新庄小学校3年生が地域社会の校外授業に来てくれました。

禰宜です。毎年のことですが6月11、12、13日と3日間に渡り、新庄小学校3年生が新川神社に来て色々と学んでいきました。一クラス30名でクラスごとに分かれて来てくれましたので、細かい話が出来たと思います。

新川神社の歴史を学ぶ事は新庄町の歴史、自然災害、常願寺川の洪水を如何に克服してきたか、また今も続いているのかと言うことを学ぶ事になります。折しも平成28年には「新庄御鎮座400年記念事業」を控えていますのでその意義を子供達に伝えられる機会を与えて戴けることに大変感謝をしております。また、いつも東日本大震災のボランティアで東北地方の現状を直に見てきた体験談もします。洪水の後、津波の後の環境汚染、へどろの臭いやばい菌の繁殖など、普段テレビなどから感じられない「臭い」とその復旧に拘わる努力を子供達にイメージしてもらい、新庄町もそういった苦難を乗り越えて現在の平和があるんだよ、ということを一番の目的として、伝えたいこととしてお話ししました。重い話ですが、最初の導入部分は軽快に入っていきます。

先ず私の話の最初の掴みは「神社の拝礼作法の解説」を持ってきます。大人子供問わずほとんどの人が興味津々なのが「いい音で柏手を打つコツ」です。実際に手を打ちながら「なぜ神主の拍手はいい音がするのかその奥義を伝授します」、とやるわけです。これをやると、大概「掴みはオッケー」です。ですがこちらは手を打つことに関しましてはプロですから、デモ演技でミスると立場無いです。自分で自分の首を締めることに成りかねないので、諸刃の剣でもあります。

秘伝を伝えた直後、みんな人の話もそっちのけであちこち気の趣くままに手を叩きだして「あーでもないこーでもない」とやりだします。

こうなると収集がつかなくなりますが、いい加減のところで切りをあげて正式に拝礼しますとこれが皆さん、いい音で鳴るんですよ。しかも音が揃ってますし。すばらしい。

そしてテクニック的にいい音を出せば良いのでは無くてなによりも真剣に、そして真っ直ぐな祈りの気持ち、祝福する心が大事だと言葉を添えます。明るく清みきった手を打つ音には運気を開く力があるんですよ、ということを伝えます。古今東西、拍手されて喜ばない人はいませんからね。気持ちをアゲアゲにするには「拍手」ですよ。神様が喜ぶことを思いながら生きていく、自分の気持ちも前向きに上げて生きていく、それが神道の祈りかも知れませんね。

みんな、いい音で鳴らせるようになりました。古今東西、祈りの作法は色々ありますが、「手を打つ」のは日本の神道だけです。ここが日本の独自性、オリジナリティです。魏志倭人伝に記述があります。

「掴みはオッケー」なところで、今度は子供心を「わしづかみ」にするコンテンツを繰り出します。

「新川神社の秘密、新川神社にはドラゴンボールが隠されておるがやじゃ!」

「えーどこけー?」というこちらの期待通りの反応の子もいますが、近頃はメジャーになってしまいましたので、半数以上は「あそこー」と指を指していました。少しずつ伝播してきたのは嬉しい反面、なんかマニアック度が薄らいできたのはなんとなく寂しかったりします。

質問の内容は「新川神社の語源」「狛犬のこと」「どべの語源」「どべは何者か」「御神輿の中に入れる箱のような物は何か」「新川神社の最初に出来たときの話」など色々ですが、小学3年生が理解できる内容を簡潔にしゃべるのは何回話してみても難しいですが、少しずつ磨きをかけていきたいとおもいます。

ドラゴンボール、「龍の珠」の在処は小学生の間では知れ渡ってしまっているようです、最近は。

「龍の珠」は木彫りの龍があごの下に隠し持っていますので、拝殿に昇殿しないと見えない場所にあります。どうすか、この無防備な顔。新川神社の龍はどべと並んで人気者です。

それでは「龍は何者か?」「なぜ龍は水神なのか」「龍は実在する?」「こいのぼりと龍」などなぜ新川神社の拝殿に大きな木彫りの龍が掲げられているのか、洪水の自然災害と闘ってきた新庄町の先祖達の苦労と、人々が平穏な日々であるように祈りを捧げてきた歴史を伝えます。

話をしながら子供の表情を観察したりしますが真剣な眼差しを感じれば多分伝わっているような気がします。

午前9時30分から11時まで、1時間半真剣勝負、3日間終了。