宮司です。御代替りの儀式の中でも最重要とされる大嘗祭も無事斎行され、新川神社では収穫感謝祭と次年度の神宮大麻と新川神社の御神札の頒布祭を斎行いたしました。
本来は大嘗祭当日に移動しまして行う通達でしたが、当社は二度収穫感謝の大祭を斎行いたしまして今回の御大典に不足が無き様にいたしました。
3期生を新たに迎えた令和元年最後の温習になりました。
3月から始まりましたが、途中から参加される方もいらっしゃいまして、なるべく受け入れて差し上げたいと言うことで進めて参りました。真面目で真摯で意欲のある方々ですので、お伝えする我々講師陣もその姿勢に感心すると共にこちらも懸命にお伝えせねばと精進するばかりです。
1期生の方々も家庭の事情や病気などで一時的にお休みされたとしても、再度足を向けて戴けますこと、大変嬉しく思います。2期生の方々も1期生に交じって演奏されている姿を拝見いたしますと本当にたくましく成られたなぁと感慨深い物が有ります。
物事には誰でも「はじめて」の瞬間があります。特に社会人と成り、家庭を持ち、それぞれが何かのために心と時間と気持ちを捧げて生きているんだと思います。
ですが、たった一度の人生です。やりたいことに挑戦する。経験してみる。とにかく飛び込んでみる。このような「場」をご用意できる事に生きがいを感じて居りますので、来年も相変わらず、「雅楽」を通じて魂を磨く時間を共有させて戴きたいと思います。
入門したものの、仕事が忙しくてタイミングが合わないと思われる方々も、気晴らしに吹きに来ていただいて結構ですよ。うちはそのあたり緩いので、何度でも再チャレンジ、リベンジを応援しております。
来年明けて1月5日には近所の荏原新町町内会の新年会で演奏させていただきます。
私は流石にいけるかどうか判りませんので全て鷹乃羽雅楽会にお任せいたしましたので、日頃の成果を存分に発揮されまして新年が良き年になるであろう兆しを広めていただければその通りになるのでは無いかと陰ながらご盛会をお祈りいたしております。
宮司です。大嘗祭も無事に納められました翌朝。6月6日に仕込みましたのでまだ半年足らずですが、梅エキスも出ていますし、グダグダになるよりもフレッシュな感じが好きなので天下無双の大祭日に瓶詰めを行いました。
当日は晴天。紅葉も良い感じで気持ちの良い秋空。早速通販サイトでセレクトした瓶を洗浄してボトルに「神のエッセンス」を充填します。こういった無地のボトル、いろんな形・種類があるんですね。今回は梅酒ですのでかっこいいボトルタイプにしました。
今回、白梅と紅梅があるのでそれぞれ漬けようと思ったのですが、紅梅の収穫量が足りませんでしたので白梅と紅梅を半分ずつの量で漬け込みました。いわゆる「ロゼ」ですね。
やはり紅梅を漬け込んだ「ロゼ」は白梅より色が濃くなりました。
「神の精髄(エッセンス)」ですので一滴たりともこぼしたくないので、慎重に充填していきます。無事に全てボトリングに成功いたしました。
それぞれにデザインしたラベルを貼り、完成!
「令和」の元号は万葉集の「梅花の歌三十二首の序文」。宴会で梅を愛でる場からの出典ですので、梅酒で令和を言祝ぐにはぴったりではないでしょうか。
御神前にお供えしてから皆さんと戴きたいと思います。
宮司です。12日の大嘗祭二日前臨時の大祓式に続き、愈々14日は大嘗祭当日祭を斎行いたしました。神社本廳の通達は原則として恒例の11月23日に大祭として定められている新嘗祭を14日に大嘗祭当日の祭祀として日付けを移動して斎行するようにとの事ですが、附記に事情に依り日時を変更しても良いとの事でした。
当社と致しましては11月23日は朝から晩まで奉務神社8社を駆け巡っており、新川神社の新嘗祭は慣例として26日の平日に行っておりました。そこで恒例の祭礼の日時を移動しますと何かとスケジュールや祭礼の段取りが取りづらくなりますので、通達通りに11月14日に新嘗祭同等のお祭りを「大嘗祭当日祭」として、神職のみで斎行し、恒例の新嘗祭は毎年の通り26日に宮総代・生産組合の方々参列の元行うことと致しました。つまり新嘗祭という大祭を2回することとなります。神様の神饌もフルコースを2回。今年は特別な年ですので良いでしょう。神様も今年は喜んで居られると思います。
本来ですと14日の大嘗祭当日の祭祀にも総代各位参列をいただいて斎行すべき所でしたが、日程・諸般の都合上、神職のみで御奉仕いたしました。尚、本年は神社本廳から幣帛料もお預かりいたしましたので幣帛もお供えいたしました。また、お酒も清酒はいつもの羽根屋純米酒、今回は白酒として白川郷の濁り酒をお供えいたしました。魚は当日平鰤(ひらまさ)という魚が手に入ったのでお供えいたしました。私は知らなかったのですが食べると美味しいんです、鰤みたくて。見た目も鰤に似てますし。調べてみますと「ブリ御三家」と呼ばれるブリ、カンパチ、そしてヒラマサの中で、最も脂肪が少なく、さっぱりした魚で、独特の風味があり、身締まりも良く、ブリよりも高級魚とされるそうです。
なんと鰤よりも格上。良い神饌を特別な日にお供えできて嬉しかったです。
宮司です。さて、10月22日即位の礼に延期されました祝賀御列の儀も10日に無事納められまして大嘗祭が愈々という11日、日本書紀に親しむを開催致しました。
丁度、神武天皇の東征の場面で熊野から吉野に苦戦しながらも進駐するところであります。
来る大嘗祭、そして大饗の儀にまつわる奉祝の諸儀式には日本書紀を元とする神事・芸能が目白押しですのでご紹介しようと思いましてネットで検索致しまして、皇室の儀式の中でも秘儀とされて参りました大禮ですので手がかりを探そうと思っておりましたらなんと、本家本元の「宮内庁ホームページ」に「大嘗宮の儀関係資料」、「大饗の儀関係資料」という名称のPDFがあるではありませんか!
このPDFには今まで何となく伝わっていたような詳細が事細かに図案入りで記されておりました!
これで心置きなく自信を持って参加者に説明出来る訳ですよ、本家本元の資料ですからね。
皆さんも興味があられます方は上記の資料名でググって戴ければDLできます。
先ずは11月16日・18日と二日間に分けて行われる「大饗の儀」に演奏される「久米舞」と「五節舞」の動画を見ていただきました。久米は神武東征に従軍した軍事氏族。丁度今回も読んでいる場面は久米が活躍しているところでした。動画サイトで検索すれば見られますので端折って次へ。
興味深いのは大嘗宮の設営図、また天皇陛下が祭祀を御奉仕されます殿内の図、式次第に宮内庁楽師が演奏される曲目、そして歌詞までも記されてることです。吉野の國栖の古風(いにしえぶり)や御神楽、神社庁雅楽部も演奏させて戴いております其駒(そのこま)も演奏曲目に入っているなど、日本書紀に記されていることが今日まで儀礼として継承されている事、その時が近づいていることを感じて貰いたくて、まず最初にスライドでこの公式資料を見ていただきました。極めつけは天皇陛下が天照大御神、天神地祇に御祈りを捧げられる「御告文(おつげぶみ)」の先例文が5例も掲載されていたのです。これは参加者全員にお渡しを致しました。この御告文を読んでいただければ、新帝が国民を救い、国の平和を伊勢の天照大御神を始め、日本国中の神々、天つ神国つ神にお祈りされることが明確にわかるのです。
「伊勢の五十鈴川の河上にいらっしゃいます天照大御神を始め、日本国中の神々、天つ神国つ神皇神の広いお護りによって国中が平安で穀物も豊かに稔り天下を覆って諸々の国民を救わんと思いますゆえに、今年新たに収穫したごちそう、新米をたてまつりますので、我が身に犯すべき諸々の災いがきざす前に祓い除けてください、不祥事・悪事が来ることが無いように。また高い山、深い谷所々の社に名を記して悪しき呪いをする者を皆ことごとく蹴散らして滅ぼして戴く事、この事は天つ神、国つ神のあつきおまもりをいただきまして為せることでありますので恐れみ、恐れみまして申し上げます」というのがこの先例5例の例文の大筋でございます。僭越ながら現代語訳をさせて戴きました。
私は常々、声を上げて申し上げたいことがありましたがこの歴代天皇陛下の御告文を拝見して確信致しました。
神棚には天つ神である神宮大麻と国つ神である氏神神社の御神札を必ず併せてお祭りしましょう、ということです。なぜならば、大嘗祭で天皇陛下が明確にこの神々に御祈りされておいでだからです。我々日本人の本家本元がなされているのですから間違いないです。現存する世界最古の国家をおまもりしてきた神々は我々の家の中においでなのです。
最近、「へんな神道」に少なからず出逢うことがあります。伝統的に伝わっているのに自分勝手な教義をお作りになって、「天照大御神の御神札だけで良いが」という方が少なからずいらっしゃいます。折を見て伝えているのですが「今までなんともなかったから大丈夫」だそうです。
確かに、氏神神社が小さな社で、神職も常駐していない、うらぶれた神社に御利益を感じないから有名大社やTVコマーシャルにお金をかける神社に御利益を求められるお気持ちもわかります。
私が神職ではなくて一般的な国民でしたらそう感じて居るかも知れません。ですが、此所では永くなるので端折りますが、まだまだ少ない年数ですが私の神職としての経験上、皆さんが住んでいる場所を守護していらっしゃるのは氏神神社です。神社は神界への入り口。大きかろうと小さかろうと、神主がいようといまいと、関係無く繋がる場所です。初詣は先ずは地元の氏神さんから。
普通に昔から伝わってきたことには何かしら意味がちゃんと有るのです。そしてそこにはやはり何らかの力が働いているのです。自分勝手な我心の神道は辞めて、今一度基本に立ち返ってみませんか、と声を大にして言いたいのです。皇室という尊いお手本が我が国に君臨されておりますので。
宮司です。10月19日秋祭りの奉納演奏を終えまして納会も致しましたが、11月は2回、温習を致しまして本年は修了です。
3月から3期生を迎えての鷹乃羽雅楽会ですが、皆さん熱心に通われまして進歩しておられます。
龍笛は特に音が出るまで、また出たとしても吹き続けるには個人練習が必要で有ろうかと思います。
雅楽を通じて自己研鑽をしていただき、今まで出来なかったことが出来るようになる感動を味わって戴きたいと思います。練習は今まで出来なかったことを出来るようにするための道のり。夜に出来なくても朝起きてやってみたら出来た!なんてことは良くあります。
何事もそうですが、雅楽が上達する人は素直であきらめない人。
人って、未知のことに出くわすと「私には無理!」とか言って、自分に「ブロック」をかけてしまいます。私もそうところがありますが、自分を俯瞰して「あー、自分にブロックかけてるな」と感じたらまずは自己暗示を解いて「やればできる」で取り組んでみましょう。真面目な大人の人程、自己ブロック懸かりやすいようです。身の程知らずの子供が何でも出来るようになるのがお手本でしょうか。今は出来なくても「俺はやるぜ〜」が、良いみたいです。
そうそう、私も「身の程知らずのこども」みたいな所がありまして、まだ雅楽も駆け出しの頃、雅楽楽器の展示販売に先輩と行きましてまだ笙の演奏もかじりかけの時に、楽琵琶が展示してあったんです。高校からギターを趣味でしておりましたので琵琶を初めて見て直感で「琵琶、弾かせてください」とお願いしました。当然、教えて貰ったこともありませんので弾けませんが「いつか、弾こうと思って・・」と言いましたら、先輩が「けっ、そんなもんできるわけ、なかろうが」と上から目線でディスられました。その時はなぜか、自分はいつか弾くことになるだろうと予感していたんでしょうかね、そんな言葉も屁とも思わず「いまにみとれ」というよりか「あんたにゃわからん」と思っていました。生意気ですな、これに関しましては。普段は謙虚な好青年なんですけれどね。
実際に琵琶を持ってみて感じたのが「重さ」でした。ギターよりも倍程重く感じました。これは立って弾けんな、と。その時は当然弾けないんですけど弾いている自分にワクワクしていたような気がします。そして数年後、笙の基本をマスターした後に物やテクニックは後から訪れてきました。
その後神社庁に楽琵琶を神社庁備品として購入戴きまして、富山には楽琵琶を教えてくれる人はいませんでしたので東京の天祖神社の福岡三朗宮司様に習い、こんにちでは富山県神社庁雅楽部は三管三鼓に楽琵琶と楽箏を加えたフルオーケストラで演奏出来るようになりました。
いまでは当時私をディスった先輩には感謝しています。私、頭にきた方が燃えるんですわ。
「未来の自分の姿にワクワクする」イメージをしっかり持っている人。神様もそんな人を応援してくれているんじゃ無いかと思います。音が出ない人、諦めないで続けてくださいね。いつかきっと出来ますから。
宮司です。この日は昼は古事記、夜は日本書紀のダブルヘッダーです。参加者の中にもダブルヘッダーで参加される方がいらっしゃいますので、しゃべる方も聞く方も真剣勝負です。
今回は「古事記あれこれ」ということで、前回読み残した古事記の「序文」の後半部分の素読と解説をした後に、今回最後まで参加されました方々に証明証と粗品をお渡しいたしました。
全巻皆勤された方には「全巻読破皆勤証明証」を。しかも2回目の方には社紋・違い鷹乃羽が二羽付きます。都合により欠席する回があったとしても最後まで読み切った方で半分以上参加の方には読破証明証をお出ししております。
その後には質疑応答をいたしました。普段はなかなか進行上時間が取れませんでしたが、此の機会に疑問点の受け答えを致しました。参加者からは次から次へと質問が有りまして神道や神祭り、古事記の世界観など多岐にわたり、答えになっているようななっていないような返答でしたが、神代のことは人智を越えた分野ですのでそもそも未知の世界ですのでわからなくて当たり前ですので、良いんじゃ無いですかね、わからなくたって。
さて、午後7時からは「日本書紀に親しむ」です。今回は神代上・下を終えて神武天皇の巻に入りました。その前に神代に当たる巻1〜2のおさらいをいたしました。
私自身も日本書紀の素読は初めてでしたので進め方を試行錯誤しながらでしたので予定より丸2回分送れてしまいましたが、来年から始めます昼の部では上手く進めたいとおもいます。神代巻は「一書」の読み方がキモのようで、本文を本に重要な部分を押さえていく事が大事なところです。
来年は日本書紀撰録1300年の記念の年です。前倒しで始めました夜の部に続きましていよいよ昼の部がスタートします。主婦層の方々やご年配の方は昼の部の開催を心待ちにして戴いておりましたので、満を持して開講したいと思います。
宮司です。さて、鷹乃羽雅楽会は秋の神前奉納演奏を終えて納会も終わりましたが11月まで温習は続きます。最近ここに来て雅楽に興味がある、ということで見学したいという方から数名問い合わせがありまして、雅楽に触れてみたいという方が潜在的にまだまだ居られるんだなぁと感じております。どうしても新規募集が3年に一度になります。本年は1年目ですので2年後の第4期生新規の新規募集を待つか、なんとか3期生に食いついていくかの瀬戸際でしょうか。
先ずは温習の様子を見学されて講師とご相談ください。
本年は残すところ11月10日、24日の日曜日午後6時30分〜8時まで。
12月から来年2月までは休講になり、3月から再スタートします。
さて、3年間全36回の古事記素読の会「古事記に親しむ富山」夜の部が最終回を迎えました。
前回に全て読み終えまして今回は序文の後半の素読と解説をしました。
その後に読破証明書授与式を行いました。読破証明書には4種類ありまして、上巻から下巻の最後まで36回皆勤された方で2回目参加の方、これが最高の証明証です。次に1回目の全巻完読皆勤賞。
中下巻の24回の皆勤賞、そして36回の内半分以上出席のかたで、この日最終回にご出席の方には読破証明書を授与いたしました。
証明証を作成して印鑑を押しておりましたのは天皇陛下御即位礼正殿の儀の10月22日でしたので証明証の日付けは即位礼正殿の儀当日とさせていただきました。
記念品と致しましては2回目の読破者には「歴代天皇事典」、初めての皆勤完読者には本居宣長大人が古事記伝を完成させた後に弟子達の要望により書き上げた国学を学ぶ者の心得を諭された「うい山ぶみ」。皆勤に及ばずとも最後まで読破された方には「神と人と」という敬神生活実践の栞を差し上げました。
その後にこの会に参加されての感想や質問などお一人ずつスピーチしていただきました。
本当に皆さん長い間お付き合いいただきまして有り難うございました。
一言に完読と申し上げましても足かけ5年の3年間、月1回ですが忘れもせずに通われた事は偉業です。自信を持って「古事記を読んだ!」と胸を張って今後の人生を神様と共に生きていって充実した日々をお過ごし戴きたいと思います。
此の会はただ知識を得るための勉強会にあらず。我々日本人共通の祖先の物語に親しむことにより神様・祖先神との魂の交流を感じて戴きまして中今の現世をたくましく生きていく「よすが」となれば幸いです。
来年3月から新たなる「古事記に親しむ富山」が上巻から始まります。
1回読んだ方も2回読んだ方も再度ご参加されまして、一人でも多くのお仲間をお誘い併せていただき、高天原に届くような大きな声の素読会をエンドレスで継続して参りたいと思います。
私のライフワークとしまして天命の限りお供して参りますので来年3月またお会いいたしましょう!
宮司です。恒例の秋祭りの宵の鷹乃羽雅楽会奉納演奏を実施いたしました。今年は3期生が神前・人前とも初披露ということで、皆さん緊張して居られたようですが、今までの成果を神様にお聞かせすると共に、何事も「締め切り」といいますか、区切りといいますか総括した方が課題と目標が明確になりますので。そしてインプットしたらアウトプットした方が身につくんですよね、何事も。
演目は平調の音取、越殿楽、五常楽急が全員で演奏。盤涉調の音取と越殿楽を1・2期生で演奏しました。私は楽琵琶にて加わりました。映像は鷹乃羽雅楽会のHPに置いてありますのでご覧ください。
30分の演奏を終えましたら、これも恒例ですが少し時期が早いですが忘年会を兼ねた納会をいたしております。三管の1期生から3期生が一堂に顔合わせすることは年に一度、この時だけなので簡単な自己紹介と感想などスピーチしていただいております。
それぞれにそれぞれの動機や御縁がありましてこの鷹乃羽雅楽会にて雅楽という音楽を通じて出逢っております。音楽をやる以上、上手い下手の技術的な向上を目指すのは勿論ですが、昔の人は殿上人であれ、武人であれ雅楽を嗜んだのは精神性の向上にあると思います。
雅楽を見たり聞いたりするだけでも魅了されますが、実際にみずから演奏をしてみること、みんなと合奏することが一番楽しいことです。自らが演奏することにより音楽への理解度が高まり、さらに見たり聞いたりする楽しみが倍増すること請け合います。
このような雅楽に触れる事が出来る場を提供するのが我々神社人の使命だと感じまして富山県神社庁雅楽講師である髙瀨神社の藤井秀嗣宮司、富山市・熊野神社の横越照正宮司にご協力を戴いてこの会が成立しております。お忙しい中、本当に有り難いことであり大変感謝いたしております。
「神皇正統記」(北畠親房著)より
「〜音楽は四学(詩・書・礼・楽)の一つで政治を行うときの根本である。現在音楽が芸能の様に思われるのは無念、世の悪風卑俗を変えるのに音楽より良い物は無い。〜」
私はいつもこの言葉を座右の銘に致しております。
また、鷹乃羽雅楽会入門の際にお渡ししておりますものに「楽道(がくのみち)の心得」という、いわゆる「おきて」があります。これは後白河法皇が記された「梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう)」という文献から私が抜粋して五箇条に整えた文章です。やはり雅楽も「道」として、音楽的な上手い下手も大事ですが、一生をかけて取り組む「ライフワーク」として音楽を通じて素晴らしい人生を過ごすお手伝いが出来ればこれに勝る喜びはありません。
今後もお仲間を増やしながら神様に通じるような音が奏でられるように精進して参りましょう。
鷹乃羽雅楽会 楽道(がくのみち)の心得
(梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう))編者:後白河法皇より抜粋
(1)雅楽の楽器自体に極意が備わっている
三管の奏で方は、雅楽の楽器自体に極意が備わっている。
その楽器にかなった心を持つために吹いたり唱ったりするときはその道の先達を志す気持ちで習練すること。
(2)どんなときでも、その楽器と心を一つにすること
声にも「気」があって、楽器を通じて奏でる五声は、みな腹の中の五臓から、声となって生じてくるもの。人としてこうした声を与えられたことこそが、人生なのだ。どんなときでも、その楽器と心を一つにすることが大事である。
音声の大小、強弱、太い細いは人それぞれの素質であるのでその人なりのやり方で習うと良い。
(3)くれぐれも謙虚になって稽古すべし
我流で色々と解釈して慢心し、教えを乱してまで一人で工夫して、歌ったり楽曲を吹いても何の意味もない。最初は師について、稽古のやり方を聞いて習うべき。まず慢心が立つ人は、そういう気風が歌声にあらわれてしまう。くれぐれも謙虚になって稽古すべし。
(4)人を尊重し、自分も尊重し、仁義礼智信の心をもって奏でること
人を尊重し、自分も尊重し、仁義礼智信の心をもって奏でること。まさに文学の道と同じである。心の驕りはみんな、歌声や音色に現れてしまうだろう。雅楽は指揮者をおかないので協調性も技量のうちである。
(5)先人の教えを乞い、怠けるべからず
音楽の調子※は心身の働きに即するものだから、ただちにあらわれてしまうものだと心得るべきこと、大極意である。調子は神の摂理に通じるゆえ、曲がったことは神に受けない。天地の神みな同根から生じるものならば上は帝から民にいたるまで、髪の毛一本にいたるまでこの摂理に支配されている。だからこそ、我執にかられると神に通じてしまうので何の意味もない。先人の教えを乞い、怠けるべからず。 (※調子=音楽の表現のぐあい、勢い、ありさま。)
宮司です。去る10月19日土曜日、恒例の秋祭に併せて10月22日の御即位礼と11月14日から15日の大嘗祭の御安泰祈願の祝詞を奏上申し上げ、諸儀式の御安泰と新しい御代の平和と弥栄を神々にお祈りいたしました。本来ですとそれぞれの当日に祭祀仕え祭るのが本義ですが、奉務神社秋祭や新嘗祭がそれぞれ予定がありますので、新川神社の秋の祭礼に併せて氏子総代皆様と共にお祈り申し上げた次第です。
当日は土曜日と言うことで会社勤めの方々も大勢ご参加いただきまして賑々しく斎行できました。
ご挨拶でも申し上げましたが、やはり神社の祭礼は人が多く集まってお祈りする事が大事だと言うことです。
私が座右の銘にしております金言です。
神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添ふ
この文は北条泰時が貞永元年(1232)に評定衆に命じて編纂させた鎌倉幕府の基本法典「御成敗式目」の言葉です。全部で五十一箇条からなっているその第一条です。第一条は「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」、その後に続くのがこの文です。
「いかなる神も人間の崇敬をうけてこそ、その御威光を輝かすのであり、御神意を高めるのは人の敬の力である。その人が人としての運、人としての生命を与えられるのは、神の徳によってである」という意味です。神道の立場での神と人との密接な関係が的確に述べられている言葉です。
新川神社は新庄御鎮座400年祭を経て大勢の参詣者がお参りいただくようになりましたので、かなり御神威が強くなったということになりますね。
宮司です。台風19号が心配されましたが、富山の方は13日には通過しているとの予報でしたのでスケジュール通りに開催致しました。ですが、東北・信越・関東が今のような惨状になっているとは思いもしませんでした。
鷹乃羽雅楽会は本年3月から第3期生を募集して新しいお仲間が増えたところですが、愈々10月19日は新川神社秋祭の「奉納演奏」を迎えます。
3期生は初舞台、ということで緊張されるとは思いますが、1・2期生と一緒に演奏しますので大丈夫。練習の成果を神様にお聞かせいただければ宜しいのです。今現在がいたらなくとも、来年、再来年とじょじょに上手くなっていく様を神様が感じていただければそれで良いと思います。
御神前で演奏する事や人前で演奏する事が上達の原動力となります。女優さんも人に観られる職業だから自分を磨くことを怠らないように、我々も神仏に捧げる「音のお供え物」である雅楽を奏する喜びを楽しんでいただければ幸いです。
音楽を演奏する人にとって神前奉納とは名誉なことですからね。
演奏曲目は「平調音取」「平調越殿楽」「五常楽急」「盤涉調音取」「盤涉調越殿楽」ほかです。
午後7時から、本殿にて演奏です。ご自由に見学できます。
宮司です。お宮で飲もう会もはや29回目ということで感慨深いものがあります。
今回の飲もう会の企画をする若鷹会の役員会で開始30分の枠に何をするか、アイデアを出します。
ゲストだったりその時の時流に合わせたテーマなどですが、今回は昨今異常気象と言いますか、観測記録上初の・・・というフレーズが多く、自然災害に対する防災意識の向上が叫ばれている昨今。新庄町、新川神社の歴史も自然災害との戦いですので新庄町の洪水の歴史、新庄城にまつわる戦国時代の新庄の話、上杉謙信が新庄城を拠点にして富山城の一向一揆と戦った話、金岡邸の主である金岡家の事について、新庄町を中心としたテーマを宮司さんに話しして貰おう、というご提案を戴きました。即、わかりました、と返事いたしまして、これは私の持論である「町新庄パワースポット説」をぶちかませば良いな、と構想はすぐ浮かびました。
しかしながら、戦国時代の富山の戦況というのがひじょーに複雑でして、これを30分の枠にどう入れるかが課題ではありましたが、私自身、此所はこのいただいた機会を利用して自分なりに再度読み込んでみようと思いました。
実は予てよりこの町新庄の戦国時代に関しましては書籍や歴史展などリサーチしておりましたので先ずはその書籍2冊を読み込むことにしました。
其の2冊とは平成29年9月から11月12日まで富山城跡が富山市郷土博物館になっておりまして、そこでの企画展「特別展 謙信 越中出馬」の資料本です。当日展示されていた物全てが写真と解説付きですので、すかさず買って帰りました。映像なども取り混ぜての展示でしたので新庄町に関する史料もあり、興味深く拝観いたしました。
もう1冊は「越嵐(えつらん)」という本で、これは金岡家の金岡純二様に寄贈いただきました。
著者の盛永宏太郎氏は金岡家と縁戚に当たられると言うことですが、ある日突然金岡純二様より「宮司さんの顔を見たくなったから行ってもいいですか」と、信じられないような光栄なお言葉を戴いて、即良いですよ、ということで参集殿でお待ち申し上げて居りましたら1冊の本をお持ちに成り、「これは私の縁戚の物が趣味で書いたのだが、新庄町の事も触れて居るので、宮司さんに1冊差し上げる。宮司さんは新庄の地域のことを伝える使命を自覚しておられる様だから。」という旨の身に余るもったいないお言葉も戴きました。
この本は正に戦国時代の北陸の武将の活躍のことを描いた物語りで、年代順に物語りが進められ、しかも最後の方には人名・地名索引が付いているので北陸戦記物語以上に史料道しるべのような機能を有しているので、その時代の場面を体験しているような感じになり、スラスラと読めました。しかも全ての漢字にふりがなが記されており、どうしても戦国武将の名前は普通に読みづらいのでわかりやすく読めました。
あとは上杉謙信の物語としてコミックですが「雪花の虎」がありまして。実は上杉謙信は女性だった!という想定の上杉謙信物語りですが、コミックは史実に基づいて作話していますので、大筋がわかりやすく掴めますので、いきなり戦記本を読むのも辛いので、私はコミックも積極的に活用します。
演題は「宮司が伝えるわたしたちの新庄についてー新庄パワースポット説ー」と副題を付けてスライドにて話をしました。
第1には明治天皇様が新庄で御休憩された事、そのお供の方々が錚錚たる面子と800名にもなる行幸だったこと。明治天皇様御使用の手水鉢が現在新川神社宮司家の前に移設された経緯など話しました。
第2には新庄城にまつわる話として上杉謙信と一向一揆の流れと尻垂れ坂の激戦の話をしました。
第3には新庄町と洪水の話、常願寺川の治水の歴史、飛越大震災と跡津川断層、立山カルデラの話をしました。特に常願寺川の氾濫を治水すべく、明治時代に川の流れを真っ直ぐに変えるという大工事をオランダ人技師・ヨハネス・デ・レイケの指導によって成し遂げられた事が今日の治水に繋がっている事をお伝え致しました。
まさか、この時は一週間後に台風19号の甚大なる洪水被害が東北から関東、信越各所で起こるなどとは思いもしなかったです。
今、被災地の悲惨さを拝見する度に、400年前の新庄町はまさにこのような事態であったことを思わざるをえません。被災地の方々には心よりお見舞い申し上げたいと思いますし、なにくそ根性で1日も早い普通の生活に戻れるようにお祈りいたしております。
新庄町は太古の昔から交通の要所であり、戦国時代は戦略の要所で有り、人も町も新陳代謝が起きる場所です。町全体がパワースポットだと感じるのは町全体が十字路(クロスロード)なので色々なパワーが集まり交流するところだからです。しかも「新庄」の交差点は「変速五叉路」と呼ばれる十字路より一本、道が多い交差点なんですよ。
(1)明治天皇北陸御巡幸の際、御休憩される。
(2)上杉謙信、新庄城(太田新城・辰城)より富山城の一向一揆を攻める。
(3)富山県初の水力発電所(パワーステーション)建設(金岡又左右衛門)
金岡又左右衛門さんは薬業で成した財源を元に、火力発電が主流の時代に、洪水で被災した歴史のある新庄の人らしく、敢えて水力発電を選択し、治水と発電を両立させようとしました。
歴代天皇の中でも始めて近代化の御代を治められた明治天皇、戦国武将の中でも名将の誉れ高い上杉謙信、そして富山初のパワーステーション(発電所)事業を始めた金岡又左右衛門さん。
このお三方がキーパーソンとして新庄町に足跡を残して居られる。これが町全体が力のハブ、結束点として機能しているパワースポットであるというのが私の持論です。今でも新庄町には色々な企業が本店機能を移してきたりしています。
最後に、宮司が皆さんに伝えたかったことは「新庄なにくそ根性」です。
現在も昔から新庄町に住んでいる人は洪水で流されてもこの新庄町に留まり続けた反骨精神の強い遺伝子を持っていると思います。昔から新庄は「ガラが悪い」とか、「ヤンキーの町」はそのせいでしょう。大体、水辺の民は気性が荒いですよね。
ですが、新川は荒川とも読めますし、新しい川の流れを作る場所に住む我々「新庄もん」は何があっても「なにくそ根性」を忘れずに現世をたくましく生き抜く人でありたいです。先祖達が洪水後の荒れ地を耕して麗しい水田を取り戻してきたように。
宴会の部では何時もの如く、色々な差し入れをいただきましてありがとうございます。
皆さんの心からの差し入れのお陰で、会費3,000円では考えられないような美味しい物が戴けます。
貫江総代会長からは奥さんの漬けた漬け物、鍋を用意いただいた彩名さん、酒肴を料理して持参いただいた九曜さん、その他お酒の差し入れなど有り難うございました。
何時もの通り、宮司セレクトとして羽根屋・富美菊のニューモデルと勝駒の純吟。
梅酒のリクエストがありましたのでまだ早いかなと思いましたが本年の6月6日に漬けた御神木の梅酒を振る舞いました。本年は3樽漬けましたので、12月のお宮で飲もう会にも出せます。昨年もそうでしたが我ながら良い出来です。もう色も付いていますのでイケると思います。
9月はいよいよ古事記の中巻・下巻完全読破コースのゴールの回でした。
9月25日午後7時から古事記夜の部、30日の午後1時30分からは古事記昼の部、
同日の午後7時から日本書紀の夜の部です。日本書紀の昼の部は令和2年春開催予定です。
来年令和二年は西暦2020、日本書紀撰録1300年記念の大きな節目です。
古事記も2回通り素読を終えましたので、改めて上巻からスタートです。
いずれも昼の部は午後2時〜4時の開催時間に変更いたします。夜の部は午後7時〜9時で変わりません。主婦の方は余裕を持って参加出来ると思います。
10月は皆勤賞、通読された方に認定書、参加賞の授与式と「古事記あれこれ」ということで質疑応答など、今まで時間が取れずに聞けなかったことなどで締めたいと考えております。
3年間の長い間お付き合いいただきました参加者の方に感謝申し上げます。参加者がいらっしゃっての素読会ですから来年からもエンドレスで続けて参りたいと思います。