わしはたかである。

わしはたかである。

新川神社の大神様の使いのものであるから名前など無い。 どこで生まれたかということであるが、わしは「神の使い」であるので「生まれた」とは言わずに「顕現(けんげん)した」、ということになろうかのう。

ところで今、わしは「鷲は鷹である」と言ったのではない、「わし」は一人称で、「たか」が種族であるから言葉の意味をとり違えてくれるな、わかっタカ。だいたい、わしが自分のことを「吾輩は~」などとゆうたら漱石とやらが書いた猫小説のパチりだと思われようが。わしは3行目までしか読んだことがないがな。

ちなみに鷲と鷹の違いがわかる者はおるか?実は鷲も鷹も同じタカ目カタ科に属する鳥種族で、大きいのが鷲、小さいのが鷹と、おぬしら人間が勝手に呼んでおるだけなのじゃ。わしがわしの事を「わし」といっても実際そんなに違いは無いのじゃ。 あのな、「わし」という第一人称は共通語ではおとぎ話や昔話の語り部である老人男性の一人称とされることが多いようだが、このあたり、富山、北陸、岐阜、愛知県より西側では高齢者以外でも親しい間柄では使うのじゃ。まぁこの際もう、そんなことはどうでもよろしい。

わしはむかーしむかしのそのまたむかーしからこの新庄の地を見守ってきたのじゃ。 おぬしら氏子の言い伝えでは

「新庄村は白鳳三年(663)に老人夫婦顕れ、『我は面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)の化身なり、この地の氏神と成るべし。』と申すや霊験を現され、白鷹となり飛び去っていったという。それよりこの地を新庄村と唱えるようになった」

ということになっておるようじゃが、まぁ、そういうことじゃ。 新川神社の大神様の神使(かみのつかい・つかわしめ)がわしの生業(なりわい)じゃからよろしくたのむぞ。

このあいだ、新川神社の神主で若い方(と言っても、もう初老をとっくに超えておるが)が奇天烈(きてれつ)な「からくりの箱」に写す文書(もんじょ)を書くのだが、絵日記(ぶろぐ)をわしにかいてくれんか、とぬかしよった。ただでさえ神使いで多忙を極めるわしに仕事をふるなど本末転倒、しかもそんなもん、この羽根でキーボードなんぞ打てるかたわけ者、と叱ってやったら、ふと、なにやら不服そうな顔をしたので、心の中をのぞき見してやったら、こやつ、「くちばしでタカタカタカっとやりゃ打てるだろうが」と不遜にもだじゃれながら思うておった。爪で顔をひっかいてやろうかと思うた瞬間に殺気を感じたのじゃろう、「それはこちらでやるからなにとぞお願いします」、と低姿勢できよった。わしは「おまえが考えて始めたことをわしにかつけるな(ぶつけるの富山弁)。」と諭したのじゃが、あれはあれでなにやらあれこれ忙しそうにして居るのでこの件に限り助けてやることにしたわけじゃ。だいたいあいつは忙しそうにしておるだけで実は要領が悪いだけじゃて、生まれつきはなかなか直らんもんじゃ。

なにせ、こやつら共々、新川神社の事を今後ともよろしくたのむぞ。