初に稲刈り前の祭典を後回しにして、一番最初に稲刈りをすれば晴れ間に合うんじゃないかと、ほんの1時間、なんの保障も無い天気予報を心の拠り所にしていました。当日、早朝から雨が降ったり、晴れたりを30分おきぐらいに繰り返していたので多分、晴れ間に会えるだろうと確信はしていたものの、実際に午後2時、奇跡の晴れ間にすぐさま稲刈りに鷹乃羽雅楽会の奏楽の元、神饌田に直行、稲刈りを実施することが出来ました。18分後、空から雨が落ちてきて、退散。でも満足。一株でも二株でも子供達が自分で植えた早苗が大きくなって稲穂になったのを鎌でざくざく出来たんですから。

今回はわかりやすく稲刈り祭、と書きましたが神社界では稲刈りのことを抜穂祭とかいて「ぬいぼさい」と読みます。稲を刈る鎌が無かったくらい古い時代の名残でしょうか。

はさかけも作り準備万端。

案山子さんもお疲れ様でした。

これが刈り取り前最後の稲穂の姿です。頭を垂れる姿が美しいです。

黄金色に実る稲穂の絨毯をみていると「豊かさ」とはこういうことなんだな、と思えるようになりました。

午後2時、奇跡的に晴れ間がでましたので、予定を変更して先に稲刈りをする事にしました。皆さんにはそのように伝えておいたのですぐに出発できました。

田男、刈り女は忌み鎌(神聖な鎌)を持って現場に進みます。

鷹乃羽雅楽会が道楽(みちがく:歩きながら演奏する事)をしながら先導します。歩きながら吹くの、大変ですよ。譜面は暗記してないといけませんしね。

刈り女たちにぐんていを付けて、先ずは説明と稲刈りの練習。

いよいよ儀式としての稲刈りの始まりです。鷹乃羽雅楽会の雅楽演奏に合わせて刈り取ります。

鷹乃羽雅楽会。演奏するのが様になって来ましたね。衣装は多賀さんのご厚意で田植え祭に続き、お借りすることが出来ました。ありがとうございます。

ざくざく刈っていきます。イセヒカリは株が大きくしっかりしているので、子供が刈るには難しいのではとも心配していましたが、大丈夫。

良いですね、紅白の衣装が。清純な感じがします。

ずんずん進んでいきます。本当は雅楽の太鼓に合わせて刈り取っていただきたかったのが、そんなもん無視して取り憑かれたようにバッサバッサ刈り取っていましたので、まぁ、いいかと。

儀礼としての稲刈りが終われば参加者児童、みんなで刈り取ります。

やはり田男のペースは速い。

私も感触を確認のため刈ってみました。

空からぽつぽつと雨が落ちてきました。一同、退散。午後2時18分頃。いゃー、これだけ出来たんですから良かったですよ。この晴れ間以後、台風の影響で天気は下り坂、この日は雨が降り続きまして晴れることはありませんでした。まさにラストチャンスを物にしたんです。よかった、よかった。つぎに続く。

 

怒濤の三連休、収穫の秋を終えて其の壱 神輿担ぎ編

禰宜です、お久しぶりです。怒濤の三日間でした。お宮で飲もう会、アーヴェリール迎賓館での出前出張結婚式、鷹乃羽雅楽会温習と田んぼ学校の稲刈りの開催と、今年一番の山場でしたが、今までこつこつと準備をしてきたことがひとつの形になりつつある、前向きな課題が見つかった三連休でした。久々になにか、やりとげたというか、難関をくぐり抜けたような達成感を感じました。

「お宮で飲もう会とおみこし講習会」は8月のバーベキューが雨で中止になりましたが、どうしても今年中に一度、課題を摘出するのに実施しておきたかったので本当に良かったです。連休中と言うことで、色々と家庭の予定もある中、力を貸していただいた皆さん、本当に有り難うございました。小川代表を始め、彼の人脈で幅広い人たちが駆けつけてくれました。神社のすぐ隣にある「あしたねの森(老人養護施設)」と「ガンバ村保育園」の園長さん始め職員も仕事中にも拘わらずに駆けつけていただきました。なんとか、重い神輿があがりました。

みこしかつぎマスター、香積廣野神社、二宮正幸宮司を招聘しました。午前中に秋祭をご奉仕なされた午後ですので本来は直会でお酒をきこしめされた後です。ゆっくりとされたいところを上市駅から富山地方鉄道でご自身自らお出ましいただきました。誠にありがとうございました。

先ずは30分間、講義です。香積廣野神社の神輿の担ぎ方の説明を映像にて説明いただきました。有り難いお言葉に「新川神社なりの独自の神輿担ぎを創造していって欲しい」といただきました。私もそうあればいいなぁと思います。

講義を終えて、神輿を担ぐ前に神前にて参拝。怪我をするといけないので、神様に見守っていただいたいと思いまして。

宮総代の寺井さんから神輿を蔵から出すときの手順を説明して貰います。ここが一番危ないんですよ、実は。

土蔵ですので、基礎が高いんで斜めのスロープから降ろす形になるので危険です。

ここで、検体。車輪を付けて曳くときの為の板バネサスペンションがどうやら後付けで神輿の胴体にねじ止めされているようですので、これを付けたままだから重いんだ、ということで今は取り外せないので今後、人力で担ぐときは取り外せるようにカスタマイズする事になりました。神輿担ぎの参加者にこの辺りの話のプロである㈲新生製作所馬場靖也氏が丁度いてくれたので即発注できました。この辺りはやはり神縁を感じます。

「ガンバ村保育園」のギャラリー。園長さん、参加してくれているもんね。

担ぎ棒を組み立て中。いよいよお出まし。

とりあえず参道まで移動。

とりあえず、ぎこちないまま、参道を進んでみます。先頭にかわいい女子も参加。足下は草履で気合い入っています。

鳥居前で一端休憩。二宮マスターの指示で身長がバラバラでバランスが悪いので配置を身長に合わせて配置します。

みこしは顔で担ぐ!みたいな。神輿の加重ポイントは顔でわかりますね。

いよいよ「魂振り」です。一同屈伸して巨体神輿を振ります。初めてですからやわやわとした感じでしたが、本物はこんなもんじゃないです。香積廣野神社の神輿はカエルみたいに本当に飛び跳ねてますからね。

二度目の「魂振り」。楽しそうな人と地獄を見ている人と様々。

伝達講習修了、蔵にお帰り。

最後に車輪を収めます。これにもコツがいるんで、本当に御輿蔵の改築は必須です。

直会の儀。なんか、たいした時間じゃなかったんですが、のどが渇いてビール、美味かったです。私は念願の第一歩が踏み出せて感無量でした。やっぱ、美味い酒はこうしてのむもんだちゃ。

いや〜お疲れ様でした。でも、課題が見えましたのであと丸々1年かけて平成28年の新庄御鎮座400年記念大祭には復活以上の「かっこいい新庄スタイルの神輿担ぎ」を披露できるとおもいます。

二宮導師のお帰りに際して中締めです。本当に有り難うございました。

二宮宮司さんのご挨拶でご本人からの申し出で「お宮で飲もう会」に次回からご案内することになりました。顧問、ということで今後とも一緒に宮で飲みましょう!

小川代表が最後の締めを無茶振りで又市氏に。「今日の神輿の重さは歴史の重さだと思いました〜」と無茶振りでもすっと出てきた素直な言葉に一同、同意と感心を致しました。

今後の課題ですが、もう少し地元・新庄在住の若いもんが参加してもらいたいです。回覧だと素通りしますので案内は氏子各戸に配布しているのですが、要は口コミといいますか、「お誘い」なんですね。初めての未知のところに参入するのはだれでも躊躇するもんですから。私も興味のあるところはどんどん行く性格ですが興味の無いところは躊躇します。でも、知人や熱意の感じる人のお誘いには乗ります。なぜなら、同じシンパシーを感じる人が薦めるのならば、「何か有益な事に出会えるかも知れない」と考えるからです。これが一番、本質を伝える事が出来る広報なので初はここからですね、何事も。

その反面、生まれも育ちも新庄で今は外に移住した人がわざわざ駆けつけて参加して貰っているところが心強いところです。新川神社は新庄町を離れた人々が帰郷したときにも昔と変わりなく受け入れることが出来る境内である事が私の目標です。今建設計画中の参集殿もそんな拠り所でありたいです。
ネイティブの新庄人に向新庄や新庄新町、荒川、上飯野新町など地縁がある人など、人数は少なかったけど本当に気持ちがある方が集まっていただいたなぁと、小川代表と話をしました。本当にその通りだと思います。
最終的には地元の児童達に「大人になったらあれを担ぐ男になるんじゃ」と、新庄の若い衆が子供達のあこがれの的になるような、威勢の良い新川神社の神輿になれば良いというのが私の目標で有り、地元結束の地盤になるんじゃないかとおもいます。そもそも「祭り」とはそういう物では無いかと思うわけです。

まつりの主役は実は、祭りを作り上げる氏子の皆さんだと思うんですよ、私は。神主は結婚式で言えば媒酌人、相撲で言えば行司のような立場ですから主役じゃ無いです。主役は神前に向かう新郎新婦であり、土俵に上がる東西の力士です。神様は氏子が作った祭りのをお受けになるお立場ですからね。主役じゃなくて祭りの一番の観客が神様でしょうかね、よくわかりませんが。あしたにつづく。