昨日晴天の下、宮中に 献上するお米のお田植え神事に雅楽奉仕者としてお仕えして参りました。
私は雅楽では鳳笙担当です。あの竹が丸いお椀にたくさん並んでいて、パイプオルガンみたいな音がする楽器です。
爽やかな風が吹く中、神事によりて早苗を祓い、田んぼを祓い、早乙女を祓い、ありとあらゆるものが清められて神事は進んでいきます。
秋には抜き穂祭といわれる収穫祭が行われます。今から楽しみです。
昨日晴天の下、宮中に 献上するお米のお田植え神事に雅楽奉仕者としてお仕えして参りました。
私は雅楽では鳳笙担当です。あの竹が丸いお椀にたくさん並んでいて、パイプオルガンみたいな音がする楽器です。
爽やかな風が吹く中、神事によりて早苗を祓い、田んぼを祓い、早乙女を祓い、ありとあらゆるものが清められて神事は進んでいきます。
秋には抜き穂祭といわれる収穫祭が行われます。今から楽しみです。
禰宜です。いやぁー忙しかったです。14日は高岡市の有礒正八幡宮へ御輿渡御祭の奉仕、
17日、18日は隣駅の稲荷町鎮座の越中稲荷神社へ御輿渡御祭・春祭りの奉仕、昨日は
「古事記に親しむ」の昼の部を開催いたしました。今日はこれから魚津へ。
「平成24年度新嘗祭献穀齋田田植祭」という富山県を代表して奉献されるお米の田植え祭に
雅楽演奏者として奉仕して参ります。
昨日の朝、神社で毎朝のお参りを済ませましたら、どうも太陽の様子が、おかしい。
いつものような輝きでは無くてなにかフィルターをかけたようなスモーキーな
日差しになっていたので、いよいよ私の頭がおかしくなってきたのかと思いましたら日食でした。
日食のことはすっかり忘れておりまして、「なんか、太陽の輝きかたが変」といいましたら、家族から「世捨て人」「隠者」呼ばわりをされてしまいました。
禰宜です。本年、富山県神社庁で初めて開催された「田んぼ学校」を視察しに、富山市塩に鎮座の多久比禮志神社(たくひれしじんじゃ)http://www12.ocn.ne.jp/~takuhire/に行ってきました。
朝方は雨模様でとてもこの時期とは思えない寒さで心配したのですが、幸いなことに雨は降りませんでした。みんな元気に「寒い」とくどきながらも田んぼに入りました。無事に田植えが終わると、お昼ご飯の準備です。災害時に電気やガスが無くとも自炊ができる事を学んでいただく為に、ビールの空き缶を利用した「空き缶釜戸一合炊き」を実施しました。地元の総代さんや親御さんたちもこれは初めての体験だということで、非常に感心しておられました。炊いたお米で昼食は定番のカレーライス。さぞおいしかったことでしょう。
来年は新川神社の裏の田んぼでやります。氏子の方々に協力をいただく為に、今から企画書を作製し、打ち合わせを進めていきたいと思います。お楽しみに。
5月5日、こどもの日。暦では立夏、夏の始まりです。みなさん、国旗を玄関に掲げられましたか?是非掲揚して、日本の運気向上にご協力ください。
「旗を掲げる」という行為は、尊い行為なんですよ。特に国旗は。いずれ詳しく、「よもやま話」にでも上げますが。
良い天気です。うぐいす、朝から絶好調です。毎年、うちの境内には来てくれるのですが、今年のうぐいすは良く鳴きます。
朝から晩まで歌いまくりです。うぐいすのさえずりを聞きたい方、是非新川神社にお参りに来てください。今日は天気が良いので気持ちよさそうに
鳴いています。今の時期は境内はカラスやらツバメやらスズメなど、鳥たちが忙しそうに飛びまくっています。
さて、ハナミズキも満開です。今日上げたこの写真は家の縁側のものです。なかなか変わった咲き方をしていますが、よせあつまった感じが良いですね。
と、いうことで、天正寺の少彦名社(「ゆかりの神社」参照)では以前より生産組合の氏子の方々が子供達と一緒に稲作をして、穫れた藁でしめ縄を奉納して戴いております。
これを見習いまして来年は新川神社でも「田植え学校」を開催する予定です。以前から実施したいと思っていましたことをやります。
未就学のこども、小中学生、高校生、大学生から大人まで、参加して貰いたいです。
5月に神饌田(しんせんでん:神様にお供えするお米を作る田んぼ)で田植え祭、成長を観察し、途中の作業も出来ればお手伝いしたいです。
秋には稲刈りをし、11月25日の新川神社の収穫感謝祭に神様に穫れたお米をお供えします。
12月に穫れたお米の藁(わら)で、神社や鳥居に架ける「しめなわ」をみんなで作って奉納します。皆さんの家の玄関や神棚に架ける「しめなわ」も、自作してお土産で持ち帰って貰います。文字通り、本当の「お土産(おみやげ)」ですな。お昼には穫れたお米でおむすびを作り、みんなで食べましょう。どうですか、楽しそうでしょ。
4月19日、晴天にて春祭り、みこし渡御無事に終了しました。本年は新規道順を考案しまして、宮総代さんの下見、打ち合わせを戴いてほぼ計画通りに今まで行けなかったところまでおみこしを廻すことが出来ました。宮総代さんのおかげです。感謝いたします。初めておみこしをお迎え戴いた新庄の企業の皆さんもさぞお喜びのことかと思います。皆さんの協力を得て11時間に渡る新庄を「祓い清める」神事、滞りなく取り収めました。
禰宜です。これは昨日の写真ですが、櫻、満開です。今朝はあいにくの雨のようですが、天気が良いときに
お参りがてら眺めに来て上げてください。
禰宜です。ようやく鶯の録音に成功しました。すこしノイズが多いですが、朝の澄んだ空気感も一緒にと思いましてそのままにしました。
今はコンピューターでノイズも取り除けるのですが、やはり自然のままで、ということで。
下の文字をクリック戴くと一分間ほど、鶯の鳴き声が聞こえます。どうぞ癒やされてください。
昨日は、朝から晩まで鳴きまくっていました。わたしはてっきり雄が鳴くと聞いていましたから「ホーホケキョ」は求愛のさえずりだと思っていましたら違うんですね、縄張り宣言だそうです。「ケキョケキョケキョ」と、違った鳴き方をするのは縄張りに侵入した鳥に対する威嚇だそうです。知らんかったです。「婚活、たいへんやな〜」と思っていたら違いました。家庭を守るために必死だったんですね、誤解していてごめん。
そういえば、録音をしているときに鶯が私の近くの枝に移って鳴いてくれたので、大きな音量で綺麗に録ることが出来たのですが、あれは私に対する「威嚇行為」ですかね、もしかして。「こら、それ以上近づくと、威嚇するぞ」といわんばかりに鳴いていたりして。そんな風には聞こえませんでしたが。
雅楽には「春鶯囀」(しゅんのうてん)という、うぐいすのさえずりを写して舞にしたと伝わる曲があり、源氏物語では春の宴で演奏されたようです。
いつもでしたら入学式の頃には咲いているのですが、本年は遅れ気味。つぼみはもうぱんぱんに膨らんでいます。開花の日をお楽しみに。
立山の賦 大伴家持 万葉集 巻17-4000
天離(あまざか)る 鄙(ひな)に名懸(なか)かす 越(こし)の中 國内(くぬち)ことごと山はしも 繁(しじ)にあれども 川はしも 多(さは)に行けども 皇神(すめかみ)の領(うしは)きいます 新川(にひかは)の その立山に 常夏に 雪降りしきて 帯(お)ばせる 片貝川(かたかひがは)の 清き瀬に 朝夕(あさよひ)ごとに たつ霧の 思ひ過ぎめや あり通(がよ)ひ いや年のはに 外よそのみも 振り放(さ)け見つつ 万代(よろず)の 語らひ草と いまだ見ぬ 人むにも告げむ 音のみも 名のみも聞きて 羨(とも)しぶるがね
遠い地方の国で名高い越中の国の内中に、山はたくさんあるけれども、川はたくさん流れているけれども、皇神が領しておいでになる新川のその立山に、夏でも雪が降り積もっており、山をめぐる片貝川の清らかな瀬に、朝夕ごとに立つ霧の絶えないように、この立山を思い忘れることがあろうか。この山に、いつも通って、いよいよ年ごとに、よそながらもふり仰いで見ながら、万代までの語りぐさとして、まだ見ない人にも語り告げよう。その評判だけでも、名前だけでも聞いて羨しがることであろうから。
わしじゃ、神使いの鷹じゃ。久しいのう。たっしゃにしておられたか。
4月に入るとカラスが繁殖期にはいるので、なにやらあちこちで悪さを働くようじゃ。あやつらも一生懸命生きているのじゃから悪気は無いのかもしれんが、どうもえげつないんじゃ。手水舎に水を貯めておくと、奴ら、罰当たりにもお参りの方々が心を清める水で自らが禊ぎ(みそぎ:心身の汚れを祓い清めるために海や川に入って身を濯ぐ神事。)をしよるのじゃ、たわけものが。常願寺川でやれっちゅうんじゃ、よそいってみそぎせい。禊ぎだけに留まらずに餌をわざわざ運んできてここで洗ってみたり、それはそれはここでは書けないようなあんなこんな悪さをしよるさかいに、禰宜も苦労しておったわ。カラス除けをかけてみたりネットを張ろうともしたが、まぁ、相手が悪いわ。カラスの方が一枚も二枚も上手じゃ。かえって参拝者に悪いイメージを与えるので、禰宜はカラスに逆らうのはやめたようじゃ。そのかわり、申し訳ないが龍神さまはしばらくお休みを取って貰うことに毎年しておるのじゃ、どうか参拝者の皆の衆、ご理解を願いたい。わしからもお願いじゃ。春祭りの19日は人が多く賑わうのであやつらは近づけないので龍神さまの御封印は解禁しますぞ。そういえば先日、水を止めて二日後にはカラスが手水舎の柱に二羽たたずんでおって、水が枯れた手水舎をさみしそうに眺めておったわ。先手必勝、功を奏したな、禰宜どの。
禰宜です。3日の大風の後、舟橋村竹内に鎮座する神明社(「ゆかりの神社」ご参照)の総代さんから、境内の木が倒れたとの連絡で見に行きました。見事に二本横たわっていました。かなり大きな杉で、隣の公民館の手すりスロープを押し曲げてしまいました。もう一本はゴミ集積所の屋根に倒れていました。木が枯れた様子も無く、枝打ちもして管理をしてありますので、なぜこの二本がと思って見ますと根が異常に浅いんです。下の土壌が岩盤なので深く根を張れなかったのかなぁと総代さんに言いましたら、総代さんが真相を教えてくださいました。この木が生えていた場所は水が豊富なので根をはらなくても吸水できたから根が浅かったんだと。お宮のある高台にある木は根をはらないと水分が得られないので根が深いんだと。なーるほど、そういうことですか、腑に落ちました。勉強になりました。明治神宮の林苑の専門家に聞いた話も一緒で、神事に使う榊の葉も日当たりの良いところの榊は良い枝葉にならないのです。午前中に一時間だけ日が当たる処の榊が良い枝を付けるそうです。日光と水を求めて、木は厳しい環境の方がしっかり成長するのですね。我々人間も同じですね。我々の先祖は木を信仰の対象として祭ってきました。ひときわ大きい大木にしめ縄を張り、ご神木として崇敬の対象とされてきました。根を深く張り、枝を多く付けるその力図良い生命力と人間をしのぐ寿命に神々しさを感じたのだと思います、理屈抜きで。
幸い住宅の倒壊や人身事故にならなくて良かったです。大きな被害では無いですが補修には経費がかかりますし、なにしろ木の運搬費用が・・・。
先日の上冨居神社のみこし渡御の昼食時に、とある宮総代さんとお話をしていましたら、ひさしぶりに気骨のある、神様に対する想いを聞くことが出来ました。御神酒の効用もあってか、「神主さんはどう思われるか知らんけど、わしにとって伊勢神宮ちゃ、こうこうこう感じておるからみんなに伊勢にお参りに行け、ゆうとんがいちゃ、んで、神道はこうこうこうだから水平だちゃ。わしはそうおもっとるがいちゃ・・」と、唾をとばしながら熱く語られるのを聞いて、うれしくなりました。なかなか自分自身で神様とは何なのか問いかけて、お参りに行って感じたことを自分の信心として他人に語れる人は残念ながら今の時代は多くないです。特に私が気に入りましたのが「神主さんはどう思われるか知らんけど〜」のフレーズです。そうなんです、自分なりの神様に対する想い、これは他人から与えられるものでは無く、ましてや神主から教えられるものでは無いのではないかと。我々は神道の祭りでは神と人との仲立ち人であって宗教でいうところの教祖では無いので、信仰に向かう道しるべくらいしかお示しできていないのが現状かも知れません、力およばず。神職は何よりも神に向かって祈る背中を通して、参拝者が神様を感じるかどうかが大事なんだと先達神主に教えられてきました。神道の信仰とは神様に向かう人の内心から沸き上がるような物ではないかと。自分自身に問いかけることが大事では無いかと、その総代さんのお話を聞いて同感いたしました。神道の鏡は自分を「かんがみる」ための物であるとも言われますし。
たぶん、総代さんの「わしはこうおもっとるがいちゃ」という、真っ直ぐな気持ちは神様に通じていることと思います。
「唇よ、熱く君を語れ」。懐かしい曲ですね、渡辺真知子さんの。「南風は女神 絹擦れの魔術〜」昨日の大風は遅れてやってきた春一番ですかね?女神なんてもんじゃ無かったですね、昨日の風は。おとろしや〜。新川神社の梅は紅梅白梅とも見頃です。強風にもめげずに花を咲かせています。なんとまぁ、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)さまのけなげでお強い事。