令和元年9月28日(土)田んぼ学校稲刈り祭斎行

宮司です。本年の稲刈りの日時は住民運動会の為、土曜日に繰り上げて行いました。が、この日は小学6年生の中学校での入学体験授業参観日だということで、田植えに参加いただいた大勢の6年生が参加出来ないという事態に陥りましたので、田男1名早乙女4名ということになりました。
中でも6年生なんだけど、参加してくれた早乙女もいらっしゃったので助かりました。
人数が少ないので盛り上がりに少し心配しましたが、意外にも年長者がいないせいか、逆に小さな子供達がのびのびと元気に過ごしていたのが印象に残りました。

当日は天気予報では曇りで、夕方から小雨なのですが、どうも雨雲が気になりましたので、先に稲刈りを実施してから収穫祭を行いました。本来は此の順番でも良いのかもしれません。
予感は当たりまして、稲刈りを始めたのが午後2時18分頃で2時35分頃分位稲刈りをした頃に小雨がパラついて来ましたのでそろそろ辞めるか?と子供達に聞きましたら「まだやる〜!」と頼もしい返事。農家の奉耕者は雨が降る前にコンバインで刈り取る準備をしていましたので、気が済むまで稲刈りさせてあげたいのはやまやまでしたが17分間の稲刈りで修了。

その後は刈り取った稲穂を御神前にお供えする祭典を子供達と一緒にお務めいたしました。田男と早乙女が順繰りにお供え物をお運びして、収穫に感謝を申し上げました。

着替えてから参集殿で古事記紙芝居を観ました。ちゃんと観てないと後で行われるクイズ大会の質問に答えられないので、みんな真剣に観てますね。今回は古事記も中巻に入りまして崇神天皇の御代になります。大人でも知らない話もあり、父兄の方々も「ふ〜ん、そうなんだ」と見入って居られました。親子で日本神話を共有できることは良いことですね。この古事記紙芝居は動画サイトにアップしてありますのでご覧ください。

その後、脱穀・精米体験。千歯漕ぎ、籾すり、精米のそれぞれを昔ながらの方法で体験して貰い、その手間を体験して貰いました。やりだすとみんな飽きもせずにハマっているのは、DNAの為せる技ですかね?

その後は恒例のクイズ大会。古事記クイズとお米のクイズが6問ずつ12問出して、正解者にはお菓子ひとつ貰えます。上級生がいないせいか、年少者が伸び伸びとはしゃいでいる姿が可愛かったですね。小学6年生にもなりますと、お菓子貰ってキャイキャイ言わなくなりますもん。

お米はどこから来たの? なぜ日本人は稲作をするの? 素朴な疑問ですが答えられる大人は何人いるでしょうか?いつかNHKの「チコちゃんに叱られる」に出そうな質問ですよね?
田んぼ学校の生徒達はエライですよ、ちゃんと答えられますもん。

クイズ大会で盛り上がって予定時間を少し過ぎて無事に修了。観察日記も2名が提出して戴けましたので御神前にお供えして神様にご覧戴いております。
コンバインで収穫した籾は次の日が晴天でしたので早速駐車場で天日で乾燥。夜は社務所で除湿器と扇風機を夜通しかけて次の日には無事に適当な水分保有率になりましたので脱穀して納めていただきました。奉耕者の吉田さん、田添さん、そしてお手伝いを戴きました金岡さん、平野さん、浦田さん、ありがとうございました。

 

9月23日富山県初・初級BBQ検定 開催

宮司です。今回は倫理法人会の知人繋がりで富山県初の初級BBQ検定会場として新川神社境内と参集殿をご利用戴きました。
宮司は残念ながら、四方の氏神神社の秋祭りで参加出来なかったのですが、台風の影響で心配もされた中、無事に快晴の下、開催できたようで良かったです。

神社の境内でBBQ は如何なものか?と、思われるかも知れませんが、新川神社的には、春・秋の祭礼の時には露天商が営業で焼き物を販売するのは良くて、地域の住民が楽しんだりするのはいけんのはおかしいんじゃ無いか、と考えます。
今回のような正統派のBBQ検定で飲酒も無く、真摯に取り組むイベントは総代会の了解も経て会場提供いたしております。

若鷹会や第一町内のBBQなども、自然災害などいざという時の炊き出し訓練の意味も私的には持っておりますので、神社として場所提供を致しております。いざという時は自給自足出来る環境を神社が備えておくべきとの展望を持っております。インフラもそうですが、やはりいざという時に道具を使えて技能が有る人材を育てる土壌として神社境内は解放すべきだと宮司は考えております。
まぁ、うちの神社だからできるのでしょうけどね。

9月19日御代替り・天皇陛下御即位に関する件など 事務連絡会議開催

宮司です。
本年5月に御代替わりの改元を始めとして10月22日に即位礼、11月14日〜15日に大嘗祭が行われます。それに対して神社本廳の奉祝事業方針を受け、富山県神社庁では奉祝行事を計画中でした。神社本廳からは各神社でもそれぞれに一世一代の御代替わりを後世に伝えるような奉祝祭典並びに奉祝に関する行事を推奨されています。
文章だけでの通達では理解に限界があります故に、質疑応答も含めた事務連絡会議を本年初の試みで開催致しました。
予てより、400年祭記念事業として奉務神社の氏子の皆様たちよりもお祝い金を寄付戴きましたので私ども舩木宮司家がご奉仕致しております奉務神社40社の宮総代さんが一堂に集まる機会を作りたいと考えておりました。

会議は午後3時から午後5時。平日でしたのでお勤めの方には恐縮でしたが代理出席をお願いいたしました。皆さん、お忙しい中ご足労戴いていますので、会議は中身は濃く、伝達事項は要点をスッキリ必要な事を簡潔にお伝えすることに心がけました。

先ずは神社庁からお借りいたしました映画「天皇陛下 御即位から三十年 —常に国民とともにー」内閣府作成の物を上映(38分)いたしました。

その後に伝達事項として

①即位礼・大嘗祭に併せて神社庁・各神社にて行う祭・行事について

②御大典奉祝「一神社一記念事業」の奨励について

③記念植樹について

④富山県神社庁主催「天皇陛下御即位奉祝富山県民大会」への参加

⑤神社境内不審者監視・警備などの意識強化のお願い

の5点、

事務連絡ご案内として

①11/06 「第65回神宮の新穀感謝祭と上賀茂神社参拝1泊2日バスの旅」のご案内

②神宮大麻初穂料改訂の件

③舩木宮司の出前出張講座のご案内

を致し、その後質疑応答をいたしました。

④「令和御大典記念」植樹アルミ製看板無料配布の件

富山県神社庁富山支部では御即位奉祝の記念植樹の看板を作成され、希望される神社に無料で配布させて戴きました。

新川神社でも御即位奉祝事業として記念植樹を計画中です。社殿前の灯籠の前に対で植樹されていた真榊の左側が枯れてしまいましたので、此の機会に右側の榊を日陰に移植し、京都御所の紫宸殿前の「右近の橘・左近の桜」にちなんで橘と、道路拡幅のためやむなく伐採したソメイヨシノの若木を移植する計画を立てました。
令和ということで万葉集の「梅花の歌」からの出典元ということで梅の木もいいんじゃなかいと思います。うちには白梅・紅梅が1本ずつありますので、今回はタチバナとサクラにいたしました。

来年の3月頃に植樹の予定です。楽しみですね。タチバナは非時香実(ときじくのかぐのみ)として古事記・日本書紀にも見えますし、万葉集にも70首ほど見える古来より人気のある樹木です。

垂仁天皇の段の最後に登場する話でして天皇の命で新羅からの帰化人である田道間守(だぢまもり)常世の国非時香実を探しに行くんです。外国のことは任せた、という感じでしょうか。この実を食べると不老不死になるといわれ、海の彼方の誰も行くことのできない国にあるとされていました。そこで田道間守は苦労してこれを持ち帰るのですが、すでに天皇は亡くなっており、陵墓の前で泣き叫んだまま息絶えてしまう、という帰化人の忠誠譚として伝わる話です。実際に垂仁天皇陵の前方後円墳の片隅に小さな丸い墳墓が水のお堀に浮かんでます。

左:タチバナの実

 

 

神仏かふぇ。〜いのりのかたち〜 鎮魂作法&座禅など所作編

 

9月15日日曜日14:00〜16:00、今回の会場は最勝寺で行われました。
神道の「鎮魂」と禅の「座禅」。これを一度に体験出来る場はそうないでしょう。多分古今東西通じて初めてじゃ無いでしょうか。

これには因縁がありまして。蜷川という地名に最勝寺はありますが、元々蜷川氏という武士氏族のお屋敷で有った場所だそうです。蜷川氏の菩提寺として建立されたそうですが、この蜷川氏の本姓が「宮道(みやじ)氏」で物部氏の嫡流に当たる氏族です。この物部氏が奈良県天理市鎮座の石上神宮に伝えてきた神道行法が「鎮魂作法」なのです。ですから最勝寺には宮道家の家系図が有り、邇藝速日命から物部氏になり宮道家の系譜が記されている中に、新川神社の御祭神である「大新川命」も記されているのです。大新川命は邇藝速日命から七世の孫で、物部を名乗る前の先祖に当たります。そこで物部の鎮魂作法を修することに不思議な御縁を感じるわけです。

我が国日本は神と仏とがあざなえる縄の如く表裏一体にして鎮護してきたことがわかります。

恒例のお茶は高橋太郎madeの「阿羅漢」と「月読」。それぞれ最勝寺と新川神社がイメージの和漢茶です。美味しいと評判が良いです。
お正月は新川神社の参集殿でも振る舞いますが、何処で買えるか?聞かれる程です。

恒例のお菓子は宮司セレクトの岩瀬の「大塚屋のどら焼き」とLA MAISON DE JUN ラ・メゾン ド ジュンの「お散歩コルネ」の二品。
大塚屋にお昼頃予約していたので取りに行きますと、観光客の列。みんなそれぞれ「どら焼き」を買って行かれるのでやはり人気商品なんですね。
JUNのスイーツも美味しいので良くお使い物に利用しますが、「お散歩コルネ」は近くの公園でお散歩しながら食べるみたいなコンセプト商品だそうです。メイプルの焼き菓子とメイプルのカスタードクリームが美味しい一品です。
珈琲は富山市荒川のMict(ミクト)さんの神仏かふぇ。ブレンド。最勝寺バージョンで前日より水出ししていただいたアイスコーヒーでおもてなしです。

カフェ、といいましてもメニューは無くて、一方的にこちらで準備した物を出すのですが、お茶も珈琲もオリジナルブレンドですので「神仏かふぇ。」ならではの味覚を味わって戴けます。

先ずは鎮魂作法から体験して戴きました。正式にやると1時間くらいかかりますのでほんの体験、という感じですが、座禅の「静」に対して鎮魂作法は「動」の修法です。
鎮魂といいますと「レクイエム」、故人の御霊鎮めのイメージがありますが石上神宮伝来の鎮魂作法は、魂を振り動かして波動を強くして臍下丹田に納める動作ですので動きを主体とした修法です。インナーマッスルを鍛えることによって体幹を強くするような感じですね。

そのあとに座禅を体験しました。時間の配分で両方ともそんなに長い時間ではありませんでしたが皆さんには返ってその方が良かったのでは無いかと思います。また日を改めて座禅の日やヨガなども最勝寺では定期的に行っているので参加されたら宜しいと思います。

〜いのりのかたち〜として神道の鎮魂作法、禅の座禅を体験して貰いましたが、みなさんに何かすこしでも印象に残るものを持ち帰って戴いていましたら幸いです。

最後には珈琲とスゥイーツを召し上がって戴きながらQ&Aの時間です。色々とご質問があり、何時もの如く、時間が過ぎてもお話しが続きました。

9月の鷹乃羽雅楽会の温習

9月は1日と8日が温習日でした。月二回の温習のうち、1回は全体温習で合奏をします。3期生も合奏ができるようになりました。
仕事の都合などで練習に来られずに足が遠のいていく方もいらっしゃる様ですが、こちらは久しぶりでもウェルカムですので、また再開したくなったらお越し下さい。

我々は基本的に最初の課題である平調の五曲を常に磨いていきますので、他の曲もやりますが、この基本の五曲をマスターすればなんとか付いていけるもんです。

芸事には終わりが無いので、少しずつでも継続する事が大事だと思います。

9月よりおはよう倫理塾、始まりました。

宮司です。9月に入りまして1日より「家庭倫理の会石川」の「富山支部」が参集殿を会場として「おはよう倫理塾」を始められました。会の名の通り、開始時間ははやすぎる午前5時!しかも毎日!日曜日だけ午前6時です。休みは正月前後5日間のみ。過酷な修行会のようですが、意外になれると良いですよ。まぁ私は仕事柄宮司になる前より午前4時30分起きでしたから、30分早く起きれば朝のお勤めなど含めて大丈夫です。私は倫理法人会の方に入会しておりますので金曜日はそちらに行きますが、その他は出席しております。仕事が立て込むこの時期は朝3時より開門までの時間に朝の支度(潔斎:朝シャワー、着替え、御霊舎と神棚にお供えと拝礼)とデスクワーク仕事(原稿執筆や古事記・日本書紀の勉強、ブログ更新など)をしております。

家庭倫理の会がなぜこんなに早い時間に行うかというと、主婦の方でも参加できるようにとの配慮だからです。午前5時50分頃には終わっていますので、朝食の準備も間に合いますね。

「万人幸福の栞」という倫理の教科書の様な本を輪読してそれぞれが日常の気付きなど発表するのですが、3分〜5分くらいのスピーチですので予め原稿など準備しなくても普段感じたことを素直にそのまま自分でしゃべったり、他人の話を聞くだけでいろいろな「気付き」が得られます。

この倫理の会の良いところは「万人幸福の栞」を読んで「自ら気づいて実践していく」というところでしょうか。

自分をより良く変えていきたい人、今家庭に問題を抱えている人。夫婦仲、親子関係。そんなかたは是非見学でも良いですから覗いて見てください。予約は要りません。

ちなみに月謝は一ヶ月500円+会報「新世」300円で800円です。月800円ですから1日26円。

ご案内まで。

参集殿の観葉植物・モンステラ剪定

参集殿のモンステラ。葉の形が如何にも「観葉植物!」って感じでかっこいいですよね。京都の石清水八幡宮青年会の方から新築祝いでいただきました。

このモンステラ、参集殿の居心地が良いのか、次から次と葉を増やして広がりまくりで、自分で支えられなくなっているような状態になりました。もう少し、後先考えて葉を増やせや!と、言いたいところですが、モンステラってラテン語で「奇怪、異常」を意味することば、英語ではモンスターですので、この方にとっては「普通」なんでしょうね。
ですが結束バンドで通路の邪魔にならないように寄せていたのですがそれも限界になりましたし、何よりも問題になったのがどこからともなく出てきた触手の様な茶色い根っ子の様な物が地べたに這うようになりまして、これが踏んづけると廊下のシミになるので、なんじゃこら?と思いまして秘書に聞きましたらネットリサーチしていただきまして「自立できなくなったときに支えで出てくる杖のような物だそうです」ということでした。後先考えずに葉を拡げる。大風呂敷な奴とわかれば、何の容赦も無く怪物退治。
愈々初剪定をば。
ご覧のように結束バンドを外すとベターっとわやわやな感じです。そこで古い葉から剪定、バランスをとりながらシンプルにしてみました。綺麗な葉だけになりましたのでなかなかフレッシュなモンステラにイメチェン成功。ですが気を付けなければいけないのが樹液にかぶれる事もありそうなのでビニ手袋着用のこと。

ですが、こんな手のかかる暴れん坊、好きです。私にない物を持っているから。
俺だって、後先考えずに葉っぱ、広げてみたいよ。根っこは後からで良いじゃん、みたいな。

 

8月のあれこれ

宮司です。今年の8月の後半は行事目白押しでした。
18日の四方神社栂彦祭の後、19日からは31日の雅音楽祭の練習で毎朝、舞楽の朝練を個人的にしておりました。ひさしぶりなもんで舞振りも細かく見直しながら少しでもバージョンアップを目指しました。
25日は鷹乃羽雅楽会
26日午後1時30分は古事記に親しむ昼の部、午後7時から日本書紀に親しむ。
27日午後より鷹乃羽雅楽会は氷見市熊無の十柱神社にて地元の方々に雅楽をお聴かせする奉納演奏にて出向。小学生も参加するということで、雅楽の古典ばかりだと辛いだろう、ということで「君が代」「ふるさと」「遠き山に日は落ちて」を加えて「越殿楽」「陪臚」をお聴かせいたしました。見晴らしの良い境内でまさに「ふるさと」とか、「遠き山に日は落ちて」の情景にぴったりの場所でした。
28日午後7時古事記に親しむ夜の部
29日午後富山シティFMに雅音楽祭の宣伝のために神社庁雅楽部としてオンエアー出演。夜は雅楽部の最終リハーサル。
31日雅音楽祭出演。四方神社の泰子禰宜さん(新川神社の権禰宜さんも兼ねる)は、豊栄の舞で初舞台。宮司さんは久しぶりの蘭陵王。
怒濤の日々でした。お疲れ様です。

 

鷹乃羽雅楽会の様子

宮司です、溜まりに溜まった活動報告です。
鷹乃羽雅楽会は、3期生を迎えて予定通り月二回の温習を続けております。
10月19日の秋祭の夜7時より練習の成果を神様にお聞かせする意味での奉納演奏を予定しております。上手い、下手はこの際関係なくて、人前で演奏する事に慣れていただく為の演奏会です。
ですが、本来音楽は神に捧げられる物ですので、精一杯演奏して、課題を各自お持ち帰り戴きたいと思います。何事も「締め切り」が有った方が物事は積み上がっていくような気がします。

始めから完璧を目指すのでは無くて「とりあえず、今はここまで」の演奏が、10年後には懐かしくも失ってしまった何かを感じる演奏になってたりするもんです。

私ですか?駆け出しの頃の演奏の演奏は幸いにして記録とし残っていませんので安堵しておりますが、人には聞かせられないような犯罪的な演奏だったと思います。過去の自分に「喝!」ですが、その時はそういう事情と言いますか、一言で言えば「時流の変化」でしょうか。

いずれにしましても鷹乃羽雅楽会は「雅楽に触れてみたい」皆さんの為にありますので、忙しい日々でも諦めずに、ブランクができたとしてもいつでも演奏したくなったら来て下さい。一人で吹いてても面白くないでしょ。

令和元年度お宮さんを描こう!写生大会の巻

 

宮司です、久しぶりのブログ更新です。しばらくは色々と優先順位の高い仕事をしておりましたので延び延びになっておりました。

さて、本年の富山県神社庁主催の「お宮を描く写生大会」はすっかり定着してしかも応募総数が伸びているという長寿ヒット企画です。その分、担当者の苦労は大変ですが、応募者が増えている、ということは需要がある、ということですのでやりがいがある企画だと思います。

数年前から表彰式を雅音楽祭に併せてグランドプラザのステージで行うことになりましたのでこの檜舞台で受賞できるのはなかなか貴重な体験だと思います。

本年は地元・新庄小学校5年生が授業の課題で89名エントリーしていただきました。その結果、31名が入賞。その内訳は、トップ4である富山県神社総代会長賞に舟木大智君、特別賞であるアートジム賞に町口佳穗さん、金賞4名、銀賞10名、銅賞15名の好成績でした!

私も若い頃は写生会の担当をしたことがあるので知っているのですが、学校単位で多数応募しても数打ちゃ当たる、みたいに入賞が増えるわけでは無かったりします。審査する方からしますと、同じ構図、同じ色、同じくこじんまりとまとまった絵、みたいな感じになりますと可も無く不可も無くで、入選からは落ちていきます。やはりそれぞれに「これを書きたい!」みたいな視点が審査員の目に留まるようです。神社の写生会なのに青空と電線描いた子みたいに。

あと、いつかは出るだろうなぁ〜と思っていましたのが本年、遂に写生の題材となりました。
境内にある「陰陽石」です。陰陽石自体は多分、これが何なのかは認識していないとは思いますが、狛犬がなんともいえず、不思議キュートな感じが審査員のハートをわしづかみしたんじゃないかと。結構、神社庁の審査員狛犬好きみたいですよ。

 

令和元年の夏を振り返って 四方神社栂彦祭

宮司です。台風15号が接近していますが富山は晴天で真夏日。暑いですね。夏がまた戻ってきたような日です。太平洋側の被害が心配なところです。

さて、8月18日は恒例の四方神社の栂彦祭。四方の漁民を救うために自刃された栂野彦八翁を顕彰するお祭りです。家内の実家である栂野家はその末裔と言うことで神職家を代々勤めております。

四方の夏は漁業協同組合の「恵比須祭」の海上渡御祭に始まり、お盆明けの「栂彦祭」で締める、みたいな感じです。

先ずは早朝より氏子から奉納された献灯の提灯を設営します。お祭りは夕刻7時からで提灯の灯りの下で神社本殿横の栂野彦八彰徳碑に栂野彦八翁の御神霊「四方建比古神」をお招きして祭典を行います。奉納として呉山岳風会が詩吟の奉納をします。毎年恒例で「栂野彦八翁を讃える歌」も奉納されます。

祭礼が終われば本殿前にて奉納行事として四方小学校の児童が和太鼓を奉納演奏しました。
次に今年初めての試みで「とやま語りの会」による「栂野彦八翁物語」が披露されました。
語り部の話に合わせて大正琴の伴奏で情景の効果音を演出。加えて過去に製作された四方小学校生徒による栂野彦八物語りの「版画」をスライドショーにして語り部の話にリンクさせました。今年初めての試みでしたが、語り部に合わせて大正琴とスライドの演出効果がマッチして良かったと思います。加えて郷土の富山にまつわる歌を大正琴に合わせて歌いました。最後には「四方踊り」で過ぎゆく夏をしめやかに見送りました。

毎年の事ながら、200年を過ぎた今日も命がけで地域を救った栂彦さんは四方の方々のみならず、広く世の中に未来永劫に語り継がれるご存在であられることを伝える意味でも「栂彦祭」は盛大に継承されるべきお祭りである続けるでしょう。

 

 

令和元年の夏を振り返って 第四町内 稲荷神社祭礼

宮司です。8月18日は新川神社の境内外に鎮座する稲荷神社の例祭です。当日は四方神社の栂彦祭と重なっておりますので泰子権禰宜さんが奉仕しております。
この日は新庄町にある結婚式場、アーヴェリール迎賓館で12時から挙式もありましたので、朝から大忙しです。早朝7時から四方神社で栂彦祭の提灯設営。すぐ新庄に帰還して二人で結婚式奉仕。終わって私は四方で設営の続き。泰子権禰宜さんは稲荷神社奉仕の後、夜は栂彦祭奉仕という過密スケジュールですが、これを乗り切れば一段落です。
実は私は一度も奉仕したことがございません。今までは名誉宮司がお仕えしておりましたし。
私は四方の栂彦祭の設営準備で忙しいので今回、記録写真を撮って戴きまして概要を知ることが出来ました。

この稲荷神社は鎮座時期や由来などは判らないのですが口伝では安政5年(1859)の大洪水で昔の地形は失われてしまったのですが、昔は小高い丘に田の神として新庄の田んぼを見下ろす場所に鎮座していたそうです。今は「商売繁盛」で有名ですが、「稲成り」が「いなり」ですから本来の御神徳は「豊作を導く神」であります。現在は新庄町第四町内の方々が「地蔵盆」みたいな感じでお祭りを仕切って戴いておりますので有り難いことです。

令和元年の夏を振り返って 天正寺町内納涼祭

宮司です。もう9月。怒濤の8月を過ごしてようやく一息です。
沖縄旅行は11年間バカンスらしいバカンスを過ごせなかった宮司さんにとって、精神的に穏やかな安定をもたらした良い旅行でした。やはり休暇は必要ですね。たまに遠くへ旅してレクリエーションしたほうがいろんな意味で日々の生活や仕事のクオリティーが上がるような気がします。
最近、酒を飲んだら毒を吐く傾向が強くて自分でも自己嫌悪に陥っていたのですが、沖縄旅行以降はいつの間にか治ってましたね。穏やかな心でいられるような気がします。

さて、今回の話題は私どもの奉務神社37社のひとつ、天正寺という町の納涼祭に宮司としてご招待を受けましたのでお言葉に甘えて参加して参りました。この町内は平成10年に道路の拡幅に合わせて境内地の形状変更を余儀なくされた機会を良い風に捕らえて老朽化した社殿の改築を成功させた所です。少彦名社が氏神ですが、旧来の農村である元村と、新興住宅地が混在する町内で募金活動なども奉賛会を結成し、活発に活動されていましたので新川神社でも参考にさせて戴いた地域です。

毎年参加させて戴いておりますが、此所の納涼祭の目玉はバンド演奏に合わせて町内の子供達が振り付きのダンスを踊ったり、若いお父さん達も振り付きの歌を歌うなど「隠し芸大会」みたいなノリがいいんですよ。多分、忙しい中を皆さん集まって練習しているんだろうなぁと思いますが、仕事でお疲れのお父さん達が照れもせずに振り付きで踊っている姿は涙ぐましくも感動的です。
子供達も無邪気に喜んで踊ったり歌ったりしていますので、こうした手作りの演出はなかなか真似できないなぁと思いました。多分、プロのエンターテインメント関係の方がプロデュースしているんだろうなぁと思いますが、その持って行き方は一度聞いてみたいと思います。

令和元年の夏を振り返って 沖縄へ

宮司です。暦の上では秋。夜は虫の声も聞こえるようになりましたがまだまだ暑い日が続きますね。今年は台風ラッシュですが、大きな被害が出ないことを願っております。

さて、個人的な話題になりますが、次男の信直が富山商業高校陸上部として400メートルリレーでインターハイ出場に遠征のため、家族で応援に沖縄まで行って参りました。舩木家としましては家族旅行は10年振り、沖縄は11年振りでした。子供が中学・高校生にも成りますと部活中心になりますので、家族旅行はなかなか行けません。加えて神社が400年祭の渦中でしたので、家族旅行なんざ論外でしたし、いずれにしろそういう時期だったんですね。家族で行けて「満天の湯。」でもあそこ、良いですよ。近くて。

8月4日より東京にいる長男の信明も奇跡的に夏休みを合わせることが出来まして、10年振りの家族旅行が出来ました。次男の信直に連れて行って貰ったようなもんです。こんなことが無いと思いきって行けませんし。一応、決勝まで残る事を想定して7日まで三泊四日で行ってきました。

初日4日の午後5時30分からの競技でしたが、結果は初戦敗退でした。が、ベストを尽くした走りでしたので本人達はいざ知らずですが、私どもはフライングとか失格では無くて、走り抜いて4位でしたので良かったかなぁと。思い残す事は無く、次の日からは観光だーモードに入りました。

観光って実は宗教的な行為で、英語では「サイトシーイング Sightseeing」、場所見みたいな感じですが、観光って言葉は「神仏の御光を戴きに行く」が日本人の観光旅行ですからね。伊勢神宮とか、社寺参宮がそうなんでしょう。そのもっとルーツに天皇の「国見」が有るんだと思います。

今回の旅行はスケジュールは試合の結果次第ですので予定は無しで、その日気ままな旅でした。長男信明が全て運転して貰って、11年前とは真逆の沖縄旅行が満喫できました。

沖縄はなんか、好きなんですよね。龍さんやシーサーが所々におらっしゃいますので。元々琉球王国で外国なんですが、今の大和・日本が失わざるをえなかったものが残っているようなかんじがするからでしょうか。

 

令和元年の夏を振り返って 七夕と古事記・日本書紀と「君の名は。」

宮司です。お盆ですね。本日は8月15日で終戦の日です。台風も近づいておりまして南の方が心配であります。本日は穏やかに静かに過ごしたいと思いましてブログを書こうかなと。ようやく一段落した感もあります。

先ずは7月29日は13:30より古事記に親しむ昼の部、19:00より日本書紀に親しむのダブルヘッダー。7月31日19:00より古事記に親しむ夜の部でした。
当社では旧暦で七夕を行っておりますので7月25日から8月7日まで境内手水舎に設置しております。短冊に自由にお願い事を書いて戴きます。行事や神事などは特にしておりませんが、みなさん思い思いに短冊に願いをかけておられる姿はいいもんですね。

そこで丁度七夕の時期でしたので古事記、日本書紀に参加の皆さんに少しだけ七夕と神話に出てくる「星」のお話しをいたしました。

現代では一般的に「織り姫と彦星」の年に一度の逢瀬の話が浸透していますが、日本古来の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれたようです。 七夕(しちせき)を(たなばた)と読むのは日本オリジナルと諸々の行事のハイブリッドだからでしょう。日本人の得意技ですね。

さて、古事記日本書紀を読んでおりますと「日本の神話に星の神様は出てくるんですか?」という質問があります。太陽は天照大御神、月は月読尊とわかりやすいのですが、西洋には星座という星の見方とそれにまつわる伝説が数多くあるので、じゃあ日本は?となりますと、これが限りなく少ないんですね。古事記には星に関する記述は無くて、日本書紀の別伝である一書(あるふみ)に

「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類を誅伐し、皆すでに平定した。唯一従わぬ者は、星の神・カガセオのみとなった。そこで倭文神・タケハヅチを派遣し、服従させた。そして、二神は天に登っていかれた。倭文神、これをシトリガミと読む。」

「天に悪しき神有り。名を天津甕星あまつみかぼしまたの名を天香香背男あめのかがせおと曰う。う、先ずの神を誅し、しかる後に下りて葦原中国をはらわん」

と出てきます。(詳しくはWikipedia等でご覧ください)

星の神が悪い神として伝わるところに色々解釈を先人達がしてますが、今ひとつ説得力の有る物は無いんですね。あまりにも記述が短く、情報が少ないのでなぜ星の神が服従しなかったのか、悪しき神として扱われたのかは謎ですが、ネットで検索しておりますと「君の名は。」関連の事を書いたホームページにこの星の神の事が載っておりまして、おやっと思って見てみますと非常に興味深いストーリーとして描かれておりました。

「君の名は。」のスピンオフコミック、Another Side Earthbound全2巻の2巻目に登場しますが、こんな裏設定があったのか!とびっくりしました。星は流星、つまり隕石で地上に落石して大きな災いとなる、という解釈です。蛇の事を古語で「カガシ」というので「アメノカガセオ」は「天の蛇男神」、つまり「流星」をあらわす神名だと。実際に古来から隕石が落ちて災いになったことがあったからなんじゃないですかね。それを機織りの倭文神を主祭神とする宮水神社の代々神主の娘がそれを阻止するというのが映画のプロットで、なんと日本書紀の逸話が埋め込まれていたなんてぜんぜん気がつきませんでした。星の神・カガセオを服従させた倭文神・建葉槌命(タケハヅチ)は織物の神で、タケが頭に付くので武神である事は窺えますが、なんで機織りの神様が星の神を諫めることができるのか、ということが根底に流れている映画だったんですね、深すぎ。主人公の神主家である宮水家の人は代々御祭神の御神名、建葉槌命から「葉」(一葉、二葉、三葉、四葉)をいただいていますしね。組紐が神社が伝承してきた伝統祭祀だったり。これが織物神の霊験を現すものなのでしょう。本編では触れなかった設定が細かい。どうぞ今一度ご一読されますと「君の名は。」がより深いものがたりとして感じられます。

そういえば、今上映している新海監督の「天気の子」、観てきました。良かったですよ。今回も神社がキースポットになっているストーリーで「晴れ女」のお話しでした。「雨男」としてはこれは見にいかんなん、ということで。「君の名は。」もそうでしたが、神道的なテーマが根底に流れているアニメがビックヒットを納めていることになにかしら安堵感を持っています。職業柄でしょうか。ジブリのナウシカもトトロも千と千尋やもののけ姫なども日本古来の土着の信仰が感じられましたし。

時代によって信仰の形は変遷していきますが、今伝わっている形を如何により良き形で伝えていくかと言うことが大事で、それが根拠のある事か、無いことかという学術的な事よりも、史実の追求よりも、論拠の無い言い伝えだとしても人が紡ぎ出して語り継がれてきた「ものがたり」の方がよりよき時代を創造する礎になる力を持っているものだと私は個人的に思っておりますので、古事記と日本書紀を今後共みなさんと読み続けていきたいと思います。