遅くなりました〜禰宜です。夏休みの宿題、間に合いませんでした、すんません。やることありすぎるんじゃ〜。ですが、わたくしが一番大切にしていて且つ大事な事のご報告ですからあじゃあじゃのやっつけ仕事でアップはしたくないんです、いや、ほんとです。言い分けはこのくらいにしてご報告です。
古事記に親しむ富山中巻下巻完全読破編はいよいよ「国のかたち」が現れる、崇神天皇の御代に入りました。そこまでの綏靖〜開花天皇の御代を舌を噛み噛みながらクリアしました。わたくし、個人的に巷では「欠史八代」といわれる部分ですが、素読すると何故に深いところであります。系譜だけですから素読的にはしんどいところですが、古事記編纂の目的は「系譜」を「後世に正しく伝える」事ですので、歴代の御事績が無いから云々という論は直感的にそうかな〜?と感じます。果たして創作でこんなに緻密な、そして後世に活躍する人々の系譜をつくれるもんなのか?という疑問を逆に感じてしまします、私的には。実際、よくよく系譜を見ていくと越中・富山に縁のある方々、「大彦命」「武内宿禰」「古志の利波臣」などの系譜が出ているところですので、実はふか〜いところだと私は素読することによって感じています。
第十代崇神天皇は、「初国知らししすめらみこと」つまり「初めて国を知ろしめされた天皇」と讃えられた聖徳に満ち満ちた御代であられまして、ここで「伊勢神宮の起源」「大神神社の起源」「国家祭祀の起源」が語られまして、「天つ神、国つ神、やおよろずの神」を祭る「かんながらのみち」の根源が感じられるところですので、一番熱が入ってしまいます。ですがその内実には大きな国難が時代背景としてあったということは、今日にも繋がる事柄として、決して古事記・日本書紀は昔話では無くて現代を生きる我々にとって、祖先がどのようにして国難を乗り越えてきた「ヒント」が示唆されている本であることを実感できます。ですから古事記と併せてこの時代は「日本書紀」も多数引用してお話ししております。
ということで、今日はこのへんで一段落しておきます。では。