菅原道真公御真影掛け軸 修復

こんちは、宮司です。ようやく社報の原稿を入稿しましたので遅くなりましたがご報告です。

伝説に因りますと初代新庄城主三輪飛騨守長職が新川神社に奉納されたとされる土佐将監(光信)筆・菅原道真公の御真影の掛け軸の修復が完了して12月3日、納品されました!

越中志徴(えっちゅうしちょう)には

「元和元年夏の洪水に、社頭水底と成、神器悉く没失。其此相残るものは、天満宮の御影と云て一軸今にあり。(略)」とあるので、四百年前の洪水ですべてが流された中で唯一、四〇〇年以前の遺品であり、初代新庄城主三輪飛騨守長職[生没:生年月日不肖〜天文十九年(1550)]が新川神社に奉納した神宝だと云われる伝説の掛け軸です。

絵師は土佐将監(光信)[生没:永享六年(1434)〜大永五年(1525)]で、大和絵の土佐派の中興の祖であり、狩野派と共に日本画の二大流派として江戸時代まで続いた名門です。
代表作は北野天神縁起絵巻(重文)・清水寺縁起絵巻(重文)など多数有り。
歌舞伎の演目「傾城反魂香(通称:吃又)」のモデルにも成っています。
錦の表装から今からさかのぼる事およそ500〜550年前の室町時代中期、土佐光信が三十代前後の頃の作では無かろうかと素人ながら推測しております。
毎年富山の天神講の風習に倣い、舩木宮司家の床の間に十二月二十五日から一月二十五日まで掛けられます。

永年の傷みが激しく、絵の具が割れて落ちてくる様になったので近いうちに修復をしたいと思い、貴重な神宝を預けることが出来る職人との出会いを待っておりました。
また、一度鑑定をしておいた方が良かろうとも思っておりましたが、何処にどう頼めば良いかわからず、先ずは参集殿にパネル展示をして好機を待っておりました。
案の定、神様のお導きにより、この度井波の表具師・岩﨑正克氏(岩﨑清正堂)に出逢うことが出来ました。岩﨑氏は京都での修業時代、三輪晃久氏(日本画家・初代新庄城主後裔・新川神社奉賛会顧問)と仕事上の取引も経験されていたと聞き、これは時代を超えて導かれた御縁だと感じましたので即、修復を依頼致しました。

丁度お宮で飲もう会が開催される日でしたので、皆さんにお披露目も兼ねて表具師の岩﨑さんから掛け軸の修復に関するプチ講義をして戴きました。

そしてなんと、納品に併せて岩﨑さんから、三輪晁勢筆の額の奉納を戴きました!
思いもよらなかった事ですが、何もかも三輪さん繋がりの御縁を感じまして大変感動いたしました。本当に有り難く感謝申し上げます。

三輪晁勢氏は日本画家で参集殿の三輪山の絵を奉納戴いた三輪晃久氏とは親子です。
昭和46年新川神社改築の時には奉賛会顧問として御寄進を賜っております。
親子二代に渡り、御崇敬の御縁を戴きますことに御神縁を感じております。
奉納の記念撮影も親子の絵をお揃いで撮らせて戴きました。
「慶雲」というおめでたい言葉の額です。

新庄御鎮座四百年記念事業の締めくくりにふさわしい、締めの作業を無事終える事が出来、大変嬉しく思います。