禰宜です、ついに最終回です。最後は弥陀ヶ原散策です。

「ひと踏み100年」といわれる高原植物を保護するために散策道が天空の道のように浮き橋の様になっているからだと思いました。ずぅ〜っと続いていますので、この施工作業は大変だったと思いますが、湿地帯ですので安全に且つ環境もなるべく壊すこと無く散策できるようになっているわけですな。

五葉松。5本葉っぱがあるから五葉松だそうです、知らなかったです。御用松だと勘違いしていました。盆栽にされて公式な場所でステージの横に置かれる松だから「御用」につかう「松」だと、勝手に解釈しておりました。

立山曼荼羅にも描かれている餓鬼田。生前に贅沢をしていたものが落ちるとされる地獄のことで、生前に悪行をして贅沢をしていた者が落ちる地獄で、常に満たされない空腹と喉の渇きに苦しめられる地獄だそうです。昼間はのどかな湿原の池のようにしかみえませんが、夜に見るとそのように見えるかも知れません。

と、いうわけで四回に分けてご紹介して参りました立山登山ですが、今回できたてのほやほやの新川神社完全オリジナル意匠の登山安全御守り、この御利益を私、禰宜と倅の信直とが身に付けて立山に登りましたところ、つつがなく素晴らしい日々となりましたので臨床実験成功、御利益満点、自信を持って皆様にお薦めできる御守りと確信しました。尚、当然の事ですが、この御守りを持ったから晴天になったり、雷鳥が見れたりするわけではございませんので、あしからず。「おまもりもっていったんに、天気悪かったぞー」とか「雷鳥、みられんかったぞー」といわんでくださいね。登山安全御守りは是非、手にとってお日様の光に当ててご覧戴きたい一品です。新川神社と雄山神社共通の神使、白鷹が光輝くように織り込まれています。良く目無いとわかりませんが、ここが織りであるからこそ表現できる妙ですな、いわゆるアナログ版3Dホログラフみたいなもんですかね。

天候にも恵まれましてこの御守りのデザインのように立山連峰が見渡せました。実物はもっと綺麗なのですが、写真だとどうしても質感までは表現できて無いのが残念です。銀嶺といいますか、ラメっぽい錦も織り込まれています。

と、いうことで今回も、素晴らしい立山登山となりました。子どもたちにとっては天候が良いに超したことはありませんが、快晴の立山、嵐吹く厳しい立山の両方経験した方が良いかもしれません。何よりも山の天気は変わりやすい、ということを体験する事の方が重要です。だからいろんな準備が必要なんだということです。また、近年は立山登山をしても、頂上でお祓いは個人の自由で、お参りはせずに社務所前で休憩して帰ってしまう学校が少なからずあるそうです。立山はただ気軽に3,000メートル級の登山を楽しむための山では無いと私は思います。越中富山の祖先が心の拠り所とした清らかな場であり、魂を磨く行場であり、自然水源の宝庫であり、山の姿を見て立山のように何事にも動じない、雄々しき心を持てと教えられてきた信仰の霊山です。さえない日々でも青空にそびえる山の姿を見て、「あ〜綺麗な山見れた、今日はなんか、得した〜、まぁ、いっか〜どうでも。」と、たわいも無く喜べたりします。観光資源としてのPRやなんとか遺産とかもいわれていますが、私は鄙びた立山が一番好きです。「鄙びた魅力」を観光資源として護って戴きたいなぁとおもいます。毎回、登山にはリスクと管理責任などなにかと複雑な世情の中、立山登拜を慣行されます新庄小学校の校長先生を始めとする先生方のご苦労に敬意を申し上げます。校長先生が同行されていますので素晴らしいですね。新川神社は立山登山安全の神様ですから今後も新庄小学校の立山登山を見守って戴きたいです。