3月3日富山市消防団富山方面団新庄分団鎮火祭斎行 並びに舩木家お蔵出し其の三

禰宜です。お雛祭りの節句の日ですが悠長な間もなく、過ごしておりました。今日は毎年恒例の新庄校下・新庄北校下の町内に火事など火の災いが無いように、火の荒御魂をお鎮めする「鎮火祭」が行われ、消防関係者を始め両校下関係者、議員各位の参列の元行われました。祭礼後に舩木家お蔵出しシリーズの中で消防に縁のある「珍品」を皆さんにお披露目いたしました。江戸時代の火消しの現場の服では無くて、改まった席で着たのかと思われる装束と火事帽子が舩木家の蔵から出てきました。どちらかというと忠臣蔵なんかに見られる侍の外套っぽいです。多分、昔は火消しの出初め式なんかに着ていったんでしょうか。そういえば、昔新川神社の境内には消防署と警察署があったんですよ。其の真ん中に神主の家が建っていたんです。これだけ安心なことは無いですね。江戸時代の火消しは花形ですからね。今も地域の安泰を守る消防団の皆さんに敬意を捧げたいと思います。いつも祭礼後にお話しするのですが、「火事が起きたなら、新川神社の拝殿の木彫りの龍が皆さんの背後に乗り移って一刻も早く鎮火することをお祈りします。」とご挨拶します。本当にそう思います。先ずは消防団が緊急出動することが無いことが一番ですけれども。

消防車、参入。

火消しのシンボル、纏(まとい)。昔は火事の現場を知らせて、放水や建物の破壊など消火活動の目印としてなどして用いられたそうです。また、火消し役の「士気」を高める効果もあったようです。

鎮火祭の祝詞奏上。なかなか良い祝詞です。私の先祖から引き継いでいる祝詞です。

祓へたまへ、清めたまへ。

守りたまへ、幸へたまへ。

吉田分団長。うちの町内です。

玉串の前に横たわっている赤いものが消防車の「筒先」です。ほとばしる水の出口ですので、これを祓い清めます。

新庄の守護神と守護車。

舩木家のお蔵出し第三弾。嘉永五年(1852)の代物です。中身は・・・

火事のときにかぶる帽子と箱に書いてありました。別の箱にその時に着ると思われる装束も出てきました。

火事帽子壹頭。こんなに長い箱なのは、布部分が刺繍ですので折曲がらないように吊して保管するためだと思います。

嘉永五年(1852)。11月3日、明治天皇御生誕。11月24日ペリーの黒船が日本に向かって米国を出航した年だそうです。時代が大きく動く年ですね。今から161年前の話です。

火事帽子近影。右の飾りが紛失していますが、綺麗な状態です。

鰺の開き状態。家紋は舩木家の物です。

同じく蔵から出てきました着物。神主の装束とは違いますので、火事帽子の合わせだと思います。

西洋服で言うところのネクタイみたいなもんでしょうか。前掛けみたいな物です。家紋入りで綺麗な刺繍が施されています。