月別アーカイブ: 2020年3月

天皇陛下御即位奉祝事業其の壱「令和駐車場」完成。

宮司です。国の新型コロナウィルス蔓延防止策のお陰か、爆発的な拡散はなんとか食い止めているような現状ですが、今だ予断をゆるさない日々ですので、明るい話題を。
2019年2月に神社前の民家が壊され、神社の御神木も24本伐採していよいよ市道新庄10号線の拡幅工事に伴い、境内地と道路に提供される民家の残地の交換手続きも無事終了し、これから神社の境内地は道路に提供される反面、交換した土地に参拝者駐車場を造成する工事が無事に終了いたしました!

名付けて「令和駐車場」。シンプル且つこれほどハマるネーミングは無いですね。宮総代の平野事務長さんがなんとなく資料に記された仮称の様な物でしたが、一発で決定です。参集殿のほうにメイン駐車場がありますので、その呼び方の区分けとしては一番わかりやすいですね。しかも御代替わりの年に粛々と工事が進められましたし、天皇陛下御即位奉祝事業の一環として施行いたしました。

まだガードで使用できないようになっていますのは、道路に電柱が立ったままになっており、事故の要因と成り危険ですので、電柱が移設されたら晴れてのオープンとなります。

まだ道も全体が拡幅されていませんし、見通しがわるい場所でも有りますので安全確保が出来てからのご利用となりますので何卒ご理解戴きますようにお願いいたします。

参集殿に宮司セレクトコーナー設置

宮司です。昨日はひなまつり。舩木家では姉が嫁ぎましてからは本物は飾らず。小さなひな人形が玄関に飾ってあるぐらいでしたが、1月28日付けのブログでも紹介しました「花ノ和工房」和紙造形作家・堀内章代(ほりうちあきよ)さん製作の「越中和紙 春待ち雛」が納品されました!
五箇山の悠久紙で製作されているので、和紙独特の質感が魅力的な一品です。

そして、以前からこれも宮司セレクトとしてご紹介と神社としても頒布しております、松井機業「JOHANAS(ヨハナス)」のしけ絹と五箇山悠久紙仕様の「御朱印帳」を参集殿内ギャラリーに満を持して一緒に展示いたしました。

御朱印帳は現在ブームですのでそれぞれに素敵な意匠のものが製作されていますが、では私自身が持ちたい御朱印帳は?といいますとなかなか有りませんでしたが、あるときふと御縁をいただいた城端の松井機業に訪れたときに出逢ったのがこのしけ絹と五箇山悠久紙の純白の御朱印帳でした。

御朱印帳はいろいろな神社仏閣の御朱印を納める物ですので御朱印帳は「真っ新」が良いなと。真っ新、真っ白なんだけどただの「白」では無いところがポイントです。
偶然にも私の琴線に触れた物が共通の五箇山悠久紙を使用していたという。
御朱印帳にはマッチングのしけ絹のカヴァーもあります。御朱印帳にしては高価ですが、神様仏様のお印を戴くには最高の素材でできています。

既に何冊か頒布しましたが、書き手としては緊張する代物です。ですが墨の乗りや筆運びが独特で普通の御朱印帳とはやはり一線を画す物です。ハイエンド御朱印帳といえるでしょう。
「春待ち雛」は旧暦の3月3日は3月26日ですので今月いっぱいはお飾りしておきます。

令和2年3月1日富山市消防団新庄分団鎮火祭斎行

宮司です。毎年恒例の消防団の鎮火祭が斎行されました。消防団には新庄若鷹会のメンバーも数人見えますので、頼もしい限りです。校下の町内会関係、学校の関係者も参列され約40名のお参りでした。
本年から分団長が盛田さんに替わられましてそのご挨拶で印象的だったのが、「最近の火災は、火が無いところに煙が立つ」ということです。電気配線、延長コードの発熱から火災になる事例があるということです。私も電気機器が多くなる現代ですのでタップには新しい物を使うようにしています。

本年も自然災害、火災が無き様に、また、いざという時は消火活動にあたる消防団員に事故や災い、怪我などが無いようにお祈り致しております。

鷹乃羽雅楽会令和2年2月22日富山を楽しくする会参加

宮司です。今日は3月3日。巷では新型コロナウィルスの解散防止のために国が学校の休校やイベントの自粛を促したことについての対応がそれぞれの場所でおこなわれているようです。当方でも3月から雅楽会や古事記・日本書紀などいろいろな行事がスタートしますので、悩ましいところです。

今現在では富山県内の感染者は報告されていませんが、潜在的にいないわけではないと思われるので微妙なんですね。

伝染病は古事記の中では第10代崇神天皇の時に国民の3分の2が死ぬという激しい疫病に対し、自責の念にかられた天皇が夢占いをして神の神意を尋ねたところ、三輪山の大物主神のお告げにより、「大物主神の末裔であるオオタタネコを神主として祭祀を行えば疫病は止む」、ということで三輪山祭祀が始まった事が記されています。神のお告げのままに祭祀を施すと間もなく疫病は止み、喜ばれた天皇は全国に天津社・国津社を定めた事と、この時代に八咫鏡を祭るのにふさわしい場所を探し求める旅に皇女を使わされています。此所で重要な事が、3つあります。

①全国に神々を祭る神社を設置されたこと。 ②伊勢神宮の奉斎を企画されたこと ③神を祭る神主は神様の御指名により決められたこと

これが国家祭祀のはじめで、その原因が「疫病」だったことですね。全国に神社を定められたのは疫病が蔓延して国家存亡にあたり、統制を効かせるための拠点としての福利厚生の目的があったと私は感じております。現在でも家に不幸があったら「神社に行くな」というのは疫病の蔓延を防ぐための祖先の知恵でしょう。
その時代は文字も無く、言葉での伝達ですので、「死者が出た家はしばらく他人との接触を絶って葬儀に専念しなさい。(人が多く集まる神社には)その期間は行かないように」と。現代も同じですよ。要は「死の穢れ」は観念的なものもありますが、崇神天皇朝のエピソードから解すれば「伝染病」が「穢れ」で「人に伝播する物」として忌み嫌ったと理解するのが素直な見方では無いかと思うのですがいかがでしょうか。

と、前置きが長くなりましたが、令和2年2月22日の午後2時頃、毎年参加させて戴いております「富山を楽しくする会」に鷹乃羽雅楽会として演奏してきました。こんな時期でしたので何時もより観覧者が少なかったようです。

当神社HPに「鷹乃羽雅楽会」のページもありますのでそこには動画もあるのでご覧ください。