月別アーカイブ: 2019年8月

令和元年の夏を振り返って 沖縄へ

宮司です。暦の上では秋。夜は虫の声も聞こえるようになりましたがまだまだ暑い日が続きますね。今年は台風ラッシュですが、大きな被害が出ないことを願っております。

さて、個人的な話題になりますが、次男の信直が富山商業高校陸上部として400メートルリレーでインターハイ出場に遠征のため、家族で応援に沖縄まで行って参りました。舩木家としましては家族旅行は10年振り、沖縄は11年振りでした。子供が中学・高校生にも成りますと部活中心になりますので、家族旅行はなかなか行けません。加えて神社が400年祭の渦中でしたので、家族旅行なんざ論外でしたし、いずれにしろそういう時期だったんですね。家族で行けて「満天の湯。」でもあそこ、良いですよ。近くて。

8月4日より東京にいる長男の信明も奇跡的に夏休みを合わせることが出来まして、10年振りの家族旅行が出来ました。次男の信直に連れて行って貰ったようなもんです。こんなことが無いと思いきって行けませんし。一応、決勝まで残る事を想定して7日まで三泊四日で行ってきました。

初日4日の午後5時30分からの競技でしたが、結果は初戦敗退でした。が、ベストを尽くした走りでしたので本人達はいざ知らずですが、私どもはフライングとか失格では無くて、走り抜いて4位でしたので良かったかなぁと。思い残す事は無く、次の日からは観光だーモードに入りました。

観光って実は宗教的な行為で、英語では「サイトシーイング Sightseeing」、場所見みたいな感じですが、観光って言葉は「神仏の御光を戴きに行く」が日本人の観光旅行ですからね。伊勢神宮とか、社寺参宮がそうなんでしょう。そのもっとルーツに天皇の「国見」が有るんだと思います。

今回の旅行はスケジュールは試合の結果次第ですので予定は無しで、その日気ままな旅でした。長男信明が全て運転して貰って、11年前とは真逆の沖縄旅行が満喫できました。

沖縄はなんか、好きなんですよね。龍さんやシーサーが所々におらっしゃいますので。元々琉球王国で外国なんですが、今の大和・日本が失わざるをえなかったものが残っているようなかんじがするからでしょうか。

 

令和元年の夏を振り返って 七夕と古事記・日本書紀と「君の名は。」

宮司です。お盆ですね。本日は8月15日で終戦の日です。台風も近づいておりまして南の方が心配であります。本日は穏やかに静かに過ごしたいと思いましてブログを書こうかなと。ようやく一段落した感もあります。

先ずは7月29日は13:30より古事記に親しむ昼の部、19:00より日本書紀に親しむのダブルヘッダー。7月31日19:00より古事記に親しむ夜の部でした。
当社では旧暦で七夕を行っておりますので7月25日から8月7日まで境内手水舎に設置しております。短冊に自由にお願い事を書いて戴きます。行事や神事などは特にしておりませんが、みなさん思い思いに短冊に願いをかけておられる姿はいいもんですね。

そこで丁度七夕の時期でしたので古事記、日本書紀に参加の皆さんに少しだけ七夕と神話に出てくる「星」のお話しをいたしました。

現代では一般的に「織り姫と彦星」の年に一度の逢瀬の話が浸透していますが、日本古来の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれたようです。 七夕(しちせき)を(たなばた)と読むのは日本オリジナルと諸々の行事のハイブリッドだからでしょう。日本人の得意技ですね。

さて、古事記日本書紀を読んでおりますと「日本の神話に星の神様は出てくるんですか?」という質問があります。太陽は天照大御神、月は月読尊とわかりやすいのですが、西洋には星座という星の見方とそれにまつわる伝説が数多くあるので、じゃあ日本は?となりますと、これが限りなく少ないんですね。古事記には星に関する記述は無くて、日本書紀の別伝である一書(あるふみ)に

「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類を誅伐し、皆すでに平定した。唯一従わぬ者は、星の神・カガセオのみとなった。そこで倭文神・タケハヅチを派遣し、服従させた。そして、二神は天に登っていかれた。倭文神、これをシトリガミと読む。」

「天に悪しき神有り。名を天津甕星あまつみかぼしまたの名を天香香背男あめのかがせおと曰う。う、先ずの神を誅し、しかる後に下りて葦原中国をはらわん」

と出てきます。(詳しくはWikipedia等でご覧ください)

星の神が悪い神として伝わるところに色々解釈を先人達がしてますが、今ひとつ説得力の有る物は無いんですね。あまりにも記述が短く、情報が少ないのでなぜ星の神が服従しなかったのか、悪しき神として扱われたのかは謎ですが、ネットで検索しておりますと「君の名は。」関連の事を書いたホームページにこの星の神の事が載っておりまして、おやっと思って見てみますと非常に興味深いストーリーとして描かれておりました。

「君の名は。」のスピンオフコミック、Another Side Earthbound全2巻の2巻目に登場しますが、こんな裏設定があったのか!とびっくりしました。星は流星、つまり隕石で地上に落石して大きな災いとなる、という解釈です。蛇の事を古語で「カガシ」というので「アメノカガセオ」は「天の蛇男神」、つまり「流星」をあらわす神名だと。実際に古来から隕石が落ちて災いになったことがあったからなんじゃないですかね。それを機織りの倭文神を主祭神とする宮水神社の代々神主の娘がそれを阻止するというのが映画のプロットで、なんと日本書紀の逸話が埋め込まれていたなんてぜんぜん気がつきませんでした。星の神・カガセオを服従させた倭文神・建葉槌命(タケハヅチ)は織物の神で、タケが頭に付くので武神である事は窺えますが、なんで機織りの神様が星の神を諫めることができるのか、ということが根底に流れている映画だったんですね、深すぎ。主人公の神主家である宮水家の人は代々御祭神の御神名、建葉槌命から「葉」(一葉、二葉、三葉、四葉)をいただいていますしね。組紐が神社が伝承してきた伝統祭祀だったり。これが織物神の霊験を現すものなのでしょう。本編では触れなかった設定が細かい。どうぞ今一度ご一読されますと「君の名は。」がより深いものがたりとして感じられます。

そういえば、今上映している新海監督の「天気の子」、観てきました。良かったですよ。今回も神社がキースポットになっているストーリーで「晴れ女」のお話しでした。「雨男」としてはこれは見にいかんなん、ということで。「君の名は。」もそうでしたが、神道的なテーマが根底に流れているアニメがビックヒットを納めていることになにかしら安堵感を持っています。職業柄でしょうか。ジブリのナウシカもトトロも千と千尋やもののけ姫なども日本古来の土着の信仰が感じられましたし。

時代によって信仰の形は変遷していきますが、今伝わっている形を如何により良き形で伝えていくかと言うことが大事で、それが根拠のある事か、無いことかという学術的な事よりも、史実の追求よりも、論拠の無い言い伝えだとしても人が紡ぎ出して語り継がれてきた「ものがたり」の方がよりよき時代を創造する礎になる力を持っているものだと私は個人的に思っておりますので、古事記と日本書紀を今後共みなさんと読み続けていきたいと思います。