4月8日第2回日本書紀に親しむ・4月15日、24日18回古事記に親しむ中下巻

宮司です。一ヶ月前の報告になりますが、日本書紀と古事記に親しむ、それぞれの進捗状況をお伝え致したいと思います。

4月8日は日本書紀の第2回目です。今回は当初の予定第1回目の場所までなんとか読めました。
神代の巻は「一書(あるふみ)」が多いのですが、古事記の素材だと思われる記述もありますのではしょらずに丁寧に解説を進めて行ければと考えています。
大日孁貴ーおおひるめのむちー(天照大御神)の御誕生から火の神・軻遇突智(かぐつち)の誕生、伊弉冉の死、黄泉国に至る神話の場面です。本文に対し繰り返し別伝である一書(あるふみ)を読みますので、それはそれとして読み流していけば何となく流れがわかるところで有ろうかと思います。しかし、大筋としては大きく違わない別伝を掲載しているところなんか、民主的といいますか、それぞれ提出した氏族からの苦情を恐れたのか、集約することを諦めて一書(あるふみ)をすべて放り込んだのかは定かではありませんが、興味深いところであります。

4月15日昼の部、24日夜の部の古事記に親しむは下巻の允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御世を経て允恭天皇の皇太子木梨軽太子(きなしかるのみこ)と、実妹・軽大郎女(かるのおおいらつめ)と許されない恋におちた悲劇のお話しです。

此の段は歌でもって物語が進められるので、歌謡劇舞台での語り部のパフォーマンスを想像しながら読んだ方が情景が浮かび上がるところだと思いますが、以前から歌の現代語訳に苦心しておりまして。と、いいますのも現代語にすると野暮ったいといいますか、なんか真意がつたわらなくなるのでやはり原文から感じ取るのが一番良いように思います。ところが、その歌の原文の意味と話の流れが大筋では合っているのですが部分的に矛盾する箇所もありまして、解説書を色々調べてみましても「意味不詳」などと言うところです。そこで私が閃いたのは、歌はあくまでも「挿入歌」ではないかと言うことです。大体、エンタメは演劇、漫画、映画、TVドラマなどメディアや媒体は時代により進化していますが、根本的な演出方法は昔も今も共通するところが残っているはずだという考えから、現代の映画や TVドラマでも良くある「主題歌」、そしてストーリーのここぞという場面で流れる「挿入歌」、これは歌詞の内容は全く一緒じゃ無いけれどもその場の流れに即した楽曲が選ばれているので物語りに緩急をつけますよね、多分これだと。此の場面では語り部が複数名いて、手振り身振りを交えて歌が読まれている情景を想像しますと合点がいくような気がします。
このことは今のところ何処の本にも書いてありませんので(もしかしたらあるかも)舩木説です。へへっ。