御神火を切り出していよいよ富山城へ出陣の前にパチリ。新庄城から富山城を責めた上杉謙信の再来か。
禰宜です。今日は大変気分が良いです。体調は相変わらずですが、すごく達成感を感じた1日でした。
昨年より準備を少しずつ重ねて参りました富山市の風物詩であります「とやま左義長まつり」の御神火をお届けする重要な使命を当番神社として氏子の児童、ご父兄の参加をいただきまして無事に成し遂げました〜。
昨晩からの寒波により富山市内は積雪はさほどではないのですが路上凍結し大変足下が滑って危険な状態ですが天候は快晴で天候に恵まれました。年末年始公私とも慌ただしい中に加えて、募集の連絡がなかなかスムースに行かない中にも児童15名、大人10名の25名の参加を戴きまして新川神社として何十年に一度巡り来る役目を無事に果たすことが出来ました。実は私、昨年より富山県神社庁富山支部のお世話係を受けておりまして、本当は城址公園会場の設営から司会進行をしなければならなかったのですが、当たり年で御神火奉戴神社の順番もぶち当たりまして、両方いっぺんにはこなせませんので、同じ役職の神職さん達に分業しながら望んだわけです。いやぁ〜、大変だっただけに喜びはひとしおです。本当に役目分業を戴きました神職さんと、何よりも休日にお休み時間を割いて出席戴きました参加者の方々、ご案内周知方を戴きました氏子町内児童クラブの代表の方々に御礼申し上げたいと思います。
本日、神様の前で人の人力で起こした神聖なる火が大きな火となって富山市民の祈りを天の神様にお届けするお役目をしたことを今回参加されました児童共々ご父兄の方々と共有して過ごしていきたいと思いました。
実は最初から火は付かないだろうと想定していました。今まで庭燎の集ひなどで火きりをしてきましたが上手くいったことが有りませんでした。季節柄湿った空気の時期である事と、夕暮れにやりますので昼間のリハーサルでは付いても夜の本番では付かなかったりしていましたので出来ないだろうと思っていました。付かないときは伊勢神宮に奉仕に行ったときに戴いてきた神宮司庁のマッチで付けようと思っていました。
ただ、昨日は乾燥している冬場でしかも午前中の晴天ということで気候が味方したんでしょうな、火の切り出しが上手くいって本物の神聖なる神火をお運び出来たこと、それが神主ではなくて氏子の皆さんが神様の前で協力して起こした火である事がなにより嬉しかったです。それをとやま左義長まつりに消えることなくお届けできたことが新年早々、嬉しいことでした。最後の最後まであきらめなかった富山第一高校の様に何事も決めつけずに最後までやりぬく力を持てば新庄町は益々発展していけるし小さな火を大きく広げていけるのだと思いました。
お祓いと祝詞奏上、玉串拝礼が終わり、いよいよ神様の前で火おこしです。
順番に挑戦。素直な心でやらないと曲がっていくぞ。力ずくで廻そうとしてもまわらないんですよ、これが。
小さな女の子でも筋の良い子はすぐにコツを掴んで安定した廻し方を演じます。
蔭灯(かげとう)という、神社の御神体をお遷しするときに使う「ほんのりと明るい」灯りです。提灯だと明るすぎて御神体などが照らされるといけませんので、神職の足下だけ照らせるような小さい窓になっています。本来はろうそくを使うのですが、新川神社から城址公園まではバスなどで移動しますので途中で消えないように登山道具専門店でキャンドルランタンを用意しました。
一通り子供達が体験したところで、参加児童のお父さん達に「まじきり(真面目に火を起こすための火きり)」をしてもらいました。粘り強く廻していくと煙を上げながら火種が沢山火山の溶岩のように出てきました!」
意外に早く神火が用意できましたので、時間まで引き続き挑戦。
最初は遠慮がちだった子供達が順番を争い躍起になって火を起こそうとする中、お母さん達にも是非体験して貰いたいと言うことで挑戦。お母さん達が毎日火を取り扱うから是非とも体験して戴きたかったのです。
ということでほぼ時間通りに城址公園へバスで移動しました。天候が良いと言うことで車も多く出入りしていました。
御神火奉戴神社はとやま左義長まつりに参列しますので特別席があります。
とやま左義長まつりの祭壇。真ん中に今回の祭祀で一番重要な御神火が置かれました。
先ずは改めましてお祓いを受けます。
田添総代会長さんに合わせて玉串拝礼。
いよいよ点火式です。5名の代表の松明に移していきます。ろうそくの炎から移すので細い棒を仲介して分けていきます。
当日、聞いた話ではこの蔭灯を持って御神火をお薦めする役は御神火奉戴神社の神職、つまり私だったそうです。知らなかった・・・。
最後の松明へ無事に点火。これで大役をほぼ達成いたしました。あとは5名の代表、左義長祭り運営委員長、富山市長、市議会議長、商工会会頭、総代会会長がかがり火に点火するのを見届けるだけです。
ということで、以前までは大左義長を組んでぼうぼうに燃やしていたのですが、環境問題やらダイオキシン問題やらで、かがり火に点火するだけになりました。それらの問題を考慮すると今の方法はやむえないわけですが、やはり、大左義長がめらめらと大きな火柱をあげて天高く空を焦がす姿をみて皆さん、気持ちが上がってくると思うんです。人って火を見ると興奮する生き物だと思いませんか。花火もそうですし、子供は火遊び大好きですしね。大人の火遊びは慎みましょう。
ということで無事に点火。昔の大左義長を知っている私としては「ほんもんはこんなもんじゃないがやじゃ」と子供達に言いたい。
新川神社でみんなで起こした小さな火種が大きな左義長を燃やす火柱となる感動を子供達にさせたかったのですが残念です。今となっては。
今回、お休みの朝早くから参加戴いて火を起こして戴いた皆さん、ありがとうございました。無事に見届けて戴きました。本当に途中で消えたりしなくて良かったです。雪風が吹雪いたりしたらあり得ますからね。
最後に左義長の火に当たって貰いました。昔から左義長の火は一年間皆さんが祈りを込めた御神札や御守りが燃える火ですので御利益が有り、是に当たると若返るとか、一年間無病息災で過ごせると言われます。餅を炙って分けたり、御神札を炙って頒布するところもあります。富山市の左義長は良い場所さえあれば福井県の「勝山左義長まつり」や「近江八幡の左義長」など市の無形文化財、国指定重要無形民族文化財の神奈川県大磯の左義長など今日まで行政が中心になって盛大に行っている市や県もあるわけです。環境問題や政教分離を言い訳にしないで、昭和31年、我々の先人が富山大空襲で焼け野原になった富山市の復興を願い、凍えた人心を暖める意味で起こしてきたというとやま左義長まつりの最初の心意気を受けとめなければならんと思います。富山大空襲を始めとする大きな国難、多くの犠牲があって今日の富山市の繁栄があるわけです。夏の花火、冬の左義長という歳時記を通じて富山市と富山市民の心の復興を祈ってきた。がんばって復興させてきた。富山市の神社でそれぞれに行っていた小さな左義長を集約して大きな左義長にすることによって富山市民の心を城址公園に集めてきたのでしょう。市民が持ち寄って盛大に行ってきたのです。春の到来を望む祭りとして手間暇はかかったと思いますが昔の大左義長がなつかしい。泥臭い民俗習俗ですからこういった行事って理屈抜きで次世代にも受け継がれていくもんなんですよ。もっと昔の形に戻すような前向きなとやま左義長まつりの企画運営がされればと一富山市民として感じました。なんか、良い方法はありませんかね。色々と審議はされたと思いますが、継続してバージョンアップを図りたいですね。
お勤めを終えた御神火。自分で消すのが辛くて他人に任せました。