「神仏かふぇ」in 新川神社参集殿開催

禰宜です。久しぶりに出し切った感で充実した1日でした。朝から境内清掃、参集殿準備、地鎮祭2件(祝・新園町公民館の地鎮祭)、神仏かふぇで2時間30分トークセッション、そのあと鷹乃羽雅楽会で夜9時までということで完全燃焼しました。とても楽しかったです。神仏かふぇは四回目ということで前回までは35名から時間配分が難しかったのですが、今回は参加者が23名(賄い5名)ということで時間は余裕があるな〜と前半サービストークしすぎて結局時間は5分オーバーですんだものの、後半はやはり押し気味になってしまいました。すんません。ですが今回は前回と比較すると、より出し切った感が残りましたので良かったです。前回は不完全燃焼感が残っていたような気がしますのでそれが無いという意味では良かったなぁと自分的には感じました。色々な質問があり、我々も今回はどんな質問が来るのか、スリルを感じるところで、出たとこ勝負みたいなものです。双方、細かい打ち合わせも敢えてせずに、ライブで即興一発ジャムセッションな感じです、ほんと。

私は中でも宗派の話の質問の時に和尚がされた「いかだのたとえばなし」、わかりやすかったです。神道は教祖、教義がありませんので、その時代によって有様が変幻自在で、本質が掴みづらいのですが何故か今日まで発展しながら伝わっている、というところが「いかだのたとえばなし」とシンクロしていると感じました。そんなところも禅と似てるんでしょうね。私たちの祖先は、神道も仏教も時代に合わせて色々な「いかだ」を作ってより良い場所を求めて河を渡ってきたんだなぁ〜と思いました。腑に落ちたお話しでしたので今後は私も講話で使わせて戴こうと思います。

禅宗の信徒は約332万人(1994末)で、仏教の4%弱、NHKの調査(81年)では「神道を信仰している」という人は3%にすぎなといわれています。質問の仕方にもよるんでしょうけど、神道も禅も信仰心の枠組みの中での数字的にはマイノリティということになります。

「信仰心が無い」、と自他共に自信を持って公言し、認識している現代の日本人ですが、見方をかえますと、神様も仏様も大事にするんですけれども宗教的なドグマといいましょうか、何かに執着しない体質、というよりも執着出来ない体質を遺伝子レベルで持ってるんじゃ無いでしょうかね。よくわかりませんが。

今回も宿題がありましたので、宿題があったと言うことは我々にとっては大きな収穫でありまして神仏かふぇではその場でごまかすことはせずにわからないことはわからないので持ち帰ってお返事差し上げたいと思います。今回は雅楽の曲に「迦陵頻(かりょうびん)」があるが、仏教との関係もあるようなので由緒を知りたい、ということや、禅の食事作法に対する神道の食事作法があれば教えて戴きたい等、興味深い項目の質問がありました。

今回のかふぇのメニューは和漢茶の「阿羅漢」、MicTの珈琲「神仏かふぇBlend」主菓子は和尚セレクト「鈴木亭の特注どら焼き(美味!)」と「大沢野町・ユース丸(cafe)のパウンドケーキ」でした。