日別アーカイブ: 2017年6月1日

5月28日神仏かふぇ。開店

宮司です。さてさて、新庄小学校の運動会の日程の関係で田んぼ学校と神仏かふぇ。が連日開催になってしまいましたが両日とも快晴の下、1日限りの開店が36名の参加を得まして盛況の内に納める事が出来ました。神仏のお話しや一問一答で予定の2時間30分を少しオーバーしてしまいましたが。

今回は基調の話に神社・禅寺で神職・僧侶が着用する着物と使用する神仏具を紹介いたしました。今まではどちらかというと目に見えない精神や心をテーマにしていましたが6回目にして愈々「モノ」にスポットを当てたコンテンツを導入しました。神社・仏閣には普段の生活に無い「ツール」がいっぱい有りまして、皆さんから良く聴かれる質問に装束の色の意味とか用途などリクエストもありましたのでようやく「お蔵出し」というわけです。別にこだわりは無かったのですが、やはり最初から「モノ」に焦点を当てることを意識的に避けてきたような気がします。ですが、実は精神を形にして伝えてきた「三種の神器」があらわすように「目に見えぬ世界を具現化する意匠」満載の寺社は「デザインの権化」的な存在だと思います。つまりこの世で最高のデザイン・モノ・カタチが自然と共に普遍的に存在する場所なわけです。古今東西のすべての美術・芸能・絵画は宗教儀礼から始まっていますし。

ということで今回も興味深い一問一答でした。毎回なのですが私自身、もう少しこの例を出して説明できればよかったなぁ〜と後で思い出して悔しい思いをすることが必ず2、3有りますので、ここで補足をしたいと思います。

質問は「自分の現住所の氏神神社は普段は神職も常駐しない、ひっそりとした何の変哲も無いお宮で、ほとんど扉も閉めきりなのですが、果たして神様はそのようなところにもいらっしゃるのでしょうか?」

という質問でした。ご質問の意図は私自身、非常に良くわかりまして、いわゆる神職が常駐している大社や地元民の手入れが行き届いているお宮の境内はやはり神気が感じられる様な気がするのに対し、すべてでは無いですが環境によっては神気が感じられそうも無いお宮があるのも致し方が無い事と思います。それがたまたま自宅の氏神様だとしたら、産まれ育った実家の氏神なら色々と子供の頃からの思い出などがありますので、そこには幼い頃の自分の生い立ちそのものが宿っているような気がするのでどんなところであれ、想いが籠もる場所であろうかと思います。しかしながら大人になってたまたま住んだ場所、家を建てた場所、結婚で嫁いできた場所といいますのは後付け的な場所ですので「気持ちが無い=(イコール)思い出が無い」、ということを折に触れてお伺いすることがあります。正直な気持ちでしょうね。

そういう意味で、神社が宮総代会と共に請け負う「神社の尊厳の護持」ということは大事なファクターだと思います。つまり、縁があろうと無かろうと、誰もが立ち寄ると何故かしら「神様がいらっしゃる様な気がする場」として境内を整えておく、ということです。緑豊かな境内、御神木。木漏れ日がそそぐ境内。簡素で清楚な本殿。やはり自然が豊かな場所を創造して維持管理する事が神社存続の一丁目一番地で有ろうかと思います。

それも含めてですが、神職の立場でそんな場所でも神様はいつもそこにいらっしゃるんだろうか?という素朴な疑問にどう答えるか、です。

八幡大神の御託宣(ごたくせん:お告げ)の有名な1文でことわざにも成った「神は正直の頭(こうべ)に宿る」は「吾は宇佐に住ず男山に住ず正直の頭の上に住なり」から来ております。加えて「衆生の心は神のみあらかなり」(宇佐八幡宮神託)とありますように、「一切の生きとし生けるもの、あらゆる人々の心は神霊の宿り給う大切な御殿である」という事を八幡大神様がお告げされていますように、神様がいらっしゃるかどうかは既に皆さんの心の神性・または仏性が宿っているのでそれを顕現出来るかどうかはご自身次第、ということになりましょうか。神道では「正直」「素直」「清浄」「明朗」な心が鍵となっているようです。つまり神社に神様が住んでいる、というよりは心に住んでいる神様と出会う場所として神社の境内が機能しているという事ではなかろうかと思います。神社の境内で素直な自分に成れたときに鏡に映る姿が神様だとも言われますように。

同じような質問に「お盆に祖霊を自宅に招き、同時にお墓参りもしますが、お墓の祖霊は自宅にいらっしゃるのになんでお墓にお参りするの?」と対を成していたように感じました。「千の風になって」の歌詞にもありますようにお墓にはいませんよーということですが。私なりにお答えするならば、先祖の遺伝子が自分の細胞に受け継がれていますのでやはり自分自身の中におらっしゃるのだと。父親と母親のそれぞれの遺伝子を継承するということですからね。自問自答するにもそれにふさわしい場所としてお墓が有った方がアクセスしやすいのかもしれませんしね。

 

5月27日田んぼ学校お田植え祭斎行。

宮司です。田んぼ学校も本年で4回目を迎え、毎年心配な天気も本年は良好、清々しい陽気でした。いつも看板は手書きの物でしたが、本年はプロに作って貰いました。毎年何かひとつだけでも良くしたくて何かを新規企画するわけですが、そうすると手間と経費がかかります。ですが、何か新しい事がひとつでもあると運営する私の心がワクワクしますし、子供達の反応やリアクションを楽しみにモチベーションが上がりますので、要は長続きするには集める方も集まる子供達も毎年楽しみながらやっていくことが大事では無いかと思うんです。

その成果も有りまして、部活動が有るのに半日休んでも来てくれる中学生や、母親が仕事で同伴出来ないと言われた子供が前日まで「行きたい〜行きたい〜」コールをして、結局父親同伴で参加してくれたりした話を聞いて、ホントに改めて田んぼ学校をやる「やりがい」を感じました。

恒例により、先ずは神社でお田植え報告祭を斎行いたします。本年は丁度この日に天皇皇后両陛下が全国植樹祭にて御来県の日でしたので神社庁からの通達に従いまして「天皇皇后両陛下行幸啓奉祝祭」と併せての斎行です。富山で植樹祭が行われることを記念して神社庁から榊の苗を頂戴いたしましたので此は先だって境内に植えてあります。

田男・早乙女それぞれ5名ずつ衣装を着てお供え物を伝供(でんく:お供え物を載せた三方を手渡しで運ぶ。要領はバケツリレー。)して貰います。予めリハーサルをするのですが、皆飲み込みが良くて綺麗に流れよくお運びが出来ました。お供え物のお米は昨年神饌田で収穫したコシヒカリです。本年も早苗をお供えして豊作を祈りました。

祭典を終えますと子供達は地下足袋に履き替えていよいよ神饌田へ向かいます。鷹乃羽雅楽会の道楽を先頭に参進しまして、先ずは田んぼのお清めのお祓いをしてから奉耕者の吉田榮一さんより田植えの技術指導を受けます。毎年回数を重ねてきますと教える方も教わる方も熟れてきまして改善を重ねて参りましたので本年は今までで一番綺麗に植わったと思います。

田んぼに田男の白衣、早乙女の紅白の衣装が映えてこの風景がなんとも言えず絵になります。小さな子供達の表情も豊かです。毎年、誰か尻餅をつくのでは無いかと心配していますが、今のところ誰もいません。すごい。

田植えの最中は鷹乃羽雅楽会の越殿楽に合わせて私が太鼓を叩き、それに合わせて田男・早乙女が植えていきます。途中からはそれぞれのペースで植えていきますが、BGMに雅楽を流しながらの田植えは多分全国的にも珍しいと思います。日本の伝統芸能のひとつに「田楽(でんがく)」があり、(味噌を付けて食べるほうではない)早乙女が苗を植えるのを田楽衆がささら,笛,腰鼓などで囃 (はや) して乱舞したと伝わっています。豊穣を祈念するものと、魔事退散を祈念するものとがあるそうです。田植えの最中に雅やかな雅楽が流れていると作業中に気が休まるようなコメントも児童がしていましたので、我々の祖先も大変な重労働を少しでも楽しく行う知恵を儀礼や芸能として昇華させた物で有ろうかと思います。

田植えも順調に終えて、気替えをした後に昨年収穫したお米でカレーライスを戴きます。今年もみんなもりもり食べて、お米は残らず完食してくれました。カレーは予め多めに作ってありますのでしばらくは舩木家は朝昼晩カレーです。でも食べ飽きませんね、カレーは。不思議です。

最後に恒例の「お米に関するクイズ大会」です。これを楽しみに参加している子供が多いのでは無いかと思いますが、要はクイズ正解ごとにお菓子が選べるという単純なゲームです。問題が10〜12門有りますので、全問正解するとかなりの量のお菓子がゲット出来ます。多少のギャンブル性と「ただで」貰える物にはみな必死になります。ですが、前回までは最後まで奇声が止まなかったのですが、今年はどうやら熱が冷めてきた見たくて、次回からは趣向を変えて何か新しいアトラクションを導入する時期かな、と感じました。

最後には「観察日記」を渡して解散。昨年は残念ながら観察日記提出者ゼロでしたのでこれもなんとかして、成長の過程や「稲の花」など実際に触れて貰いたいと思います。とにかく、晴天に恵まれて本年も無事に納める事が出来ました。ご父兄の方々のご助力と何よりも奉耕者の吉田榮一さん、田添啓一さんに感謝申し上げたいともいます。

追記:今回も川嶋一人広報部長が神様の優しい眼差しの様な素敵なショットを多数納めて戴きました。ご堪能下さい。