富山県郷土史会様御一行様、ご来宮。「明治天皇北陸御巡幸時町新庄小休止処手水鉢」御聖跡を初披露。

こんばんは、禰宜です。暑苦しい日でしたね、ようやく。いいじゃないですか、ようやく梅雨らしくなってきました。降るときに降らないと後が怖いですからね。いゃ〜、ようやくつもり積もった仕事の山を片付けたいのですが、なんと言いますか、はかどりませんな、思うようには。多分、休みが無いからでしょうね。だらだら〜っというやつですね。ですが、いいんです、どうにでもなれば。なるようにしかならん、ということで今度しばらく富山を出て修行に行きます。大和の国・石上神宮へ。また、詳しくは後日お伝えしますが、それを楽しみに日々頑張ります。修行に行くのに楽しみなのか?と思われると思いますが、「修行に行く」とでも言わないと外泊が出来ません、今のうち(舩木家)では。いやいや、本当につら〜い修行に行くんですよ。いくんですけど、いつもの環境から離れる時間を持てる、ということはやはり贅沢な事ですよ。専業主婦の方々の気持ちがよく、わかります。ですけれども、たった一度の人生じゃないですか、どっちに転んだって人間、野辺の石ころのように骨となって地に埋められるんですからね。何でも思い切ってみてなんぼかじゃないかと。

さて、本題ですが、昨日の悪天候の中、富山県郷土史会様御一行様30名くらいの方々が新川神社に訪ねて来られました。

高岡駅南口を出発されて、富山駅北口に寄って参加者をお乗せしたんだと思いますが、金岡邸に寄られました後にうちに来られました。この機会に、実は公表していませんでしたが本年4月にうちの玄関に移築した「明治天皇北陸御巡幸時町新庄小休止処手水鉢」を初披露しました。本当はもっと早期に公表したかったのですが、色々とありまして、落ち着いてからのほうが良いと思いまして今日になりました。この手水鉢にまつわる逸話などお話ししました。明治天皇の御一行が新庄に来られたときの様子や、その後の手水鉢を巡る話、ここに来るまでの経緯とか、本当は色々とお話ししたかったのですがかいつまんでのお話しで、語りきれない事は資料にてお伝えしたつもりです。

結果、来て戴いたみなさんによろこんでもらえたような気がしましたのでよかったなぁと思っております。その時にお渡しした資料をここに置いておきます。

明治天皇手水石解説Ver.01 明治天皇手水石解説Ver.01

興味のあられます方は眺めてやってください。一昨日、夕飯食べてダウンして、12時くらいに起きて朝方4時半ころまでかかって書き上げましたので、当日は眠かった、というかぼ〜っとしていましたが、皆さんが来て戴いたら眠気が覚めました。ありがとうございました。

昨年「大人のためのやさしい神社のおはなしの会」にてハードコア(核心部)な新庄町の歴史を語って戴きました、高岡徹先生の解説付き。私も一緒に付いて行きたかったです。

滞在時間が15分ということでしたので、高岡先生が、港山という新庄町から越中での相撲興業を振興させた「親分」の石碑の解説を戴きました。私は御祭神の「大新川命」の謎と、「明治天皇御聖跡手水鉢」のご紹介をいたしました。

これが明治天皇御聖跡の手水鉢です。設置は4月18日ですがここでは初公開。いわれは資料をご参照下さい。ここに来るまでの逸話はいづれ気の向いた時に、ということで。