日別アーカイブ: 2019年5月8日

5/4(土) 映画 「カムイと生きる」上映会アフタートークショー出演

宮司です。ようやくブログ更新が追いつきました。過日に以前から知り合いで色々と御縁がありますヤマダベンさんのお招きで標記のトークショーに神仏かふぇ。でいつもお付き合い戴いております最勝寺谷内良徹和尚と共に出演して参りました。(詳しくは下記HP参照)
http://kiminiau.main.jp/
2019 ART&LIVE きみにあう(於・市民プラザイベントスペース)

今回このお話しを戴くまでは実は「アイヌ民族」の情報はほとんど持ち合わせていなかったので、図書館で本を借り、購入もしながら準備をしておりました。元々原住民といいますか、ネィティブピープルには興味がありまして。ネイティブアメリカンの思想や儀礼が神道に似てますし、琉球人の神観念など、全世界の宗教発生以前の土着信仰は実はすべて神道的な素朴な自然との関わりの中で培われた精霊信仰があると思いますのでそれに関する書物も少しずつ手元にありますが何せ今は自分のルーツである古事記・日本書紀に取り組んでいるところですので正直そこまで目が通せていないところでありました。多分、神様が「そろそろそっちも見てみたら?」というお諭しではなかろうかとおもいます。

映画はドキュメンタリーで私なりに感じましたのは「ラストサムライ」ならぬ「ラストアイヌ」的な本来のアイヌ的な環境で育った主人公が近代日本の中に飲み込まれながらもアイヌとして生き抜く生き様の映画で、その家族と仲間の関係性の中で何かを伝えたいその想いを映像にされた物だと言うことです。

アイヌの「カムイ」とは神道の「カミ」とほぼ一緒ですね。言葉も似てますし。古事記でも「カム・イザナギ」と語尾を替えて読むこともありますし。そういう意味では「カムイと共に生きる」は神道を意味する「惟神(かむながら)」に通じています。「神代さながらに生きる、神様に見倣って共に今を生きる」が我々日本人の生き様ですから。

アイヌ民族から見ますと我々は「倭人」というわけですが、古事記にも記されていますようにその中でも元々国土にいた「国つ神」と稲作文化をもたらす「天つ神」の融和がテーマですので倭人の中でもネイティブピープルがいて、私は良くわからないのですがなぜかその「ネイティブピープル」のセンスや信仰に魅了されるわけです。多分私の血の中に当然交じっている、みたいな感覚ですかね。
当日は予定には無かったのですが急遽ご本人の浦川治造氏が来県され、トークショーでは娘のマキコさんと四人でお話しをさせて戴きました。参加者からも質問が相次ぎ、閉館時間ぎりぎりまでの熱いトークショーとなりました。

イベントは5月12日(日)まで続きますので是非遊びに行ってみてください。

 

4月29日四方神社神輿神幸祭 4月30日春季例大祭奉仕

続きまして四方神社の祭礼の様子です。本年は平成最後の祭礼と言うこともあり、四方各町内の曳き山が勢揃いで目抜き通りを神様の神輿を先頭に神幸しようという企画が氏子より企てられまして晴天の元颯爽と揃い曳きすることができました。圧巻ですね。

次の日は平成最後の日でありますが宵宮から明けて本祭りが行われました。宵宮の夜の奉納に引き続き氏子の舞姫による「浦安の舞」が奉納されました。

新川神社では私が宮司、家内が権禰宜ですが、四方神社では家内が禰宜、私が権禰宜ですので神様と宮司、禰宜さんにお仕えする立場です。宮司に就任して以降、宮司職が増えただけで今までと業務内容はさしてかわらないという日々ですが、それも私が選んだ人生。

令和の時代も穏やかで、すがすがしく神明奉仕の日々を過ごして参りたいと思います。

4月29日荏原神明社・常盤台神社春祭り〜四方神社春季例大祭神輿神幸祭

宮司です。今年は川嶋広報部長が献身的にも祭事祭礼に密着して戴いて写真撮影戴いてますので、いつもは記録されていなかった祭事もこうやって振り返り拝見できますので大変有り難いです。

4月29日は我が家舩木家奉務の神社の春祭りと四方神社の神幸祭が被っておりますので、二手に分かれてご奉仕をしております。本年から見習いで川嶋咲四神役も同行しましてご奉仕を戴きました。

先ずは舩木家の奉務神社の荏原神明社・常盤台神社ですが、この2社は全国数ある神社の中でも大変少数派の神社です。その理由は戦後新興住宅地に新たに設立された「新しい」神社なのです。

荏原神明社は昭和55年設立、常盤台神社は昭和42年設立です。この2社は我々神職と致しましては「誉れ」の社です。普通は神社の縁起の古さを誇りにしますが、私は此の2社の「新しさ」が自慢です。しかも神職主導ではなく、住民氏子の熱意によって設立された事が尊いのです。(設立の詳細は当HPトップの「ゆかりの神社」参照ください。)戦後設立された神社って何社程有るかはわかりませんが、過疎化で合祀されたりして無くなっていく神社は多いと思いますが新興住宅地に神社が佇む景観はその地域に何かしら「重みと品格」を与えているように思います。

設立当時の方々にお話しを聞く機会がありましたが、働き盛りの40代に仕事を持ちながら町内各家を1軒ずつ説得に廻られたそうです。
しかも「常盤台」という地名は地元の方々が命名され、行政が後追いで認可した地名なのです。
神道の祝詞定番フレーズである「〜常盤に堅磐に〜」を冠した町。しびれますね。
私の代でも一社でも良いですから新興住宅地に燦然と鎮守の森の新緑が萌えあがる日を迎えることが実は目標でもあります。なかなかそんな時代では無いことは重々承知どころか、私が一番わかっている地域に住んでおりますのでなにを戯言と思いますが、なぜかそんな日がいつしか来るような気がするもので・・・。
おっしゃ!わしらの町に神社を建てて神さんまつって祭やろうぜー!という奇特な方、お待ちいたしております。

 

平成最後の春祭・神輿渡御祭奉仕 4月19日

宮司です。平成最後の春祭りの週間天気予報は4月19日前後は晴れ・曇りなのに、19日だけは「雨」。宮司の日頃の精進不足と不徳の致すところと思い立ち、最勝寺にて「行鉢(ぎょうはつ)」という座禅しながら修行僧の精進料理を戴く行に参加した甲斐が合ってか、朝方だけ小雨に降られましたがその後はあがりまして、無事に神輿渡御祭を完遂することができました。

当日は平日にも拘わりませず、会社を休んでご参加戴きました各町内会の宮委員各位、若鷹会各位、どべ保存会各位に感謝申し上げます。

また、お仕事を終えてから駆けつけて戴きました若鷹会の会員や、差し入れで心づくしの料理で直会に手作りの料理でもてなしてくれた彩名さん、ゆうさんありがとうございました。季節の山菜の天麩羅や鍋ラーメン、酒肴などお若いのに通好みなメニューにはいつも感心しております。

私宮司職に取りまして春祭りを皆さんと無事故で無事に成し遂げられた時程の達成感はありません。毎年、天気の心配から時間通りに進められたか、食事は足りたか、事故が無き様に、お参りに滞りは無かったかなど準備と反省は欠かせませんが、毎年少しずつお祭りが進歩して氏子の皆様に「良い祭だった」と感じて戴ければ幸いです。

神様の御神霊が御神輿に降臨されて氏子町内をドベの導き、若衆と一体となって御神幸されることにより町全体が浄化され、自然界の勢いを張り巡らせるのが我々の使命です。
今回、五色の吹き流しを祭礼威儀物として準備いたしました。
五色の青・赤・黄・白・黒は木・火・土・金・水を表し、森羅万象はこの五行に陰陽の日月を加えて循環しているので、この力がバランス良く発展生成すれば此の世の中が繁栄するという祈りを込めて掲げました。

特に春は新緑の「芽が張る」季節ですので、自然界頑張れ!みたいな感じですかね。
平成最後の春祭りも無事に納める事が出来、御世替りをおだやかに迎える事が出来て本当に幸福感に包まれてこのブログを書いております。

翌朝早朝の境内清掃もお疲れ様でした。皆さんお休みでしかもお疲れの所後始末までご奉仕戴き感謝申し上げます。皆々様方に神の神護あらんことを。

鷹乃羽雅楽会4月14日、4月21日温習会

宮司です。3月から新規募集を致しまして楽器や譜面なども揃いまして本格的な練習に入りました。何時ものことですが龍笛が一番人気で人数が多く賑やかな感じです。どの楽器も音が出るまで大変なのですが、くじけずに続けて戴ければ必ず成果があると思います。

3期生の篳篥は2名と、前回より少数ですがお二人とも早い段階で音が出ましたので今後が楽しみです。少数派の笙は今期は川嶋一人(かずと)広報部長が一人(ひとり)でエントリーです。他にもいらっしゃったり希望者もいらっしゃいますが当面一人でしょうか。本人はマンツーマンだと逃げ場が無いので辛そうですが、本来楽師の伝授の仕方はマンツーマンですので、上達は早いと思います。
2期生の方々も1期生に交じって練習され、愈々田んぼ学校で祭典デビューを迎える方を輩出する段階になりました。初めての方が緊張して演奏される姿を見て私はいつも自分自身も初心を思い出して心を入れ直したいと感じています。
「神前に楽を奉奏する」ということは音楽家にとっては名誉な事です。プロの音楽家も緊張しながら演奏されます。何時もなら目に見える観客の前で演奏するのですが、神社の前ですと目に見えない御神霊に向かって演奏しますのでいつもと勝手が違いますしね。

我々神職や神前にお仕えする雅楽奉仕者は逆に神社や神様が近すぎるのでそんな初心を忘れがちで、日々の仕事にかまけて練習も怠ってしまいがちです。
古今東西祭祀儀礼には音楽が奏でられます。今日では余興のように扱われる音楽ですが、天岩戸が開いたのはアメノウズメが神楽を舞って八百万の神がどっと笑ったからなのですから、祭祀で音楽が重要な役割を果たしています。

祭典のプロである神職の間でも雅楽に対する温度差はあります。音楽の得て不得手もありますので全ての神職が演奏者とはなり得ない事は致し方ないのですが、専門職で有るのであれば一度も経験もせずにスルーするのはプロとしては如何なものかと私は思います。特に若い青年神職は何でも飛び込んでいって今まで先人が出来なかった事を未来に繋げて戴きたいと思います。

一般の方々がこんなに熱意を持って挑戦していらっしゃるんですからね。