お宮で子どもたちとお話し。

新庄小学校3年生の地域の学習で児童達が新川神社に来て勉強していきました。私自身、毎年楽しみにしている行事です。神主としてはもしかしたら祭祀の厳修の次ぐらいに大切な仕事だと思っています。いや、本当に大げさでは無くて。次世代への継承ですからね。小学三年生の親の世代は新庄町で生まれ育った方もいらっしゃいますが数としてはあまり多くなく、大半は御縁があって新庄に家を建てられた方が多いです。昨年より新庄御鎮座400年の奉賛事業の説明会などで聞いた話ですが、新庄町が生まれ故郷ではないので「新川神社に親しみを感じないし、氏子だという意識は無い」と長年住んでいらっしゃる氏子の方にはっきり言われたことも有り、私自身考えさせられる事もありました。長年住んでいらっしゃる年配の方がそのように感じておられるのはひとえに神主の不徳のいたすところであり、これからは新川神社に親しみを持っていただけるように仲取り持ちをして参りたいと考えています。しかしながら、そのような御意見もある反面、私は知っています。県外から新庄に住まれた方が一生懸命お宮のお世話をいただいたり、「新庄町に御縁があって住んでいるのだから、新川神社が守って貰っている氏神さんだ」と話してくれる方も実は沢山いらっしゃいます。正月、春、秋の祭礼には欠かさず御神酒やお供え物をされます方もいらっしゃいます。生まれ育った場所は変えようが無い故郷ですが、その後成長過程で滞在した場所も第2の故郷、第3の故郷です。私はこのように考えています。私にとって学生時代を過ごした明治神宮の代々木の杜、そして京都での修業時代の石清水八幡宮の男山は育ててくれた故郷です。実際に代々木の杜と男山に寝泊まりして住んでいましたのでよけいにそう思うのかも知れませんが。そしてその子ども達にとってはまぎれもなく新庄は「生まれ故郷」ですからね。

本年は3クラスありますのでそれぞれ日を変えて3日間、6月6日、11日、13日の午前9時35分〜10時40分くらいの約1時間で色々とお話しが出来ました。毎回思うのですが、子ども達はリアクションが速いので、とても楽しいです。小学3年生がどれだけ言葉のボキャブラリーを持っているかがわかりませんので、なるべく絵図や神社にある物を題材に楽しんでもらえるように心がけています。幸い、神社には子ども達が気を引かれるアイテムが沢山有りますので、質問を受けるといつも時間が足りなくなります。木彫りの龍は宝珠を隠し持っていますので、「新川神社にはドラゴンボールがあるがやじゃ。(あるんだよ、という意の富山弁)」というと「どこよ、どこよ?」と、探しまくりますので昔はこれで「つかみはオッケー」だったんですが、最近は情報が伝播しておりまして隠し場所を知っている子どもも結構いたりして、ある意味では良いことなんですが、じゃっかん、話し手としてはやりにくくなってきたりしています。本年の3年生はあらかじめ調査をしてきたようで、当HPをかなり読み込んでいる児童もいて、びっくりいたしました。御祭神を暗記している強者もいました。立山三山の最高峰は何という山か?と聞くと答えた子どももいてびっくりしました。なかなかあなどれませんんぞ、小学三年生。

小学生用のページでの由緒書きの文章に四苦八苦していまして未だにアップ出来ていないのですが、今回現役の先生にフリガナなどの添削をいただきましたので、近々小学生用由緒書きを更新していきたいとおもいます。

お祭りが近くなると通学中の子ども達が「お祭り何日け?どべは出るが?早く祭りの日にならんかな〜」と、ワクワクしながら私に聞いてきます。移住してきた親の世代にとっては故郷では無いし、新川神社に親しみは持てないかも知れませんが、神主といたしましては子ども達の生まれ故郷として新庄町と新川神社を大切にしてあげていただきたいです。子ども達はほんとうに新川神社のお祭りを楽しみにしていますし、大人が知らない龍の珠の隠し場所も知っていますから。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」

室生犀星の詩ですが、彼らが成長して県外に転出したとしても、久しぶりに新庄に帰って来た時に昔と変わらぬ新川神社の境内を整えておくことが我々の仕事ですな。そのときに私の話を思い出して、いい大人のクセして昔のように「龍の珠」を覗いて見てくれたりしたら嬉しいかも。

安政5年の大地震の被害、土石流の流れを絵図で説明します。東北の被災地同様の災害が新庄にもあったことが理解できたと思います。

鈴の説明。新川神社では神様にお願い事をする「祝詞」が終わった後、「お願い事はわかったよ、頑張られー」と神様からのお返事・祝福の意味でみなさんの頭の上で鳴らします。

境内の散策。散策するほど広くないですが。石碑など、不思議な物が沢山あります。

新川神社の入り口にある駐車場は江戸時代まで「山田寺子屋」がありまして師匠である山田秀平翁の遺徳を偲ぶために門弟が建てた石碑です。漢文ですので正確には読めませんが、大意はそのようなことが書いてあります。

御神輿のてっぺんにいる鳳凰を間近で見学。