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第一回お宮で飲もう会開催

禰宜です。いやぁ〜久しぶりに飲みました。いや、先日も飲んだか。いや、いつも熱燗だから久しぶりにワインとかビールとか焼酎を飲んだということでしょうか、飲んだなー。楽しかったです。
昨日は予てから熱望しておりました、新庄町に縁のある若手20代〜40代の懇親の場ということで、社務所で第一回目を開催いたしました。総員10名の参加で、第一回目としてはけっこう集まりましたね。幹事は新庄第2町内会会長の小川博司君で、この会の発足に先だって今後、新庄町の若い衆とお祭り騒ぎというか、なんか愉快なことを新たに創造してみたいんだけど、ということで相談してみたんです。そしたら先ずは懇親、とりあえず酒でも飲みましょうか、ということで会の名前はそのまま「お宮で飲もう会」となったわけです。気楽に酒でも飲みながら交流する輪を広げていきたいと思います。神社に集まる人は異業種交流ですので、お互いの仕事の情報などシェアできれば色々な意味で広がりが出来れば良いですね。新庄町、新川神社繋がりで、皆さんが栄えて、引いては新庄町が栄えていく為の仲とりもちができれば良いなと思います。

若手の集まりは奉賛会の貫江会長の意向も有り、総代会の方々も昔から要望しておられましたので、400年祭を数年後に控えて、この時期に若い衆と話し合う機会が出来たのは大変大きな意義がありました。また目標に向けて一つ、事を始めることが達成できました。よかった、よかった。

次回開催要項は下記の通りです。

第二回お宮で飲もう会 ご案内

新川神社の鎮座する新庄町在住の若衆と神主が一緒にお宮で一杯飲みながら、色々な話をして和みませんか。

日 時 平成25年5月17日 金曜日 午後7時
場 所 新川神社社務所
会 費 千円(ビール・日本酒・おつまみ代)
好きな物、飲みたいものや食べたいもの、家にあった物、残り物等なんでも持ち込んでください。みんなでうまいもん探しをしましょう。

と、いうことで最初は二ヶ月に1回くらいを目処に開催いたしますのでお待ちいたしております。

飲みに飲んだり。みんな空瓶です。10名の胃袋に入っていきました。

3月17日鷹乃羽雅楽会温習ご報告

禰宜です。気づかない間に白梅が咲いていました。暖かいのか寒いのか微妙な時期ですが頑張って咲いております。紅白同時の期間は短いですので貴重です。今現在、すごい強風で大丈夫かなと思ってしまうぐらい可憐な花です。

風に負けるな。

こちらはほぼ満開。

さて、昨日の雅楽温習レポートです。だいぶ寒さは和らいだ感がありますが、夜はやはりストーブが必要です。

笙は電熱器が前にありますので冬場は良いですね。夏は地獄ですが。

笙は前半1時間は平調音取りをみっちりやりました。一人ずつ吹いていただいて、チェックしました。

練習の方法として、前半、中盤、後半と三段階に小分けにして練習をして、最後に通しで吹く練習方法をお伝えいたしました。前半の一の合い竹から七・一から下を加えるまでの練習、乞・十・下・一・乙の一本武器の中盤、乙ー八ー七の終止形の後半と、少しずつ習得していった方が、まとまりが良いと思います。

風邪にて病欠が多かった時期も過ぎて徐々に参加人数も増えて参りました。

吹くお姿が様になってきましたね。

まだ指が届かないのに頑張っております。

後半は越殿楽の演奏で、特に息を張るタイミング、気替えを鋭く短く切り返す練習をいたしました。

4月14日の温習には合奏をいたしますので、その作法もお伝えいたしました。待機状態の姿勢、笙の構え方、構えるタイミング、音頭と助管の違いと付け所の解説、曲の最後の終止形の乙・八・七〜などなど。4月17日の前半1時間は合奏に関する事柄を復習をして後半1時間は合奏になりますので、各自CDを聞いて復習をしていただきたいと思います。

篳篥部会。徐々に増えて現在17名登録。

さて、来月お手並み拝見ですな。

講師と相談しまして、篳篥も二手に分かれて練習する方向で進めます。講師2人来られる場合ですが。もう一部屋は舩木家の座敷を使用します。

篳篥は平調音取、越殿楽をみっちりやったそうです。次回の合奏が楽しみです。

他人の演奏をじっくり聞くことも大変重要です。講師がどんな指導をするのか、自分にも当てはめて受け止めればより良い演奏に結びつきます。

だいぶ上達された様子です。

今月は風邪も治り、参加人数も多めです。

龍笛部会ですが、経験者の組と初心者の組に分かれて練習しています。経験者は越殿楽・五常楽を練習しました。初級組は越殿楽一行目から三行目までを練習しました。音が出るようになれば経験者組に移っていただくようです。音がなかなか出なくてもめげずに頑張りましょう。講師一同、立派に演奏できるまでお付き合いしますので安心してください。最初は誰でもあこがれと形から入りますから。私もそういえば箒をギターにして今で言うエアギターみたいなことを小学生の頃、していましたからね。

舩木家のお蔵出し其の四

禰宜です。舩木家のお蔵出しも4弾目になりました。今回は貴重な大正時代の春祭りの御輿渡御の写真が出て参りました。「どべ」(猿田毘古神)も写っていますので其の当時の様子が伺われます。これより古い明治時代の写真もありますので、明治、大正、昭和と揃いましたのでそういう意味で貴重です。退色していましたので、スキャナーで取り込んで、フォト編集ソフトで補正してみました。かなりはっきりとよみがえりました。

元の写真をそのまま写すとこんな感じです。

データーを元に復元をしてみました。ビンテージ感を出すために敢えてセピアっぽくしてみました。

写真に裏書きがありました。大正五年四月十九日ですから1916年、第一次世界大戦の真っ最中です。

紅梅、咲き始めました。

禰宜です、暖かい日と寒い日が交互に、しかも一日の気温の差が大きいこの頃ですが、境内の紅梅がようやく咲き始めました。
本年の咲き始めは3月9日でした。昨年のブログをみますと15日に初咲きですので、少し早めですね、今年は。ブログはこういうときに役に立ちますね。しかも写真入りですから便利です。白梅もありますので、またお立ち寄りの際はお立ち寄りください。新川神社には天満宮も合祀されていますので、菅原道真公が御祭神としてお祭りされていますので、およろびのことだと思います。学業の御利益もあるんですよ、新川神社は。

3月3日鷹乃羽雅楽会温習報告

禰宜です。少し遅れましたが3月3日の温習の進捗状況をお知らせいたします。
笙は越殿楽の唱歌を歌い、その後、越殿楽三行の手移りを解説しました。乙の合い竹を4拍安定して息を張れるように練習しました。それと息の息替えの間が長すぎるので、鋭く短くする練習方法も伝授しました。吸う、吐くを小さな音で切り替えする事を2泊ずつ繰り返して、無音部分の間が極力短くなるように、且つ段にならないような息替えを目指します。要は息継ぎが極力聞こえないように吹く事を目指すわけです。凢から一の手移り、一から乙、など指一本の手移りは「うん じゃあ」です。4拍目の「うん」で指を離し、4拍半の「じゃあ」で押さえます。乙から一、一から乙の手移りは2本の指が動きます。優先順位が有り、根音を最後に放し、最後までその合い竹の調性を表す意味で順番に指を放していきます。パターンによって「後打ち」という、息替えが終わってからの1泊目に親指で千もしくは八の竹を押さえる指運も紹介しました。ここまで説明すると皆さん混乱されたようですが、出来なくても良いから最初に最終的に目指す指運をお示ししておいた方が良いので紹介しました。いまは大雑把にでも合い竹を間違いなく押さえられる事を習得して戴きたいと思います。最後に越殿楽を一通り吹きました。次回は復習と平調の音取りをみっちりやりたいと思います。

ひたすら演奏する事を5分間。安定した息づかいで吹けなければなりませんので息の配分を体得してもらいます。最初は元気が良いのですが、次第に息が途切れ途切れになってきます。これを克服しましょう。

手移りと「摺り手」を伝授。ただ放すのでは無くて粘って粘って、摺ながら指を放し、微妙かつ雅やかな音の変化を演出します。これがむずかしいテクですね。最初は出来なくても良いです。ただ、知っておいて欲しいのです、最終目的地を。

笙をしっかり構えられるようになりました。

さて篳篥です。新規参加者が毎回いらっしゃいまして、いつのまにか17名になりました。欠席される方がいるのでなんですが、全員参加されると狭くなってくるでしょうね、社務所では。その前に壮絶な音かも知れませんな。

練習課目は平調音取、越殿楽、五常楽の唱歌と演奏です。

私はいつも写真で見るしかないので、来月の合奏が楽しみです。

倅、塾に行く前は必ず腹痛を起こすくせに、雅楽の時は楽しみに参加しています。まぁ、良いか。「芸は身を助く」と言いますからね。

さてさて、龍笛です。前回から、二手に分かれて濃密な手取り足取り指導が成されている様です。

音がなかなか出ない組は、各音と「ふくら」でしっかり音が出るように稽古しました。そのあと「責め」の音も稽古して、越殿楽の指使いを楽譜にチェックする作業をしたそうです。

次回は越殿楽を集中的にやるそうです。あきらめずに頑張ってください、我々が必ず演奏できるまでサポートしますので、他人について行けないとか心配しなくても良いです。場所や時間を工夫して毎日少しずつでも吹く練習をしましょう。私も今、ピアノなぞ習っていますので、この苦しみはわかります。もう3年目になりますが、月二回、毎回課題が有りテストみたいなもんですからね。ですけれども、忙しい中にも続けていると、癒やされることがありますし、なによりも自分が一番やらないだろうと思っていた鍵盤楽器を習得するという、真逆の試練が自分をパワーアップさせているんだという、何の確信も無い勝手な「思い込み」がありますので続いているんでしょうな。結構、修行好きなのかもしれません。何か新しい事に挑戦する事って、楽しくも有り辛いときもあります。辞めてしまえば楽なんですが、自分の性分としては何にもせずに安穏としているのも刺激が無くて面白くないんですね〜。何にもしていないと、修行してないと、かえって不安な性分なのかも知れません。

余談はさておき、音が出る組は越殿楽・五常楽・陪臚の一行目を吹いたそうです。なかなか難しいですけれど、かっこいい曲です、陪臚は。

ストーブを囲んで車座になって。早く暖かくなると良いですね。寒いところですみません。

がんばれ龍笛女子。

前回お休みだった藤井先生ですが次回は山田先生が仕事でお休みですので、代打笛吹きをお願いするつもりです。

と、いうことで温習レポートでした。3月17日、お待ちいたしております。少しは暖かくなっていると良いですね。

 

3月3日富山市消防団富山方面団新庄分団鎮火祭斎行 並びに舩木家お蔵出し其の三

禰宜です。お雛祭りの節句の日ですが悠長な間もなく、過ごしておりました。今日は毎年恒例の新庄校下・新庄北校下の町内に火事など火の災いが無いように、火の荒御魂をお鎮めする「鎮火祭」が行われ、消防関係者を始め両校下関係者、議員各位の参列の元行われました。祭礼後に舩木家お蔵出しシリーズの中で消防に縁のある「珍品」を皆さんにお披露目いたしました。江戸時代の火消しの現場の服では無くて、改まった席で着たのかと思われる装束と火事帽子が舩木家の蔵から出てきました。どちらかというと忠臣蔵なんかに見られる侍の外套っぽいです。多分、昔は火消しの出初め式なんかに着ていったんでしょうか。そういえば、昔新川神社の境内には消防署と警察署があったんですよ。其の真ん中に神主の家が建っていたんです。これだけ安心なことは無いですね。江戸時代の火消しは花形ですからね。今も地域の安泰を守る消防団の皆さんに敬意を捧げたいと思います。いつも祭礼後にお話しするのですが、「火事が起きたなら、新川神社の拝殿の木彫りの龍が皆さんの背後に乗り移って一刻も早く鎮火することをお祈りします。」とご挨拶します。本当にそう思います。先ずは消防団が緊急出動することが無いことが一番ですけれども。

消防車、参入。

火消しのシンボル、纏(まとい)。昔は火事の現場を知らせて、放水や建物の破壊など消火活動の目印としてなどして用いられたそうです。また、火消し役の「士気」を高める効果もあったようです。

鎮火祭の祝詞奏上。なかなか良い祝詞です。私の先祖から引き継いでいる祝詞です。

祓へたまへ、清めたまへ。

守りたまへ、幸へたまへ。

吉田分団長。うちの町内です。

玉串の前に横たわっている赤いものが消防車の「筒先」です。ほとばしる水の出口ですので、これを祓い清めます。

新庄の守護神と守護車。

舩木家のお蔵出し第三弾。嘉永五年(1852)の代物です。中身は・・・

火事のときにかぶる帽子と箱に書いてありました。別の箱にその時に着ると思われる装束も出てきました。

火事帽子壹頭。こんなに長い箱なのは、布部分が刺繍ですので折曲がらないように吊して保管するためだと思います。

嘉永五年(1852)。11月3日、明治天皇御生誕。11月24日ペリーの黒船が日本に向かって米国を出航した年だそうです。時代が大きく動く年ですね。今から161年前の話です。

火事帽子近影。右の飾りが紛失していますが、綺麗な状態です。

鰺の開き状態。家紋は舩木家の物です。

同じく蔵から出てきました着物。神主の装束とは違いますので、火事帽子の合わせだと思います。

西洋服で言うところのネクタイみたいなもんでしょうか。前掛けみたいな物です。家紋入りで綺麗な刺繍が施されています。

 

鷹乃羽雅楽会 2月24日(日)温習報告

禰宜です。寒い日が続いております。雅楽温習ですがやはり季節柄風邪のお休みが多いようです。一日も早いご快気をお祈りいたします。私ですか、馬鹿ですから風邪ひきませんね〜、付ける薬も無いといわれてますのでちょうどいいのじゃないでしょうか。年末の銭湯通いが効いているような気がします、なんとなく。
それでは、今回も欠席されました方々へ、進捗状況の報告と今後の予定をお知らせいたします。

今回は吹き中心です。

細かい手移りがあるのが笙の難所です。パターンを覚えるまでが大変かも知れませんが、習得すれば一生物です。

一人一人チェックしていきます。練習しないくせに意外にこなして居るようです。

笙ですが、まずは越殿楽の唱歌を歌いまして、合い竹の押さえ方、覚えるコツをお伝えいたしました。

乙から凢、凢から一、一から乞、一から工、乙から十、十から下と、合い竹の関連性を説明して先ずは合い竹をササッと押さえられるように個人練習をしていただきます。そのあと、越殿楽の一行目を実際に吹いてみて、どの手を動かしてゆくのか体験して戴きました。戸惑いながらもなんとか吹けました。どうしても慣れないうちは、呼吸と手の動きが一致しないのですが、大丈夫。慣れれば出来るようになりますので、次回からは吹き込みの練習もしていきます。

次に前回に続き音取りを伝授しました。合い竹と一本吹きとの混合ですので難しいのですが、これも慣れが必要で、先ずは手が動かないと話になりませんので、吹かずに手だけで譜面通りに動かす練習をしましょう。

それと、微妙な間がありますので、CDを何度も聞いて、音取りのメロディを自分の頭の中で鳴らせられるように、聞き込みましょう。これ、大事です。聞き込みが足りないと、何を目指して音楽を奏でるのかが明確でないので遠回りです。こんな演奏をしたい、というお手本を何度も聞き込みましょう。

宿題は合い竹の乙・凢・一・乞・工・十・下の七つを覚えてくること、越殿楽の一行目をふけること、です。

今日は藤井先生、仕事で伊勢に行かれておりまして欠席です。

助っ人に射水神社の炭谷先生が駆けつけてくださいました。二手に分かれて集中講義です。

女子も吹き姿が様になってますね。

龍笛は人数も多く、細かい指導もなかなか行き届かないので、今回は二手に分かれて温習をいたしました。

音が出る人も出ない人も共通の練習方法を炭谷先生から伝達いただきましたので、お知らせいたします。

まだ音が鳴らない、また鳴るけど息が続かない方は要チェックです。是非実践してみてください。確実にスキルアップ間違い無しです。

1、立って鏡の前で吹く。

安座(あぐらのこと)で譜面を見ながら吹くと、猫背に成り息が胸に入りませんし、息は腹筋で鳴らしますので、立って吹く事によって、肺と腹筋の腹式呼吸を体感していただく為の訓練かと思います。私の想像ですけれども。

2、ロングトーンの練習をする。

中(ちゅう)の音をふくらで5秒、10秒、と長くしていく。そのあと、夕(しゃく)・上(じょう)・五(ご)・テ(かん)〜というふうに各穴でロングトーンの練習をする。鳴るポイントは本人で探して貰わないとどうしょうもないので、自分なりのスウィートスポットを探し当ててください。

3、5分で良いから毎日笛を持って吹く時間を確保する。

これに尽きますな。三日坊主でも良いんです。三日坊主を繰り返してください。何度くじけても、またやり直すことを続ければ力になります。そうですね、継続とは、くじけた回数だけやり直すこと、とも言えるような気がしてきました。

音が出る人は、越殿楽の一行目を息継ぎを守って、途中で途切れずに吹ききれるように、練習をしてください、とのことです。

欠席された方、どうぞご参考に自己練習の道しるべになれば幸いです。

篳篥部会。だいぶ音が出るようになってこられたと聞いております。一度、聞いてみたいです。

皆さんと合奏できる日が楽しみです。やはり音楽の楽しみは合奏ですよ。

みんな真剣に吹いています。

さて、最後になりましたが篳篥です。越殿楽の歌中心にやったそうです。

唱歌は本当に大事だと思います。唱歌が歌えなければ、篳篥が吹けるはずが無いからです。

歌を歌うように吹く事が目標ですので、先ずはCDと同じように一人で歌えるようにすることが近道だと思います。

と、いうことで次回の3月3日には平調音取りもやりますので、CD、譜面などチェックしておいてください。

4月の14日には前半1時間は管別温習、後半の1時間は音取りと越殿楽の合奏をしたいと思いますので、みなさん、一緒に雅楽を楽しみましょう。ではでは。

 

 

 

2月19日 祈年祭並びに鎮火祭斎行しました。

禰宜です。いやぁ〜昨日は飲み過ぎたと思ったのですが、夕方には寝ましたので酔い覚めスッキリです。12時間ぐらい寝たかも知れませんな。と、いうことで恒例の祭典であります祈年祭並びに鎮火祭を昨日斎行しました。お酒を飲んだのは直会(なおらい)で、総代さん達と御神酒を飲んだと言うことです。熱燗ですから悪酔いはしませんでした。直会は、祭典奉仕で神様にお仕えした後に、普段の生活に戻るための通過儀礼です。いわゆる精進落としの様なもので、神様にお供えした物、その代表格の御神酒を戴く事によって清浄な状態をを解くわけです。お祭りだから宴会をするのでは無くて、儀式としてあるわけです。神職はお祭りの前に、神様にお仕えするのですから身を清めるために塩と水を浴びて装束を着ます。総代さん達は略式で手水舎で手と口を清めることで代替えしているわけです。この状態から「神様にお仕えするモード」に入るわけです。そして一心不乱に五穀豊穣、火の災い無きようにお祈りをするわけです。古代日本人は神様にお祈りするときは非常に神経を使ったわけです。真剣にお祈りしないとかえって良くない、という決意が働いたかのように感じられます。そしてその真剣な祈り、張り詰めた精神状態を解くために、神様がお召し上がりになった「御神酒」を「お下がり」として皆さんでいただくわけです。この「おさがりの御神酒を飲んだ瞬間」で神事が完了するという仕組みなのです。結構、深い意味があるんですね、何気ないことかも知れませんが。まぁ、そこまで考えて御神酒飲んでいる人はいないかもしれませんが、皆さん御神酒を飲むと少しの量なのですが「効いたー」とか「なんかしらんけど御神酒は特別な味がする」とおっしゃるのは、真剣なお祈りをされたからだと私は思っています。

神饌。毎回生産組合からお米の献穀もあります。

きときとの平目が2匹。

鎮火の御神札。台所の火の元近くに貼り、火の荒御魂を鎮めて災いが起きぬように心がける意味で毎年張り替えて、火を扱う我々の心をも改める意味があります。

神様のご馳走、神饌。いわゆる海の幸、山の幸ですな。メニューは穀物としてお米、餅米、大豆、小豆、乾物、野菜、海菜(かいさい:昆布やわかめなど海の植物)、果物、お菓子などなど。

倅達は学校ですので、二人で奉仕です。

2月の祈年祭と11月の感謝祭は五穀豊穣の祈りですので農家の生産組合の方々が参加されます。

2月17日 鷹乃羽雅楽会温習報告

禰宜です。相変わらず冷え込みますね。昨日の朝なんか道路ツルッツルッで怖かったです。雪が積もらないことを祈りながら、本年最初の雅楽温習日を迎えました。季節柄、体調を崩されて欠席が何名かいらっしゃいましたので、いつもの通り、進捗状況と今後の予定などをお知らせいたします。龍笛、篳篥とも越殿楽・五常楽の唱歌と演奏を中心に進められました。龍笛はなかなか音が出ない、息が続かない方がいらっしゃいますが、あきらめずに続ければ必ずや音が出るようになりますので、個人練習を少しの時間でも良いので続けて戴きたいとのことです。

篳篥は今回より親子で初参加された方がいらっしゃいました。頼もしいですね。かなりの方が音が出るように鳴られたようです。

笙は越殿楽・五常楽・陪臚の唱歌を歌い、今回は合い竹の押さえ方、そして手移りの練習、平調の音取りの解説と演奏を伝授しました。次回まで各自練習してきて戴きます。今回欠席の方は合い竹の乙、凢、一、乞、十、下、工の7つをいつでもパッと押さえられるように覚えてきて戴きたいと思います。

音取りはなかなか難しいのですが、何度も何度も繰り返し身体に染みこませるように手を動かす事が必要ですので、とにかく練習ですな。

息を長くするのにはやはり長時間吹き込む事が必要です。我々神社本庁の雅楽講師研修では一日中吹く温習を二泊三日とか経験すると自分でも息が長くなるのを実感しております。やはりしんどい思いをしないと演奏力は伸びませんが、今日は簡単に皆さんにも出来る「息を長くする」トレーニングを紹介しましょう。ズバリ、最近流行りました俳優 美木良介さんの「ロングブレスダイエット」のトレーニングです。機械も何も要りません、本屋にDVD付きでやり方を紹介してますので試してみては如何でしょうか。

当面の目的は4月に平調の音取りと越殿楽の合奏をしてみたいと思います。合奏すると音楽の楽しみが増えますので、またやる気になっていただけるのではないかと思いますので、頑張ってみましょう。

笙も参加者少なめですが、頑張りましょう。ストーブ4台焚いてますのでなんとか過ごせる室温でした。

「合い竹」、つまり雅楽でいうところの「コード」「和音」ですね。不思議な揺らぎの音階です。メジャーでも無い、マイナーでも無い独特の和音です。

こうやって楽器の上から覗くと正しく押さえられているかわかるんです。

甥のよっちゃん。指が短いのでまだ十分に届かないところも頑張って押さえています。

芦峅寺から参加の佐伯さん親子。家に篳篥があったそうです。最近うちの蔵からも出てきましたので、昔はもしかして雅楽、流行っていたのかも知れません。

右が息子の信明、左が甥の靖忠。一度聞いてみたい。

楽しそう。何かネタやってんのかね。

唱歌の練習。急がば歌え、雅楽の唱歌。

今日は病欠のため、お休みの方が多かったです、お大事に。

指使いがどうしてもわかりづらい様です。

合奏が楽しみですね。私は笙を教えているので写真でしか様子はわからないですからね。音までは聞いたこと無いんです。

来週は藤井先生は欠席で、射水神社の炭谷先生が来られます。是非音が出ない人は合奏をする4月までがんばりましょう。

舩木家のお蔵出し 其の弐

舩木家のお蔵出し 其の弐 30年分の埃をお清め中。大変やぞー、ほんまに。

禰宜です。寒い日と暖かい日が混じりながらの日々ですが、皆さんお元気でしょうか。私は祈年祭、鎮火祭、臨時祭(地鎮祭などのお祓い)の合間をぬって子供部屋の整備と蔵の清掃の続き、総代会、奉賛会の準備などやることが山積しているなかにも元気にしております。もうすぐ鷹乃羽雅楽会も始動しますので、楽しみですね。今月は2月17日と24日、午後7時からになります。まさか雪は積もらんと思いますがどうでしょうか。

さて、お蔵出しのお披露目第2弾です。当然、後日改めまして詳細なる分析、読み下し分など整理して公開しますが、多分今回の蔵整理で一番の大収穫の文書です。これを探していたのです。懸命に図書館の史料を探しておりましたが、当然と言えば当然ですが家にありました。江戸時代末期に編纂されていた「越中志徴」という富山の地方に伝わる逸話、伝説、言い伝えを収めた本に新川神社の史料らしき物を見て書かれているようでしたのでこの由緒書きを探していたのです。顧みすれば、大学4年生の卒業論文の調査で、この本の記述で、なにか気持ちに引っかかる事がずぅーっとありまして、それの究明に動いておりましたので、感慨ひとしおです。若い頃、立山信仰と新川神社の関わりをテーマに卒論論文を書きましたのでそれの続きですね。その当時思ったのは学者さんの論文は歴史的な事柄や見地からすると事実なのかも知れませんが、どうも読めば読むほどわけがわからなくなっていった思い出があります。何か重要なこと、本質的なことが抜けているような気がしましたけれども、論文は論文ですので、私なりに基本的な知識を入れるという意味では重要な作業でしたが、腑に落ちないところがずぅーっとくすぶっていたことは事実です。その頃、なんの確信も無いのですが、「いや、これは違う」とう違和感が直感的にありまして、それは今でも変わらないのです。なにか、ご先祖様が背中を押していらっしゃるような気もします。では続きはいずれまた。

現在調査中ですので現段階で一番古い由緒書。いわゆる御鎮座縁起ですね。私は史実として正しいか正しくないかの検証も必要ですがそれを踏まえて、伝わってきた事柄をそのまま伝えていくこと、そしてそこに先祖が神様の事をどう思って来たかを精神性や想像力を読み取ることが本質ではなかろうかとこの頃特に思います。

上の前ページからですが「白鳳三年(674)三月十九日に面足惶根尊(おもだる・かしこねのみこと)が当国に降臨して、このページの三行目からに「神の山の清き流れの灑(そそ)ぐ、故にこのところを新川と号して、この処の守護神と成り、人民が慢心を退けて一つ心を真っ直ぐにして我の御前に一礼成せば願いかなわぬことは無しと言い終えて、白鷹と成って巽(東南)の方へ飛び去っていった云々・・」と云った内容が書いてあるような気がします。新川の地名の縁起譚ですね。読み方、いい加減ですみません、漢文、苦手でしたので。後日ちゃんとした書き下し文をお見せできるようにいたします。

面足尊・惶根尊・伊弉諾尊・天照大神を新川四社大権現と号して新川郡の守護惣社と崇められたとの御祭神縁起が記されています。原本を見たのは初めてです。これが見たかったんですよ、孫引きでは無くて原典に当たる事にこだわりを持っていましたのでうれしいです。

宝永三年(1706)八月神吉日 神主 田宮丹後守藤原宜命(花押) 今のところ、一番古いと思われる縁起古文書です。まだまだ検証作業を進めていかなければいけませんが。神主家の系譜も出てきましたので、いずれ公開します。

 

舩木家のお蔵出し 其の壱

舩木家のお蔵出し

禰宜です。おひさしぶりです。やりましたよ、ついに。禁断の扉を開きました。舩木家の蔵の整理です。昔は土蔵でした。かび臭くて暗い、いわゆる絵に描いたような土蔵ですね。私は小さい頃、絶対あの中にはミイラがいると思っていましたから。ですが家の建て直しに伴って30年前に古い土蔵から今の倉庫に移築されたのですが、その後、溜まりに溜まった30年間、親の管理下の元、カオス状態でしたし、親の私物がほとんどですのでわたしにゃ手が出せない「禁足地」でした。ですが、ですよ。親も年老いてきて、自分たちでは重い物も整理できない状況が来ましたので、私が整理しないと誰も手が出せない状態になっていました。ここは長年の垢を落とす意味と、親が元気な内に必要な物と不要な物を仕分けして、引き継ぎを受けておいた方が良い時期でもありましたので、「舩木家お蔵出し清掃事業」を実施したわけです。結果、この時期に思い切ってやって良かったです。「パンドラの箱」ではないですが、あれやこれや明らかにガラクタのような物達と格闘しながら整理を進めて行く末に、最後の最後に探し求めていた「希望の書」が出て参りました。新川神社の歴代宮司の系譜と神社の由緒です。思いっきり、出たぁぁぁぁぁ!と心の中で叫びました。毎日、蔵に入るのが楽しみです。他にも色々出てきました。今まで何で見つけられなかったかというと、二〜三代か前の分まで着物箪笥が所狭しと並べてあり、通路までを塞いでいましたので、古文献がある場所までたどり着けなかったのです。箪笥を乗り越えていっても、開くスペースが無いですし。灯台下暗し、といいますが、この機会に本当に思いきって整理しました。先ずはご先祖様に「申し訳ないですけれども、私たちも生きていかなければならないので、ある程度、御遺品を処分させて戴きます。」とお断りしてから、ビンテージ物の黒塗り箪笥他、役目を終えたのだけれども捨てられずに取り置きされた物達とお別れしました。まぁ、すごかったですよ。いつも正月にお祓いを依頼される「エイキ」にお願いいたしました。解体・産廃業者で、不用品の回収をして戴けるので助かりました。4トントラックに4杯、2トンに3杯だったそうです。お蔵出し、といいましても、そんなたいした「お宝」はありません。ですが、わたしにとりましてはお宮に関した貴重な資料、ご先祖縁の物たちが出てきましたので、改めて今後より良いコンディションを保つための管理の仕方を考えていきたいと思います。ここでもやわやわとお披露目して参りたいと思います。

蔵の入り口。

なんと、横笛が沢山出てきました。やはり、ご先祖様も雅楽を嗜んで居られたと言うことが、今回初めてわかりました。やはり、何かに導かれていたような気がしたのは気のせいじゃなかったのだ。

節分から立春へ

禰宜です。この頃は本当に春めいた陽気の日でした。雪では無く、雨ですし、風も暖かかったりしますが、如月(きさらぎ)というように、着物をさらに着重ねする日が来るのでしょうか。とりあえずは、節分、そして立春です。当社では年が明けて15日前後で一段落しますが、本年はいつになくその後も毎日1件か2件ずつ、厄年のお祓いに来られました。「節分」までに厄祓を〜と各種案内にありますので、皆さんも落ち着いてから厄祓に来られるようです。厄年は数え年ですから、満年齢がスタンダードな現代ですから、なんとなくみなさん書くのに抵抗があられるような気がします。2つ、多く書かなければなりませんからね。
昔の古老の話を聞くと、「正月はめでたいけど、この頃は正月きたら、ああ〜また一つ、年とったかと思うと複雑な気持ちになるわい」とおっしゃる人がいましたので、やはり昔の人は正月に年を数えていたんだなぁと思いました。

当社では現在「節分祭」は実施しておりませんが、昔は「卯槌(うづち)の祝い」という厄祓式を斎行していたようですので、いずれは当社独自の節分祭を再興したいとかんがえています。

さて、大変長らくかかりましたが、境内の絵地図、完成しました。絵師の米田昌功氏の筆による物です。近日中に新川神社の「境内ごあんない」を動作させたいと思います。新川神社の境内には色々な石碑があり、たまに聞かれたりするので、この際史料として公開したいと思っていましたので、頑張ります。では。

新川神社定番の福豆。年頭に御祈祷されます方にはもれなく1箱、お下がりとしてお渡ししております。撒くなり食べるなりして戴きたいと思いましてね。

御神札や御守り、しめ飾りをお清めしてお焚き上げをする焼納祭。いつも節分に実施しております。

米田画伯の境内絵地図。HPではクリックすれば解説が出るようにします。

富山CityFMさんが「越中むかしものがたり」放送の取材に来られました。

禰宜です。久しぶりになりますね、更新。書きたいこと、いっぱい有るんですけれどね。お正月の後片付けなど、急いでやらないと次の仕事が出来ない状況にあります。家の座敷は社務所・装束管理室・着替え室・来客応接室・御神札梱包作業所・御守り管理室・雅楽練習所・コピー機部屋・御神札御守り倉庫・祭器具倉庫ですからね。十徳部屋ですな。あ〜もっと広い社務所が欲しい〜。
さて、松の内も遠に過ぎましたので境内も初詣の看板とのぼり旗を降ろして、奉賛会ののぼり旗を掲げました。ピンクのグラデーションでかわいらしい感じに仕上げてみました。まだ寒いですけれども、桜の花びらみたいな感じで華やかな感じがします。昨年は宮総代さん、お世話人の氏子の町内の方々に一軒一軒、ご寄付をお願いに廻って戴きました。本当に感謝です。まだまだ目標には遠いそうですが、平成28年までなんとかたどり着きたいものです。それで今年は崇敬者、もっと平たく言いますと地元の住民では無いけれど、新庄出身で地元を離れて住んでいらっしゃる「新庄育ち」の方々と新川神社の神様の純粋なファンの方々に御奉賛をお願いしたいと思い、お正月御祈祷を受けられました方には奉賛会の趣意書をお渡ししました。もっとわかりやすくご説明などしたかったのですが、お正月期間は待ち時間や大勢の方々の対応であまりくどくどとご説明するのも何かと思いまして思うようにお伝えできなかったことが今となっては悔やまれますが、何卒趣旨をお酌み取り戴きまして御協賛いただきますれば幸いです。
さて、本日夕刻、富山CityFMさんが「越中むかしものがたり」という富山の伝説を朗読する番組のなかで、富山の町の歴史を5分程度で紹介するスポットコーナーがありまして、新庄町の歴史を新川神社の由緒を交えて話して戴きたい、ということで取材をお受けいたしました。当社のHPを見ておられたご担当の方が来られまして、私の好き勝手な放談を録音していかれました。多分、編集が大変だと思いますが、上手いこと繋げて戴けることを期待しております。参考に番組を聴かせて戴きましたが、良いお話ですよ。とやまの昔話は私も好きで、今後は古事記の紙芝居に続いて子供達に伝えたい話です。今後は紙芝居化して広めていきたいと考えていましたので、私自身共感できる番組です。むかしばなしやおとぎはなしって、人と人との物語りもそうですが、動物や物の怪が出てきて人と交わる話なんですよね。昔の人は動物とも言葉を交わして情けを分かち合っていたという話が多く題材になっています。やんわりと倫理観や道徳を語り伝えるむかしものがたりはいつ聞いても心にしみる物があります。是非チェックしてみてください。毎週水曜日、18時30分、再放送は土曜日11時30分、日曜日21時30分。私の出番は2月だそうです。4回に分けて5分ずつ放送されます。
メインはむかしものがたりの朗読ですからね。私の話はおまけの耳汚しですから。是非朗読を聞いてください。チューニングは77.7です。ラッキーセブンですな。
富山CityFM  http://www.city-fm.co.jp

新川神社の成人式「元服祝(げんぷくいわい)」「髪上祝(かみあげいわい)」のご紹介

禰宜です。ようやく、一段落が付きました。本年の正月は天候に恵まれてスムースに事が進みました。昨年は色々と新しい事に挑戦、実施した実りの多い年でした。私自身、ここ近年の中では自分でも満足のいく取り組みを始められたことを実感できた、良い年でありました。今年は昨年始めた事柄をより煮詰めていく、磨きをかけていく年にしたいと思います。英語ではブラッシュアップ【brushup】と言いまして、最近よく聞く言葉ですが、靴にブラシをかけて磨き上げたり、お気に入りの楽器や道具をメンテナンスする時間というのは余裕があるときに楽しみながらしたい時間です。本年は大雑把に動かした活動を本来もっとこうしておきたかったレベルに上げる作業をしていきたいです。このHPもそうです。まだまだ未完成の部分が多いので、ブラッシュアップさせていきます。小学生のページと御祭神について、境内のご紹介など順次進めていきます。水面下で作業は進めていますので、乞うご期待ください。

さて、過日1月14日成人の日ですが、私事で恐縮ですが倅の元服式を執り行いました。一般的には二十歳の成人式ですが、新川神社の成人式は古式に倣いまして数え年15歳男子が元服祝、数え13歳の女子には髪上祝の御祈祷を実施しています。昔の成人は年が早かったんですね、寿命そのものが今より短いですからそうだったのかもしれません。
7〜8年前に富山県神道青年会の中で成人祭の在り方の見直しを課題にして研究した事があります。ご承知の通り、近年の成人式の荒れ様はすでに二十歳の成人祭の形骸化も伴って、あまり意味を成さなくなってきたように感じました。昔は神社へのお参りが多い時代がありましたが年々減少していきまして、今でも継続して実施している処もありますが、本人達が参加するのは稀です。そんな現状に対して神職としてどのように対処するかと議論いたしましたら、原点回帰、温故知新で本来の成人式である元服・髪上を復活させることにしました。ここ数年で年間数は少ないですが、お正月に親子でお参りされていきます。今日は私の倅の長男・信明の元服祝いの様子を紹介します。本当は髪上祝いも紹介したいのですが、何分肖像権の問題もありますので、いづれ協力してくれる方を見つけて、ご紹介します。元服式として男子には男親から金盃に御神酒を注いで貰いまして飲むまね(すこしなめても良い)をして戴きます。女子の髪上式は本来は髪の毛を結い上げる儀式ですが、現代では髪型がそれぞれですので儀式として実施が難しかったので、それに変わる儀式として舞妓さんが塗る口紅をお母さんに塗って貰う儀式をします。貝殻に塗ってある紅を小筆で口紅にさす時にはお祝いの女子に手鏡をもって、その様子を見て貰います。私が初めて奉仕した女の子なんですが、お母さんに塗って貰って大人びた顔をみて、やはり女の子なんですね、ほんとーに良い笑顔で微笑んだあの子のあの笑顔を私は忘れません。なかなか良い儀式ですよ、いつか写真で紹介しますね。

髪上祝には手鏡で紅をさす様子を見て貰います。これが良いんですね、なんとも。母親が娘に口紅をさして上げる様子はなんともいえません。

元服式の金杯。結婚式の三三九度と同じ台座で行います。

記念の御守りの内符。それぞれの銘に神璽印。

綺麗な錦袋。好きな柄を選んで貰います。この御守りは一生物で、お祝いの記念に永久に持っていて貰います。

内符を入れて紐で間口を絞って出来上がり。御守りも古式さながらの物にこだわってみました。

元服式の記念品として儀式で使った金盃を授与します。二十歳になったらこの金盃をもう一度出してきて一杯やってほしいですね。

同じく、口紅初差しの儀に使った京紅を記念品として差し上げます。

京紅のいわれが書いてある紙が同封されています。

今日は元服式ですので私の弟の同級生が42の厄年で奉納していただいた、「とっておき」の綺麗な案で執り行います。

本人着座。制服着用。

祝詞奏上。富山では元服立山登拜が伝統として今日まで継承されています。一応、倅は雄山山頂に登拜済みですのでまぁ、一応は元服を迎えられると言うことになりますかな。

御神霊拜戴・鈴振りの儀。神様の御神威を鈴の音に託してお分けする儀式です。

御神酒を金盃に注ぎます。

御神酒を舐めてみたら苦かったそうです。

倅が選んだのがこの柄。

内符を見せてから錦袋に入れます。

結んで完成。

大事にもっとれよ。

玉串拝礼。

式が終わって、昔の元服の話を聞かせました。昔は元服したら家の跡取りの資格が公に認められること、武士の子供は元服の時に切腹の作法を教えられ、責任の取り方を躾けられたこと、幼名から大人の名前に変わる、源義家は氏神である石清水八幡宮の御神前で元服をして「八幡太郎義家」と名乗った、などなど紹介して、満13歳はまだまだ子供だけど20歳の成人まで独り立ちできるように今日から大人として扱うからそのつもりで居れ、と伝えました。

あけましておめでとうございます。

奉賛会の芳名簿とのぼり旗を手水舎に設置いたしました。

本年より年越大祓ご参列者と正月参詣者に禰宜さん手製の注連飾りを先着100名に授与致しました。すべて無くなりました。早速玄関の扉や、輪をほどいて神棚の注連飾りにして戴いている家もありました。神棚に伸ばして飾ることも出来るので、お好みでどうぞ。

年越大祓式の様子。大祓詞を参列者にむかい、宣読(せんどく)します。

舞いを舞っているように見えますが、これは「祓え津物」といいまして、古代の貴重品なる幣帛(布・麻)を八つに裂く事によって罪を購う儀式です。今で云うと紙幣を破り捨てるようなものでしょうか。

ご参列の方の今年一年の罪穢れを祓い、来る年が良い年であることを祈る「年越大祓祈祷」をしたあと、おみやげに私が丹精込めて作製いたしました「笑門来福しめ飾り」をお分かち致しました。

ということで、新年を迎えました。新年の写真は、まだ余裕が無くて撮れていませんので、うちの年賀状なんぞでご挨拶申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。