日別アーカイブ: 2018年12月8日

田んぼ学校しめ縄作りとコシヒカリと富富富の食べ比べ開催。

宮司です。12月3日、晴天の下みんな楽しみにしていた神饌田のお米を神様と共に頂戴する日を迎えました。先ずはお宮にお詣りです。ちゃんと手水をして身も心も清めてからお参りしました。今回神饌田のかんさつ日記を提出戴いたのは1名のみでした。この場でその証しとして、新川神社オリジナル朱印帳にかんさつ日記奉納の事を書いて授与いたしました。本来の御朱印はこういう使い方をしたものでしょう。お寺に写経を納めたお記しとして授与されたものでした。(新川神社オリジナル朱印帳は御朱印料込みで初穂料1,200円で授与致します。)
先ずは神饌田で収穫した稲藁を使ってお正月のしめ縄を綯いました。年神様にお家の中に入ってきて戴く目印として玄関にかけるんだよ〜とお話ししました。そうすると、一年間神様にまもられるんだよーと。多分その時は理解してくれてると思います。今頃は忘れてると思いますが。ですけれども、神社で一年間を通じて稲作を経験して泥や川の水に触れたり、稲わらを触れる事自体、現代ではプレミアムな事じゃ無いですかね?こうした実体験が一生涯のおもいでとなり、文字通り「地に足を付けた」本物の日本人に育って貰いたいもんです。なんたって稲作こそ、日本発展の礎ですから。

しめ縄が完成したらいよいよ神饌田コシヒカリをおむすびにして食べます。
本年は「富富富(ふふふ)」という富山のブランド米のデビューの年でした。メディアでも富山県が肝いりで開発したお米ですので大きく取り上げられていました。
私がふと、思いつきまして、コシヒカリと富富富の利き米会ならぬ「ブラインドテスト」をしたら面白いんじゃないかと思いましたので、半分ずつお米を炊いて、種類はわからないように「右」と「左」だけの表示にしてそれぞれ食べて当てっこをしました。

既に下味で塩味が入り、トッピングに海苔と具材が入っていますので当てるのが難しいとは思いましたが、案の定正解率は半分でした。しかし驚くことに、食べずに触っただけで当てた児童もいましてびっくりしました。奉耕者も食べただけではわかりにくかったようですが、米の色とかで認識しておられました。要は富富富も元はコシヒカリの品種改良ですので大きくは違わないので両方美味しい、ということがわかりました。白米で炊きたてを比べた方が違いがわかると思いますが今回は段取りの関係で出来ませんでしたので、いつかやれればとおもいました。
年配の方が一様に「食べ慣れたコシヒカリが美味いわ」とおっしゃいますが、私は「どちらが美味しい」の比較は無意味だと思っている人です。
コシヒカリより倒れにくくて農薬が少なくて農家の方が育てやすく自然災害に強いコシヒカリが富富富です。コシヒカリと同じテイストなら市場に出す意味が無いじゃ無いですか。冷えてもモチモチして美味しい。寿司やおむすびにマッチするお米。固めに炊くとスッキリとした味わいで料理の味を引き立てます。私は好きですね。お米がセレクトできる幅が多い程、食文化が豊かになるじゃ無いですか。
特に生産者が「あちらのほうが美味い」とかそんな心で稲作して貰いたく無いですね、作る人が心をこめないとだめでしょ。好みは千差万別。違いがあるから面白いんです。

食事後は古事記の紙芝居。今回は「天孫降臨」。稲作を広めるために高天原から天下りをした「ににぎのみこと」のお話しから山幸彦・海幸彦のお話でした。紙芝居をしっかりと見ていないと、次に始まるクイズ大会の問題に答えられないので意外とみんな真剣に聞いていました。

最後は恒例のクイズ大会です。ここで日本の神話やお米の事について子供達は学んで行きます。父兄の方々も知らなかったことも少なからず有ると思いますので親子で楽しめるクイズを毎回私自身が楽しみながら考えています。これがたのしいんですよ、子供の笑顔を想像してひとりでにやにやしながら考えてます。

 

HEARTの中のART ボーダーレス・アートセッション in TOYAMA ご報告・其の弐

宮司です。今回はメイン会場である金岡邸の作品展示の様子をどうぞ。

HEARTの中のART ボーダーレス・アートセッション in TOYAMA ご報告・其の壱

師走に入りまして寒い日になりました、愈々年末と言うことで滞っておりましたご報告を一挙にさせて戴きます。先ずは11月10日(土)より18日(日)まで行われました作品郡ですが、圧巻でした。木下晋氏の講演を聴いてから見ますと尚更に理解できます。先ずは今回展示作品は展示会をするために製作されたのでは無くて、誰に見せたいというわけでも無く、日々の営みとして「生きる」ための「創作」という意味で他の美術作品と制作される根本が違う、ということ。そしてそれらは家族や周囲の人から無視されてきた「もの」であったのを、ひょんな事から芸術作品として「発掘」されたということ。今回の主催者の米田昌功氏を始めとする見識者に発掘されないと世に出てこなかった物達であります。