10月19日鷹乃羽雅楽会奉納演奏

宮司です。恒例の秋祭りの宵の鷹乃羽雅楽会奉納演奏を実施いたしました。今年は3期生が神前・人前とも初披露ということで、皆さん緊張して居られたようですが、今までの成果を神様にお聞かせすると共に、何事も「締め切り」といいますか、区切りといいますか総括した方が課題と目標が明確になりますので。そしてインプットしたらアウトプットした方が身につくんですよね、何事も。

演目は平調の音取、越殿楽、五常楽急が全員で演奏。盤涉調の音取と越殿楽を1・2期生で演奏しました。私は楽琵琶にて加わりました。映像は鷹乃羽雅楽会のHPに置いてありますのでご覧ください。

30分の演奏を終えましたら、これも恒例ですが少し時期が早いですが忘年会を兼ねた納会をいたしております。三管の1期生から3期生が一堂に顔合わせすることは年に一度、この時だけなので簡単な自己紹介と感想などスピーチしていただいております。

それぞれにそれぞれの動機や御縁がありましてこの鷹乃羽雅楽会にて雅楽という音楽を通じて出逢っております。音楽をやる以上、上手い下手の技術的な向上を目指すのは勿論ですが、昔の人は殿上人であれ、武人であれ雅楽を嗜んだのは精神性の向上にあると思います。

雅楽を見たり聞いたりするだけでも魅了されますが、実際にみずから演奏をしてみること、みんなと合奏することが一番楽しいことです。自らが演奏することにより音楽への理解度が高まり、さらに見たり聞いたりする楽しみが倍増すること請け合います。
このような雅楽に触れる事が出来る場を提供するのが我々神社人の使命だと感じまして富山県神社庁雅楽講師である髙瀨神社の藤井秀嗣宮司、富山市・熊野神社の横越照正宮司にご協力を戴いてこの会が成立しております。お忙しい中、本当に有り難いことであり大変感謝いたしております。

「神皇正統記」(北畠親房著)より
「〜音楽は四学(詩・書・礼・楽)の一つで政治を行うときの根本である。現在音楽が芸能の様に思われるのは無念、世の悪風卑俗を変えるのに音楽より良い物は無い。〜」

私はいつもこの言葉を座右の銘に致しております。
また、鷹乃羽雅楽会入門の際にお渡ししておりますものに「楽道(がくのみち)の心得」という、いわゆる「おきて」があります。これは後白河法皇が記された「梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう)」という文献から私が抜粋して五箇条に整えた文章です。やはり雅楽も「道」として、音楽的な上手い下手も大事ですが、一生をかけて取り組む「ライフワーク」として音楽を通じて素晴らしい人生を過ごすお手伝いが出来ればこれに勝る喜びはありません。
今後もお仲間を増やしながら神様に通じるような音が奏でられるように精進して参りましょう。

鷹乃羽雅楽会 楽道(がくのみち)の心得 
(梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう))編者:後白河法皇より抜粋

(1)雅楽の楽器自体に極意が備わっている

三管の奏で方は、雅楽の楽器自体に極意が備わっている

その楽器にかなった心を持つために吹いたり唱ったりするときはその道の先達を志す気持ちで習練すること。

(2)どんなときでも、その楽器と心を一つにすること

声にも「気」があって、楽器を通じて奏でる五声は、みな腹の中の五臓から、声となって生じてくるもの。人としてこうした声を与えられたことこそが、人生なのだ。どんなときでも、その楽器と心を一つにすることが大事である。

音声の大小、強弱、太い細いは人それぞれの素質であるのでその人なりのやり方で習うと良い。

(3)くれぐれも謙虚になって稽古すべし

我流で色々と解釈して慢心し、教えを乱してまで一人で工夫して、歌ったり楽曲を吹いても何の意味もない。最初は師について、稽古のやり方を聞いて習うべき。まず慢心が立つ人は、そういう気風が歌声にあらわれてしまう。くれぐれも謙虚になって稽古すべし。

(4)人を尊重し、自分も尊重し、仁義礼智信の心をもって奏でること

人を尊重し、自分も尊重し、仁義礼智信の心をもって奏でること。まさに文学の道と同じである。心の驕りはみんな、歌声や音色に現れてしまうだろう。雅楽は指揮者をおかないので協調性も技量のうちである。

(5)先人の教えを乞い、怠けるべからず

音楽の調子※は心身の働きに即するものだから、ただちにあらわれてしまうものだと心得るべきこと、大極意である。調子は神の摂理に通じるゆえ、曲がったことは神に受けない。天地の神みな同根から生じるものならば上は帝から民にいたるまで、髪の毛一本にいたるまでこの摂理に支配されている。だからこそ、我執にかられると神に通じてしまうので何の意味もない。先人の教えを乞い、怠けるべからず。 (※調子=音楽の表現のぐあい、勢い、ありさま。)