月別アーカイブ: 2019年5月

令和元年度第6回田んぼ学校お田植え祭斎行

宮司です。爽やかな新緑の季節となりました。毎朝梅の木の実の成熟具合を見ておりますと境内にはカラスや雉、つばめやセキレイ、先日までは鶯が一所懸命に鳴いておりましたが、様々な鳥がいるなぁと嬉しく思いました。鳥は神のお使いですからね。

ということで今年も晴天の下、お田植え祭を斎行いたしました。6年目と言うことで最初来ていた子供達も成長して中学生になったりして参加者も世代交代がそろそろきてるなぁと感じましたが本年は早乙女8名、田男3名含む21名の児童と保護者、宮総代、鷹乃羽雅楽会の総勢50名で行いました。

先ずは祭礼にて田男、早乙女にお供え物のお運びの所役をして戴くので作法を伝授します。毎年のことですが子供達は飲み込みが早いので意外に短時間でリハが済みました。毎年参加して戴いている子も多いからでしょう。
先ずは開校式にて貫江総代会長、奉耕者である吉田榮一さんと田添啓一さんにお米作りのお話しをして戴きました。田添さんからは「毎年、早苗の植え込みが浅くて全てやり直さなければイケなかったので、今年は必ず3㎝土に植え込むように」との注意事項が有りました。そのお陰で今年は上手に植えることが出来たようです。

今年は早乙女が過去最大の8名ですから「八乙女」です。八乙女(やおとめ)は神楽や舞で神前にお仕えする巫女の事で、八は末広がりで数が多いことの例えのラッキーナンバーです。

スムースに祭礼を終えていよいよ神饌田へ参進です。
鷹乃羽雅楽会が雅楽を演奏して戴けるのも新川神社ならではです。今回龍笛の高木さんが祭典雅楽奉仕デビューでした。直垂装束を着けての演奏も初めてですが落ち着いて演奏できました。
田楽が伝わっていないので雅楽の生演奏の中、田植えをする所は県内では新川神社だけではないでしょうか。植物に雅楽を聴かせると良く成長するという実験結果もありますし、雅やかな雅楽と太鼓の音に合わせて作業するのはいいもんですよ。

宮総代と保護者の方のお手伝いも戴きまして大幅に早い11時10分には田植えを終えて11時30分には昼食。昨年収穫した神饌田のコシヒカリでカレーライスをいただきました。今年のカレーは毎年とあるスーパーの調理部門へ外注しているのですが、少し辛めのカレーでしたので幼児にはかわいそうなことをしました。来年からはカレールーを指定して作って貰います。

食事を終えたら少し休憩の後、12時10分過ぎから古事記紙芝居です。今回は「神武東征(じんむとうせい)」のお話しです。少し幼児にはむつかしいかもしれませんが、高学年は本当にビックリするくらい理解している子がいまして、神主と致しましてはやりがいがあります。

紙芝居が終われば「古事記とお米に関するクイズ大会」です。それぞれに関する3択のクイズで正解者にはお菓子をひとつ選べます。16問ほど有りますので結構な量になりますね。
この「クイズ大会」が田んぼ学校のキモです。実際の体験を通じてその経験を知識として魂に落とし込めることが出来るか、が重要だからです。体験したことを自分の言葉で誰かに伝える事ができれば尚素晴らしい事ですね。日本人としての根幹に流れる大事な事を次世代の子供達に授けることが出来て私の神職としての使命達成感を実感できるのもこの田んぼ学校の良いところです。

今回、ビックリしましたのは、 「Q:お米はどこから来たの?  A:神様からいただいた」
ここまでは3択ですので正解なのですが、追加で「その神様は誰?」と聞いて「アマテラスオオミカミ!」とスパッと答えが返ってくるんですからね、すばらしい。
クイズに対して真剣な眼差しで質問の内容を理解しようとする子供達に触れますと、何時か将来的に日本人として立派に地域に根を張れる人材が育つ様な気がします。
奉耕者の方々には稲作の準備から後片付けまでお手間をお掛けいたしておりますし総代会や他色々な方々にご協力を戴いているこの行事も神様と繋がりをもった人材を育成するという意味で豊かな稔りをもたらすことを願って継続していきたいと思います。

私が「田んぼ学校」を開催した理由に「神様には地元で採れたお米だけをお供えしたい」と言うことが先ずありました。そして地元の子供達と自分たちで植えたお米を自分たちで収穫して、自分たちで握って食べる、という一貫した行程を体験することにより「産土(うぶすな)の神」と一体になって戴きたいということです。最近はスーパーマーケットで全国、全世界から食材が集まってきますので、昔は当たり前に自分の地域で穫れた物を食べて土地と命の繋がりがあった時代ですが、今はそういった実感が体験出来にくい世情です。
それが良い悪いではなくて現代の利便性はありがたく利用して享受するのは当然ですが、産まれ育った土地の霊が籠もったお米を食べることでその土地と一体感を感じていた昔の日本人の有り様を思わないと何のために神社でお祭りをするのかわからなくなってしまうからです。

産土神の復権。私は神職としてこれを国内外に広めていけたらと今考えています。

最後に「かんさつにっき」を参加者に渡してお別れです。残念ながら昨年は1名のみの提出でした。ですので宮司さん、つい口が滑って「提出者には豪華景品が当たります!」とサラッと言ったつもりがこどもたちはシッカリ聞いていたようで「豪華景品って何?」「昨年と一緒ですか?」とか問い合わせが・・・。
ある子からは「ねーねー、私は景品に○○がいいなー」といわれたんで「○○って何?」と聞きますと「でも○○は何万円もするん」という事でしたので「それじゃ、だめだわ。宮司さんそんなお金かけられんわ」と答えますと、なんと可愛い笑顔で「アマテラスさんにおねがいすれば、いいんじゃない?」
まだ未就学児ですよ。なんという機敏さでしょうか。今年の秋に彼女に会えたなら「宮司さん、アマテラスさんにお願いしたら天岩戸にお隠れになってお答えはいただけなかったん」と、せいいっぱいの可愛いい笑顔でお答え申し上げようと思います。

5/4(土) 映画 「カムイと生きる」上映会アフタートークショー出演

宮司です。ようやくブログ更新が追いつきました。過日に以前から知り合いで色々と御縁がありますヤマダベンさんのお招きで標記のトークショーに神仏かふぇ。でいつもお付き合い戴いております最勝寺谷内良徹和尚と共に出演して参りました。(詳しくは下記HP参照)
http://kiminiau.main.jp/
2019 ART&LIVE きみにあう(於・市民プラザイベントスペース)

今回このお話しを戴くまでは実は「アイヌ民族」の情報はほとんど持ち合わせていなかったので、図書館で本を借り、購入もしながら準備をしておりました。元々原住民といいますか、ネィティブピープルには興味がありまして。ネイティブアメリカンの思想や儀礼が神道に似てますし、琉球人の神観念など、全世界の宗教発生以前の土着信仰は実はすべて神道的な素朴な自然との関わりの中で培われた精霊信仰があると思いますのでそれに関する書物も少しずつ手元にありますが何せ今は自分のルーツである古事記・日本書紀に取り組んでいるところですので正直そこまで目が通せていないところでありました。多分、神様が「そろそろそっちも見てみたら?」というお諭しではなかろうかとおもいます。

映画はドキュメンタリーで私なりに感じましたのは「ラストサムライ」ならぬ「ラストアイヌ」的な本来のアイヌ的な環境で育った主人公が近代日本の中に飲み込まれながらもアイヌとして生き抜く生き様の映画で、その家族と仲間の関係性の中で何かを伝えたいその想いを映像にされた物だと言うことです。

アイヌの「カムイ」とは神道の「カミ」とほぼ一緒ですね。言葉も似てますし。古事記でも「カム・イザナギ」と語尾を替えて読むこともありますし。そういう意味では「カムイと共に生きる」は神道を意味する「惟神(かむながら)」に通じています。「神代さながらに生きる、神様に見倣って共に今を生きる」が我々日本人の生き様ですから。

アイヌ民族から見ますと我々は「倭人」というわけですが、古事記にも記されていますようにその中でも元々国土にいた「国つ神」と稲作文化をもたらす「天つ神」の融和がテーマですので倭人の中でもネイティブピープルがいて、私は良くわからないのですがなぜかその「ネイティブピープル」のセンスや信仰に魅了されるわけです。多分私の血の中に当然交じっている、みたいな感覚ですかね。
当日は予定には無かったのですが急遽ご本人の浦川治造氏が来県され、トークショーでは娘のマキコさんと四人でお話しをさせて戴きました。参加者からも質問が相次ぎ、閉館時間ぎりぎりまでの熱いトークショーとなりました。

イベントは5月12日(日)まで続きますので是非遊びに行ってみてください。

 

4月29日四方神社神輿神幸祭 4月30日春季例大祭奉仕

続きまして四方神社の祭礼の様子です。本年は平成最後の祭礼と言うこともあり、四方各町内の曳き山が勢揃いで目抜き通りを神様の神輿を先頭に神幸しようという企画が氏子より企てられまして晴天の元颯爽と揃い曳きすることができました。圧巻ですね。

次の日は平成最後の日でありますが宵宮から明けて本祭りが行われました。宵宮の夜の奉納に引き続き氏子の舞姫による「浦安の舞」が奉納されました。

新川神社では私が宮司、家内が権禰宜ですが、四方神社では家内が禰宜、私が権禰宜ですので神様と宮司、禰宜さんにお仕えする立場です。宮司に就任して以降、宮司職が増えただけで今までと業務内容はさしてかわらないという日々ですが、それも私が選んだ人生。

令和の時代も穏やかで、すがすがしく神明奉仕の日々を過ごして参りたいと思います。

4月29日荏原神明社・常盤台神社春祭り〜四方神社春季例大祭神輿神幸祭

宮司です。今年は川嶋広報部長が献身的にも祭事祭礼に密着して戴いて写真撮影戴いてますので、いつもは記録されていなかった祭事もこうやって振り返り拝見できますので大変有り難いです。

4月29日は我が家舩木家奉務の神社の春祭りと四方神社の神幸祭が被っておりますので、二手に分かれてご奉仕をしております。本年から見習いで川嶋咲四神役も同行しましてご奉仕を戴きました。

先ずは舩木家の奉務神社の荏原神明社・常盤台神社ですが、この2社は全国数ある神社の中でも大変少数派の神社です。その理由は戦後新興住宅地に新たに設立された「新しい」神社なのです。

荏原神明社は昭和55年設立、常盤台神社は昭和42年設立です。この2社は我々神職と致しましては「誉れ」の社です。普通は神社の縁起の古さを誇りにしますが、私は此の2社の「新しさ」が自慢です。しかも神職主導ではなく、住民氏子の熱意によって設立された事が尊いのです。(設立の詳細は当HPトップの「ゆかりの神社」参照ください。)戦後設立された神社って何社程有るかはわかりませんが、過疎化で合祀されたりして無くなっていく神社は多いと思いますが新興住宅地に神社が佇む景観はその地域に何かしら「重みと品格」を与えているように思います。

設立当時の方々にお話しを聞く機会がありましたが、働き盛りの40代に仕事を持ちながら町内各家を1軒ずつ説得に廻られたそうです。
しかも「常盤台」という地名は地元の方々が命名され、行政が後追いで認可した地名なのです。
神道の祝詞定番フレーズである「〜常盤に堅磐に〜」を冠した町。しびれますね。
私の代でも一社でも良いですから新興住宅地に燦然と鎮守の森の新緑が萌えあがる日を迎えることが実は目標でもあります。なかなかそんな時代では無いことは重々承知どころか、私が一番わかっている地域に住んでおりますのでなにを戯言と思いますが、なぜかそんな日がいつしか来るような気がするもので・・・。
おっしゃ!わしらの町に神社を建てて神さんまつって祭やろうぜー!という奇特な方、お待ちいたしております。

 

平成最後の春祭・神輿渡御祭奉仕 4月19日

宮司です。平成最後の春祭りの週間天気予報は4月19日前後は晴れ・曇りなのに、19日だけは「雨」。宮司の日頃の精進不足と不徳の致すところと思い立ち、最勝寺にて「行鉢(ぎょうはつ)」という座禅しながら修行僧の精進料理を戴く行に参加した甲斐が合ってか、朝方だけ小雨に降られましたがその後はあがりまして、無事に神輿渡御祭を完遂することができました。

当日は平日にも拘わりませず、会社を休んでご参加戴きました各町内会の宮委員各位、若鷹会各位、どべ保存会各位に感謝申し上げます。

また、お仕事を終えてから駆けつけて戴きました若鷹会の会員や、差し入れで心づくしの料理で直会に手作りの料理でもてなしてくれた彩名さん、ゆうさんありがとうございました。季節の山菜の天麩羅や鍋ラーメン、酒肴などお若いのに通好みなメニューにはいつも感心しております。

私宮司職に取りまして春祭りを皆さんと無事故で無事に成し遂げられた時程の達成感はありません。毎年、天気の心配から時間通りに進められたか、食事は足りたか、事故が無き様に、お参りに滞りは無かったかなど準備と反省は欠かせませんが、毎年少しずつお祭りが進歩して氏子の皆様に「良い祭だった」と感じて戴ければ幸いです。

神様の御神霊が御神輿に降臨されて氏子町内をドベの導き、若衆と一体となって御神幸されることにより町全体が浄化され、自然界の勢いを張り巡らせるのが我々の使命です。
今回、五色の吹き流しを祭礼威儀物として準備いたしました。
五色の青・赤・黄・白・黒は木・火・土・金・水を表し、森羅万象はこの五行に陰陽の日月を加えて循環しているので、この力がバランス良く発展生成すれば此の世の中が繁栄するという祈りを込めて掲げました。

特に春は新緑の「芽が張る」季節ですので、自然界頑張れ!みたいな感じですかね。
平成最後の春祭りも無事に納める事が出来、御世替りをおだやかに迎える事が出来て本当に幸福感に包まれてこのブログを書いております。

翌朝早朝の境内清掃もお疲れ様でした。皆さんお休みでしかもお疲れの所後始末までご奉仕戴き感謝申し上げます。皆々様方に神の神護あらんことを。

鷹乃羽雅楽会4月14日、4月21日温習会

宮司です。3月から新規募集を致しまして楽器や譜面なども揃いまして本格的な練習に入りました。何時ものことですが龍笛が一番人気で人数が多く賑やかな感じです。どの楽器も音が出るまで大変なのですが、くじけずに続けて戴ければ必ず成果があると思います。

3期生の篳篥は2名と、前回より少数ですがお二人とも早い段階で音が出ましたので今後が楽しみです。少数派の笙は今期は川嶋一人(かずと)広報部長が一人(ひとり)でエントリーです。他にもいらっしゃったり希望者もいらっしゃいますが当面一人でしょうか。本人はマンツーマンだと逃げ場が無いので辛そうですが、本来楽師の伝授の仕方はマンツーマンですので、上達は早いと思います。
2期生の方々も1期生に交じって練習され、愈々田んぼ学校で祭典デビューを迎える方を輩出する段階になりました。初めての方が緊張して演奏される姿を見て私はいつも自分自身も初心を思い出して心を入れ直したいと感じています。
「神前に楽を奉奏する」ということは音楽家にとっては名誉な事です。プロの音楽家も緊張しながら演奏されます。何時もなら目に見える観客の前で演奏するのですが、神社の前ですと目に見えない御神霊に向かって演奏しますのでいつもと勝手が違いますしね。

我々神職や神前にお仕えする雅楽奉仕者は逆に神社や神様が近すぎるのでそんな初心を忘れがちで、日々の仕事にかまけて練習も怠ってしまいがちです。
古今東西祭祀儀礼には音楽が奏でられます。今日では余興のように扱われる音楽ですが、天岩戸が開いたのはアメノウズメが神楽を舞って八百万の神がどっと笑ったからなのですから、祭祀で音楽が重要な役割を果たしています。

祭典のプロである神職の間でも雅楽に対する温度差はあります。音楽の得て不得手もありますので全ての神職が演奏者とはなり得ない事は致し方ないのですが、専門職で有るのであれば一度も経験もせずにスルーするのはプロとしては如何なものかと私は思います。特に若い青年神職は何でも飛び込んでいって今まで先人が出来なかった事を未来に繋げて戴きたいと思います。

一般の方々がこんなに熱意を持って挑戦していらっしゃるんですからね。

4月8日第2回日本書紀に親しむ・4月15日、24日18回古事記に親しむ中下巻

宮司です。一ヶ月前の報告になりますが、日本書紀と古事記に親しむ、それぞれの進捗状況をお伝え致したいと思います。

4月8日は日本書紀の第2回目です。今回は当初の予定第1回目の場所までなんとか読めました。
神代の巻は「一書(あるふみ)」が多いのですが、古事記の素材だと思われる記述もありますのではしょらずに丁寧に解説を進めて行ければと考えています。
大日孁貴ーおおひるめのむちー(天照大御神)の御誕生から火の神・軻遇突智(かぐつち)の誕生、伊弉冉の死、黄泉国に至る神話の場面です。本文に対し繰り返し別伝である一書(あるふみ)を読みますので、それはそれとして読み流していけば何となく流れがわかるところで有ろうかと思います。しかし、大筋としては大きく違わない別伝を掲載しているところなんか、民主的といいますか、それぞれ提出した氏族からの苦情を恐れたのか、集約することを諦めて一書(あるふみ)をすべて放り込んだのかは定かではありませんが、興味深いところであります。

4月15日昼の部、24日夜の部の古事記に親しむは下巻の允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御世を経て允恭天皇の皇太子木梨軽太子(きなしかるのみこ)と、実妹・軽大郎女(かるのおおいらつめ)と許されない恋におちた悲劇のお話しです。

此の段は歌でもって物語が進められるので、歌謡劇舞台での語り部のパフォーマンスを想像しながら読んだ方が情景が浮かび上がるところだと思いますが、以前から歌の現代語訳に苦心しておりまして。と、いいますのも現代語にすると野暮ったいといいますか、なんか真意がつたわらなくなるのでやはり原文から感じ取るのが一番良いように思います。ところが、その歌の原文の意味と話の流れが大筋では合っているのですが部分的に矛盾する箇所もありまして、解説書を色々調べてみましても「意味不詳」などと言うところです。そこで私が閃いたのは、歌はあくまでも「挿入歌」ではないかと言うことです。大体、エンタメは演劇、漫画、映画、TVドラマなどメディアや媒体は時代により進化していますが、根本的な演出方法は昔も今も共通するところが残っているはずだという考えから、現代の映画や TVドラマでも良くある「主題歌」、そしてストーリーのここぞという場面で流れる「挿入歌」、これは歌詞の内容は全く一緒じゃ無いけれどもその場の流れに即した楽曲が選ばれているので物語りに緩急をつけますよね、多分これだと。此の場面では語り部が複数名いて、手振り身振りを交えて歌が読まれている情景を想像しますと合点がいくような気がします。
このことは今のところ何処の本にも書いてありませんので(もしかしたらあるかも)舩木説です。へへっ。

令和元年初ブログ更新

お久しぶりです、宮司です。最後の更新から今日まで、不休の日々でようやく時間が取れたのですが、ブログの更新せんにゃこころおきなく羽根を伸ばせないのでもう少し頑張らんといけんのです。

さて令和になりましたね。10連休と言うことで、私は四方神社の春祭りの4月30日から昨日まで県内外からの参拝者の御朱印の対応をさせて戴いておりましたので自宅社務所に籠もっておりました。本当に大勢の方々、しかもご遠方の方が多く御朱印をさせて戴きました。

御世替りということで4月30日と5月1日には御祝いの言葉と何かしら書かせて戴きました。
今日では令和の典拠である万葉集の「初春令月 氣淑風和」を記させていただいております。

上皇陛下、上皇后陛下におかせられましてはごゆっくりと御静養いただきたいと思います。
上皇后陛下にはゆっくりと御公務のため、後の楽しみにおひかえになっておられました読書と、お忍びで学生のころよく通われたという神田や神保町古本屋廻りの夢を是非実現されて戴きたいと思います。
今はネットでも全国の古本屋から取り寄せが出来ますが、やはり古本屋での偶然の出会いと言いますか、現行の本屋には無い「タイムマシン」みたいな魅力があります。中古レコード屋もそうですが。
御皇室の皇族方には本当に我々一般庶民が何気なく過ごすささやかな楽しみも享受できないお立場で有られ、御公務に身を捧げられておられますことを思えば、我々諸民は自由を満喫できる環境にあることに本当に感謝ですね。

今上陛下も皇太子御在任の頃、立山登山の計画が内々にあったようですが御皇室の御都合で中止になられて以降、来県されたときも車中から雅子皇后陛下と山岳書籍を参照されながら立山連峰を遥かに眺められて居られたご様子をお付きの関係者から漏れ聞いております。せめて室堂まででも御行幸戴けるようなお導きが出来ないものかと県民の一人として思うわけです。昭和天皇様の御製の御縁もございますし。

でもネットの古本屋は便利ですね、必要な書籍を探すには。予てより「日本書紀に親しむ」を開催致しますので日本書紀の注釈書を買い求めていましたが、ネットで全国の古本屋のストックと値段、状態など吟味してポチッとすれば届きますので、這いずり回って探さんでも良いところがメリット。意外に富山の古本屋にあったりして、びっくりしました。

平成時代は自然災害が多く起きて日本は甚大な自然災害と人災に見舞われました。その反面、近代国家になってから続いておりました「戦(いくさ)」が起こらなかった初めての時代だったともいえます。私は明治・大正・昭和を通じて今日の不戦の平成時代30年間を守って戴いたのは国づくりの為に命をかけた我々の祖先の御霊のお働きの上に今日があるとつくづく感じます。

令和の新しい時代も「古事記」「日本書紀」を通じて御皇室と共に国づくりをしてきたお国柄を広める使命をみなさんと共に「やわやわ」(※注)と全うして参りたいと思いますので、宜しくお願いします。

※注「やわやわ」・・・富山弁で「ゆっくりと」とか「そろそろ」の意。「和らげる」が語源か。
逆の意味で「やちやち」という富山弁は「せっかちな」の意。
使用例:「あそこのおやじちゃ、やちやちの言ばっかゆうとる」