400年前の夏、町新庄は洪水騒動。400年後、町新庄は祭騒動。

禰宜です。本年は平成27年、西暦で2015年。今からさかのぼる事400年前の元和元年、西暦1615年。「越中志徴(えっちゅうしちょう)」という幕末から明治にかけての郷土史には「元和元年夏の洪水に、社頭水底と成、神器悉く没失。」と記されている。まさしく今頃から400年前の夏に、洪水を引き起こすような大雨か台風があったのでしょう、常願寺川が決壊して洪水と成り我々の故郷を襲い、甚大なる被害があったのです。そして翌年の元和二年、西暦1616年にこの地に遷宮された経緯により来年が新庄に遷宮されて400年の奉祝年となるわけです。

この地図は安政五年(1858)の飛越大震災で山崩れの土石流の被害報告地図。約160年前の時にも新庄町は被災しましたが神社は無事だった。先見の明があったんですね、御祖先様達は。そういう意味では現在の境内地はすばらしい場所です。

400年前に遷宮して依頼、この新天地で大きな被災することも無く今日まで安泰に発展してきたことを今の新庄町に住む我々がどれだけ認識しているのか、または今ある平和な生活を我々は感謝できるかは、洪水の被害がどんなものか実体験の無い近年の地域にとってはなんのリアリティもないでしょうし、毎日の慌ただしい日々のしのぎの業にせいいっぱいでそれどころではない、という無言のうそぶきが聞こえてしまうような気がするほど遠い昔の話かもしれません。ですが、私は東北に被災地へボランティア活動で現場の惨状を体験して以来、この地に根付いてこの宮を護ってきた我々郷土の祖先の御労苦がどれほどか、思っただけでもぞっとするほど実感できる想像力と、それゆえに感謝できる気持ちを戴いてきたように思います。ですから被災地の事を思えば、また戦中戦後の時代を思えば今の苦労なんてたいしたことでは無いと思えますし、そのことを言葉として伝えるだけでは無く態度で示さなければ後世には伝わらないような気がするこの頃です。

増水時の常願寺川の濁流。

昔の人は暴れ川に荒れすさぶ龍神を見たのは何となくわかります。

「町新庄祭騒動」。新川神社新庄御鎮座四百年奉祝行事のサブタイトルといいますか、正式名称が長いので、イベント名的な看板を慶祝委員会で考案して戴きました。
越中の「米騒動」にちなんだ名称。災害で騒動が起きる事を良い吉事に転換して、「祭りで賑わう」という心を込めて命名されました。
内容はただいま水面下で色々企んでいるようですので、乞うご期待。

町新庄祭騒動プロモチラシ#01