宮司です。今日は3月3日。巷では新型コロナウィルスの解散防止のために国が学校の休校やイベントの自粛を促したことについての対応がそれぞれの場所でおこなわれているようです。当方でも3月から雅楽会や古事記・日本書紀などいろいろな行事がスタートしますので、悩ましいところです。
今現在では富山県内の感染者は報告されていませんが、潜在的にいないわけではないと思われるので微妙なんですね。
伝染病は古事記の中では第10代崇神天皇の時に国民の3分の2が死ぬという激しい疫病に対し、自責の念にかられた天皇が夢占いをして神の神意を尋ねたところ、三輪山の大物主神のお告げにより、「大物主神の末裔であるオオタタネコを神主として祭祀を行えば疫病は止む」、ということで三輪山祭祀が始まった事が記されています。神のお告げのままに祭祀を施すと間もなく疫病は止み、喜ばれた天皇は全国に天津社・国津社を定めた事と、この時代に八咫鏡を祭るのにふさわしい場所を探し求める旅に皇女を使わされています。此所で重要な事が、3つあります。
①全国に神々を祭る神社を設置されたこと。 ②伊勢神宮の奉斎を企画されたこと ③神を祭る神主は神様の御指名により決められたこと
これが国家祭祀のはじめで、その原因が「疫病」だったことですね。全国に神社を定められたのは疫病が蔓延して国家存亡にあたり、統制を効かせるための拠点としての福利厚生の目的があったと私は感じております。現在でも家に不幸があったら「神社に行くな」というのは疫病の蔓延を防ぐための祖先の知恵でしょう。
その時代は文字も無く、言葉での伝達ですので、「死者が出た家はしばらく他人との接触を絶って葬儀に専念しなさい。(人が多く集まる神社には)その期間は行かないように」と。現代も同じですよ。要は「死の穢れ」は観念的なものもありますが、崇神天皇朝のエピソードから解すれば「伝染病」が「穢れ」で「人に伝播する物」として忌み嫌ったと理解するのが素直な見方では無いかと思うのですがいかがでしょうか。
と、前置きが長くなりましたが、令和2年2月22日の午後2時頃、毎年参加させて戴いております「富山を楽しくする会」に鷹乃羽雅楽会として演奏してきました。こんな時期でしたので何時もより観覧者が少なかったようです。
当神社HPに「鷹乃羽雅楽会」のページもありますのでそこには動画もあるのでご覧ください。