9月24日第14回古事記に親しむ富山中下巻編開催。

禰宜です。ほとんどの地域が稲刈りを終えた感じですね。うちのイセヒカリはまだですが。9月23日は四方の神明宮、またお手伝いで25日は於保多神社の秋祭りの神輿渡御がありました。
四方は幸い晴天に恵まれましたが、25日の於保多神社は台風の影響で一日中雨でした。神輿渡御はどれくらい歩くかと言いますと大体午前9時から夕方4時頃までですのでお昼休みが1時間ですから約7時間くらいですかね。日頃の運動不足を解消する意味でも神輿渡御は良いんですよ。

9月23日、富山市四方町の氏神神社、神明宮の秋祭り。

25日、於保多神社神輿渡御。土砂降りの国道41号線。雨もまたよし、天からの浄化じゃ。

と、いうことでその中間の24日に行われた古事記素読会の報告です。

先月に引き続き応神天皇の御治世のお話しです。

この時代は大陸との交流が盛んになり、論語や漢字マスターの教本である「千字文」が伝わります。そのほかに新羅から潅漑技術者、百済国王から馬、七支刀と七子鏡という神宝が贈られます。この七支刀が現在にも石上神宮に現存します。もちろん、国宝です。すごいですね。その七支刀に漢字が刻まれているのですがそれによると百済王が倭王(天皇)の為に真夏の一番暑い、火の徳がある日を選んで百度鍛えた霊剣だから、さまざまな兵器の災いを逃れることが出来る霊力が籠められた刀だそうです。木の枝みたいに一本柱の刀ではなくて、7本の剣先が木の枝みたいに別れている不思議な形をしていますので、実践向きでは無いですね。ですが、後の仁徳天皇になられる大雀命(おおさざきのみこと)が帯刀しているのを見て、吉野の山奥に住んでいる山人で、笛や舞歌が特異な「國栖(くず)」がその刀の珍しさを讃える歌を伝えています。吉野といえば「葛(くず)」が有名ですが、これがこの山の民、國栖たちの食料から来ているということですので、これまたうんちくのある話です。現在まで伝わっている話がバンバンでてきますんで、読んでいておもしろいですよ、この辺りの話は。

応神天皇の頃はお酒の話も多いのは、応神天皇がお酒好きだったからだとおもいますよ。國栖も独自の「醴酒(こざけ)」を醸して献上しています。いわゆる「どぶろく」ですかね。甘酒かもしれませんが。それと百済人の「すすこり」という人が醸したお酒で大いに酔っ払われて、機嫌良くなって、帰り道に杖で道中の大石を叩きまくって千鳥足、みたいな歌がありまして、その当時の諺で「堅石も酔人を避くる」と云われたそうです。現在でいうとなんですかね?適当なことわざは見当たりませんけど。酒飲んで暴れる人を「大虎」とか言いますけどね。トラ箱っていいますし。酒飲むと色々なことやらかしますよね、人って。

 

古事記に貫かれたテーマに「今に繋がる話」があります。地名の起源譚や伝統儀礼の由来が語られて「これが今に言う〜なり」と、今日まで伝わっていることの起源はここから来ているんですよ〜と語り部の稗田阿礼が教えてくれるのです。

当然、古事記が云うところの「今」は古事記編纂の時代である和銅5年(712)、1300年前ということになります。古事記が文字の無い時代の「やまとことば」と物語、系譜を残してくれたからこそ、我々は祖先の時代と今でも気持ちの上で繋がることが出来ます。

これが素晴らしい事では無いかと思います。同時に今の日本人に不足していることでもあります。古事記を読む、ということは神代の時代の祖先、我々の源と繋がることです。わかりづらい表現や、現代では考えられないことも記されていますが、そんなこんなすべてを受容して読むことが、引いては何か我々の先祖と共に新しい時代を開いていけるような気がします。日本が如何にして国づくりされてきたのか。そんな根本に触れて貰いたいです。