日別アーカイブ: 2019年10月25日

10月23日古事記に親しむ夜の部 最終回

さて、3年間全36回の古事記素読の会「古事記に親しむ富山」夜の部が最終回を迎えました。
前回に全て読み終えまして今回は序文の後半の素読と解説をしました。

その後に読破証明書授与式を行いました。読破証明書には4種類ありまして、上巻から下巻の最後まで36回皆勤された方で2回目参加の方、これが最高の証明証です。次に1回目の全巻完読皆勤賞。
中下巻の24回の皆勤賞、そして36回の内半分以上出席のかたで、この日最終回にご出席の方には読破証明書を授与いたしました。
証明証を作成して印鑑を押しておりましたのは天皇陛下御即位礼正殿の儀の10月22日でしたので証明証の日付けは即位礼正殿の儀当日とさせていただきました。

記念品と致しましては2回目の読破者には「歴代天皇事典」、初めての皆勤完読者には本居宣長大人が古事記伝を完成させた後に弟子達の要望により書き上げた国学を学ぶ者の心得を諭された「うい山ぶみ」。皆勤に及ばずとも最後まで読破された方には「神と人と」という敬神生活実践の栞を差し上げました。

その後にこの会に参加されての感想や質問などお一人ずつスピーチしていただきました。

本当に皆さん長い間お付き合いいただきまして有り難うございました。
一言に完読と申し上げましても足かけ5年の3年間、月1回ですが忘れもせずに通われた事は偉業です。自信を持って「古事記を読んだ!」と胸を張って今後の人生を神様と共に生きていって充実した日々をお過ごし戴きたいと思います。

此の会はただ知識を得るための勉強会にあらず。我々日本人共通の祖先の物語に親しむことにより神様・祖先神との魂の交流を感じて戴きまして中今の現世をたくましく生きていく「よすが」となれば幸いです。

来年3月から新たなる「古事記に親しむ富山」が上巻から始まります。
1回読んだ方も2回読んだ方も再度ご参加されまして、一人でも多くのお仲間をお誘い併せていただき、高天原に届くような大きな声の素読会をエンドレスで継続して参りたいと思います。
私のライフワークとしまして天命の限りお供して参りますので来年3月またお会いいたしましょう!

10月19日鷹乃羽雅楽会奉納演奏

宮司です。恒例の秋祭りの宵の鷹乃羽雅楽会奉納演奏を実施いたしました。今年は3期生が神前・人前とも初披露ということで、皆さん緊張して居られたようですが、今までの成果を神様にお聞かせすると共に、何事も「締め切り」といいますか、区切りといいますか総括した方が課題と目標が明確になりますので。そしてインプットしたらアウトプットした方が身につくんですよね、何事も。

演目は平調の音取、越殿楽、五常楽急が全員で演奏。盤涉調の音取と越殿楽を1・2期生で演奏しました。私は楽琵琶にて加わりました。映像は鷹乃羽雅楽会のHPに置いてありますのでご覧ください。

30分の演奏を終えましたら、これも恒例ですが少し時期が早いですが忘年会を兼ねた納会をいたしております。三管の1期生から3期生が一堂に顔合わせすることは年に一度、この時だけなので簡単な自己紹介と感想などスピーチしていただいております。

それぞれにそれぞれの動機や御縁がありましてこの鷹乃羽雅楽会にて雅楽という音楽を通じて出逢っております。音楽をやる以上、上手い下手の技術的な向上を目指すのは勿論ですが、昔の人は殿上人であれ、武人であれ雅楽を嗜んだのは精神性の向上にあると思います。

雅楽を見たり聞いたりするだけでも魅了されますが、実際にみずから演奏をしてみること、みんなと合奏することが一番楽しいことです。自らが演奏することにより音楽への理解度が高まり、さらに見たり聞いたりする楽しみが倍増すること請け合います。
このような雅楽に触れる事が出来る場を提供するのが我々神社人の使命だと感じまして富山県神社庁雅楽講師である髙瀨神社の藤井秀嗣宮司、富山市・熊野神社の横越照正宮司にご協力を戴いてこの会が成立しております。お忙しい中、本当に有り難いことであり大変感謝いたしております。

「神皇正統記」(北畠親房著)より
「〜音楽は四学(詩・書・礼・楽)の一つで政治を行うときの根本である。現在音楽が芸能の様に思われるのは無念、世の悪風卑俗を変えるのに音楽より良い物は無い。〜」

私はいつもこの言葉を座右の銘に致しております。
また、鷹乃羽雅楽会入門の際にお渡ししておりますものに「楽道(がくのみち)の心得」という、いわゆる「おきて」があります。これは後白河法皇が記された「梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう)」という文献から私が抜粋して五箇条に整えた文章です。やはり雅楽も「道」として、音楽的な上手い下手も大事ですが、一生をかけて取り組む「ライフワーク」として音楽を通じて素晴らしい人生を過ごすお手伝いが出来ればこれに勝る喜びはありません。
今後もお仲間を増やしながら神様に通じるような音が奏でられるように精進して参りましょう。

鷹乃羽雅楽会 楽道(がくのみち)の心得 
(梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう))編者:後白河法皇より抜粋

(1)雅楽の楽器自体に極意が備わっている

三管の奏で方は、雅楽の楽器自体に極意が備わっている

その楽器にかなった心を持つために吹いたり唱ったりするときはその道の先達を志す気持ちで習練すること。

(2)どんなときでも、その楽器と心を一つにすること

声にも「気」があって、楽器を通じて奏でる五声は、みな腹の中の五臓から、声となって生じてくるもの。人としてこうした声を与えられたことこそが、人生なのだ。どんなときでも、その楽器と心を一つにすることが大事である。

音声の大小、強弱、太い細いは人それぞれの素質であるのでその人なりのやり方で習うと良い。

(3)くれぐれも謙虚になって稽古すべし

我流で色々と解釈して慢心し、教えを乱してまで一人で工夫して、歌ったり楽曲を吹いても何の意味もない。最初は師について、稽古のやり方を聞いて習うべき。まず慢心が立つ人は、そういう気風が歌声にあらわれてしまう。くれぐれも謙虚になって稽古すべし。

(4)人を尊重し、自分も尊重し、仁義礼智信の心をもって奏でること

人を尊重し、自分も尊重し、仁義礼智信の心をもって奏でること。まさに文学の道と同じである。心の驕りはみんな、歌声や音色に現れてしまうだろう。雅楽は指揮者をおかないので協調性も技量のうちである。

(5)先人の教えを乞い、怠けるべからず

音楽の調子※は心身の働きに即するものだから、ただちにあらわれてしまうものだと心得るべきこと、大極意である。調子は神の摂理に通じるゆえ、曲がったことは神に受けない。天地の神みな同根から生じるものならば上は帝から民にいたるまで、髪の毛一本にいたるまでこの摂理に支配されている。だからこそ、我執にかられると神に通じてしまうので何の意味もない。先人の教えを乞い、怠けるべからず。 (※調子=音楽の表現のぐあい、勢い、ありさま。)

 

 

令和元年度新川神社秋祭・天皇陛下御即位礼・大嘗祭御安泰祈願祭

宮司です。去る10月19日土曜日、恒例の秋祭に併せて10月22日の御即位礼と11月14日から15日の大嘗祭の御安泰祈願の祝詞を奏上申し上げ、諸儀式の御安泰と新しい御代の平和と弥栄を神々にお祈りいたしました。本来ですとそれぞれの当日に祭祀仕え祭るのが本義ですが、奉務神社秋祭や新嘗祭がそれぞれ予定がありますので、新川神社の秋の祭礼に併せて氏子総代皆様と共にお祈り申し上げた次第です。

当日は土曜日と言うことで会社勤めの方々も大勢ご参加いただきまして賑々しく斎行できました。
ご挨拶でも申し上げましたが、やはり神社の祭礼は人が多く集まってお祈りする事が大事だと言うことです。
私が座右の銘にしております金言です。
神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添ふ

この文は北条泰時が貞永元年(1232)に評定衆に命じて編纂させた鎌倉幕府の基本法典「御成敗式目」の言葉です。全部で五十一箇条からなっているその第一条です。第一条は「神社を修理し、祭祀を専らにすべきこと」、その後に続くのがこの文です。

「いかなる神も人間の崇敬をうけてこそ、その御威光を輝かすのであり、御神意を高めるのは人の敬の力である。その人が人としての運、人としての生命を与えられるのは、神の徳によってである」という意味です。神道の立場での神と人との密接な関係が的確に述べられている言葉です。

新川神社は新庄御鎮座400年祭を経て大勢の参詣者がお参りいただくようになりましたので、かなり御神威が強くなったということになりますね。